巻7 
−海老名の性格・その車中人生ー
 「海老名、大学3年 そのB」

Y大学教育学学士(心理学)
今 柊ニ
黒崎 犀彦
共著(原本執筆は、今 柊ニ)1994.3.13


海老名における“車到来”の重要性
本書今回のメインテーマでもあるが、今回海老名は免許を取得し、車を購入する事になる。この“車文明の到来”は海老名の人生においては非常に重要な意味を持っている。それまで、たまっていた彼の劣等感(インフェリアーコンプレックス)が昇華されはじめる転換期なのである。簡単に言うと、海老名はこの大学3年ぐらいから『ヤル気』になってきたのだ。その『ヤル気』の象徴がこの“車文明の導入”なのである。
今回もそんな海老名くんの生長をあたたかく見守っていきたい。(うそつけ)
今 柊ニ



1章 はじめに
今:こんにちわ。すっかり内罰的な今です。(注1)
黒:さっきのことは水に流しましょう。
今:……はい、それよりも何故かこの会談の時は雨がふりますねぇ、別に私も黒崎学士も雨男じゃないのに。
黒:のろはれて(のろわれて)いるのです。
今:やっぱりね(注2)。では、はじめましょうか。

2章 車社会(モータリゼーション)の到来
今:で、今回からまた通常ペースに戻って3年の後半から話をすすめていくのですが、3年になるころには貧乏人だらけのY大心理科にもモータリゼーションの波がおしよせてきました。それは我々も例外ではなく、黒崎学士、そして私も免許を取ろうと夏ぐらいから試みたわけです。
黒:当時、私は九州の方で免許を取るつもりでしたが、取りきれず、Hモータースクールに転移したのです。
今:ああ!!思い出したくない!!Hモータースクールに私も7月位から通っていましたが、黒崎学士が転移してきた9月には私はすっかり立派な『教習所登校拒否』になっていました。
黒:そしてついに中退したのです。
今:……事実ですから、そう言われても仕方ありません。で、で、そのしこりはずーっと私の心に残っていてトラウマ(精神的外傷)となっていましたが、本研究書でも前述したように、昨年免許を取得し、このトラウマも除去されました。
黒:まあ、オートマしか乗れませんがね。
今:(無視して)さてと、海老名の話に戻しましょう。いつも私や黒崎学士、そして他のクラスメートと同じ事をやりたがって仲間になろうとする海老名のことですから、この時も、彼は免許を取るべく教習所に通いはじめたのです。
黒:確かAの自動車学校でした。
今:で、海老名が免許をとりはじめたころには、私はすっかり教習所から足が遠のき、黒崎学士も九州の教習所を放校されてこちらへ転校してきたばっかりという、実にクライ時期でした(注3)。私は自分でもはや復校の道はないとさとってましたから、海老名が免許を取るという話を聞いても、海老名が免許を取れるわけはない、取るはずがないと固く信じていました。しかし……。
黒:これは、なんととんでもはっぷんおこんにちわで、海老名は免許を取ってしまったのです。
それはあたかも、天皇陛下が臣民に与える大赦(たいしゃ)のようなものでした。
今:ああ、憎たらしい。私はあのときは本当に無力感におそわれました。
黒:いわゆるドライビングアパシーというやつですか。
今:いや、海老名インフェリアーコンプレックスです。まるで、アメーバーのような単細胞生物と戦って負けたような心境でした。さて、すっかり話がそれましたが、海老名は免許を取ったものの、その運転ぶりはいやはやすさまじいものでした。



3章 オーマイカー事件
黒:これはマンガにもなった有名な事件ですね。
今:そうです。海老名のヤローは免許を取っただけならまだしも、身分不相応に車まで買いやがったのです。しかし、ビンボー人の性(サガ)でしょうか、当時は車庫証明のいらなかった軽自動車を購入しました。
黒:たしか、スズキフロンテの中ブルでした。
今:そんなわけで確か雨のふる平日に、海老名の運転する軽に乗って黒崎学士と私の3人でドライブに出かけることになったのでした。
黒:乗ってびっくり!!その怖さといったらあなた、ジェットコースターに乗るのがもったいないくらいでした。
今:最初に黒崎学士をFで拾い、その後にTの私のマンションへやって来たのですが、


ノックがしてドアを私が開けてみるとそこには灰色の空の下、黒崎学士を海老名が立っていましたが、

なぜか二人ともゲッソリしていて、私はこれからの事態に胸さわぎを抑えきれませんでした。
黒:そう、大変だったのです。


今:大変なのは私にもわかったのですが、何が大変なのかはよくわかりませんでした。まあ、うすうす察しはついていましたがね。
黒:今学士の不安げな様子は、私もよくわかりました。そして今学士が乗り込んでしばらく海老名が車を走らせたときのことです。事態は予想通りの展開となってきたのです。たしか、私は助手席で地図を見ながらナビをつとめていたのですが、私も現在地がわからなくなり、困っていたところ、海老名が「ちょっとおれに見せてみろ」と言って、運転しながら地図を見始めたのです。地図を見つめる海老名とあたし。ふと顔をあげたときのことでした。歩道が右側にあるのがわかりました。『うわっ』と私は叫びましたが、それでも海老名はうつむいて地図を見つづけていたのです。


今:反対(対抗)車線を走っていたのですね。
黒:はい。私はそのときにえびなの運転特性がわかりました。典型的な1点注視型だったのです。さらに「運転がコワイ」と本人に文句をつけると、目を吊り上げて黙ってしまうのですが、その時もやはり1点をにらみつけていて、側方及び後方を見ている様子はなかったのです!!とうとう私は何も言えなくなってしまいました。


今:私も最初のうちは海老名の運転をからかい、「下手下手」とか言っていたのですが、そういうことを言うと私は死ぬのでやめました。
黒:真に死というものを見つめさせられる空間と時間でしたね。
今:で、ドライブの目的地は一体どこだったかいまだに不明ですが、いつしか車は横浜市港南区Sに到着していて、我々はシェルターへ駆け込む核戦争時の避難民のようにファミリーレストランに入りました。

この時ほど命のありがたさを感じたことはありませんでした。で、この後どこに行こうという計画もなく、(実際保土ケ谷区から港南区に来るだけで、たかが10kmくらいのはずなのに2時間かかっていたのです)そのまま帰路につくことになったのですが、ここで黒崎学士が裏切りに出ました。
黒:何を言っているんですか。あの日は本当に家庭教師のバイトがあったので、磯子区のJR磯子駅前で降ろしてもらったのです。
今:降りた黒崎学士はともかく、残された私はまたしても行きと同じ時間がかかるであろう地獄タイムを味わわねばなりませんでした。もはや、ギアの入れミスによるガタガタする車の震動などには、何の違和感も感じなくなっていました。ただ、命だけは!と念じていたのです。なお、黒崎学士が車中にいた頃は可能であった海老名へのちょっとしたからかいの言葉も、とても恐ろしくて出来なくなり、行き以上の深〜い沈黙と車のやたらがやがやする震動音のみがひびいていました。
黒:でも、生きていて良かったですね。
今:全くです。しかし、それにつけても不可思議なのは、海老名が今まで事故を起こしていないことなんですよ。これは、黒崎学士、一体どういうことなのでしょう?
黒:海老名の「事故をしたくない!!」という想念が車を守るバリアーというエネルギーに変換されているからでしょう。
今:そのバリアーになるべきエネルギーが他の周囲にいる車に伝わって、海老名の周囲の車が事故を起こしてしまっているかもしれませんね。そういう意味では『恐怖のマイカー』という形容がふさわしいですな。ところで、車購入後の海老名は車をどのように活用しているのですかね?
黒:もっぱら家族でドライブに行くために使用されているようです。さらに詳しく言いますと、山へ行って山菜を採ったり、きのこの選別に余念がないようです。


今:本当は、海老名はそんなことに車を使いたくなかったんじゃないですかね?つまり別に乗せたい人がいたのではないのでしょうか?
黒:でも在学中に女を乗せたという話はとうとう聞きませんでしたよ。
今:もっと突っ込んで下さいよ。
黒:はい。海老名本人はYさんを乗せたかったんでしょうけど、乗ったのはママでした。何しろエロスなき男ですから。
今:(つぶやくように)ママは自分にエロスを感じて欲しかったのかなぁ。
黒:(はっとして)その点のコメントはあえて避けます。
今:(しつこく)しかし、私はかつて黒崎学士から聞いたのですが、あなたが海老名の車に乗った時、車の中に崎陽軒のシューマイのからしがおいてあるのを見つけ、「これはなんだ?」と海老名にあなたが尋ねたら、「ママが昨日乗った時に食べていたんだ」と言ったのを覚えています。

私はこの説話にとても深〜い海老名と母親の結合を感じてしまうのです。ちなみに、フロイト派の分析では“食べる事”はすなわち、SEXをあらわします。(注4)
このあたりが海老名においてエロスがない理由の一つなのではないでしょうか?
黒:はあ〜〜〜。(ややあきれている)
今:ところで、最後に現在の彼のカーライフはどうですか?
黒:うーむ、よくわかりませんが、人並み程度の運転はできるようになりましたね。ただし、女を人並み程度に運転しているかどうかは疑わしいものです。
黒:まず、乗ることが先決ですよね。車にしろ、女にしろ。


【注解】

(注1)……今回の会合の場所をスカイラークにおちつける前に、今学士がI町のガストに行こうと主張したが、今学士の記憶が不確かな為に結局わからずじまいとなってしまった。この発言はそんな今学士の反省の言葉だが、こんな謙虚な態度は会合を終える頃にはすっかり今学士は忘れている。そんな今学士の性格を熟知している黒崎学士は全く今学士の反省の言葉をあてにしていないのが彼の発言からわかる。

(注2)……海老名本人による再三の研究中止勧告にもかかわらず、研究をつづけているため、海老名の「のろい」が出てしまったのかも知れない。それとも海老名の涙雨か?

(注3)……おまけに今学士は大学にいかなくなるし、就職活動の待ち構える4年も迫ってくるし、黒崎学士も「ねたきり大学生」に成り果てていた。あっ、これは入学時から一緒か?

(注4)……かなりいい加減なフロイトの解釈なので、一般の方はご了承下さいね。




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