金剛一万二千峰
(金剛山のページ)


〜はじめに〜

 皆さんは『金剛山』という名の山をご存知でしょうか?
『金剛山』とは、朝鮮半島にあって古来名山としての誉が高い山のことです。
ひょんなきっかけで金剛山へ初めて行ったのが2001年11月
その後に調べたことやら、出会った人のお話を聞いていくうちに、このようなホームページが出来ました。

金剛山は旧日本植民地時代、朝鮮半島最大の観光地と言われていました。
そして今、北朝鮮領の金剛山へは韓国から直接金剛山に向かう『金剛山観光』が行なわれています。
このホームページではもはや歴史の彼方に埋もれてしまおうとしている、かつての日本植民地時代の金剛山の姿
そして北朝鮮情勢にも大きなな影響を与えている現在の金剛山観光を中心として紹介していきます。


〜金剛一万二千峰・各コンテンツ〜

メインコンテンツ

コンテンツ名 各コンテンツの主な内容
金剛の巻 《金剛山について知ろう!》
金剛山全体の説明
金剛山の各地区についての説明
金剛山観光についての説明……などなど

蓬莱の巻 《管理人のりまきと、妻のふとまきの
金剛山旅行記が中心です》
のりまき・ふとまきの、これまでの金剛山旅行記
金剛山のお土産紹介
金剛山名物(?)岩に刻まれたスローガン集紹介……などなど

楓嶽の巻 《金剛山の歴史について振り返ってみました》
旧日本植民地下の金剛山
北朝鮮時代の金剛山
金剛山観光の拠点、温井里の謎……などなど
皆骨の巻 《北朝鮮情勢にも密接に関わりあう、
現代の金剛山観光について紹介します》
金剛山観光をめぐる韓国と北朝鮮の交渉経緯
これまでの金剛山観光の流れ
金剛山観光に携わる人々の声……などなど


ー新着情報ー

日本植民地時代、金剛山にあった日本旅館
萬龍閣のお話など、当時の生のお話を紹介!


懐かしの萬龍閣
(2007・10・1)

〜その他のコンテンツ〜

金剛山日記
2007・11・5 更新
激動の朝鮮半島情勢を背景として、日々変化する金剛山観光。
韓国の新聞記事を中心とした金剛山観光をめぐる記事を紹介し、
また、のりまき・ふとまきの金剛山旅行計画などについても記録していきます。



資料室
金剛山に深く係わり合いのある人々や、金剛山観光について年表など、
金剛山と金剛山関連についての資料を集めていきます。



リンク集
(2005・3・17 リンク追加しました)
金剛山観光と金剛山、更に金剛山情報収集に役立つリンクを集めてみました。


サイトマップ
ホームページ『金剛一万二千峰』のサイトマップです。最近の更新は、更新日も明記しています。


掲示板・Diamond Mountain
ご意見ご感想、金剛山情報等お待ちしています。


作者自己紹介
簡単な作者紹介です。



〜金剛山ミニ知識〜

 金剛山自体の詳しい情報は金剛の巻の中で詳しく紹介していく予定です。当ホームページ管理人のりまきの金剛山旅行記は蓬莱の巻。1945年以前の日本統治下での金剛山観光や、北朝鮮時代の金剛山については楓嶽の巻で説明しています。皆骨の巻では、世にも奇妙な“現在の金剛山観光”が開始された経緯と、金剛山観光関連の様々な問題について検証しています。

 ここでは簡単に、金剛山と金剛山観光について説明します。
 金剛山はそのほとんどが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の南東部にある景勝地です。古くから奇岩・渓谷美・白砂青松などの絶景や温泉が堪能できる場所として知られていました。また、かつて山中には古寺が数多く存在し、自然美との調和の美しさでも知られていました。そんな金剛山は朝鮮半島内では白頭山と並ぶ名山とされてきました。
 近世になって金剛山は観光地として脚光を浴び、日本植民地時代には朝鮮半島一の観光地として発展します。しかし、第二次大戦→朝鮮戦争後の朝鮮半島の南北分断により、特に日本やアメリカなど、西側陣営の人たちは容易に行くことが出来ない地となってしまいました。
 1980年代後半、北朝鮮の観光が徐々に可能となり、ようやく西側の人々も金剛山に行くことが出来るようになりました。1990年代に入ると北朝鮮の経済危機が深刻になっていきますが、そのような中、北朝鮮の外貨獲得策と韓国側企業の観光開発のもくろみが合致して、1998年11月より韓国から直接金剛山に向かう、『金剛山観光』が、韓国財閥の現代グループが独占的に行なう形で始まります。そして金剛山観光開始に当たり、現代グループは北朝鮮に7年たらずの間に総額1000億円以上の“観光料”を支払う約束をしました。
 しかし観光客は思ったように増えず、金剛山観光は巨額の赤字(数百億円)を生み出してしまい、韓国有数の大財閥、現代グループの経営危機の一因ともなってしまいました。金剛山観光は2000年末より幾たびとなく中止の危機にさらされました。結局、2002年4月より韓国政府が税金を使って学生・教師などの金剛山旅行代金の補助を行うという、正に異例のテコ入れ策を開始することとなったのです。旅行代金補助対象者が大ぜい金剛山観光に押し寄せるようになり、金剛山観光の危機はひとまず遠のいたのもつかのま、核問題を始めとする北朝鮮を巡る国際情勢の緊迫のあおりを受けて、2003年度には旅行代金の政府補助は中断されてしまいました
 金剛山観光振興の切り札とされた南北間の軍事境界線を陸路で直接越える、金剛山陸路観光も2003年2月にいったん始まったのですが、すぐに中止となってしまいました。金剛山観光を始めとする南北交流事業にまつわるもろもろの心労がたたったのか、金剛山観光を先頭に立って推進してきた鄭夢憲・現代峨山会長は2003年8月4日、投身自殺をしてしまいますが、2003年9月には陸路観光が約半年ぶりに復活し、その後の金剛山観光は比較的順調に行われ、韓国と北朝鮮との共同事業としての色彩がより強まっている状況のようです。
 しかし北朝鮮情勢にいまだ大きな進展は見られず、金剛山観光は不安定な北朝鮮情勢に左右されるという状況に変化はありません。ここしばらく金剛山情勢からも目が離せそうもありません。


注・このホームページでは、現地の地名・人名は基本的に漢字での表記を行います。そして適宜現地での読み方を( )内に併記します。ただ、韓国・朝鮮語は正直カタコト程度なので、表記のミス等ありましたらご指摘いただければ幸いです。



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2003年4月6日・カウンター設置




(写真説明)
金剛の巻:九竜台から見た世尊連峰(2001・11・30 のりまき撮影)
蓬莱の巻:万物相地区にある三仙岩(2002・7・19 のりまき撮影)
楓嶽の巻:旧日本統治時代、温井里にあった日本風旅館、萬龍閣(1925年撮影 朝鮮地質調査要報第7巻より)
皆骨の巻:現代グループが作った観光施設、温井閣(2002・7・20 のりまき撮影)


※ホームページ名、『金剛一万二千峰』とは、古来金剛山には一万二千の峰があると言われていて、『一万二千峰』とか、『万二千峰』などと呼ばれていたことにちなんで名づけました。
そして金剛・蓬莱・楓嶽・皆骨とは、金剛山の春夏秋冬の別名です。