巻15 
−海老名の性格・その卒論完成
 「海老名大学4年 そのE」


Y大学教育学学士(心理学)
今 柊ニ
黒崎 犀彦
共著(原本執筆は、今 柊ニ)1994.7.


はじめに
・いよいよ本研究も終盤に近づいてきた。前巻の14巻の反響はやはりスサマジかった。パワー全開というところか。
・ところで、本巻と平行して発行されている「訪台記」(上) (黒崎学士との台湾旅行記)もかなりの好評で、下巻の出版が待たれている。
・畸人研究学会が正式に発足。刊誌「畸人研究」も発行が決定した。読者諸君の投稿をお待ちする所存である。世間の畸人たちの報告なら何でも可能!!


1章 はじめに
黒:……(黒崎学士、もぐもぐと食べている)
今:そんなに美味しいのですか?
黒:たまりませんね。
今:僕は6時に大盛りチャーハン(注1)を食べてしまったので、サラダバーだけです。悔しいなぁ、まあしかし、このようにして今まで15回飯を食って来ましたねぇ。
黒:食い終わったらはじめましょう。それだけ!!(ふたたび食べはじめる)

……黒崎爆食中……

今:せっかく15回とふって終わりを匂わせたのに、黒崎学士は自分のステーキを食べるのに集中して、会話に集中できないようです。……(15分経過)もう食べ終わりましたか?
黒:すっかり落ち着きました。
今:まあ、ライオンが飯を食っているとき、もとい「さい」が(注2)草をはんでいるときと同様、あなたが飯を食っているときは、何を言ってもだめですもんねぇ。
黒:食べるときは集中して食べる。それが私のポリシー(注3)です。
今:集中といえば、私たちも当研究に集中を続けてはや15巻目、いよいよラストを迎えることになりました。
黒:(感慨深げに)そうですね。人に歴史ありと言いますが、海老名の歴史も実に重みのあるそしてユーモラスなものだったですねぇ〜。
今:では、ラストスパートしましょう。

2章 黒崎学士の日々の不穏……海老名の卒業への道@
今:さて、新年会ですっかり4年間の集大成をした海老名、大学生活の集大成もしなければ、せっかく手にした公務員への道もだめになってしまいます(注4)。その集大成の大学の関門は卒論の完成と教授の認定ですが、その前にほかの講義の単位は取得していたのでしょうか。
黒:一応、3年時までには取り終えていたようです。
今:生理心理学は結局取れなかったのですよね。語学はどうだったのですか?
黒:それも3年時までにとってしまったようです。
今:ということは(実に不可思議だが、海老名は意外と小心な為に、講義取得計画は念蜜にたてていたのであった。)残るは卒論だけだったのですか?
黒:そうです。この時期(90年1月当時)、我々は毎日のように実験教室415にたてこもり、論文を書き続けていたのです。当時、手書きで論文を書いていたのは、私と海老名だけだったようですが、原稿用紙を前にして、頭をかきながら何事かつぶやく海老名。変わらないやつだと思いました。
今:そんな海老名の横で黒崎学士はちゃんと卒論を書くことが出来たのですか?
黒:実験教室415で卒論を書くのはなかなか至難の技でした。なぜなら、私とK(注5)が論文を書いていると、女どもが乱入し、雑音をはじめたりするので、集中できません。まあ、海老名がいる時は、女どもは来ませんでしたが。そのかわりに海老名が騒いでくれたのです。

今:いずれにしても黒崎学士はカルマが重く、論文執筆に集中出来なかったのですね?
黒:そのため、私は夜しか論文を書けなかったんですが、しかし、夜もやはりカルマだったのです!!このころ、例のS青年(注6)も卒論で発狂しかかっており(注7)、夜になると電話で私に助けを求めてきて、近くのファミレで二人で執筆することになったのですが、半分狂った人と一緒にやるのですから、それをなだめるのがまた大変で、私の卒論など二の次になってしまったのですねぇ。
今:まあ、カルマ多き人とばかり付き合っているのだから仕方ありませんよね。

黒:生まれいずる悩みといったところでしょうか。

3章 とうとう1月31日!!……海老名卒業への道A
今:このようにして黒崎学士に迷惑をかけ続けた海老名ですが、とうとう1月の終わりの31日に卒論の締め切りがやってきました。海老名はと言うと……。
黒:人並みにあたふたしていました。
今:で、提出できたのですね。
黒:そうです。しかし、この時期は何かと私も忙しくて(注8)、海老名のことどころではありませんでした。
今:私はこれまでも記してきたとおり、家にこもりっきりの冬眠中のもぐらのように卒論ではなく妄想の小説をしたためていましたから海老名のことを知るわけもありません。
黒:このころ今学士は永久追放になったマラドーナのようでしたからねぇ。

今:相変わらず、アップトゥデイトですねぇ。もとい海老名は卒論を提出しましたが、出せばよいというものではありません。当然出しても内容がダメなら却下されてしまいます。その判断は2月の半ばに行われる卒論発表会で判明するのです。海老名にとっては、あたかも魔女かどうか判断する中世ヨーロッパの宗教裁判のごとく恐ろしかったに違いありません。
黒:または少年十字軍としてエルサレムをめざしながらも、途中船が沈没したり、さらわれて奴隷になると言ったくらいの苦悩であったに違いありません。




4章 いよいよ卒論発表会!!海老名卒業への道B
今:黒崎学士、またしても腹痛ですか?
黒:今日は呪いではなくて、単に食いすぎたようです。
…ちょっとトイレへ(10分経過)
黒:ただいま。
今:そりゃあ、ステーキ230gにライスとサラダ5杯も食べりゃあ腹も痛くなりますよ。さてそんなことはともかくいよいよ運命の卒論発表会の日が2月の半ばにやってきました。
黒:卒論発表会は2日間にわたって行われました。海老名は確か2日目でした。臨床系は2日目だったのです。1日目に発表を終えた私は翌日の海老名の発表のとき、何か一発かましてやりたいと思ったのです。
今:黒崎学士の海老名への一種の精算ですね。
黒:そのつもりだったのですが、結局今になって思えば、さらなるカルマへの儀式に過ぎなかったのです……
今:やはり、あなたのカルマ、つまり海老名との仲は卒業後も続いてますものねぇ。さて、話をもどして、あなたの精算とは何だったのでしょうか?
黒:簡単に言うと、大きなダンボールに『がんばれ海老名君』と書いた垂れ幕のようなものを作り、海老名の発表時にそれを本人に見せつけようという、心理科開闢以来の一大イベントをもくろんだのです。
今:で、いよいよ海老名の発表がまわってきたのですね?
黒:海老名が壇上に上がると聴衆が何かを期待するかのごとく、ざわつき始めました。
今:そりゃあ、心理科始まって以来の最高のスターでしたかね。彼は(注9)。

画面、入りません(笑)。こちらを見て下さい!!

黒:まさに、カトリックの教会で演説をたれなければならないプロテスタントの姿がそこにありました。まさにその時、満を持して我々は例の垂れ幕を掲げたのです!!その瞬間、海老名の瞳孔は開き、口はあいていましたが、やがて、その緊張をうちはらおうとするように、うつむきながら発表を始めたのですが、内容はしどろもどろでした。
今:あなたがたの垂れ幕を見てさすがの海老名もあがってしまったのですね。あなたの先ほどの例えで言うなら、カトリックの教会にこきたないプロテスタントの「ルター海老名」が、そのカトリック教会の中でも自分の仲間だと思っていた聴衆が実はカトリックで、免罪符を高々と掲げたようなものだったのですね!!

黒:または、最後の晩餐で周りを見ると、12人の便徒がみんなユタだったとも言えるでしょう。
今:かくして、メロメロとなった海老名(おりしもフォルクスではドラマチックに白鳥の湖がかかっていた)。発表を終えて、教授の判断はどうだったのでしょうか?
黒:数人の教授に質問をされていたようですが、なぜかF先生からは質問がなかったのです。
今:多分それは質問すると、ブービートラップになると思ったのでしょう。F先生は。(つまり、質問してしまうと、それが元凶となって海老名が大学に残るかもしれないというリスク)
黒:このようにして、卒論発表会は終了し、追いコンも相変わらず騒いで、とりあえず終了し、遂に大学生活も99%幕を閉じたのです。
今:あとは、卒業式でしょうか。これは何かありましたか?
黒:何かあったのは我々でしょう!!特に私など、心理科の会長でありながら(注10)卒業式の日になんと金浦空港にいましたから。
今:ああ、そうでした。黒崎学士が女に迫られて困るので、私と一緒に韓国に逃げていたのですね。
黒:違うでしょう!!(注11)

今:まあいいでしょう。かくして海老名の長い長い話はこれでとりあえず幕を閉じます。始めた時には新品だった鉛筆も今はもう7cmもありません。
黒:でも、あと1巻だけ付け加えさせてもらいたいと思います。当研究の最終命題、『海老名は宇宙人か地底人か?』を検証しなければならないからです。そのために次回は海老名本人にも参加してもらう所存であります。
今:わかりました。では、次回でこの研究もひとまず終わることにしましょう。では今回はこれまで。
黒:達成感の中にもいちもつの寂しさが、もといいちまつのさびしさがありますね。
今:いちもつの淋しさならそれは淋病でしょう!!まあ、大丈夫ですよ。来期の研究課題としての海老名就職偏がありますから。
黒:それまでにネタをねっておくことにしましょう。


【注解】

(注1)大盛りチャーハン……トロの紹介したSの中華屋「新三陽」で供される。この店は量が爆発的で、通常でも2合のチャーハンを大盛りにすると、3,5合というスサマジイ量となるのであった。

(注2)さい……黒崎学士は本誌では一貫して「サイ」として象徴されているが、この例えが始まったのは1987年に今学士が書き下ろした「海老名、愛の逃避行」来である。本当にサイに似ているのだ。

(注3)……よくわからんポリシーである。

(注4)……正確には「大学卒業程度」なら公務員になれるはずだが、海老名は福祉職だったので、やはり卒業しなくてはいけなかったんでしょうねぇ。
(注5)K……この後、つまり卒業後 大○ に移動というか配属されて音信不通となるが、現在 新○ に生息していることが判明した。

(注6)S青年……94年現在、なぜか 元○○ のミニストップではたらいているらしい。

(注7)……担当ゼミの教官に卒論を提出するたびに「こんなのダメだ」とつき返され続けていたらしい。おまけに家政科では男は一人、孤立無援の上にストレス。まさに黒埼学士はカウンセラーいや「荒野の伝道師」だったのだ!!

(注8)……「荒野の伝道師」黒崎学士のもとには、やはり多くの悩みを抱えた人々が、特に女子が多く訪れたからだな。

(注9)……この場合の「スター」とはソシオメトリーにおける「スター」。ソシオメトリーとは、学校で学級運営上クラスの人間関係を理解するときに使用されるテストで、「スター」とは「排斥児童」のこと(だったか?)

(注10)……心理科の会長であった黒崎学士、在学中に会長らしい仕事をしたとの報告はない。今後もないだろう。

(注11)……なぜ、金浦空港にいたかというと、私と黒崎学士は韓国の放浪旅行に出ていたからで、帰国する日が卒業式というムチャクチャな日程計画だった。何しろ、日本までの飛行機のキップは現地で調達したため仕方がない。
なお、何故か黒埼学士は右図のように金浦空港から巨大なぬいぐるみをかついで家路というか、帰国したのだった。なぜ、巨大なぬいぐるみが必要だったのか謎は未だに解明されていない。



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