巻3 
−海老名の性格・行動形態・その人生ー
 「海老名大学2年 そのA」


Y大学教育学学士(心理学)
今 柊ニ
黒崎 犀彦
共著(原本執筆は、今 柊ニ)1993.10.11


第2巻に対する読者の反応
「まあ、おもしろかった」…S青年ことK氏
「ケケッ、また笑わしてもらいました」…T氏(今学士の友人、海老名の親友でもある)
「この研究書をみんなで楽しく読ませてもらってます。先日、海老名さんをどうしても見たいので黒崎さんに頼んで海老名さんに来てもらいました。やはり生きた標本は迫力があり、すごかったです。」…黒崎学士の職場のスタッフの人々。

……生の海老名と会見できたとは僥倖(運がよい)である。
さあ、今回もドーンと行くぞ!!



1章はじめに
今:こんにちわ。車の免許をとってすっかりインフェリアコンプレックス(劣等感)のなくなった今です。
黒:ああ、あのオートマだけってやつですか(注1)。それは良かった。
今:(聞こえないふりして)いやあ、大学3年の時の挫折以来の快挙ですよ。これで免許のないのはトロだけになってしまいました。
黒:そうですね。今までは今学士の最終学歴はHモータースクール中退ですか。
今:(大声で)では、本題に行きましょうか!!

2章トロ家訪問事件!
今:ええと、前回は大学2年秋の私が海老名家を訪問したウナギ事件まででしたね。
黒:そうですね。今回は海老名のトロ家訪問事件あたりから行きましょう。
今:具体的にはどんな事件でしたかね。
黒:くわしくは『トロ対策とその実践』に記される予定なのですが、まず事件前にトロの状況についての説明が必要です。この夏休みにトロの実家を訪問した際に明るみになったことなのですが(注2)トロは、この時付き合いはじめた女がいたのです。それをきいた私は、彼女の写真を見せろと言ったのですが、それは横浜に帰ってから見せると言ったのです。草津の合宿を終え、ついにトロ家訪問を決行することとなりました。この時に何気なくヒマそうにしていた海老名を誘ったのです。ああ、それがあんな事件になってしまったのです!!

問題のK(トロと同様のライダーだった)

今:もったいぶらずにはやく話をして下さい。
黒:では続けましょう。トロ家を訪問すると(注3)、彼はさもうれしげに「写真見るかほ〜」(注4)と言うので、まず私から見せてもらいました。その時の驚きと言ったら、あなた表現できるものではありません。
今:いわゆるビヨンドデイスクリプションですね。
黒:(笑)そうです。あえて言うなら、人工衛星が、その軌道から外れていくように気がとおくなっていったのを覚えています。その女について言わせてもらいます。サルでした。サルそのものでした。または15R戦い尽くしたボクサーの要だとも言えます。その女がトロとほおを寄せ合っていました。トロが「どうだほ〜と聞くので、歯をくいしばって「けっこういいじゃん。」と心にもないセリフを吐きました。ところが、海老名はそうは行きません。海老名が次にその写真を見たのですが、すぐ彼は「げー何これ!!」と大声をあげてしまったのです。私が制止しようとした時すでに遅く「笑った顔がブスー」とのたまわれました。
今:トロが気を害したのは言うまでもありませんね。
黒:それでもトロは「何だほ〜そんなこと言うなホ〜」とスネている程度でしたが、次第にトロの怒気が伝わって来たので、10分後にはそそくさとトロ家を後にしました。
今:うーむ、今になってこの事件を冷静に分析すると、実は黒崎学士が言いたかったことを海老名に言わせたという、あたかも腹話術師のような技をあみだしたと言えるでしょう。言い換えれば「武器としての海老名が確立したとも言えますね。
黒:とはいえ、このキケンな武器は私ですら当時は使いこなしていませんでした。
今:それは私は今でも不可能ですよ(笑)。

3章 忍者の海老名と“良心亭”とチャッチャッ、チャッ
今:とまあ、奇人としての海老名を利用する方向性が見えてきた2学期ですが、心理科では毎年恒例の運動会が開かれましたねぇ。
黒:そうですね。そしてその時にもやはり海老名は一発芸を披露してくれたのです。運動会は心理科の全学年、院生、教授が一丸となって運動会をするというなんともいやはや牧歌的な催しでしたが、運動会のしめくくりのチーム対抗のリレーの時に、海老名はその走りを皆に披露したのです。


走る格好はまさに忍者でした。マンガサスケに出てくるような忍者のような走りでした。
今:まあ、海老名もヒカゲ者ですからねぇ。
黒:しかもこれが遅いのです。他の人に見る見る抜かれていくのがわかりました。
今:トロイですからねぇ。チビですし。
黒:あ、チビと言えば、この頃常連化していた良心亭という定食屋のおかみにも「おちびさん」と言われていましたねぇ。
今:そうそう、あの頃は我々心理科の2年の特定の人物、つまり我々は大学近くの定食屋の奥座敷に「ろうなぬし」のごとく陣取っていました。我々が来るまでは体育会系のバカ共に占領されるままだったのですが、いびつな人間が体育会系に勝利してあそこをブンどったのですよ。まあ、そこで何をするというわけでもなく、ただおばさんの運んでくるヒルメシを食らい(注5)、無駄な時間を過ごしていた だけなのですけどね。
黒:ところで今学士、ここではやはり海老名の食べ方についてふれるべきでしょう。
今:あ、そうだったいわゆる『チャッチャッチャッ』ですね。

黒:その効果音はやめてください。思い出しただけで吐き気がします。どんな食べ物でもガムを食べるようなの(前述した)音をたてていました。さらに食べ終わった後の食器が汚かった。家畜なんかが食い荒らしたような汚れようでした。
今:あと、1年たてばファミレスでこれを発端とした有名な『ゴミ捨て場事件』が起きるのですが、それはともかくやはり
『チャッチャッチャッ』(おぇ〜気持ちワリー)の原因は家庭環境の悪さにあるのでしょうね。
黒:そうとしか考えようがありません。
今:うっ、ちょっと思い出して気持ち悪くなりました。トイレに行って来ます。
黒:今学士、そこで吐くと海老名と同じですよ。
今:(黙って)私も人間だ。ガマンしよう。


4章 巨編、海老名九州へ行く!!
@ 到着ゲロ未遂事件
黒:今学士、大丈夫ですか?
今:(青い顔で)大丈夫です。つづけましょう。で、このようにして秋がきて冬になったわけです。この冬休みにあのビッグイベント『海老名九州へ行く』が敢行されたのですね。これについては詳しくふれておきたいので、いきさつからお話頂けますか?
黒:海老名が九州に来ることになったのは、ちょっとしたはずみなのです。カル〜イ気持ちで『九州へ来てみないか?』と言ったら、海老名が本気になったのです。その後は現実的な予定が次々と立てられ、ついに大先生(海老名のこと)は、年の暮れのくそ忙しい時に九州は小倉にやってくることになったのです!!
今:このあたり、黒崎学士の自己犠牲的な海老名研究の姿勢が見られ、全く敬服します。これこそMen for others!またはカリタス(無償の愛)ではないでしょうか?
黒:ワハハハ。今学士何かあったのですか?
今:私のことはいいのです!!は、はなしを続けて下さい。(注6)
黒:では続けましょう。いよいよ出発となり、当日博多行きのひかり号に東京駅から乗りました。私は一抹の不安があったのです。『海老名が吐きやすい』ということです。はしゃぐ海老名の話など私は上の空でした。吐いたら、その場で電車からたたきおろそうと思ってました。
今:『吐いた海老名』などゴミ以下の汚物以外の何物でもありませんからねぇ。
黒:案の定、海老名は名古屋あたりまでおおはしゃぎでしたが、京都くらいでおとなしくなったのです。私は何度も「大丈夫か?」と声をかけました。「イヤ、オレは大丈夫だ」と海老名は言い続けましたが、気分が悪いのを必死にこらえている様子でした。
今:きましたね〜。
黒:それでもどうにか、福岡の小倉駅に到着しました。私も海老名もぐったりしていました。私は気疲れで海老名は乗り物酔いが原因でした。コノヤロー!!
今:カルマでしょう。
黒:1時間後、私の実家に到着し、海老名をようやくむかえ入れました。乗り物酔いなどほんの序の口、これからが海老名の本領発揮だったのです。

Aパンツ事件
黒:実家に到着してまずは長旅ご苦労さんということで海老名に一番風呂に入ってもらうことにしました。(コンチクショー!!)しばらくして海老名が気持ち良さそうに、アルトの怪声で「お風呂ありがとうございました。」と言って風呂からあがって、私の部屋に入って来ました。そのときに事件が起こりました。母が私を小声で呼ぶのです。何かと思えば「ちょっと、どうでもいいけどあの人の下着汚いね。洗濯機の中に入れてあったけどコジ×が着るような下着だったよ。何か他に持っていないのかねぇ。」これには私も当惑しました。それにしても他人様の親にそんなことを言われるなんて、これ以上恥ずかしいことはありませんよね?
今:ビンボーで下痢症だからしょうがないでしょう。
黒:まあ、そうですけどね。

B アルコールお断り、ト○子事件
黒:そうこうするうちに、夜となり、私と海老名は夜の疲れを癒していました。さて、11時頃になって私の弟が帰って来たのです。ここにも不安がありました。
今:まるっきり別人種ですものねぇ。
黒:うちの弟はケンカっぱやいところがありますからねぇ。海老名のようなへりくつ野郎には、会った瞬間殴りかかる危険性があったのです。
 さて、12時くらいになり弟が私たちに気を使ってとっておきのウィスキーを、持って我々の部屋に入って来ました。弟は海老名に誘うような口調で「一杯飲みましょう」と言いました。それを聞いた瞬間に海老名はスクッと立ち上がり、「それじゃあ、アタシはもう寝るから。」と叫んで、となりの部屋に行って寝てしまいました。


      

弟も私もあっけにとられてしまいましたが、弟はもはや何も海老名に関しては言いませんでした。
余談ですが、深夜彼は「う〜んト○子大好き」と急に叫んだのです。人様の家でそんな寝言をこくんじゃねぇ!!
今:ト○子ってあの妄想で付き合っていたオ○○ト○子ですか?
黒:そうです。しかし彼はその翌日にもビッグな事件を起こしたのです!!

C 異常気象と村西とおる
今:ヘンなタイトルだなぁ。何ですか?これは。
黒:実は深〜い意味があるのです。翌日、海老名に対するもてなしとして、若松というところにある高塔公園に海老名を連れて行ったのです。ところがこのとき、またまた異変が起きたのです。今度のは規模がちがいます。真冬だというのになんと気温が20℃を越えてしまったのです。私も海老名も大汗かきつつ高塔公園まで歩きました。
今:うーむ、異常な人間が来ると、気象まで異常になってしまうという、まさしく非因果律、ユング的に言えばシンクロニシティかもしれませんねぇ。
黒:そうですね。最近(1993)の動向から見ても(注7)海老名は非常にシンクロナイズな男です。
今:または、元寇襲来の時のように、九州という地方が海老名を嫌がって、土地を暑くして早く帰そうとしたのかもしれませんねぇ。
黒:ハハハ。で、次の村西とおるですが、この翌日、私の旧友が車で遊びに来てくれたのですが、出かける直前にその友人と海老名を玄関に待たせて、ちょっと小便にトイレに行ったのです。トイレから出てくると、初対面のはずの2人が何やら話しているのです。何を話しているのかとたずねたら、友人が海老名を指して「この人村西とおるに似てない?」と言うのです。すると海老名は大声で「なんだ、それは!!」とわめいていました。その後も友人はしきりに車の中でいやあ、村西とおるにそっくりだ」と連発し、とうとうダーティ村西という
あだ名までつけてしまったのです。
今:あ、すごいぞ!!この時期村西とおると言えば、“SMっぽいの好き”で名前を挙げていましたね。この映画(アダルトビデオ?)には黒木香が登場していたのですが、この黒木香は何を隠そう、当時Y大教育学部美術課に在籍していて、食堂でメシをくっているのを黒崎学士も目撃したでしょう!!ほらやっぱりつながっているんですよ!!
黒:おお なるほど本当にシンクロニシティだなあ(注8)!!
で、話を続けますが、その翌日、海老名は帰京することになり、駅まで私とその友人が見送りに行ったのです。新幹線のドアがしまり、もうお互いの声が聞こえなくなったところで、私たち二人は「ダーティ村西バンザイ!」と叫んでバンザイ三唱したのです。そんなことを言われているとは毛頭思ってもいない海老名は新幹線の中でにこにこと笑いながら手を振っていました。
今:ああ、ほほえましい光景ですね。
あ、またページが終わってしまった。一体いつになったら大学2年を話終えることが出来るのかわかりませんが、ともかくこの九州渡航は海老名の奇矯さ、ビンボーさ、アホさ加減がまたしても補強された、または顕在化した、またはパロディの域まで達してしまったというエポックな事件でしたね。ちなみにこの海老名の九州渡航を題材にした私の長編マンガ「愛の逃避行」というのがありましたな。(注9)
黒:で、続く4巻では、いよいよ年が88年になり、“プシケ”刊行、さらには大学3年になった海老名の全開ばりばりの大黄金期まで話を進めたいと思います。
今:楽しみだなぁ。(バタ!!←一気に書きつづけて倒れた音)



【注解】
(注1):実は21の時、黒崎学士と共にT町の教習所に通ったのだが、私はミッション車のガチャガチャギアを変えるのが嫌だったのと、教習所の教官の態度が悪いこと、更に“ねたきり大学生”だったので、教習所を退学してしまったのである。

(注2):研究熱心な黒崎学士はトロことTの故郷、最果ての地、北海道の函館の実家まで足を運んだのだった。

(注3):当時、トロは赤貧Y大生としては、常軌を逸した生活をしていた。つまりY駅から10分ほどの海から近くのライオンズマンションというフザケたところに住んでいたのである。

(注4):語尾に「ほ〜」をつけるとトロ語になる。時折、無意味に「の〜」とか言うと尚更良い。

(注5):良心亭の昼めしはA430円 B530円 C680円 の3コースがあった。ABCは日替わりで黒板に書かれていた。ちなみにAで我々が良く好んだのは『野菜炒め』『厚揚げとキャベツの炒め』『親子丼』などで、Bでは『ピーマンとなすの肉はさみ揚げ』『かたやきそば+ライス』『煮物定食』だった。Cは私はとうとう最後まで食べなかった。メニューは確か天ぷらとかだった。

(注6):この時期(1993年10月)、私は仕事が死ぬほど忙しかった。この上に夜中の対談であったため、相当キレテいたらしい。

(注7):この海老名研究が始まると同時に、海老名の周辺が急に騒がしくなってきた。『海老名家引越し』や『海老名のオーストラリア行き』を始めとする海老名のすさまじい勢いでの事件の連発をみるにしても、同時に研究をはじめたことが、何か運命のような、または何かの因果律を感じるのである。この研究は海老名の今後の激しい動きの“呼び水”だったのか?

(注8):ここまで出されるとユングもいい迷惑である。

(注9):本誌に別冊付録として掲載する予定だったが、何ぶん対策であるために、あえて割愛させてもらった。内容は本誌の通りだが、途中からかなり私の創作が入ってくる。最後には海老名は黒崎の弟に折檻され、重体となった海老名を黒崎が博多の中洲に捨て、明け方の光の差し込む中、海老名が静かに海に流れていくという、実に文学的なラストを迎えるのだった。





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