金剛山観光の危機


金剛山観光の危機は、実のところ今現在も続いています。
1998年11月に金剛山観光が始まってから、金剛山観光が
順調であった時期は短く、2000年末には危機が表面化します。
それ以来、金剛山観光の危機は継続しているのです。

(2006・10・14 最終加筆)


 金剛山観光の危機の理由は簡単です。要するに儲からないのです。現代グループは金剛山観光開発の独占権を北朝鮮から貰い受ける際に、1999年1月から2005年3月までに9億4200万ドルを支払う約束をしました。
 9億4200万ドルといえば1400億円を越える大金です。分割払いとはいえ、月々の支払いは軽く10億円を超える計算になります。ちなみに2000年末までの間に、3億3000万ドルを北朝鮮側に渡していました。その上金剛山に観光客を集めるために現代グループは金剛山の道路を整備したり、温井閣や金剛山温泉を建てたりと、2000年末までに1億2600万ドル、日本円にして140億円を越える投資をしなければなりませんでした。つまり2000年末までに、金剛山観光のために現代グループが支出したお金は4億5600万ドル。なんと500億円を越えてしまいます。
 それに加えて現代グループからヤミで北朝鮮に流されていたお金もなんと5億ドル(約600億円)もあったのですが、ヤミ支援についてはいまだ実態が不明な面が多いので、ここではあえて問題にしません(対北朝鮮ヤミ支援問題を参考にしてみてください)。
 ところが観光客から得られた収入は2000年末までに7200万ドル。100億円にも達しないありさまです。差し引き400億円を越える大赤字です。これではいくら韓国有数の大財閥の現代グループであっても困ってしまいます。
 大借金を生み出してしまった金剛山観光に、現代グループ全体の経営難が更なる追い討ちをかけます。2000年当時、現代グループは経営困難に陥ってしまいました。経営難の原因のひとつに『金剛山観光事業』が挙げられたことは言うまでもありません。経営難の現代グループの各会社にとって、大穴の空いたバケツに水を注ぐような金剛山観光事業に資金を提供する余力は残ってなかったのです。

 金剛山観光が始まった当初、現代グループの見通しとしては儲かる見込みがあると思っていたようです。だいたい1999年初めに北朝鮮側の窓口である『朝鮮アジア太平洋平和委員会』と結んだ契約事項によれば、現代グループが獲得した金剛山観光事業権は、外金剛・内金剛・海金剛全体の『30年間土地・施設・観光事業権』を獲得したことになっていました。そして2000年末までに金剛山地区にゴルフ場やスキー場、海水浴場やキャンプ場を整備するつもりだったのです。この計画が上手くいけば、魅力ある金剛山全域の観光が楽しめ、更にレクリェーションを楽しむ観光客を年間通して誘致することができます。毎月10億の支払いも設備投資もきついでしょうが、観光客を数多く呼ぶことは決して不可能ではなかったでしょう。まあしばらくの間、赤字が出ることは覚悟していたでしょうが、『遠からぬうちに苦労が報われる』と思っていたことでしょう。
 しかし苦労が報われる日はいまだやって来ません。でも、金剛山観光に携わる人の多くが、今だ『苦労が報われる日』が来ることを信じているように見えます。

 2000年の金剛山観光客は約18万人でした。現代グループの試算では金剛山観光の採算ラインは年間50万人です。つまり金剛山観光に人気が集まり、観光客が増えれば問題解決の方向が見えてくることになります。
金剛山観光の不人気の原因は、
@不自由な観光である上に、魅力に欠ける。
A料金が高い
の、2点であると分析されていました。
 現代グループはこれら二つの問題を解決しようとします。@については金網越しの観光と、思ったように金剛山の観光開発が進まないことに大きな原因があります。この問題の解決のために、現代グループは北朝鮮当局に金剛山観光客に科せられた厳しい規制の緩和や観光範囲の拡大とともに、金剛山地区での観光事業の自由化を求めて、北朝鮮側に『金剛山観光特区』の指定を働きかけていきます。更に金剛山地区にカジノや免税品店を建てるといった対策も検討します。
 Aについてはまず月に10億円を越える『観光料』の値引きを要請し、金剛山観光にかかるコストを抑えようとします。また、船で金剛山に向かう従来ルートよりも割安かつ早く金剛山へ向かえる『金剛山陸路観光』の開始も要望していくことになります。

 2000年11月には、まず現代側は金剛山にカジノを開設する許可を韓国政府に申請します。現代側は2001年1月初めにいったん申請を取り消しますが、同じ1月16日には改めてカジノ開設を申請するとともに、今度は免税店の開設も一緒に申請します。
 ちなみにカジノ開設は韓国国内で賭博事業に対するアレルギーが強いこともあっていまだ認められていませんが、免税店事業は2002年2月に認められ、同年春に開店します。
 それから『観光料値下げ』に関する動きが始まりました。2000年12月26日、鄭夢憲・現代峨山会長が北朝鮮を訪問して、北朝鮮側に観光料金の値下げをお願いしに行く予定でしたが、取り消しになってしまいました。金剛山観光の危機を見た韓国政府の態度は、当初、原則的かつ傍観的な態度でした。12月27日には統一部の当局者は「金剛山観光ならびに開発事業は、現代が自ら判断して北朝鮮と契約を結んだ民間事業なので、観光料の引き下げなどの北朝鮮側との交渉は、現代が独自で行なうべきだ」。と述べました。
 さて、こう言われたら現代側はとりあえず自力で頑張ってみなければなりません。1月18日から現代峨山の金潤圭社長が北朝鮮を訪問し、北朝鮮側窓口の朝鮮アジア太平洋平和委員会側と観光料引き下げの交渉を行ないました。しかしこの時は朝鮮アジア太平洋平和委員会の責任者クラスに会うことができず、交渉は失敗します。

 現代グループの中で、金剛山観光など対北朝鮮事業を取り仕切る現代峨山は資金が底をつきつつありました。2001年1月に支払う約束となっていた1200万ドル(約14億円)は全額支払えず、1月30日に半額の600万ドルのみ北朝鮮側に支払ったのでした。それから北朝鮮側と水面下で交渉を持った結果、現代側は1月分観光料残りの600万ドルも支払うが、2月中に北朝鮮側と現代側とで金剛山観光に関する問題を解決していくこととなって、2月13日に600万ドルを北朝鮮側に送金したのです。そして現代峨山の鄭夢憲会長は2月20日から北朝鮮を訪問しました。鄭会長は北朝鮮側と話し合いを持ったのですが、合意を得ることが出来ませんでした。
 こうなると観光料金の支払いはますます困難になります。2月28日に現代峨山は2001年2月分の観光料として、とりあえず半額の600万ドルを北朝鮮に送金しようと思ったのですが、資金不足のために200万ドルしか送金できませんでした。それからなんとか半額は送金しようと頑張ってみたのですが現代峨山の資金は枯渇してしまっており、また銀行からの借り入れや現代グループ他企業からの支援も受けられず、400万ドルを集めることが出来ません。このような資金状況では、金剛山観光自体続けられるかおぼつかない状況になってきました。

 もし金剛山観光が止まってしまうと、北朝鮮側もお金が入ってこないので困ってしまいます。また韓国政府も北朝鮮側との太いパイプがなくなってしまうわけで、韓国政府も北朝鮮側も金剛山観光継続のために動き始めます。まず2001年3月10日から14日にかけて北朝鮮を訪問した韓国・文化観光部の金ハンギル長官は、北朝鮮側と会談の結果、金剛山地区を観光特区とすることで合意します。観光特区となれば特区内ではこれまでよりも自由に観光が出来ることが期待できます。
 更に3月20日からは金潤圭・現代峨山社長が金剛山を訪問して、朝鮮アジア太平洋平和委員会側と交渉を持ちました。翌21日には現代グループの創始者であり、金剛山観光の産みの親である鄭周永氏が亡くなります。しかし突然の悲報にも関わらず、この時の訪問では金社長は北朝鮮側と
@金剛山観光料金の引き下げについて暫定的に合意
A内金剛・叢石亭など、観光コースの大幅拡大
B海水浴場の開設など、金剛山観光の環境の改善
などで意見の一致を見ることが出来ました。ただ、『観光料金の支払いの引き下げ』など全ての点において、単に“観光料金を下げましょう”などという意向を確認しただけのまさに暫定的な合意であって、正式に決まった話ではなかったのです。
 そのため、3月分観光料の1200万ドルはやはり支払えません。2月分の未払い観光料1000万ドルと合わせると、この時点で2200万ドルが未払い観光料金となります。それからもなかなか事態は思うように進展しません……4月24日から27日にかけて鄭夢憲氏と金潤圭氏はともに北朝鮮を訪問します。この席では金剛山観光料を『観光客数に比例した分を納める』形式に変更する案を北朝鮮側に提案します。
 この時の話し合いは結局保留扱いになったようです。事態は膠着状態が続き、毎月支払えない観光料が溜まっていきます。

 結局金社長が金剛山で5月22日から28日まで、予定を3日もオーバーして北朝鮮側と交渉をした結果、“観光料金の引き下げや陸路観光の許可、更には金剛山観光特区の指定を行なう”との合意がなされました。そして現代側は、2002年2月から5月までの未払い金剛山観光料である4600万ドルの支払いに努力することとなったようです。金社長は更に6月7日から9日まで金剛山へ行き、6月8日に北朝鮮側と合意事項を締結します。合意の中身はというと
@観光対価は観光事業が活性化するまで、現代の支払い能力に合わせて合理的に支払う。
A7月中に当局間交渉で陸路工事着工日程が合意されるように、双方の当局に建議する。
B北朝鮮側は2ヶ月以内に観光特区指定関連法を公布し、カジノ・海水浴場・ゴルフ場の
 設立を法的に担保する
といった内容でした。そして現代側は未払い分観光料4600万ドルのうち、2200万ドルを支払うこととします。お金の問題は結局半官半民の『韓国観光公社』が金剛山観光に参加することによって解決しました。韓国観光公社が南北協力基金という韓国政府の政府基金から900億ウォン(約90億円)の融資を受けることになりました。900億ウォンのうち、まず450億ウォン分の融資を受け、その中から2200万ドルを支払うことになったのです。つまり事実上韓国政府が金剛山観光支援に乗り出したことになります。結局7月初めに2200万ドルが支払われ、この時点で2400万ドルが未納の観光料となったわけです。また450億ウォンの融資を受けることによって、金剛山観光の資金難は2001年7月の時点でひと息つくことが出来ました。

 しかしこの合意には不明瞭な点があります。それは当初の『2005年3月までに9億4200万ドル』を支払う契約が結局どうなってしまったのか?ということです。@の合意内容を読む限り、どうも全く無くなってしまったわけでもなさそうです。このことは金剛山観光についての南北間交渉で時々思い出したように出てきます。
 しかし、6月以降の金剛山観光料はとりあえず観光客の人数比例額で支払われることとなり、6月は4017人分の観光料金約40万ドル、つまり一人当たり100ドルを北朝鮮側に観光料として支払うことになったのです。40万ドルは日本円にして約4800万円ですので、北朝鮮へ支払う観光料は激減したわけです。

 2001年6月末、金剛山観光そのものにも大きな変化がありました。まず、これまで現代峨山とともに金剛山観光事業を行なってきた現代商船が金剛山観光から撤退します。現代商船の金剛山観光事業での損失額は、2001年6月の事業撤退までになんと2622億ウォン(約260億円あまり)に及びました。
 それから金剛・蓬莱・楓嶽・雪峰の4隻体制で運行していた金剛山観光船のうち、金剛・蓬莱・楓嶽の3隻の運行を中止して、2001年7月以降は雪峰号一隻のみの運行となってしまいます。その結果、金剛山観光船は雪峰号の出発する束草からのみ出発するようになってしまいます。この頃からちらほらと『金剛山観光の中止』が話題となりだしましたが、現代峨山としては要するにやればやるほど赤字を生み出してしまう金剛山観光の状況を考え、実際の観光客数に見合う範囲まで規模を縮小し、2001年6月8日の合意の実現などによって金剛山観光が活性化して観光客数が増加するまで我慢しよう……という作戦に出たわけです。
 しかし……このもくろみはさっそく暗礁に乗り上げます。理由は北朝鮮側が約束した6月8日の合意事項A・Bが全く守られなかったことにあります。実際、陸路観光の交渉については6・7月の間は全くなしのつぶてでしたし、2ヶ月以内に公布すると約束した『観光特区指定関連法』の公布期限である8月8日には『アメリカ・ブッシュ政権は金剛山観光を妨害して、破たんさせようとしている』。と、アメリカを強く批判したりします。どうもこれは観光特区指定が約束どおり行なえなくなった北朝鮮側の“言い訳”のようなものであったようです。
 後から出てきた話なのですが、北朝鮮側は、このとき合意内容が実現しなかったのは2001年2月〜5月分の観光料のうち、2400万ドルが未納であることが問題だったからと指摘しました。もちろんこれだけが問題であったとは思えません。実際、第五回南北閣僚級会談と同時期に、9月半ばに行なわれた現代と北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会との交渉で、アジア太平洋平和委員会の宋浩京(ソンホギョン)副委員長は『現代のためにも南北閣僚級会談を開くように偉大なる将軍様がおっしゃった』。『将軍様の指示によって、金剛山観光活性化問題を話し合う南北間当局者会談が別途行なわれるだろう』。と、金正日国防委員長の金剛山観光に関する関心の高さと配慮を強調した上で。
 『これから金剛山観光活性化問題を話し合う会議を通じて、金剛山観光特区や陸路観光の実現など金剛山観光活性化に向けた現実策が取られることとなろう。そうなったら、いつ、観光料の支払いを正常化できるのか?当初の約束通り、2005年3月までに9億4200万ドルの金剛山観光料を支払えるか??』と、聞いてきました。
 つまり北朝鮮側はあくまで毎月10億円を越える観光料金の支払いを求めていたわけです。しかも金剛山観光事業は金正日国防委員長の大きな関心事であることも明らかにしています。当時、韓国政府の関与のもとで行なわれた現代グループからの5億ドルの対北朝鮮ヤミ支援はすでに北朝鮮に渡されていました。北朝鮮側から見れば金剛山観光事業を始めとする現代の対北朝鮮事業は“打出の小槌”のように見えたとしても不思議ではないでしょう。
 もちろん金剛山観光の活性化や陸路観光の実現がなかなか進まなかったことについては、朝鮮人民軍の反発や地元住民の動揺など、他にも理由はあったものとは思われます。

 さて、このままでは金剛山観光は“ジリ貧”状況を免れません。実際に早くも2001年9月には資金難が再び表面化します。宋浩京氏が『将軍様の配慮により実施されるだろう』と言った、金剛山観光活性化問題を話し合う南北間当局者会談は10月3〜5日の間に金剛山で開かれたのですが、南北間の意見対立が埋まらず物別れに終わってしまいます。2001年9月11日の同時多発テロ事件の影響を受けて、この頃南北間の対話は全体的に沈滞してしまい、多くの南北間の会談が流れたり合意がなされなかったりしました。実際、10月19日から行われる予定であった金剛山観光活性化問題を話し合う南北間当局者会談第二回会談も流れてしまいます。
 2001年10月末には現代峨山の資金難は深刻となります。金剛山観光客ひとりあたり100ドルという、“新基準”による金剛山観光料も10月分から支払えなくなってしまいます。だいたい現代峨山の社員に対する給料も10月25日の給料日には支払うことが出来ず、遅配になってしまった惨状です。11月1日には現代峨山の18人の役員のうち13名を退社、金潤圭社長は当面無報酬で勤務、北京事務所の閉鎖などといった思い切ったリストラを行なうことにしたのですが、そもそも儲からないのですから焼石に水といった状況でした。
 現代峨山は南北協力基金からの900億ウォン融資のうち、まだ未支給であった450億ウォンの支給を再三要請します。しかし、『いくら政府基金だからといって、観光特区も陸路観光の話も全く進展していない、お先真っ暗の金剛山観光のために450億ウォンの支給はできない』。とはねつけられてしまいます。そして2001年11月から12月にかけて鄭夢憲会長や金潤圭社長が相次いで北朝鮮を訪問し、窮状を訴えて金剛山観光活性化策の実現を要請したのですがらちがあきません……韓国マスコミでは『金剛山観光の中断』が毎日のように話題となり、いよいよ金剛山観光の中止は迫ってきたかのように見えました。

 しかしまだ現代はあきらめません。12月12日には金剛山観光船の運航を週1回に減らし、更にコストの削減を図ることとしました。また韓国観光公社に金剛山文化会館や金剛山温泉などの金剛山の観光施設を売却して、資金を調達しようと図ります。
 2002年に入ると、ついに韓国政府が金剛山観光に対して『強力な支援策』を行なうことを決定しました。内容は、
@これまで貸し出しが出来なかった450億ウォン分の南北協力基金の貸出条件を大幅に緩和し、
 貸し出しを受けられるようにすること。
A学生・教師などの金剛山観光料金の一部を政府が補助すること。
B金剛山に免税店の設立することを認めること。
といった思い切ったものでした。更にこれまで借りた『南北協力基金』の貸し出し条件も現代峨山にとって有利なものになります。もちろん貸し付けにあたっては金剛山温泉・金剛山文化会館そして北朝鮮側から経営権を買い取っていた金剛山旅館を韓国観光公社へ売却し、その代金でこれまで借りた450億ウォンを返却する形をとるなど一応の形は整えますが、はっきりいってこれも優遇措置であることは間違いありませんでした。
 なんといっても金剛山観光は南北間をとりもつ太いパイプです、そのパイプを失うリスクも大きいのでしょう。また韓国政府も深く関与していたと見られる現代グループの『対北朝鮮ヤミ支援問題』の際、現代グループに“貸し”が出来てしまったこともあって、苦境に立つ金剛山観光を支援しないわけにはいかなかったのでしょう。
 改めて南北協力基金の貸し付けを受け、とりあえずひと息ついた現代峨山は、2001年10月から再び支払えなくなっていた『観光客ひとりあたり100ドルという“新基準”による金剛山観光料』も支払うことになりました。これで未払いの金剛山観光料は2001年2月〜5月分の観光料のうちの2400万ドル分となりました。

 韓国政府の金剛山観光支援策は逐次実行に移され、2002年4月からは多くの観光客が政府補助を受けられるようになったため、4月からの金剛山観光客は激増します。しかし観光事業で黒字を挙げられるほどまで状況は改善されず、大きな意味での危機状況は続きます。ただ2002年6月には金剛山観光船・雪峰号の就航回数を月10回から20回へと増やし、それに伴い、金剛山で働く人々が住んでいたコンテナハウス『生活団地』を更に改良し、『金剛ビレッジ』として観光客宿泊施設とするなど、金剛山観光全体に活気が戻ってきました。
 2002年6月末には黄海で韓国軍と北朝鮮人民軍の衝突が起こり、韓国軍に死者が出ます。韓国の保守層は態度を硬化させ、『金剛山観光の一時中断』を要求しますが、金剛山観光自体には大きな影響はありませんでした。
 2002年9月18日には南北間の道路・鉄道の建設工事も始まり、懸案であった陸路観光の実現も見えてきました。この頃になると核問題を始めとする北朝鮮をめぐる国際情勢が緊迫化していきますが、10月にはこれもまた懸案であった金剛山の観光特区設定もなされました(発表は11月でした)。

 ところがこの頃から金剛山観光に再び悪雲が立ちこめ出しました。まず2002年9月には台風15号が金剛山地区を直撃し、しばらく金剛山観光自体が中断し、また再開後も万物相コース。海金剛コース観光が中断するなど観光に打撃を与えます。そして北朝鮮の核問題などによって金剛山観光自体の参加者も伸び悩むようになります。
 そのような事態に追い討ちをかけるように、2002年10月23日の韓国国会で、2003年度予算での金剛山観光料金の政府補助が『200億ドルのうち199億ドル分を凍結する』という扱いを受けてしまいます。予算は北朝鮮の核問題で進展が見られなければ凍結解除とならないことになったのです。

 2002年12月の大統領選挙で、金大中大統領の“太陽政策”を継承する盧武鉉氏が大統領に当選しますが、金剛山観光をめぐる状況はあまり改善しません。2003年1月末には現代グループが北朝鮮に巨額な“ヤミ支援”をしていた事実が判明し、2月14日には金大中大統領が謝罪するに至ります。現代グループはヤミ支援問題のまさに当事者であり、今後の捜査の行方が現代グループそして金剛山観光に大きな影響を与えかねない情況になってきました。
 金剛山観光そのものも北朝鮮の核開発問題の影響により、2002年12月後半より観光客が半減してしまい、金剛山観光特区の指定により金剛山観光に積極的な関心を示していた日本や欧米の投資家も、様子見の姿勢に転じてしまいました。
 また観光客増加の切り札と目されている陸路観光も思ったように進展しません。当初2002年11月末〜12月には陸路観光が始まる予定でしたが、例によってなかなか進展せず、結局2月にようやく開始となったものの、わずか3回で中断となってしまいました。

 2003年に入ると金剛山観光船である雪峰号の乗船率が5割を切ってしまい、金剛山観光客の数は大きく落ち込んでしまいました。ヤミ支援問題の追及もあって、『金剛山観光の危機』が再び取り沙汰されるようになりました。現代峨山は2003年4月から次長級以上は5割、課長以下は2割の給料を自主返納することになり、金剛山観光の営業を強化して集客に努め、現代峨山の一般事務職職員までも家族・知人・母校などのつてを頼って金剛山観光PRをしている状況だといいます。そして金剛山観光の危機が再び表面化した2003年4月末には、金剛山観光への韓国政府補助金の復活を願う署名運動などを行う、金剛山観光を支える運動も始まりました。

 そのような中、2003年4月25日には中国をはじめ世界各地で猛威を振るう新型肺炎『SARS』を水際で食い止めるためと称して、北朝鮮側は韓国側に対し金剛山観光客の受け入れの一時中断を申し入れました。そして韓国側の説得も空しく、翌26日出航予定の金剛山観光船『雪峰号』から金剛山観光は一時中断となってしまいました。6月27日には約2ヶ月ぶりに金剛山観光は復活しますが、多くの観光客を呼ぶことが期待される陸路観光の“復活”は、まだ正式に決定されておらず、金剛山観光の危機は続いています。
 実際、このところ金剛山観光は毎月25〜30億ウォン(約2億5000万円〜3億円)の赤字を出しており、観光がストップした場合には赤字幅が35億ウォン(約3億5000万円)にまで膨らむことになります。現代峨山は2003年に入って幾度となく金剛山観光料金の政府補助の復活を要請し、更には金剛山の観光施設を韓国政府が引き取り、その見返りとして資金を受けるか、これを担保にして南北協力基金の融資を受けるなどといった提案をしているのですが、色よい返事を貰えずにいます。

 2003年8月4日、これまで金剛山観光を始めとした対北朝鮮事業を引っ張ってきた鄭夢憲・現代峨山会長が自殺します。自殺の原因は様々に取り沙汰されていますが、金剛山観光を始めとする対北朝鮮事業の極端な不振と、鄭氏も被告席に立たされることとなった対北朝鮮ヤミ支援問題が大きく影響していることは間違いがないと見られています。
 韓国有数の財閥・現代グループの後継者であった鄭夢憲氏亡き後、金剛山観光を始めとする対北朝鮮事業を引き継ぐ韓国財界の有力者は見当たらず。韓国の対北朝鮮事業の先頭に立ってきた鄭夢憲氏の非業の死は、金剛山観光を始めとする韓国の対北朝鮮事業の継続に大きな影響を与えると見られています。文字通り金剛山観光は最大の危機に立ったと言えましょう。
 そういった事態に追い討ちをかけるかのように、北朝鮮側が鄭会長の死を理由として金剛山観光の一時中断を要請して、実際8月6日以降出発分から、金剛山観光は一時中断となってしまいました。今回の観光中断は短く、8月13日には復活しましたが。更に懸案であった陸路観光も9月1日より復活しました。しかし金剛山観光で利益を挙げられる状況にはまだなっておらず、金剛山観光の先が見えない状況は続いています。

 そして金剛山観光料という“お金の問題”もまだまだ残っています。現在でもまだ2001年2月〜5月分の観光料のうち、2400万ドル(28億円あまり)が未納のままです。陸路観光がなかなか進展しない理由のひとつに、この2400万ドル観光料未納問題があるとも言われています。また、『2005年3月までに9億4200万ドル』という当初の観光料についての取り決めがどう扱われていくのかも見逃せません。


その後、金剛山観光は陸路観光の順調な実施により一時的に危機を脱することになります。しかし2400万ドルの未納金問題と、2005年3月までに9億4200万ドルという当初の観光料についての約束は金剛山観光に影響を与えていきました。
それは観光客一人当たりの観光料の内容改訂という形で現れました。当初、陸路観光の観光料は50ドルとされていました。その後日帰り、一泊二日の観光が開始された2004年7月には

日帰り・10ドル
一泊二日・25ドル
二泊三日・50ドル

と観光料が定められました。しかしこれは当初の観光料のうち約5億ドルが未納となってしまったことが影響して、観光料は徐々に引き上げられていきます。まず2005年5月には

日帰り・15ドル
一泊二日・35ドル
二泊三日・70ドル

となり、そして2006年7月1日からは

日帰り・30ドル
一泊二日・48ドル
二泊三日・80ドル

とされました。その結果、緊迫化を深める北朝鮮情勢の中、毎年のように北朝鮮に渡される観光料が引き上げられることに対して警戒感が高まっていくことになります。



金剛山南北綱引き合戦へ戻る

皆骨の巻へ戻る

金剛一万二千峰へ戻る

のりまき・ふとまきホームへ戻る