楓嶽の巻
(プンガクの巻)
朝鮮王朝末期から日本植民地下、および北朝鮮時代の金剛山
金剛山は今も昔も観光名所でした。
特に1930年代は慶州と並んで朝鮮半島の中でも最大の観光地として栄えていました。
当時は日本植民地時代でしたが、多くの日本人が彼等なりの情熱で、
金剛山と金剛山観光の振興のために活躍しました。
もちろんその当時、朝鮮の人たちも金剛山で観光関連の仕事をしていました。
また、半世紀以上にわたる北朝鮮時代の金剛山が
どのように変わっていったのかも興味深いです。
1:金剛山の昔話
朝鮮王朝末期から日本植民地時代の金剛山について紹介していきます。
2:激動の金剛山
戦争に突入していく時代、その後の北朝鮮時代に、
金剛山地区がどのように変わっていったのかを見ていきます。
3・再び陽が当たりだした金剛山
1970年代以降、南北融和の動きが見え始めてから後の金剛山の歴史を紹介します。
4・温井里の謎
日本統治下では温泉場と金剛山観光の基地として栄えた外金剛温井里
そんな日本時代の温井里と、現在の温井里が実は別の場所なのではないか?
そんな温井里の謎について取り上げています。
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楓嶽山…金剛山の秋の別名
金剛山の紅葉は盛大かつ美しいといいます。
のりまきはまだ、秋の金剛山を見たことがありませんが、
写真などで見る限り、それはそれは見事な紅葉です。