南北の狭間で
(第一章)


韓国の東海線南北出入事務所(出入国管理事務所)前で、現代峨山の金潤圭社長とのりまき



 2004年12月29日(水)
 まさか年末年始に外国に行くことになるとは思わなかった……航空料金高いし、空港は込むし……今回の金剛山旅行はご招待だから良いようなもので、飛行機代は普段の倍以上……嗚呼……
 6月に内金剛へ行ったばかりの私にとって、今回の金剛山への旅は資金的には決して楽ではありませんでした。金剛山以外の旅行日程はほとんど何もないので、韓国ではあまりお金はかからないと思ったものの、これまでの経験上食事やサーカス観覧等々、金剛山では何かとお金がかかるのだ。しかし後になって振り返ってみると、今回の金剛山は本当に完全なご招待旅行になっていて、お土産代以外全くと言ってよいほどお金はかかりませんでした。
 これまで4回の金剛山行きで同行した妻のふとまきは、今回は仕事の都合でどうしても参加できませんでした。旅行の間近になって、最初予定していた参加者が突然参加できなくなり、すったもんだの結果、雑誌編集者のMさんと、6月の内金剛山行きのツアーメイトであったSさんの3人で金剛山に行くこととなりました。
 出発の日の朝は寒くなりました。9時過ぎ、自宅を出発する頃には雪までちらちら舞い始めました。やがて雪は本降りとなり、『雪の中の出発か〜〜』降り続く雪を見ながら、何となくいつもと違った旅になりそうな予感がしました。
 成田にはほぼ予定通り、のりまきの前に、同行のMさんもSさんも既に到着していました。手続きは淡々と進み、成田空港からの出発は雪のせいか少々遅れたものの、やがて私たちは機上の人となりました。ソウル到着はほぼ時間通り、日本の関東地方では真冬の寒さの中、ソウル市内へと向かいます。
 ソウル市内の道路は込んでいました。しかもたくさんの停留所に停まる路線バスに近いリムジンバスに乗ってしまい、COEX(コエックス)という第一目的地にたどり着くまで約2時間、東京からソウルまでの飛行機の時間と同じくらいかかってしまいました!ソウルのことはよく知らないのりまきは今回始めて知ったのですが、COEXは江南というおしゃれな地区にある大きなショッピングモールでした。私とMさん、Sさんは夜の9時を過ぎての遅い夕食にありつきます。
 COEXに到着した頃から、のりまきは左足親指に痛みを感じ出しました。足の爪を出発前日の夜に切ったのですが、どうも深く切り過ぎたようで、爪のあたりが痛むのです。痛みはどんどん強くなっていきます。
 COEXからSさんはタクシーに乗って、予約済みのホテルに向かいました。Sさんとは、翌朝7時半にソウル中心街の現代ビル前で待ち合わせです。明日の朝は現代ビル前から金剛山へと出発するのです。私とMさんは、Mさんの友人宅に向かい泊まることとします。COEX前のバス停からマウルバスという路線バスに乗り込みます。バスの乗車中も左足親指の爪の痛みは強くなっていきます。正直困りました……これではせっかく金剛山へ行っても思ったように歩けない可能性が高いです。
 バスに乗ること約20分ほど、周囲に田畑が目立つようになった頃、私たちはバスを降りました。私は長旅と左足親指の痛みで、半ば足を引きずるようにMさんの友人宅に向かいました。家に到着するとなぜだかわかりませんが、お隣のお家の大きな飼い犬が、塀から身を乗り出して私たちを歓迎します。暗い中、目の前に突然巨大な犬に出没された私たちはびっくり仰天です。後から聞いたのですが、お隣のお家の犬がなぜだか大変になついてしまっているとのことでした。
 Mさん友人のお家では、ご主人・奥さんとお子さんたちが歓迎してくれます。それにしても足の指の痛みが気になります。のりまきは迷ったのですが、左足指の痛みについて家の奥さんに説明し、大き目のばんそうこうと、あれば化膿止めを貰うことにしました。
 「実はさっきから左足の親指が痛むので、大き目のばんそうこうと化膿止めがあったら貰えませんか?」そう聞いてみます。するとなんと運がよかったのでしょう!この家の奥さんは元看護婦とのことで、のりまきの左足親指の様子を確認してくれた上で、大き目のばんそうこうと化膿止めを分けてくれました。
 明日の朝のことを考え、早めに寝ることにします。のりまきはだんなさんの仕事部屋の隣に寝かしてもらうことになりました。だんなさんに連れられ、離れの仕事部屋に向かいます。シャワーを浴び、日本語の堪能なだんなさんと少しの間お話をしました。のりまきはだんなさんの「私たちの小さな頃は、北朝鮮は悪魔であるかのような教育を受けていた。でも、だんだんと教えられた北朝鮮像は誇張されたものであることがわかってきた。とにかく話を聞くことと実際とは違うことがある。日本もそうだ。日本は良くないという話ばかり聞かされてきたが、実際行ってみると随分違うことがわかった」。という話が印象に残りました。
 床に就き眠ろうとしましたが、左足親指の痛みのせいでなかなか寝付けません。深爪した部分を保護しようとばんそうこうをしたのが、患部を締め付けるような感じになって逆効果のようです。思い切ってばんそうこうを外し、化膿止めを多めに塗ってみます。痛みはなくなりませんが、少し楽になったようでやがて眠りに就くことができました。

2004年12月30日(木)
 勤め人の性、朝はしっかり6時に目を覚ましました。とにかく出発です。足は前夜よりもましな感じで、とりあえず歩けそうです。Mさんとともに身を切るような寒さの中、出発します。
 まずマウルバスで地下鉄の始発駅に向かい、そこから地下鉄で現代ビルのあるソウル中心街に向かいます。最寄駅に着くと7時20分、見事予定通りです。駅の改札を出たところにあったパン屋さんで朝ご飯を購入し、急いで現代ビルへと向かいます。
 現代ビルに到着すると、駐車場にバスが数台停まっていました。バスのそばには一年余り前の金剛山陸路観光でお世話になった洪さんがいました。私と洪さんは固く握手をします。洪さんは私たちに英語で「今回は皆様のために、とても良いバスを用意しました」。といいます。見ると確かにきれいなバスが停まっています。
 続いて私たちは、Sさんが到着したかどうか聞いてみました。「まだ着いていません」。とのこと。少し待ってみましたが、到着しそうな気配がありません。韓国語の堪能なMさんは、さっそくSさんの泊まったホテルに電話をかけに走ります。約15分待ってもSさんは到着しません。「仕方ない、先に出発してSさんは後のバスに乗せていってもらおう」。という話をし始めた時、Sさんが走りながら現れます。
 「すいません。ホテルのモーニングコールが1時間遅れてしまって、起きたらすぐ出発したのだけれども、この時間になってしまいました……」Sさんは頭をかきつつそう言います。とにかく一安心です。
 さっそくバスに乗り込み出発です。バスの中はもうほぼ満員でした。今回の金剛山観光は、ソウル在住各国大使のご招待に混ぜてもらう形とは聞いていましたが、右を見ても左を見ても東洋系の人は私たちくらいのようです。今回のツアーを引率するのは、洪さんとエバというニックネームを持った韓国人女性でした。洪さんもそうですが、エバさんも英語は大変に堪能でした。さて、バスに乗り込むとのりまきはさっそく、さっき買った朝食をぱくつきます。
 バスはソウル市街を離れ、郊外へと進んでいきます。転機はほぼ快晴。暖かい陽射しのおかげもあってバスの中はぽかぽかです。朝早くの出発のせいか多くの人は眠り出しました。のりまきもやがてうつらうつらし始めました。気がつくとバスは山の近くを走っています。どうも束草へ向かうバスとは違う道を進んでいるようです。
 やがてバスはドライブインのような場所に停まりました。トイレ休憩のようです。外へ出てみると結構寒いです。トイレのガラス窓を見るとかなり厚い氷が着いています。このあたりどうもかなりの寒さのようです。
 ドライブインには何台かの金剛山観光客が乗ったバスが停まっていました。のりまきは停まっているバスの中に『神渓寺』という表示が出ているバスを見つけました。神渓寺とはかつて外金剛九龍淵コースの入り口にあった寺の名前で、金剛山四大寺の一つに数えられていた名刹でしたが、朝鮮戦争で完全に焼失してしまいました。最近韓国と北朝鮮が共同で、再建事業にとりかかりだしたとの話は聞いていましたが、さてこのバスの『神渓寺』の表示は、何を意味しているのでしょう?いつもならば韓国語がよくわからないのでそのままになってしまうのですが、今回はMさんという強い味方がいます。さっそく読んでもらいました。
 「神渓寺聖地巡礼団と書いてありますよ」。Mさんはそういいます。どうもこれは韓国から神渓寺へお参りに行く団体のバスのようです。好奇心旺盛のMさんはさっそくバスの乗客に話を聞いてみます。すると「私たちは神渓寺に行きます。今、神渓寺は再建工事中で、工事費用の半分は韓国の曹渓宗信徒が出し、残りの半分を韓国政府と北朝鮮政府が折半するのだ」。といいます。う〜ん……1回目と3回目の金剛山旅行で、バスの車窓から神渓寺の跡地は見たけれども、今回はどうなっているのでしょう??そんなこんなでトイレ休憩が終了し、みんなバスに乗り込んで再び出発です。
 バス再出発後、またまたバスの中にまったりとした空気が漂います。多くの人は眠り出しました。のりまきも眠ったり起きたりを繰り返しました。やがてバスは山の中に入るような道を進み出します。外気温が明らかに下がっているようで、窓際はかなり冷えてきました。
 思い出したかのように隣に座っていた洪さんが「あれは雪岳山です」。と、私に説明します。雪岳山はその名前のように雪景色でした。バスはやがて峠を越えて、かなりの急坂を下っていきます。坂を下りきると、バスはのどやかな冬の田園地帯を進みます。しばらく行くとなんだか見覚えがある景色にぶつかります。『ああ、そうだ……去年kuniさんの車でこのあたり、通ったな!』束草のkuniさんに乾鳳寺を案内してもらった時に通りかかった場所です。まさかこんな形でまた通るとは思わなんだ。
 バスは続いて花津浦のそばを通り、午後の1時頃、金剛山コンドミニアムに到着します。さあ、お昼ご飯です。前回は下痢のために石焼ピビンバを食べそこないました。今回は是非是非頂きましょう。到着すると私たち一行は一階にあるティーラウンジに連れていかれました。一般の金剛山観光客はみんな地下の食堂でご飯を食べます。さてはて、何が出て来るのでしょう?
 運ばれて来た料理を見て驚きました。洋食です。石焼ピビンバはどこへ行ってしまったのでしょう?それにしても量が半端ではありません。もっと困ったことにあまり美味しくないのです。どう考えても洋食を作り慣れていないコックが、無理にこしらえた感じがします。とりわけメインデイッシュの巨大な鮭は、そのまま焼いたものを出しても充分なのに、わけのわからぬクリームソースのようなしろものを掛けてしまったおかげで、料理がぶち壊しになってしまっていました。外交官ご一行様をお迎えするので、きっと無理して洋食をこしらえたのでしょうが、地のものを素直に調理して出した方が喜ばれると思いました。でも、この食事はただでしたので文句を言ってはいけません。
 私たち三人の席には洪さんも座りました。しかし中間管理職の悲しさ、上司から呼ばれるとさっと動き、お客様である大使から注文が出るとまたまたさっと動き、席を暖める間もありません。
 食事が終わりかけた頃、のりまきにとって、インターネットのニュースなどでお馴染になっている人物が姿を現しました。現代峨山の金潤圭社長です。さすが社長です、威厳があります。社長は私たちの席のところにも挨拶に来ました。洪さんが紹介をして下さいました。一応私も下手な韓国語で『私はのりまきと言います』。と、話してみましたが(笑)。
 昼食を食べるとすることがなくなります。洪さんは「海がきれいですし、出発までゆっくりしてください」。といいますが、外は相当寒いです。時間があるので一応海にも行ってみましたし、地下で行なわれている一般観光客の金剛山観光手続きも見に行ってみました。地価の売店を見終わるとすることが無く、暇な時間が続きます。今回はご招待ですので、私たちだけで先に統一展望台まで行ってみようなどと考えることすら出来ません。今回の旅行は本当に至れり尽せりでしたが、この先も自由時間がほとんど取れなかったのには参りました。
 さんざ待たされたあげく3時近くになって、バスは私たち一行を乗せて統一展望台に向かいます。今回はバスの中で金剛山の観光証が配られます。本当、苦労知らずの旅です。バスはすいすいと走り、3時過ぎには統一展望台に到着しました。
 統一展望台に着いたのは私たちのバスが一番最後の方であったのにもかかわらず、すぐに出国審査だといいます。これまで3回の金剛山観光では、いつもみそっかすで最後に手続きしたのに、今回は先頭バッターです。審査もいつもよりもずいぶんと簡単な気がしました。さっささっさと終わってしまいました。
 そういえば今回も統一展望台から南北連絡鉄道・道路を観察したいと思ったのですが、全くそんな時間の余裕はありませんでした。とにかく一番最後に到着して、一番最初に出国審査です……こんな特別待遇で良いのでしょうか?そういえば出国審査の場面を写真に撮ろうとしたら、『審査が終わってから撮ってください』。と言われました。これもよくわからない話ですが、審査が終わった後、出国管理事務所の中の写真を撮らせていただきました。
 さあ、いよいよ出発です。出発場所で西洋人の一家に声をかけられました。記念写真の撮って欲しいとのことでした。聞くと駐韓ウクライナ大使のご家族だそうです。のりまきが「ウクライナでは大統領選挙がありますね」。と話してみると、大使は大きく頷きながら「はい、大統領選挙があります」。と話されていました。続いて私たちのすぐ近くに、現代峨山の金潤圭社長が現れました。私とSさんは、思い切って記念撮影をお願いしました。社長は快く私たちとの記念撮影に納まってくれました。

 やがてみんな金剛山観光バスに乗り込んで、いよいよ軍事境界線を越えて金剛山へ出発です!のりまきにとって軍事境界線を越えるのは初めてではありませんが、正直やはり興奮します。出発してまもなく気づいたことがありました。道が良くなっているのです。前回はすぐに舗装されていない道になったのですが、今回は立派な舗装道路です。韓国側は道そのものも変えたらしく、山の方ではなく、海岸線を進むずいぶん近道をするようになったようです。
 前回、道の脇で工事が進んでいた鉄道は工事がすっかり進み、いつでも列車が走れそうです。やがてバスはあっけなく軍事境界線を示した看板を越えます。するとお約束のカーキ色した軍服が見えてきます。北朝鮮に入りました。北側に入っても舗装道路が続いていました。また、鉄道工事も思ったよりも進んでいたのには驚きました。見た感じ八割方完成しているのではないでしょうか?
 北朝鮮側に入ってまもなく、目の前に葦原に囲まれた鑑湖が見えてきました。湖にはシベリアの方からやって来たと思われる白鳥がいました。やがて草木がほとんど生えない山、九仙峰が迫ってきたと思ったら、あっという間に検問場所に着きました。前回と同じく、手足を高く上げながら北の兵士たちがやって来て、バス内の確認と荷物チェックをしていきます。窓から外を眺めてみると、今日の工事を終えたと思われる労働者たちがぞろぞろと歩いている光景にぶつかります。それにしてもまだ午後4時頃なのですが、もうお仕事終わりなのでしょうか??
 検問はやがて終了、バスは一路金剛山へ向かいます。道はやはり舗装道路が続きます。景色は一年前と大きくは変わっていませんでしたが、川にかかる鉄橋もほぼ完成しているなど、鉄道工事の進捗ぶりが目につきます。
 金剛山に近づくと、なつかしい集落が見えてきました。集落が近づいてくると、私たちの通る道の周囲に金網が張られたことに気づきました。これは明らかに前回は張っていませんでした。前回は金剛山への道に金網が消えたと喜んだのですが、なんか逆戻りしてしまった感じがして残念です。一年前と同じく、昔懐かしい、瓦葺平屋の家が立ち並ぶ集落からは煙が昇り、郷愁をそそる光景が広がります。
 やがて金剛山青年駅が見える場所に着いて驚きました。駅は現在、取り壊し作業中だったのです!南北の鉄道連結時、金剛山青年駅のある付近にも駅が出来る予定だそうですから、きっと新駅の建設が進められているのでしょう。さて、南北連結鉄道はいつ、運行を開始してくれるのでしょう?
 バスはやがて夕暮れの高城湾を北朝鮮の出入国管理事務所に向かいます。目の前に見慣れたホテル海金剛の建物が見えてきました。さあ、到着です。のりまき4回目、内金剛を入れるとなんと5回目の金剛山です♪
 出入国管理事務所での手続きも、もちろん私たち団体が一番最初です。楽なのですが正直戸惑います。しっかり列を作って北朝鮮の入国管理官の審査を待っている時でした。私は見覚えのある人物を見つけました。
 「あ〜っ!!」のりまきとその男性はほぼ同時に声をあげました。前回、ここ北朝鮮の出入国管理事務所で出会った日本語が少し話せる、少し前歯の欠けた北朝鮮の入国管理官です。彼はのりまきに握手を求めてきました。周囲の視線が一斉に私たちに集まります。
 「また来ましたね!お元気でしたか?」「はい」。会話そのものはありふれたものでしたが、のりまきはさっそくそばにいたファイナンシャルタイムスの記者から「どうして北朝鮮に知人がいるのですか???」と質問されてしまいました。
 入国手続き、荷物検査とも、いつもに較べて楽なものです。すいすいと通過して恒例の熊の着ぐるみを見た後、事務所を出てホテルへと向かいます。冬の日没は早いです。暗い中、私たちは金剛山ホテルへと向かいます。私は4回目ですが、同行のMさんとSさんは、ささやかな明かりの灯る集落をじっと眺めています。温井閣を過ぎ、バスは万物相の方角へと進みます。やがて目の前に、きれいにリニューアルされた金剛山ホテルが現れました。ホテルの周囲の木々には電飾もされており、とても北朝鮮とは思えぬ光景です。
 ホテル入り口には係員が勢揃いしています。ここでものりまきは「また来ましたね〜」と、職員さんから声をかけられてしまいました(笑)。働いている人たちを見ると、たしかに金日成バッチをつけた北の人も多いです。なんだか不思議な感じがします。フロントでキーを受け取り、まず七階の部屋へと向かうことにします。エレベーター前には小柄で色白の、チマチョゴリを着たかわいらしいエレベーターガールがいます。左胸にはしっかり金日成バッチをつけています。
 「アンニョンハシムニカ」挨拶をすると「アンニョンハシムニカ」と、答えが帰ってきます。そして私たちに「中国から来ましたか?」と聞いてきました。「いいえ日本人です」。と言うや否や、彼女の顔がさっと曇りました。Mさんが「日本人はあまり好きではないですか?」と聞くと、彼女は「いいえ、そんなことありませんよ」。と答えていましたが……厳しい日朝関係が陰を落としていることを感じざるを得ませんでした。
 部屋はきれいなのですが、入り口の鍵のかかり方がいまいちで、なんとなく急ごしらえで作った感じは否めません。招待客らしく夜のスケジュールもかなり忙しいです。荷物の整理を済ますとすぐに一階のフロントへと戻りました。
 一階に着いてみると、私たちが最初に戻って来たようでまだ誰もいません。そこで私たち三人は少し散歩をしてみることにしました。12月末、日がとっぷりと暮れた金剛山は結構寒いです。Mさんが「そういえばのりまきさん、この先の方に北朝鮮の金剛山温泉があるのでしたよね?」と、聞いてきました。「そうですよ。すぐ先だと思います」。「じゃあ、ためしに行ってみましょうよ」。というと、ホテル周囲を囲む金網をくぐってみようとしました。
 金網をくぐろうとすると、目の前に北朝鮮の兵士が現れました。若い兵士で、まだ二十歳にもなっていない感じです。さっそくMさんが流暢な朝鮮語を駆使し出しました。「こんにちは。いつもこんなに寒いのですか?」兵士は面食らってしまったようで、動揺がありありと伺えます。「普通です」。丁寧かつつっけんどんな言い方をしてきました。「すいませんがあっちへ行ってもらえませんか?」Mさんはひるみません「この先に温泉がありますか?」「いいえ、ありません。すいませんがあっち行ってもらえませんか?」丁寧語が続きます。表情を見ると、必死になって目をこちらに合わせないように努力をしています。
 「では、どうもありがとうございました」。Sさんが最後にそう言うと、私たちは兵士に一礼をしてその場を離れました。正直ヒヤヒヤもしましたが、若き兵士との思いかけない会話は、とても得がたい経験でした。
 北朝鮮兵士と別れた後、金剛山ホテルの裏手にも行ってみました。前回、美味しい北朝鮮料理を頂いたレストラン金剛苑前にはやはり北朝鮮の男性がいて、「ここはチケット制だよ」。と、金剛苑の利用方法を説明してくれました。また、ホテル裏手には蓬莱・楓嶽・雪峰という三棟のホテル別館がありました。

 さて、出発の時間です。今晩はこれから夕食と黄真伊という劇を見ることになっています。私たちはバスに乗り込み、温井閣へと向かいます。のりまきは夕ご飯は金剛山ホテルで食べるものと思っていたので少々びっくりです。バスは数分で温井閣に着きました。私たち団体はレストラン奥の別室に案内されました。初回の金剛山旅行の際、鄭夢憲氏らが食事を取っていた部屋です。まさか自分が別室で食事をすることになるとは思いませんでした。
 温井閣の食事はバイキングです。めいめい食べたいものをトレイに盛り上げ、夕食となります。飲み物も当然出ます。今回はエバさんが私たち三人の席に座りました。現代峨山職員のエバさんは、食事が始まった頃は大使たちから上がる注文への対応に飛び回っていましたが、食事の後半になってようやく席に落ち着きました。エバさんが席に落ち着くと、私たちは金剛山観光についての話を始めました。
 「仕事をする中で、一番うれしいこととつらいことは何ですか?」のりまきがこう尋ねると、エバさんは「一番嬉しいのは、皆さんがこうやって金剛山に来て喜んでもらった時です。一番つらいのは、今、私たちのやっている努力が、(北朝鮮をめぐる)情勢次第では、全く無になってしまうことです」。と語ります。
 う……まさかいきなり真剣な返事が返ってくるとは思わず、面食らってしまいます。「私は今後、情勢がどうなっていくかわかりませんが、皆さんが金剛山観光に努力されているのを見ると、ぜひ努力が実を結ぶことを願っています」。と答えました。
 「私は数年前、ソウルで北朝鮮の民主化運動を支援しているNPOで活動していました。日本の団体とも協力をしていました。でも、最近の動きを見ていると、そうした北朝鮮の民主化運動支援が、アメリカの圧力の後押しをしてしまったのでは……と思います」。
 簡単に答えるのが難しい話になってきました……エバさんは「アメリカの北朝鮮人権法案も、韓国では『人権に名を借りたアメリカの圧力で、朝鮮半島を戦火に巻き込みかねない』と、反対している人も多いのです」。と続けます。
 日本では北朝鮮の所業に対する非難が強く、こういう意見はほとんど無いのですが、イラク問題などの経緯を思い出してみると、あながち完全否定できないところもあります。もっと色々と話してみたいこともあったのですが、時間切れで黄真伊に行かねばなりません。
 今回の金剛山旅行参加者の中に、明らかに他と違った雰囲気の一団がありました。全羅南道の光州市から来たというこの団体は、韓国出発時から派手なメイクをしていました。なんでも今晩、黄真伊の劇を行なうというのですが、劇の前、金剛山でメイクをする時間が取れそうもないので韓国出国時からメイクをしていたといいます。本当にご苦労様です。
 いつもは平壌モランボンサーカスを行なう、金剛山文化会館で黄真伊という劇は行なわれました。この劇、宝塚よろしく全て女性で行なわれる劇でありました。ちなみに黄真伊という人物はその昔、開城にいたという著名な才色兼備のキーセンで、日本でいえば小野小町にあたるでしょうか?
 それにしても眠いです。こういう場所であまり眠れないのりまきと違って、SさんとMさんはしっかり睡眠時間突入です(笑)。劇は韓国語オンリーで進みますので、全く内容が理解出来ません。ああ、金剛山温泉あたりでゆっくりしたい〜〜
 1時間半の劇が終了すると、もう夜の10時近くです。さあ、とにかく温泉に少しでも浸かって……と思っていたら、「もう今日は遅くなってしまったので、温泉には入れません」。との説明が。がーん!!
 仕方ありません……私たちは金剛山ホテルに戻りましたが、まだ開放してもらえません。何でも立派なダンスルームのオープニングセレモニーがあるというのです!一階に各国大使や金潤圭社長らが集まり、テープカットが行なわれました。その後大層立派なカラオケルームやダンスルームを案内されびっくり!ダンスルームでは東欧系と思われるスタイルの良い美女が踊っています!ここはどこ?本当に北朝鮮??


黒を基調にデザインされた金剛山ホテルのカラオケボックス。ここはどこ?本当に北朝鮮??

 あれこれが終わり、11時過ぎに我々はようやく開放されました。自室に戻るとまずシャワーに入ります。翌朝は早いし夜にはニューイヤーパーティも予定されています!明日の準備を済まし、右足親指に化膿止めをたっぷりと塗った後、のりまきは急いで床に就きました。



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