金剛山観光について
(2006・9・4 最終加筆)


1998年11月から開始された韓国からの金剛山観光。その金剛山観光が実際に
どのような日程で行われているものなのか、どんな特徴のある観光なのかなどを説明します。


〜金剛山観光の概略と、観光日程について〜


ー観光コース・観光メニューについてー

 韓国からの金剛山観光で観光が出来る金剛山は
1・九竜淵(クリョンヨン)コース
2・万物相(マンムルサン)コース
3・三日浦・海金剛(サミルポ・へクムガン)コース
4・動石洞(トソクトン)・世尊峰(セジョンボン)コース
5・水晶峰(スジョンボン)コース
の、5つのコースがあります。ちなみに1998年以前に行われていた北朝鮮のピョンヤンから金剛山に入る観光でも、九竜淵と三日浦の観光が主であったようで、韓国側からの観光で行かないようなところへ行ったわけではないようです。もちろん金剛山は5つのコース以外にも多くの魅力的な観光資源があり、現状では私たちは金剛山の一部の魅力しか味わうことができないわけです。
 通常の金剛山観光では1〜3のコースを観光します。4の動石洞・世尊峰コースと5の水晶峰コースは例えば金剛山に何度も行って、既存の三つのコースに飽きたような人などを対象にしているといいます。通常の三コースが金剛山に旅行に行けば簡単に行くことができるのに対して、動石洞・世尊峰コースと水晶峰コースは一週間前までの事前予約が必要です。

 また、金剛山観光は四つの観光コース以外には
T・温泉浴
U・サーカス観覧
V・海水浴
W・雪遊び
X・北朝鮮歌謡ショー
といった観光メニューがあります。もともと金剛山観光にはTとUくらいの観光メニューしかなかったのですが、まず2002年の夏季より、海水浴というメニューが加わりました。もちろん海水浴なので夏季限定のメニューです。続いて2003年12月には簡易スキー場を備えたWの雪遊び場がオープンしました。2005年からは金剛山ホテルで毎晩、北朝鮮の歌謡ショーが開かれるようになりました。2006年度中にはゴルフ場もオープンする予定で、観光メニューについても充実してきています。

 現在の金剛山の観光は、コースを歩く以外は食事・休憩場所プラス土産物の売店がある“温井閣(オンジョンガク)”という名の建物と宿泊場所を往復することにほぼ費やされています。そして温泉もサーカス場も温井閣の近くにあり、その一帯だけは周囲から金網で仕切られ、四六時中北朝鮮兵士に監視されている『現代グループ金剛山観光施設』としてまとまってしまっています。
 金剛山観光とは金剛山を自由に歩き回るとか、村の食堂に行き現地の味を堪能することなどは全く出来ない観光なのです。そればかりではありません、宿泊場所と温井閣、そして金剛山観光コースに向かう『観光道路』も、その多くが金網で周囲から仕切られ、北朝鮮兵士が監視をしています。観光コースに行ったら行ったで、コースのあちらこちらに二人組で立つ“環境保護巡察員”という名の北朝鮮の監視の目が光っています(注1)。観光客が金剛山観光の決まりに違反した場合、罰金を取られたりひどい時には拘束を受けたりしたこともあります。
(金剛山観光での決まりは雪峰の夢序章、違反した場合の罰則事例については“金剛山観光違反事例”を参考にしてみてください)。
 つまり金剛山観光では現地の人々とは全く交流が出来ないどころか、観光客は周囲から隔離・監視されているようになっているのです。挙句の果てには北朝鮮の集落や民家の前にはたいていコンクリートの目隠しが作られている徹底ぶりです。そして金剛山にある観光施設で働いている人の多くは北朝鮮の北隣、中国東北部の吉林省などから来ている中国国籍の朝鮮族の人たちです。つまり金剛山は北朝鮮にありながら、観光コースの“環境保護巡察員”や、北朝鮮側が経営するホテルやレストランの従業員以外の北朝鮮の人と話す機会がないという、本当になんだかよくわからない観光なのです。

 かつて観光コースや観光メニューは固定された日程で行われていて、『今日はぜひ一日北朝鮮のきれいな海で海水浴をやりたいな〜』と思っても、そのような希望は叶えられませんでした。海水浴に行くには、海水浴がメニューに入っているコースを選ぶ必要がありましたし、海水浴の出来る時間も決められています。金剛山観光は文字通りの『ツアー旅行』であって、団体行動が要求され、個人での自由観光は不可能です。この点は他の北朝鮮観光と同じです。
 ただし、2003年12月の金剛山観光ではこの点に関しては少々変化が見え始めました。ツアー旅行の大前提は変わっていませんが。団体行動の枠が少し緩み、一部選択が可能になってきたのです。具体的には九竜淵コースの帰りは温井閣までシャトルバス運行形式となり、登山のスピードもこれまでより余裕を持って決められるようになりましたし、昼食の食事場所も九竜淵コースの場合、コース入り口の木蘭館にするか温井閣にするか、はたまた金剛山玉流館にするかなどの選択ができるようになりました。
 また予約をすれば、金剛苑という北朝鮮名物料理を賞味できるレストランで夕食が楽しめたり、北朝鮮の新鮮な海の幸が楽しめる高城港刺身店で一杯飲むことができるようになりました。

 ちなみに金剛山観光は料金的にも他の北朝鮮観光と同じくかなり割高です。2001年5月までは現代側から北朝鮮側になんと月額約14億円以上もの観光料を払っていたこともあり、相当高額な旅行でした。2001年6月以降は、観光料として1人あたり100ドルを北朝鮮側に支払う形式に変わったので少し料金も安くなりました。ところで2003年9月以降本格化した陸路観光では、北朝鮮側に渡す観光料は1人あたり50ドルです。


ー金剛山ではどこで泊るの?ー

 金剛山での宿泊施設ですが、最初の頃は韓国から金剛山への往復をしていた船に宿泊していました。やがてホテル海金剛というホテルがオープンし、続いて温井ビレッジという宿泊施設が完成しました。2003年10月半ばからはフォレストドームという、ドーム型の10〜15名の多人数が宿泊する施設の利用が始まり、2004年に入るとペンション形式の宿泊施設と金剛山ホテルの利用も開始され、2005年には金剛家族ビーチホテルと九龍村という宿泊施設がオープンしました。
 2006年7月には、金正淑保養所の改装工事も終了して、外金剛ホテルという名に改名され、新たな宿泊施設として利用が開始されました。金剛山に安定して多くの観光客が訪れるようになってきたおかげで、宿泊施設も増加してきています。

 ホテル海金剛とは、高城(コソン 長箭・チャンジョンとも言う)港の岸壁に繋がれている『浮かぶホテル』です。金剛山ホテルの利用が開始されるまでは、金剛山観光で一番の高級宿泊施設でした。
 温井ビレッジは2003年に新しくオープンした施設のようで、陸路観光の開始によって観光客が増加することを見越して金剛山温泉敷地内に作られた、こちらは全て一部屋6人定員の大部屋形式の宿泊施設のようです。ドーム型の宿泊施設“フォレストドーム”も、金剛山温泉の敷地内にあります。
 また温井ビレッジとフォレストドームの利用開始と同じ頃、金剛ビレッジという宿泊施設が使われていました。これは金剛山で働く人々が居住していた、コンテナを改造した“生活団地”という建物を観光客用に更に改造した建物でしたが、金剛山観光の活性化により金剛山で働く人々が増えたため、再び金剛山で働く人たちのための生活団地に戻ったようです。

 また2003年12月初めの状況では、ホテル海金剛近くの空き地にペンション形式の新たな宿泊施設の建設が進んでいて、実際に2004年1月には完成しました。この新宿泊施設には、在日韓国人の投資がなされたとの話もあります。
 そして、かつて北朝鮮が建設した『金剛山旅館』も、金剛山観光客の宿泊が可能になるように改築工事がなされ、2004年7月には金剛山ホテルとして利用開始されました。金剛山ホテルが現在のところ金剛山で一番良い宿泊施設です。
 2005年には高城湾と金剛山の絶景が望める最高のロケーションに、金剛家族ビーチホテルがオープンしました。このホテルも比較的質が良い宿泊施設です。
 2006年7月、温井閣のとなりにある『金正淑保養所』の改修が終わり、外金剛ホテルとして宿泊が可能になりました。また北朝鮮が金剛山に建設した最高級の宿泊施設“金剛山招待所”の使用も働きかけているようです。

ーこれまでの金剛山観光の経緯や、以前の金剛山観光日程などー

 結局、現在行われている韓国からの金剛山観光は、上記5つの観光コースと5つの観光メニューを組み合わせるツアー形式で行なわれています。そして韓国から北朝鮮入国は、東海線道路南北出入事務所からバスに乗って、陸路で南北の軍事境界線を越え、また陸路で戻ってくる陸路ー陸路観光で行なわれています。

 ちなみに2003年9月1日の陸路観光復活前は、金剛山観光は船で北朝鮮に向かっていました。韓国東海岸の港町、束草から雪峰(ソルボン)号という船に乗って金剛山へ向かっていたのです。
 また、2001年6月以前は金剛(クムガン)・蓬莱(ポンレ)・楓岳(プンアク)という3隻の船も金剛山観光に用いられており、金剛山行きの船も束草港ばかりではなく、東海(トンへ)港・釜山(プサン)港からも出航していました。東海港・釜山港から出発していた金剛山観光日程は3泊4日でした。
 
 2003年9月1日の金剛山陸路観光復活まで、雪峰号で金剛山へ向かう観光には2泊3日コースと3泊4日コースがありました。2泊3日観光の宿泊場所は雪峰号とホテル海金剛、3泊4日観光の宿泊場所は金剛ビレッジと温井ビレッジとなっていました。かつての2泊3日観光は、宿泊場所によって出入国管理手続きの違いのために観光日程に多少の違いがありました。
 2003年9月1日の陸路観光復活後は観光実績が順調であったこともあり、2003年10月半ばからは陸路観光が毎日出発しています。金剛山観光が今後どのような日程で実施されていくのかはかなり不透明な情勢で、また思いもかけぬ展開もあると思います。


 実は軍事境界線を陸路で直接越える陸路観光は、2003年2月23日にいったん開始されましたが、2月23日の後は25日・27日に行われただけで、2003年3月以降、いったん中断しました。陸路観光は北朝鮮側の条件整備が整えばすぐにでも再開される予定でしたが、中断中も金剛山で急病になった観光客が陸路で韓国側へ搬送されたことがあるなど、インフラ面の問題で陸路観光が中断したというよりも、どうも軍事境界線を直接跨ぐ形となる、陸路を通って金剛山観光客を受け入れること自体について、北朝鮮側に“抵抗”があった可能性が高いと思われます。陸路観光が定着するまでには、相当の紆余曲折があったのです。
 2003年4月25日、世界各地で猛威を振るう『新型肺炎SRAS』を水際で食い止めるためとの理由で、北朝鮮側が金剛山観光客の受け入れ一時中断を申し入れ、翌26日束草出航予定の雪峰号から一時中断となりました。(3泊4日観光は、4月27日に束草港へ戻ってくる観光客が中断前最後ということになります)
 新型肺炎SARSの流行が沈静化してきた2003年6月27日には、金剛山観光は復活しました。まずは雪峰号を利用した海路からの観光が復活しました。
 2003年8月4日、金剛山観光を始めとした対北朝鮮事業を行なっている現代峨山の鄭夢憲会長が自殺しました。対北朝鮮事業の不調や対北朝鮮ヤミ支援問題の追及など、様々に原因は取り沙汰されています。北朝鮮側は韓国側関係者の先頭に立って金剛山観光を押し進めていた鄭会長の死亡を受けて、金剛山観光の一時中断を申し入れてきました。結局金剛山観光は8月6日出航予定の便から一時中断となってしまいました。
 8月13日から3泊4日で南北大学生の交流事業が金剛山で行なわれるのと同時に、金剛山観光は復活しました。なお、この交流事業の韓国側参加者は金剛山へ陸路で向かいました。ただし金剛山観光客の方は従来どおり雪峰号で金剛山へ向かいました。
 現代峨山の金潤圭社長は8月13〜16日の日程で金剛山を訪れ、北朝鮮側と金剛山観光などについて交渉を行い、9月1日より陸路からの金剛山観光を復活させることで合意し、実際、9月1日より陸路観光は復活しました。

 2004年に入り、韓国側からの金剛山観光は極めて順調であり、7月にはかつて北朝鮮側が建設した金剛山旅館がリニューアルオープンし、更には1泊2日観光、日帰り観光も開始されました。


ー各コース観光日程表ー

 2002年6月の3泊4日観光が開始されてから、金剛山へ向かう雪峰号は月に20回出航していました。3泊4日観光スタート以後、これまで2泊3日の観光が月10回行なわれていたのに加えて、3泊4日の観光も月に10回行なわれることとなって、出航回数が月20回に増えたのです。
 2003年6月27日の金剛山観光復活後も3泊4日観光は行われましたが、金剛山観光客の減少に伴い、200人以上の申し込みがあった時のみ3泊4日観光は催行されるようになりました。

 2003年9月1日から金剛山陸路観光が復活した後、金剛山観光は往復とも陸路を用いる陸路ー陸路コースと、往路は雪峰号による海路を用い、復路は陸路で韓国側に戻る、海路ー陸路コースの2コースとなりました。ともに旅行日程は2泊3日です。
 2004年1月10日出発の便を最後に、金剛山観光船の雪峰号は運行を終了しました。今後、快速船を使った海路コースの復活予定もあるようですが、現在のところ金剛山観光は陸路ー陸路コースのみで実施されています。そして2004年に入って、1泊2日観光と日帰りの陸路観光が開始されました。

 以下のリンクよりそれぞれの金剛山観光日程表へ飛びます。ちなみにこれらの日程表はのりまき・ふとまきが金剛山旅行の際に手に入れた日程表や、韓国国内の観光会社のホームページに掲載されていた日程表、更にはのりまき・ふとまきが実際に金剛山旅行をした際の日程などを参考にして作ったものです。あとの記述はともかく、時間については多少ずれてしまうことが多いので、だいたいのところだと思って下さい。

1・陸路ー陸路・海路ー陸路コース(2003年9月1日の陸路観光復活後のコース。
                            2004年1月10日を最後に海路ー海路コースは中断)

2・陸路1泊2日コース(2004年6月末本格開始)
3・陸路日帰りコース(2004年7月始め開始)
4・雪峰号利用・海路2泊3日コース(過去実施されていたコース)
5・雪峰号利用・海路3泊4日コース(過去実施されていたコース)
6・旧陸路観光コース(2003年2月に行なわれた、復活前のコース)
7・金剛・蓬莱・楓岳号利用・東海港出発海路3泊4日コース(過去実施されていたコース)
8・楓岳号利用・釜山港出発海路3泊4日コース(過去実施されていたコース)

金剛山観光コースについて、その実施時期を簡単に整理してみると…
1998年11月〜2001年6月 海路3泊4日コース(東海港出航・金剛・蓬莱・楓岳号利用)
2000年3月〜2001年6月 海路3泊4日コース(釜山港出航・楓岳号利用)
2001年1月〜(2003年8月) 海路2泊3日コース(束草港出航・雪峰号利用)
2002年6月〜2003年8月 海路3泊4日コース(束草港出航・雪峰号利用)
2003年2月〜 陸路観光 (2004年夏季、一泊二日・日帰り観光が開始される)
ということになります。


引き続き、金剛山の観光コースと観光施設のもう少し詳しい説明をします。
観光コース・観光施設の項へ進む



(注1)金剛山観光コースに立つ“環境保護巡察員”が二人組みであるのは、北朝鮮観光の際に観光客につくガイドが二人組みであることと一緒の理由と思われます。つまり“環境保護巡察員”は、金剛山観光客とともに相棒であるもう一人の“環境保護巡察員”を監視するようなシステムになっているのだと思われます。

(注2)観光料については正式には良く見えない面が多いです。今のところ海路からの金剛山観光の観光料は1人あたり100ドルということははっきりしています。が、月に約14億円あまり支払うという、旧契約が完全に死文化したとも思えないのです。
(この項は、皆骨の巻:金剛山観光の危機…も参考にしてみてください)


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