南北の狭間で


現在、南北が共同で再建に取り組んでいる神渓寺


2005年の新年、のりまきは金剛山で迎えることになりました。
金剛山は、現代グループの手によって、観光開発が急ピッチに進んでいました。
現代峨山の職員はやりがいと同時に、北朝鮮情勢の激変によってこれまでの努力が、
全てが無になってしまう不安感のの中で、真剣に仕事に取り組んでいました。
この旅行記を通して、日本では紹介されることがほとんどない、
もう一つの北朝鮮をめぐる動きを知っていただければ幸いです。



 思い返してみれば、2000年9月11日の同時多発テロが金剛山と私を結びつけるきっかけでした。もし同時多発テロがなければ、この年の11月末の初回金剛山旅行はキューバ旅行となっていたはずでした。
 憧れのキューバを断念して向かうこととなった金剛山……しかし本当に行けるかどうか、旅行開始直前になるまで確信が持てませんでした。そしてようやくたどりついた金剛山で見たものは、あまりにも浮世離れした奇妙な世界でした。自分はこれまでそれなりに世界各地を見て廻ってきたが、金網に隔離されながら北朝鮮の誇る景勝地“金剛山”を観光するという韓国からの金剛山観光は、これまでの旅行の中で一番の驚きがありました。
 そして金網観光の金剛山観光は思うように客が集まらず、大赤字に喘いでいるという話も知り、『どうしてこんな奇妙な観光が開始されたのか?なぜ大赤字を出しながらも止めないのか?』私は湧き上がる疑問を抑えることができませんでした。金剛山は距離的には日本の極めて近くにある……日本のすぐそばにあり、これほどまでに興味深い場所でありながら、2000年末の段階では知名度は極めて低く、北朝鮮関連のホームページの多くも、韓国からの金剛山観光についてはあまり関心を持っていないようでした。『まだ誰も取り組んでいない金剛山を取り上げたら、面白いホームページが出来るのではないか』。そう考えた私はホームページ『金剛一万二千峰』の制作を始めました。
 制作開始当初、金剛山のホームページはもっと簡単に完成するものと考えていました、しかしかつての日本植民地時代の金剛山について、様々な資料が残っていることがわかったり、金剛山観光自体も韓国政府の観光料金補助や現代峨山の鄭夢憲会長の飛び降り自殺、陸路観光の開始、そして最近の金剛山ホテルリニューアルオープンやゴルフ場の完成など、様々な動きが立て続けに起こり、私はいつのまにかに金剛山の“深み”に嵌ってしまいました。
 そしていつのまにか金剛山に4度も行ってしまった……万物相で嵐に遭った2001年7月、陸路で軍事境界線を越えた2002年12月、北朝鮮側から内金剛を目指した2003年6月……どれも準備段階から色々な事件が起こる“濃い”旅となりました。
 内金剛旅行の興奮も覚めやらぬ2003年8月、雑誌の編集者から声をかけられ、KOREA TODAYという雑誌に金剛山についての連載を開始、熱心な担当さんは昨年秋口、私が2003年の陸路観光時に知り合った現代峨山の社員さんとソウルで会い、話の中で金剛山に行くことを勧められました。当然私としても反対する話ではなかったのですが、様々な事情でなかなか旅行日程が決まらない。
 結局、年末〜年始にかけてソウル在住の外交官を金剛山に招待する中に、私たちも参加することになりました。つまり5回目の金剛山行きは『ご招待』となった。その結果、これまでの旅行では韓国の皆さんとの触れ合いから見えてくることも多かったのですが、今回は韓国人旅行者との接点はほとんどありませんでした。そのかわり金剛山観光客に野菜を提供する北朝鮮側の『農場』などを見学したり、なによりも金剛山観光を始めとする南北交流事業にかける現代峨山職員の熱い思いに触れることができました。

 とにもかくにも、私にとって金剛山の深みはまだ底が見えない(笑)。ふとまきに『明けても暮れても金剛山』と言われる日々はまだ続きそう〜〜(大笑)



第一章・金剛山初日・北の兵士とエバさんの話

第二章・金剛山二日目(1)・九竜淵コース登山終了まで

第三章・

第四章・



雪峰の夢(第一回金剛山旅行記)序章に戻る

嵐の万物相(第二回金剛山旅行記)序章に戻る

DMZを越えて(第三回金剛山旅行記)序章へ戻る

内金剛遥かなり(第四回金剛山旅行記)序章に戻る

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