まえがき
のりまきは“海老名ベテルギウス則雄”という別名があり。その別名では大学時代の友人と3人で畸人について研究しています。
奇人・畸人・・・性質や行ないが風変わりな人。変わりもの。
変人・偏人・・・一風変わった性格の人。変わり者。
畸人研究学会の3人
1998年の3月の日曜日。毎日新聞の本の紹介の欄に目がとまった。
『おもしろそう!』
早速本を買いに行った。新聞に出たからどこでにでも置いてあるのかと思ったがどこにでも売っているわけではなかった。3件目で買えた。その帰り道の横浜からの電車の中で友人に会う。「何読んでるの?」答える変りに本のカバーをめくった。「ゲーッ。変なのー。」
本はおもしろかった。一気に読んだ。でも、何度も書くがふとまきは人間に興味があるので、内容よりもこれを書いた“人達”に興味を持った。
『おもしろそうな人達だ。仲間に入りたいな。』
早速、自己紹介と可能ならば仲間に入りたい、というPRの手紙を出版社宛てに出した。
ふとまきはこうして何度か出版社などにあてて手紙を書いていたが返事は一度もなかった。今回もだめでもともと、といった気持だった。でも、自分なりにこの人達とは生活の地域が同じ(横浜市内)年齢も同じ位、ふとまきは心理学にも興味がある。と今までにはない手応えも持っていた。
『きっと会える』
そして・・・・・・・・・(いつか、書きた〜い“畸人研究学会員の研究”を)
まさかまさかである。その中の一人と結婚する事になった。その記事を目にしてから5ヶ月後の夏に『とりあえず』ということでで一緒に暮らす事になった。その人とはこんな人だったのだー。(海老名研究とその実際参照)
と、話は本題からずれてしまったが、類は友を呼ぶという。お三方共に“畸”“変”を呼ぶにふさわしい奇人さんである。と、ふとまきは思う。
上の新聞の記事にもあったように
『自ら研究の対象とされていたいわくつきの人物』
いわくの“海老名研究”で囲んだのりまき
海老名研究とその実際 〜全16巻〜
2001・7・18 書き写し完成!
ここにもあった観察コラム(^○^)(※1)
畸人研究学会・海老名研究とその実際の著者(定本畸人研究 アスペクト社 1998.2.12 著者プロフィールより抜粋)
★今 柊ニ(こん とうじ):畸人研究学会主幹
1967年愛媛県生まれ。幼い頃より世界の森羅万象や奇天烈な現象に興味を持ち、図書館・書店を探し歩いていた。そして小学校高学年時に“出版社”を興し、各種マンガを“発行”級友たちを呆れさせていた。中学校時には活字雑誌発行、高校時にも各種いいかげんな作品を美術部・放送部を根城に作りつづける。大学は横浜Y大で心理学を学び、黒崎と共に同級生の海老名の奇天烈さにあきれ果てる。大学卒業後は某教育産業に従事しつつ、日夜畸人研究に邁進している。
最近の個人の活動
★黒崎 犀彦(くろさき さいひこ):畸人研究学会員
1965年福岡県生まれ。何の因果か幼少時より畸人につきまとわれる。人の鼻をなめる癖がある知的障害児をはじめ、変態少年・非行少年・精神病少年などが頼みもしないに友人となっては消えていった。その後も周囲に引きこもり少年や先天性犯罪者が現れては消えていったが、大学時代に知り合ってしまった世にも奇妙な青年との付き合いは今現在も続いており、同人今とともにその男“海老名”のていたらくを書き綴ったのが畸人研究のきっかけとなる。「畸人を研究すべし」との私のこの因果はおそらく死ぬまで続くだろう。
★海老名ベテルギウス則雄(えびな べてるぎうすのりお):畸人研究学会員 =のりまき
以上・定本畸人研究での自己紹介の文章を、のりまき(海老名)が要約しました。
※1:ウエストポーチはのりまきのトレードマークでもある。
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