巻1 
ー海老名の性格・生い立ち・その環境ー
「海老名生誕より大学1年まで」


Y大学教育学学士(心理学)
今 柊ニ
黒崎 犀彦
共著(原本執筆は、今 柊ニ)1993.8.13


〜はじめに〜
海老名則雄。この男の研究は我々の義務であり権利である。Y大学在学中に出会ったこの不可思議なこの男に合った瞬間から我々の観察・研究ははじまったのだが、海老名研究をまとめた冊子としてはわずかに「NORI AND TORO」があるのみである。(89年1月刊行、絶版)
 今回、私は実に久し振りに黒崎学士にあった。彼はまた共に海老名研究を行なった同志であり、いつしか話は海老名研究書刊行のこととなった。夜は更け、話をすすめているうちになんとこの冊子の元となった対話を完成してしまったのである。それを私こと今が冊子におこしているのだが、海老名に関する研究はこの1冊では終わらないことが決定し、続刊も刊行の予定となってしまった。
 いずれにしても勢いというのは恐ろしいものだ。
ーーなお、この書はすべての海老名関係者にささげるーー    

                 93.8.25 横浜H閑居にて 今 柊ニ



1章 海老名発生に関する諸学説
海老名則雄のあまりの奇矯さ、奇天烈さに海老名が人間ではないという説がかなり濃厚に流れていたので、ここに記しておこう。
@宇宙人説…海老名は小男で目がつりあがっている。自然科学に異様に詳しい。それに星にも詳しい!このあたりからこの説は展開されてきたらしい。FBIの宇宙人連行写真にも似ている。
A悪霊説…@と同様、小男で目つきがスルドくのろいをかけられそうだ。またぶつぶつ言っているのも呪文を唱えているようでこわい。
※他にも「妖怪説」「地底人説」「クローン人間説」「ロボット説」などがあった。

2章 幼少時とその家庭環境
※ここより対話形式をとる。今→今 柊ニ、 黒→黒崎 犀彦

今:海老名の地上での発生日は?(注1)
黒:昭和42年1月12日かな。
今:さすがですな。
黒:まあ、私は海老名研究においては当界随一ですから。
今:はや生まれなんですね。そのあたりは海老名の未熟児的発生の原因なのでしょうか。(海老名は身長が160cmない小人である)
黒:いや、未熟児なのは彼の家庭環境からでしょう。
今:と、いうと?
黒:やはり彼のママでしょう。彼のママは過保護で、昔私の家に遊びに来た時は必ず「もすもすお母さん、もうすぐ帰るから」と電話していたことからもわかるでしょう。
今:でもそれは彼の性格的未熟さであって、体格的未熟さの原因ではないでしょう。彼の体格的未熟さはどこからきたのでしょうか?
黒:いでんでしょう。(注2)
今:ふむふむ。やはり海老名の生母の生活態度にも問題があって、胎児時代の海老名に影響を与えたのでしょうか?
黒:まあ、海老名の生母というのはやることがゴーカイだったことは確かですね。パチンコとか良くやっていたし、マージャンも好きみたいです・・・。あと海老名が生まれた時の有名な逸話として『こんな苦しいことはもう二度とイヤだ』と言ったらしいです。
まあ、これが彼の一人っ子の原因ですが、ご察しのとおりにこれが彼の後の人生に影響を与えたのですバイ
今:なるほど。では次に海老名の遺伝子提供者である彼の父親はどんな人なのですか。
黒:陰のうすい人です。水木しげるのマンガに出てくる「コイツ」みたいです(笑)」(注3)


今:うん、たしかに私が彼の実家を訪れた、かの有名な「ウナギ事件」の時に父親を見ましたが、たしかに家の中で背広を何故か着たまま座っている小男でした。
黒:(笑いつつ)まあ、父の影がうすいために海老名の中から男性性がうすれているとも言えますがね。
今:父親はよく転職したもんですよね。
黒:そのためにいろいろなことろを移り住んでいるようです。

3章 生地は実は東京
今:で、海老名は具体的にどこで生まれたんでしたっけ?
黒:・・・・・たしか東京だときいていますが、その後、千葉の八千代、川崎、そして沼津にいたらしいです。(注:追跡調査の必要あり)
今:はあ、それでは彼の性格のゆがみはいつぐらいからはじまっているのでしょう?
黒:私が推定するに、既に学童期からはじまっているようですね。
今:比較的よく聞いたところでは、彼の口からよく沼津H高時代の話がありましたね。(注4)
黒:まあ、中学か高校だかの時にいじめられていた経験があるらしくてそれがゆがみを生んだ、もしくは加速させたのでしょう。このあたりはT(注5)と同様でしょう。
今:海老名の場合、中高以前の小学校もしくは幼稚園の頃からいじめられていても不思議はありませんよね。家は貧乏、父親は転職だらけ、おまけに引越しばっかり、ましてや本人が虚弱体質とくればこれはもう私だっていじめてますよ(笑)
黒:まあまあ。あと、そのあたりのいじめられたことろからきたのかどうかわかりませんが、彼には少女マンガの趣味があります。
今:そうそう。例の『ウナギ事件』の日に彼の“マッチ箱”自宅の自分の部屋にうず高く少女マンガがつまれていて、彼が意外とデリケートな性格、言い換えればめめしいところがあるのがよくわかりましたね。
黒:なにしろ、電車の中で香水のにおいによって吐くくらいですからねぇ(笑)(注5−2)
今:まあ、彼の場合いくら女の香水のにおいに弱くても女が気持ち悪がって寄ってこないからまず「安全」です。
黒:(爆笑)最近も彼は女で苦労しているらしいです。あ、これは女と具体的に何かやったというレベルではなくて、寄ってくるかどうかというレベルです。
今:相変わらずですねぇ〜。


4章 予備校時代
今:う〜ん、高校までの事については今後また調査が必要でしょうが、彼は浪人を1年していますね。最初はどこの大学を受けたのでしょう?
黒:Tです。コケました。この後横浜の○ゼミを経て、我らがY大学にやってきたのです。
今:予備校時代のエピソードは知りませんか?
黒:う〜ん、あまりよくわかりません。ただ教科の好き嫌いはとても激しいです。これは国立大志望者にとっては実は致命的なのですが、何しろ嫌いなのが英語なので私立でもどうしようもありません(笑)。ただし、Y大の教育学部というところは、一次さえのりこえれば、二次は五教科のうち好きなのを二教科受験すればいいのです。海老名の場合は、共通一次ではなんと英語は85点(200点満点)だったけど、二次の日本史と国語でほぼ満点を取っていたので、何とかもぐりこめたのです。
今:いやあ、こういう入試をやっているからY大はいびつな学生が集まりやすいのですね。そういえばあのS青年(注6)も、共通一次はぼろぼろでしたが二次の地学と地理で満点を取って入学したのでしたね。地学と地理なんてあなた、他大学じゃあどこでも使えませんよ(笑)。



5章 Y大入学
今:黒崎学士が海老名に最初に会ったときのことを教えて下さい。
黒:鮮明に覚えていますね。あれは1986年4月のY大学の入学式のことでした。とりあえずクラスごとに別れて、ガイダンス・オリエンテーションになったわけです。入学時から勉強する気のなかった私は、とりあえず出席とか試験とかの情報を提供してくれる相手をさがしていたわけです。それであれですね。原色の妙ちきりんな服を着た男をみつけたわけなのです。まあ、変だけど勉強は真面目にやりそうだと思ったわけですバイ。何をしゃべったかは忘れたけれど、人間関係を作ろうと思って話し掛けたわけです。その時のことですけれど、これが大事なのですけど、彼は同じクラスのM(注7)と甲高いをあげてしゃべっているわけなのですよ。
今:そうでした。海老名の声はまさしくアルトの怪声で教室中にひびいていました。私もその声を聞いてふりむくと、妙に目つきのスルドイ小男が座っていたわけです。

★★★★★

今:で、黒崎さんはその後、海老名と親交を深めるわけですが、ここでもう一人奇人トロも登場して徐々に“Y大心理科カオス”が展開されていくのですが、黒崎さんはどのくらいの時から『海老名は変だ』と感じ始めましたか?
黒:最初からです。
今:スゴイですな。まあ、しかし周囲にも徐々に彼の妙さに気がつきはじめていて、確か6月くらいに、彼がヘンだと完全に理解して、大学近くの喫茶店で“第一次海老名対策会議”が開かれました。第二次はなかったんですけど(笑)。で、この時の討論は、確か「みんなもっと広い心で海老名に接しよう」ということでしたが、この時点ではまだトロがしゃあしゃあと批判する立場にいたのは大笑いでした(注8)。まあでも話を戻すと黒崎さんは学生卒業時まで、そして現在も海老名と付き合いを続けていたわけですが、入学後、さすがの黒崎さんも驚いた事件はありますかね?
黒:いろいろありますが、有名なところではまず“S英語事件”があります。
今:それは具体的にいうとどういう事件ですか?
黒:これは1年の英語の担当がSという教官の時間に、彼が英文和訳をやらされたわけです。ことろが彼の和訳はちんぷんかんぷんなわけです。そこでSは彼の和訳を訂正したのです。そこで、海老名は感心したように「うむ、それも一理ある。」とのたまわれたのです。(注9)
今:あ、思い出しました。たしかあのあとしばらく流行語になりましたね。
黒:はい。
黒:・・・・・え〜と、この事件の後も海老名は英語で珍事件をいくつも起こしたのですが、これは2年、3年になった時のことですので、とりあえず、ここでは事件名のみあげておくこととしましょう。
@F教官 英文単位あげない事件
ANゼミ “ハブ”事件


今:つまり、彼は左脳に致命的な欠陥があるようで、語学分野の勉強はさっぱりでした。確か、ドイツ語もボロボロでしたね。とは言え、自然科学分野では異様な才能を発揮していました。いつぞや私は『昆虫の社会学』という奇妙な書物を読んでいるのをみて、「海老名君、それ面白い?」と訪ねたとき、「うん、アリの心理がわかるよ。」と言われてぞっとしたことがあります。
黒:確かにあの男はけったいな本ばかり読みますからね。
今:ところで、学業面のことはわかりましたが、その他の面で記憶に残ることはありましたか。
黒:やはり、宴会関係でしょう。最初は大騒ぎをして飲んでいるのですが、一度トイレに立ったらもう最後!死人のような顔をして帰ってきます。そして再びトイレに行って吐くのです(笑)。
今:(笑いつつ)海老名のキーワードとして“吐く”は避けられませんね。やはり“胃腸が弱い”というのは海老名を解明する大きな鍵でしょう。なぜなら、彼のこの胃腸の弱さが今後のさまざまな事件のひき金となっていたからです。
黒:う〜む。その通りだ。
今:で、海老名の学業面は良くわかりましたが、彼はサークルはやってなかったのでしょうか?
黒:はい。最初は演劇をやってましたが、彼の場合わざわざ演劇なんかしなくてもすでに演劇です(笑)。で、この演劇はさっさとやめて何もしてなかったようですね。
今:ではバイトをやっていたのでしょうか?
黒:はい。確か彼の住んでたエビナで生協のレジ打ちをやってました。
今:まるでおばさんですね。
黒:まさしくそうですね。



6章 海老名について
今:さて、エビナと言えば黒崎学士はいつ彼の実家を訪れたのですか?
黒:確か、1年の時は行かなかったです。
今:そうですか。う〜ん本来ならこの対話が海老名2年まで進んで書いた方がいいのでしょうが、海老名を解明する上でエビナというキーワードは絶対にはずせませんのであえてここで論究しておきましょう。
黒:わかりました。実は私は1年の時から既に「遊びに行っていいか」と彼に言っていたのです。彼は口では「いいよ。」と言っていたのですが、なかなか実行はされませんでした。実際彼の家に行くとその理由がよくわかりました。
今:つまりびんぼうでみっともなかったのですね。
黒:そうです。
今:その時の様子を教えて下さい。
黒:相鉄線エビナ駅をおりましてですね、歩くこと20数分 突然ここがアタシの家だと指したのです。その先にはほったて小屋が5,6軒あったのです。
今:いわゆる文化住宅、いいかえれば長屋ですね。
黒:(笑)そうです。家に上げられてまず驚いたのは、変な茶色の犬がいたことです。彼の母親はその犬を「ジミー君」と呼んでいました。よく見るとその犬はもともと白で、汚れで茶色くなっていたのです。
今:なるほど、貧乏人のくせに犬を家の中で飼ってよけい貧乏に見えてしまうという貧乏人の悲しいサガですね。
黒:話を続けますと、私はトイレに行きたくなったわけです。それでトイレの位置を教えられてトイレに行ったのです。入ってびっくりさあ大変!なんとそこは異次元の世界だったんです。床が板張りでおまるを覗くと下は真っ暗、つまり汲み取り式だったのです!!もはや私の田舎九州でも見ません。仕方がないので我慢して用を足しました。
今:う〜ん、“吐く”“胃腸が弱い”“汲み取り式”何かつながってますね。つまりフロイド的に言うと肛門期式コンプレックスからの脱却が出来ていないのでしょうか。
黒:さすが今学士、心理科の卒業だけあってわけのわからん論理ですな。
今:あんただって心理科でしょう!!まあ、それはともかくエビナとは相鉄の終点で今はともかく、当時は駅から田んぼが見えるようなものすごいところでした。神奈川のアウシュビッツとも言われたぐらいですから(我々だけだけど)。そんなところの駅から20数分も歩いて、おまけに長屋で汲み取り式とくれば家賃も知れているでしょう。後に私はワンルームマンションに引っ越しましたが、そこの家賃の方が彼の実家の家賃より高かったのは大笑いでした。

7章 大学1年の時について
今:う〜ん、大学1年の時の私は黒崎学士も生きていくのに精一杯であまり海老名関係に時間をさけなかったのですが、何か印象的なことはありますか?
黒:1年の時と限定するとあまりないのですが、まず独り言をよくつぶやくことでしょうか。これにはびっくりしました。
今:具体的には?
黒:大学の講義中に教授の話に頷いたり、けちをつけたりしているのです。生来彼は声が大きいですから、独り言も聞こえるわけですわね。周囲にいる女を中心とした連中は、変な顔をして海老名を見るのです。そして去っていくのです。となりで観察を続ける私もつらかった。他の何も知らない人たちはいつのまにやら我々の周囲には座らなくなり、まるで円形脱毛症のように海老名のまわりから人がいなくなったからです。(泣)
それでも、海老名は平気でしたね。あ、思い出しました。私が講義の間にロビーでタバコを吸っていたところ、他学部の見知らぬ連中が「心理科に妙な奴がいるぜ。」といわさしているではありませんか。「名前は海老名と言うらしいぜ」と言ったと同時くらいに講義が終り、ドアが開いたとたん海老名が顔を出し「黒崎、おまたせ!」と生来の大声で叫んだ時は、私は穴があったら入りたかったですねぇ。
今:う〜ん、大学1年のおわりころにはすっかり教育学部全体で有名人になっていた海老名ですからねえ。
黒:まあ、しかし彼が本当のパワーを発揮して事件を一杯起こすのは大学2年からですよ!!
今:うむ、それは次号ということにしましょう。

to be 次号 continue (なんかちがうな)



【注釈】
(注1)海老名の発生について・・・1章で記した通り、海老名の発生については諸説があるが、ここではとりあえず地上発生説つまり人間的発生説をとっている。

(注2)海老名の一家は父、母、そして海老名の3人の構成だがいずれも小人である。おまけに家も小さく家の中でかっている犬までも小さい。その中でも実は海老名が一番大きく、そのために彼は家庭内で「のっぽのサリー」とよばれている。

(注3)絵参照

(注4)沼津H高・・・地元ではなかなかの名門らしい。そのためかY大にも多数の学生を送り込んできたらしい。確か海老名の同期も経済学部にいたようで、一度その友人に海老名の高校時代について訪ねたことがあったが、彼は一言「奇人だ」と言ったのが印象的だった。

(注5)トロ・・・本名ST。86年入学心理専攻学生の中で、海老名と並ぶ2大奇人の一人。詳しくはこの「海老名研究」の終了後に刊行される「トロ対策とその実践」を参照。トロもまた性格が屈折していたが、彼もまた函館R、K塾時代に屈折の原因たるトラウマが形成されたらしい。

(注5−2)香水に弱かったらしいが、今は大丈夫らしい

(注6)S青年:本名TK。86年の入学で同級だったが、彼は家政科であった。何しろ家政科全体で男は彼一人だったため、般教や語学などの共同授業の時は、心理科の我々と行動を共にしていたのである。彼の名前の由来は、彼が横浜でもかなり名門の貧乏団地の名称「S団地」から来ている。彼は親父が失業したりして本当に貧乏だったが、元来の辺境地区の旅行が好きで、シルクロードとかシベリアとか無茶なところばかり行っていた。現在は東京の小学校で家庭科の先生をしているが、いまでもフェゴ島(アルゼンチン)とか行っているので見上げたものだ。しかし、相変わらず今でも貧乏らしい。彼のために私が作った歌「BORN IN THE S団地」は彼の貧乏を歌ったもので、人びとの涙をさそった。

(注7)M・・・心理科内ではノーマルに近い男だったが、体育会系であったため、私とは仲が悪かった。卒業後Tへ入社。

(注8)トロの場合、海老名と違い、外見上の奇妙さはあまり発見しにくいが、実際つきあうとその“変さ”がわかってくる。ただしそれがわかったのは大学3年くらいで、少なくともこの時期は“普通の人”のふりをしていたテロであった。

(注9)黒崎によると『うむ、そういう考えかたもあるな』と言ったそうだが、流行したのは「それも一理ある」だった。多分私(今)が歪曲して流行させたのだろう。


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