巻2 
−海老名の性格・生い立ち・その人生ー
「海老名、大学2年 その@」

Y大学教育学学士(心理学)
今 柊ニ
黒崎 犀彦
共著(原本執筆は、今 柊ニ)1993.9.12

第1巻に関する各読者の反響
「なんだ、これは。ともかく不当な表現(S団地などについて)を是非訂正して欲しい」…S青年ことK氏
「ワハハハ。失業中の身ですが、これは傑作でした。失業保険は1日5千円で結構ナイスです」…H氏(心理科の1年後輩)
「もらったかえりの電車の中で全部読みました。次はいつでるんだ?」…T氏(同期社会科の男、海老名の友人か?)
「おもしろい。続きを読ませてください」N研究の某カメラマン


今号のテーマソング
♪陰口はそよかぜのように♪(ロッシーニ作)
※9月12日、黒崎と車中で構想を練っていたところカーラジオから流れてきた歌曲。う〜んシンクロニシティだ!!



1章はじめに
今:黒崎さん久し振りですね。
黒:一月ぶりのご無沙汰でした。たまおきひろしです。
今:違うでしょ。ともかく前号の反響は大変なもので、続刊の希望が強いので、予定を急遽早めての刊行となったわけです。
黒:そうですか。それでははじめましょう。

2章“黄色い杖”事件
今:ええと、前号では海老名が大学1年になるまでが中心でしたが今号では大学2年からです。大学2年から海老名は面白躍如活動をはじめるわけですが、まず、春の時点での彼の行動について説明してください。
黒:まず挙げられるのは“黄色い杖”事件でしょう。
今:ああ、あの「NORI AND TORO」に記されている有名な事件ですね。
黒:マンガとは若干違うのですが、あれは確か私の下宿に女性たちを招待した時のことです。海老名は遅れて来たのですが、最初女性たちは「海老名が来るなら帰る」とゴネていたのですが、何とか私はなだめたものです。そうこうするうちに和○○亭(注1)の門がひらく音がしたのです。
私が「来た!!」と叫ぶと女性たちはすかさず「じゃあ、やっぱり私たち帰る」とたちあがったのです(笑)。そこをですね、「すぐ帰るからがまんしてくれ。」と言ってまた、再び座らせたわけです。いやあ、大変な苦労でしたよ(笑)。で、私の苦労は海老名が部屋に入ってからも続くのですが、何しろ女性たちは海老名と話をしないのですよ。
今:やはり、こわかったのでしょうねぇ。
黒:当時は確かに海老名への恐怖は濃厚でした。それでですね。彼女たちは私を通してしか話をしないのです。まあ、その方が話が盛り上がるのですけどね。ところが海老名は人一倍自己主張が強いのです。まあ、『何か話さねば』と思ったわけですね。その雰囲気は私に伝わってきました。会話をしている最中に(彼女たちと)、突然私に向かって
「ところでおまえさんの家に黄色い杖はあるかい?」
と訪ねたのです!!
今:来ていた皆はびっくりしたでしょうね。
黒:随分長い沈黙がありました。一体“黄色い杖”なんてあなた、何のことだかさっぱりわかりませんし、そんなものあるわけもありません。困った私は海老名に
「お前は一体何を言っているんだ?」
と言ったのです。そこで海老名は「いやあ、なければいいんだけどね。」とぼそぼそつぶやきました。でも“黄色い杖”が一体何なのかまだわかりませんよね?(笑)で、“黄色い杖”とは何か訪ねたんですけど、海老名は結局教えてくれませんでした。
今:私も当時、その話を聞いて“黄色い杖”が一体なんなのかスゴく気になりまして、海老名にしつこく聞いたのです。結果としてはどうやら障害者が道を歩く時に持つ杖のことだったのです。しかし、そんなのもは黒崎家にあるわけがないですよねぇ?
黒:人をなめているんですかねぇ?
今:まあまあ、ともかくこの“黄色い杖”事件は海老名の分裂気質を露呈させたエポックな事件であったことはたしかでしょう。
黒:その後女性たちが余計海老名のことを恐れてこわがるようになったのは言うまでもありません。

3章 海老名をとりまく周辺の変化
今:話が前後しますが、我々が2年になったために当然1年生が入ってきました。海老名、トロという2大奇人を生んだわが学年でしたが、次の年の入学者にはこのようにいびつな人間は少なかったです。しかし、海老名の影響はとどまるところを知らず、下級生にも影響を与えたのですよね?
黒:全くその通りです。これが不思議なことになまじ学年が違うせいか、下級生に海老名はウケが良かったのです。しかし、それというのも彼の数々のエピソードをギャグにアレンジして私がしゃべったからなのです。彼の人間としての出発はまさしくここにあるのです!!
また、このように下級生に好かれている反面、上級生には嫌われていました。これは仕方ありません。下級生は私がホロー(注2)できましたが、上級生は私がホローする余裕もなく「生の海老名」を見てしまい、それがあまりにドギツすぎましたから。
今:黒崎学士は海老名のスポークスマンであり、世間からの保護者だったのですね。
黒:そうです。これが私のカルマ(因果)です。(注3)

4章 当時の海老名の服装
今:一年の時も妙な格好でしたが、二年になるとますます常軌を逸した服装をするようになりましたね。
黒:ええ。まず思い出すのがぼうしです。たしかあれは5月下旬の英語の授業でした。教室に入った私は妙な黒い頭を発見したのです。その黒い頭はきょろきょろしていました。その黒いあたまと思ったのは実は帽子で、その下に見覚えのある顔がありました。そう海老名です。できれば海老名に発見されずにこのままほっとしていてほしかったのですが、こういうことにはめざとい海老名は私を見つけるとすぐさま近寄って来ました。あの当時はまだ海老名が一緒にいる、もしくは他人の前で目立った行動をするとはずかしかったものです(笑)。その帽子は良く見るとチロリアンで5月の下旬の季節にはいかにも暑苦しかったです。

そうそう、帽子をかぶった海老名を見てF教官が(注4)「海老名君それ帽子?頭かと思った。」と言ったのは秀逸でしたね。
今:海老名は頭がでかいですからねぇ。その後も彼は奇怪な格好ばかりしていました。その代表的な例としては、図にも
あるような格好です。確か7月だったと思いますが、彼はまるでコーヒー豆とかの輸出の時に使うフィリピン製の麻袋にただ穴をあけただけのような格好をしていました。
黒:おまけに彼が腕を挙げるとワキゲがみえてとても気持ち悪かったのを覚えています。
今:チビのくせに局所的に多毛症でしたからね。(注5)



5章 海老名の女関係
今:と、タイトルをつけてしまいましたが、こればかりはどうもねぇ……(笑)
黒:書くことないですよ。あるのは海老名の勝手な妄想ばかりですよ。
今:そういや、家政科の女にあらぬ妄想ばかりかきたてていましたね。
黒:そうです。たしかO○○ ○○子という名前でした。私はさんざんいろいろきかされましたが、全く覚えていません。
今:それはどうしてですか?
黒:内容のないつまらない話だったからです。
今:なるほど、じゃあこのくらいでやめましょうか?
黒:そうですね。


6章 海老名家の訪問
今:黒崎家にはほとんど自分の家のように出入りしていた海老名でしたが、この時期にうちにも(注6)やってきたのです。
黒:ほほう。
今:黒崎学士もその時に一緒に来たのですよ。あれはたしか土曜日でした。この時、すでに私はコマネズミのように塾でのバイトに明け暮れ初めていて、土曜しかいなかったのです。で、確かその時のバイト代で物資の大量購入を開始していて、とうとうHiFiビデオを買ったのです。で、あれは確かマドンナのライブビデオをうちで観ようということになり、海老名、黒崎学士、そして今はいなくなったS(注7)という3人がやってきたのです。ただ、私はたまっていた洗濯をしなければならなくて、外で洗濯をしていると、窓越しにあなたたち3人がまるで凝視するかのごとく一心にビデオを見ていました。家のすぐ裏を通るS鉄道の轟音の中、ビデオを見るあなたたちと、洗濯する私。何かとてもシュールな感触がしたものです。何でこのように鮮明に覚えているかと言うと、海老名がうちに来たのは、というよりうちの中に入ったのは前にも後にもこの時だけだったからです。

黒:当時から、今学士はキレイ好き、いや関西弁で言うところのカンショやみたいでしたからねぇ。
今:ええ、当時私は海老名をバイキンだと思ってましたから。その点、黒崎学士の度量の広さにはいつも全く敬服します。まあ、当時の黒崎家の混沌ぶりから察すれば海老名なんて大したことなかったのでしょうけど……。(注8)
黒:ハハハ………でもやっぱり海老名のゆるせないバイキン的なところはありますよ。その事件の最たるものは4年の最後に起きますが、今は話さず後にまわしましょう。

7章 草津事件
今:すっかり話がそれてしまいましたが、このようにして夏が来て夏休みの後半に心理科2年全体で、草津へセミナーへ行きましたね。
黒:私にとっては大変なことしかありませんでした……。
今:カルマでしょう。
黒:それを言わないでください。悲しくなります…。
今:まあ、元気を出して。
黒:はい、では話を続けましょう。草津でも海老名は事件を起こしてくれました。
今:確か、黒崎学士は草津へ向う時はみんなと一緒に学校のバスで行かずに誰かの車で行ったのですね。
黒:そうです。このときばかりは楽しかったです。何しろその車は人畜無害な普通の人ばかりの車で(注9)、その上かわいい女の子(注9)も乗っていれば、そりゃああなた言う事ないでしょう。
今:反面バスで行った私は地獄でした。私の前に座った海老名は旅行が出来るせいか、そりゃあもう大騒ぎでした。周囲は閉口していたのですが、それに気付くくらいだったら、今の海老名はありません。おまけに、その時同乗していたクラス担任のO先生が(注10)アメリカで買ってきたという瞑想テープなんか流し始めたせいで、バス内はますます混乱し、草津に着いた時はゲンナリした私でした。
黒:私が草津についたのは渋滞にはまったせいもあって、夜だったんですけどセミナーハウスに入るや否や海老名がすっとんできて「おまえ、大丈夫だったか?みんな心配していたんだぞ!」と言ったのです。私は内心「一番心配なのはおまえだ!!」と言いたかったのですけどね……。で、その時の海老名の様子から、ほろ酔いでかなりハイな状況になっているのがわかりました。
今:危険だな〜。
黒:その後、私も既に始まっていた宴会に参加してそれなりに楽しんでいました。海老名はもっと大騒ぎしていました。そうこうするうちに、私はふとトイレに行きたくなりました。トイレは電気が消えていて、真っ暗だったのですが、そこには人の気配がしました。では、会話を忠実に再現します。
「のりか?」(黒崎)
「ああ」(海老名)
「吐いたのか?」(黒崎)
「ああ」(海老名)
ということです。

今:なるほどねぇ、海老名は相変わらず吐く、その一方ではバイクで草津までやってきたトロは翌日軽井沢に行くのに道を間違えてみんなとはぐれて勝手にスネルは(注11)、黒崎をはじめとする我々男子が特定のいわゆるカワイイ女の子と集中的に遊んでいたら、その他の女たちが「男が女をえりごのんでいる。」と黒崎に言って泣くわ文句は言うわ、で人びとの20前後の様々な生き様があった、まさしく青春の十字路のような合宿でしたねぇ。
黒:そうです。人々は青春の真中に立ち、20以降の人格を形成していったのに、海老名は相変わらず吐いているだけだったのです。

8章 ウナギ事件
今:さて、そうこうしてもう9月です。そろそろ海老名への抵抗力がつき始めていた私は、と言っても海老名を私の部屋に入れるのは相変わらず嫌でしたが、自分勝手な私は彼の家に行くことにしました。
黒:それは さ○○経由ですか?
今:そうです。ヘアプラン帰りです(注12)。黒崎氏と同様にエビナで鉛色の空を見たとき、沈うつな気持ちでしたし、彼の家までの道程は、まさしく「行きはよいよい、帰りは恐い」の心境でした。
黒:で、家についたのですね。
今:そうです。私が訪問した時も黒崎学士と同様の状況でした。小汚い犬が私にほえたので、蹴り殺そうかと思いましたが、それがジミー君だったのです(注13)。で、訪問時はちょうど6時くらいでしたが、家にはお父さんしかいないようでした。で、そのお父さん奥に入ってこそこそやっているではありませんか?しばらくすると海老名に声をかけて「ごはんだ。」と叫びました。海老名は「今日のご飯なんだい?」と言うと、父さんは
「ウナギだ!ウナギ」
と連呼しました。これによって海老名家でのウナギという食べ物のポジションがわかりますね。さて、出てきたのはどうもスーパーのパック売りのウナギでした。なぜならやや固めだったし、一緒に出てきた汁も肝いりでなく単なるかきたま汁だったからです。まあ、玉子のかきたま汁も美味しかったので、海老名にその旨を伝えると、海老名はさもうれしそうに「うちのパパは料理が上手い」と自慢しました。まあ、飯も食ったし、とりあえず元も取れたので(注15)、私は帰ろうとして立った所、奥でお父さんがもぐもぐ食べているものが見えました。おかずはウナギではなくて、何と漬物だったのです!!お父さんは息子の大事な友人の私に自分のウナギを与えてくれたのです。ボクはとても感動して海老名君にやさしくしようと決意しました。
黒:いい話ですね。
今:これで終りなら美談なのですが、これには後日談があるのです。めしを食って私が帰ろうとすると海老名君のお母さんが帰って来ました。ボクは彼女に挨拶をして帰りました。で、次の日海老名に「昨日はありがとう」と言いました。すると、彼は「ああ、いいんだ。いいんだ。あ、そうそうママがね、あんたの顔を見て、あの人は頭が足りなさそうねと言ってたよ。」とほざいたので私はムカツいてやはり海老名をいじめることにしました。よく考えりゃあ一家でウナギを食べようとするのに「3枚うなぎワンパック」しか買ってこなくて余分が全くないなんて、ビンボーの証明みたいなもんですね!!
黒:いい話ですね。
今:あ、紙がつきてしまいました。残念ですが、この後の“トロ家訪問事件”、巨編“愛の逃避行”については次号での報告としましょう。
黒:そうですね。ではまた会いましょう。
今:諸君、金払いなさい!!


【注解】
(注1)和○○亭:黒崎が大学4年間ずっと居住していた下宿の名称。6畳の和室に3畳の台所、トイレがついて家賃は確か2〜3万と安かったが、いかんせんS鉄道F駅の北口と言うくら〜い立地の上に山の上へ徒歩12分。日当たりも悪かった。ましてや元来不精な黒崎が掃除をするわけもなく、部屋はかびとゴミの祭典となったことはいうまでもない。

(注2)ホロー:現在私の勤めている会社のOLがFOLLOWをこう読んだ。このOL、カリキュラムをカリキオラムと言ったり、なかなかするどいボキャブラリーを持つが性格がきつい為みんな正面からきってからかえない。

(注3)カルマ:黒崎のカルマはいろいろあるが“変な人間を観察する”が彼の今までの人生、そして今後に与えられた課題である。

(注4)F教官:海老名の天敵、F教官も海老名が天敵である。元来温和な人だが、海老名へはいつも痛烈な攻撃を与えていた。でも海老名は平気のへいざだ。

(注5)多毛症:腕やすねにもびっしり毛がはえていた。(黒崎談)

(注6)わが家:当時、今はS鉄道FではなくてHに住んでいた。部屋の前は道路でその向こうに工場、部屋のすぐ裏はS鉄道の線路でさらに窓を開けるとすぐ踏み切りというすさまじいところに住んでいた。後にバイトで荒稼ぎした金を元手にしてTのワンルームマンションに引っ越す。

(注7)S:当時、今、黒崎とともに海老名、トロ研究にいそしんでいたが、いまや普通人になりはてて、大阪に居住。黒崎はもはや見放したが、彼のマレ人復帰はありえるのか?

(注8):注1で記した通り、黒崎家の混沌ぶりはすさまじかった。すでにこの時期、万年コタツの上には小銭と紙切れが散乱し、テレビ台は少年ジャンプ5冊を重ねたもので万年床の横にはなぜかロココ調の時計があるというふうにすでにカオスが形成されていた。

(注9)人畜無害な普通人:海老名、トロ以外にも心理科にはまともな人もいた。ここでは確かMさん、Sさんといった女性陣をさすと見られる。この時のドライバーは確かKさんで、T大卒業後にY大に再入学して心理をやろうとするような人だから、まともじゃないかなぁ?

(注10)O先生:学年担当の教官だった。ユング派の臨床心理学者で、この教官を慕って入ってくる学生も多かったが、性格はユニークというか面白い人だった。後、J大へ移り教授になった。

(注11):いわゆるトロ草津事件だが、これについての詳細は“トロ対策とその応用”(近刊)を参照のこと。

(注12)ヘアプラン:そもそもはトロが予備校時代に通っていた美容院で、大学1年の時に皆に紹介した。その後そのヘアプランは海老名、黒崎、トロ、今の集結地点となり、まさしく江戸時代の髪結床のような一大情報センターと化したのだった。

(注13)ジミーくん:海老名家では、ジミー君も同じ食卓で食事する。海老名を訪問した黒崎はジミー君に口移しで肉を食べさせるらしく、それを見た黒崎は気持ち悪くなった。

(注14):私が帰る時、台所を覗いたところ、パックの入れ物を見たのでまちがいない。

(注15)元がとれる:今が良く使う言葉で、投資に見合うだけの利益を回収した時に使用される。ただ、今だけはあまりにこれを連発しすぎて黒崎にケチと言われた。


付録・特別マンガ
不連続活劇B 愛とのりりんの日々・黄色い杖

解説:『NORI AND TORO』に収録。87年作と推測される。本誌収録の“黄色い杖”事件をマンガ化したもの。黒崎家ではなくS家、女性でなくて男性というように若干の設定は異なっているが、インパクトはこのマンガの伝えるままである。
ポイント:最初と最後で海老名が目をとじて星座している。これは当時の海老名のメリハリのついた特異性をあらわす。


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