南北の狭間で
(第二章)



九竜台から見た世尊峰。いつ見ても雄大で美しい!


2004年12月31日(金)
 夜中、トイレに起きたのりまきは、自室からふと外を眺めてみました。星空の中、周囲はほとんど真っ暗です。そんな時、少し遠くの方で、懐中電灯の明かりがちらちらと揺れるのが確認できました。『なんだろう??』少し見ているとどうも怪しい人物がいないか等、見回りをしているようでした。
 朝が来ました。とにかく日程は盛り沢山なので朝食も早いです。ようやくあたりが明るくなり始めた頃、金剛山ホテルの11階で朝食を頂きます。ホテルでよくある美味しい目玉焼き、パンなどが並ぶ朝食です。外の景色を見なければ、ここが北朝鮮の金剛山であることを忘れそうです。それにしても天気が少し気がかりです。夜は星が見えていたのですが、朝になると曇り始めてきました。今日の九竜淵への登山と、明日の初日の出は大丈夫でしょうか?
 食事が終わってしばらくすると出発です。食事が終わる頃、ようやくホテル周囲の景色がはっきりと見えてきました。かつての日本植民地時代、千人以上の人が住む温泉場であった温井里を、のりまきは初めてゆっくりと眺めることができました。やはりホテル周囲には民家らしい建物はなく、保養所か何かと思われる建物が多かったです。
 自室に戻り、夜中に懐中電灯の明かりが見えていた方を見てみます。するとそこには北朝鮮の金剛山本『金剛山の歴史と文化』に載っていた、金剛山革命事績館の建物がありました。どうも革命事績館の周辺に怪しい人物がいないかどうか、見回りをしていたようです。


ホテルから早朝に撮影した金剛山革命事績館、とてもきれいにされていることがわかる。

 さて、出発です。冬の金剛山は三回目なので、のりまきの防寒対策は万全です。あ、右足親指の爪の病状の痛みは続いていますが、小康状態でした。これならばなんとか山に登れそうです!出発前、金剛山ホテルとホテル脇にある金日成様が子どもたちと遊ぶ大きな絵の写真を撮ります。するとスーダン大使一行がやってきて、写真を撮り出しました。のりまきは一枚、大使一行と記念撮影に納まります。
 バスに乗り込んだ後、いつも通り温井閣に寄り、それから九龍淵コースへと向かいます。洪さんが「途中にある神渓寺を見ますか?」と聞いてきたので、「はい、見てみたいです」。とお願いしたところ、少しですがバスを止めて降ろしてくれました。神渓寺はたしかに再建工事中のようで、本殿とおぼしき建物は塗装を残してほぼ完成していました。今後もっと多くの建物が再建されるといいます。そういえばソウルから金剛山コンドミニアムに行く途中に見かけた、『神渓寺聖地巡礼団』の皆さんは、きっとここ神渓寺に来るのが目的でなのでしょう。
 やがて九龍淵コース出発点のバス停に着きました。ここから歩くのです!出発前、洪さんは私たちに対して「二時から皆さんとファイナンシャルタイムスの記者さんは、皆さんと別れて見学に行きます」。と言いました。実は今回の旅行前、洪さんから金剛山で行ってみたい場所のリクエストを出すように言われていたのです。そこでダメもとで多くの場所をリクエストしていました。洪さんによると一部なのですが希望が叶うとのことでした。
 洪さんは更に出発地にあった地図を前に、九竜淵コースの説明をしました。説明終了後、登山開始です。歩き始めてまず北朝鮮側が経営するレストラン、木蘭館が見えてきました。木蘭館の隣にも北朝鮮側が経営していると思われる売店が建っていました。これは一年前にはなかったものです。
 防寒対策は万全だと思っていましたが、寒いです!やはりもうすぐ一月……甘くはありませぬ。足先からじんじんと冷えてくる感じです。これまで11月〜12月初めに2回、九竜淵コースを歩きましたが、その時よりも明らかに寒く、流れはほとんど凍っていました。特に澄んだエメラルド色をした凍れる淵は大層美しかったです。


凍った淵。エメラルド色が美しい

 私たちが少し見晴らしの利く場所でひと息入れていると、韓国人の団体が横断幕を広げ出しました。何だろう??と思って見ていると、Mさんが「あの人たちは民族助け合い運動というNPO法人で、韓国では最大の北朝鮮民間援助団体だそうです」。この団体のメンバーはみんな黄色いお揃いのマフラーをしていました。また今回、これまでと大きく変わった点として、コースのところどころで北朝鮮の女性案内員が金剛山の観光案内をしていて、多くの韓国人がその解説に耳を傾けていることです。また、小さな露店のようなものも時々あり、北朝鮮の人がお菓子を売ったり人参茶を出したりしていました。このように北朝鮮の人が金剛山観光で働けば、その分北朝鮮側の収入も増えるわけです。南北の融和を大きな目的とする金剛山観光にとって歓迎すべき変化だと思います。
 次第に山登りがきつくなり始めました。九竜淵コースは後の方になればなるほど、登りがきつくなる傾向があります。日頃の運動不足がたたり、疲れてきましたそんな頃、のりまきに話し掛ける中年の現代職員がいました。Mさんによると「以前束草の港でお見かけしましたね〜」と言っているとのこと。いやはや……金剛山へ向かう雪峰号に乗降船する時しか立ち寄らない束草港の職員にも顔を覚えられているとは……。やがて道は九竜の滝と九竜台との分岐点まで到着しました。これからこのコース最大の難所、九竜台への直登にかかります。
 のりまきは2度、経験済みですがMさんとSさんにとっては初めての九竜台への登りです。思った以上にきついようで、ついつい弱音も出ます。そんな時に韓国のテレビ局の取材が通りかかりました。すると「あ、日本人だ」。というなり、テレビカメラが向けられます。のりまきが下手な英語でインタビューを受けることになってしまいました(笑)。
 あえぎあえぎ登りますが、なかなか頂上まで着きません。もともとはっきりしない天気でしたが、この頃には小雪が舞い始めました。寒いのですが小雪が舞う金剛山もなかなか風情があります。登りはじめて約三十分、ようやく九竜台の頂上に到着しました。上八潭を見下ろしてみると、今回はすっかり凍っており、しかも粉雪に覆われて白くなってしまっていて、少々期待はずれでした。しかし正面の世尊峰は冬山らしい荒々しさを見せていて、実に見ごたえがありました。
 雪は少しづつですが強くなってきました。私たちは九竜台から降りることにしました。下りは登りほどつらくはありませんが、足が笑い出すのをこらえるのに一苦労です(苦笑)。分岐点まで戻ると私たちは最後の目的地、九竜の滝へと向かいます。
 九竜の滝もすっかり凍っていました。お腹の空いたのりまきは我慢が出来ず、滝を望む観瀑亭にあった北朝鮮の売店でクッキーを買いました。素朴な甘味が身体に沁みるようで、美味でした!ところで売店の売り子さんの若い女性は本を読んでいました。Sさんが「よかったら見せて下さいな〜」と頼んでみると、本を見せてくれました。内容は金日成一族を褒め称えた本で、中には『万景台家門』などという文字が読み取れました。(注)

 記念撮影も終わり、私たちは山を降りはじめました。下山時にも私たちは現代峨山の職員さんから声をかけられました。「私が皆さんの今回の旅行許可を出したのですよ」。この職員さんはそんなことを話していました。今回も昼ご飯は木蘭館でいただくことになっています。一年前の陸路観光でも堪能した北朝鮮料理です!九竜の滝からの下りに思ったよりも時間がかかり、木蘭館に到着したのは午後1時近くになってしまいました。木蘭館はなぜか前回よりも空いている感じがしました。手前から二番目のやや小さい部屋では、北朝鮮の人が二人でピビンバを食べていました。私たちは今回、手前から三番目の部屋に案内されました。
 お腹が空いたのか、私たち三人は皆、冷麺ではなくピビンバを注文します。トイレに行きたかったMさんは、木蘭館到着後さっそくトイレに行きました。ところが今現在、木蘭館にはトイレがなかったのです!そこで近くのトイレに行ったはいいのですが、あまりの汚さに唖然としながら戻ってきました。「ここにトイレはないのですか?」現代の職員にさっそくMさんは聞いていました。すると「今度、手前の小さな部屋をトイレにする予定です」。とのことでした。どうも北朝鮮の人が食事をしていた小さな部屋がトイレになる予定のようです。

 韓国・朝鮮料理の楽しみ、突き出しが運ばれてきました。昨年と変わらずなかなか美味しいものが多いです。特に緑豆のチヂミは絶品で、SさんもMさんも堪能していました。それにしても昨年同様、何故かキムチだけはいただけません……続いてピビンバがやってきました。これもまたなかなか美味しいものです。
 昼食が済むともう1時半近くになってしまいました。私たちはまず、木蘭館隣の北朝鮮売店を覗いてみました。思ったよりも広い売店で、干しワラビや蜂蜜のようなものが売られていました。そんな時、Sさんが売店前で一人の若い韓国人男性に話し掛けられました。Mさんが助け舟に出ると『私はこの下の神渓寺に現在、単身赴任している。是非日本からも多くの人に神渓寺に来てもらいたい』。と、語っていたといいます。それにしても金剛山の山中にある神渓寺に単身赴任とは、まさに究極の単身赴任と言えるのではないでしょうか?

 1時半過ぎ、私たちは駐車場を出発して一度金剛山ホテルに戻ります。健脚のファイナンシャルタイムス記者は、とっくに九竜台・九竜の滝往復から帰って金剛山ホテルで一休みしているといいます。ホテルに記者さんを迎えに行かねばなりません。
 ホテルに戻り、ファイナンシャルタイムス記者と合流した私たちは、一旦温井閣へ向かいます。ちなみに私たち以外の招待客はこの時間、自由時間となったようです。今回のご招待旅行はただでさえ自由時間が少なかったのですが、私たちはそんなわずかの自由時間も見学になってしまったのでした。温井閣に向かう途中、のりまきは面白いものを見つけました。玉流館の建設現場です。玉流館とは平壌にある冷麺の名店で、のりまきは1992年の初回訪朝時、冷麺を食べに行きました。どうも近々、金剛山に玉流館の支店ができるようです。
 さて、温井閣に着くと洪さんは「これから皆さんを案内する、北朝鮮の案内人が来ます」。と、私たちに説明します。私たちは皆大喜びで、特にMさんとファイナンシャルタイムスの記者さんは歓声を挙げて喜んでいました(^o^)。
 北朝鮮の案内人が来るまでの間、温井閣のまわりを散策してみました。まず温井閣の駐車場には、金正日氏の“お言葉”が刻まれた石碑が出来ていました。そして鄭夢憲氏の顕彰碑の脇には、第二温井閣という新たな施設建設も始まっていました。金剛山陸路観光の人気が高いため、これまでの温井閣だけでは観光客を捌ききれないということです。開始から六年あまりが経過して、この間に数々の試練を乗り越えて、金剛山観光にようやく春が訪れようとしているのでしょうか?

(注)万景台とは平壌市西部にある地名で、金日成氏の故郷として知られている。つまり万景台家門とは金日成一族のこと。




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