のりまき観察日記 2003年@

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12月31日(水)
 あっという間に大晦日。
12月上旬の金剛山陸路観光の旅行の日記やその後の日記も書く事はあるが、なかなか忙しく書けずに年越しとなりそうだ。
新年に2003年の振り返り日記を書きたいと思う。

 昨日はその韓国〜金剛山の時にお世話になったKさんを囲んで飲み会があった。
お初にお目にかかる方もおられたが、嬉しいことにこの観察日記を楽しく読んで下さっていたようだった。なんでも、結婚が課題というそのお方、
「あれ読んで、こんな人でも結婚できるんだ〜と思いました。」
と勇気づけられた様子。嬉しいことである。
その後、
11月27日の

>妻が何を着るかなどということはのりまきにとってはどうだっていいのである。
についての話となる。他の参加の方も読んでいて下さったようで、皆で笑っていた。

飲み会の帰り道。
「あ〜あ、いいですね。ふとまきは。みんなにあんなに喜んで読んでもらえて。僕なんて、旅行記にいろいろ一生懸命書いてあるのに……。書いてある事で質問を受けたりして。みんななんだかんだいいながら、たいして読んでなんかいないんだ。」
といじけている。
「いいじゃないですか。自己満足なんでしょ?自分でいいと思うものを自分で書く。それでいいじゃありませんか。」
と言うと
「どうせふとまきは皆に読んでもらえているからそんなこと言うんです。」
とますますいじけるのであった。

それではみなさま良いお年をお迎え下さい。



11月28日(金)
洋服をこだわらないのはのりまき自身も同じこと。先日
「これ、もう着ないんだけど、ふとまきさんのご主人着るかな〜?サイズ的には合うと思うんだけど」
と頂いたセーター。特にのりまきには何も言わずにのりまきセーターズの引き出しに一緒に入れておいた。
何も言わずに、自分の今まであったセーターと同様に本日着用していった。

おまけ;明日からの旅行前に写真整理した。

先日の丹沢登山。のりふとは靴のサイズはほぼ同じであるので、のりまきが学生時代に使ったという登山靴をふとまきが使用。(のりまきは数年前にその靴が見つからないと大騒ぎをした挙句に高価な登山靴を購入したのだ。今回の引っ越しにより古い登山靴がのりまき実家より発見された。)風化しており、こんなになっちゃいました。しかも登山中に。同行のAさん持参の包帯にてなんとか登山続行。また、途中靴に包帯巻いてもらっていると単独登山の方にテーピングを頂き・・・。感謝と反省。

11月27日(木)
いよいよあさって。韓国、金剛山の旅パート3。
しかし、のりまき旅行の前となると本当テンションがあがる。荷物の準備も早い早い。
「これと、これとこれね。よし。はいっと。できあがり。」
いちいち言葉に出して梱包する。
今回は自分で選んでフィルムも買った。靴も買った。
ふとまきは結局いつでも同じえんじ色のダウンの上着で、今回もこれを着る。
「のりまき、結局私はいつでもこれですね。なんだか写真に収まる姿がいつも同じ格好じゃいやだな〜。」

「買ったら?」
と言ってくれるのを期待しながら言うと
「え?いつも同じって、2回目に言ったのは夏ですよ。その時もそれ着たんだっけ?」
と言うのである。妻が何を着るかなどということはのりまきにとってはどうだっていいのである。

11月19日(水)
昨日書いた丹沢登山の巻きは時間がなくて中途半端で終わってしまったので続きを少し。

その五
今回の行程はユーシン〜雨山峠〜鍋割山〜塔の岳〜丹沢山〜蛭ガ岳の手前で下山をしたのだが、当初の予定は塔の岳までだった。塔の岳について正午前。Aさんが
「どうする?降りる?それとももう少し歩く?」
と聞いて来た。のりまき、Jさんは
「まだ行きたいです。」「行ってみた〜い。」
と即答。結局行くことになる。
言ったはいいのだが、のりまきは行程の先を先を見つめ
「あ〜、まだあんなにある。」
「え〜?あそこが頂上なの〜?まだあるじゃんよ。」
などぶつぶつ言うのである。丹沢山の頂上の後下ってまた登るのだが
「せっかく登ったのになんでこんなに降りるのよ。」
など結構うるさい。そんな時にふとまきが
「あんまり先を見るから疲れるんだよ。先のことは考えずにあまり先も見ないで歩いて歩いてってしているうちに頂上につくよ。」
と言っても何を言ってるんだってな感じで
「はぁ〜、でもまだ先は長いですね〜。」
そんな時にAさんが
「自分が選んだ道ですよ〜。」
と言うと何も言えず苦笑するのであった。

このようにしてあまり騒がずに登山を終えた。しかし、終わった後ほっとしたのか、車でぐったり。

しかし、同行のAさんJさんに感化され、刺激を受けたのりまき、翌日は休みなのにグータラと寝たりせずにHPつくりなどに励んだようである。

11月18日(火)
丹沢登山の巻き。
11月8日私たちは西丹沢で登山をした。今回の同行者はAさんとJさん。今回の、というより登山に他の人と行くのは初めてのことだった。
のりまきと二人で行く旅行や登山は、のりまきの多動・注意力散漫・喋り続ける・大騒ぎする・慌てる・具合が悪くなる、などなどが短い時間の中にころころと起こり、時には危険をはらむので少々不安があった。同行のAさんとJさんもふとまきから見れば『いわゆる変人(ふとまきの中の定義:世の中の常識にあまりとらわれずにマイペースに生きるタイプ)』であるので、ある意味気楽なところもあった。しかし、絶対的な違いが『落ち着き』についてである。のりまきの落ち着きのなさは有名?だが、それを基準にすると二人落ち着き具合度は逆方向を向いているのである。
私たちは6時30ころから開始し、日が暮れるころまで約10時間歩いたのであった。
 
結果・・・・。他人の存在は大きなものであった。二人で行ったら大騒ぎだっただろう場面も落ち着いたAさんとJさんのお陰で、のりまきも平静を装うことが出来た。

その一。
登山始まってすぐ、のりまきが先頭を歩いていて崖っぷちのようなところを進んで行った。木や鉄の橋や階段が続いていた。登山の前日が雨だった為木製の橋はかなり滑った。ふとまきも何度か滑り、ひやひやしながら鎖や手すりにつかまりながら歩いていた。そんなところで、のりまき滑ったのである。驚いた。木の橋と崖の間が開いていて木の橋から滑ってしまい下半身が宙ぶらりんになってしまった。ふとまきも驚いたが、のりまきが上半身で木の橋をしっかり抱えていたので『こりゃあ大丈夫、落ちることはないや』と思った。案の定、のりまきは橋の上にはい上がった。
「大丈夫?」
と問うと
「大丈夫大丈夫」
と平静を装って言うのであった。これが二人だったらそれはもう大変であっただろう。ま、ふとまきも同行者がいるということで慌てずに済んだことは確かである。
しかし、平静を装っていただけなのだとわかったのは〜、登山が終わる頃になって、あの場面の話を持ち出し、のりまきが落ちそうになっているのにふとまきは心配もせずに笑っていたとか言いだしたからだった。家に着いても「ふとまきは僕がどうなっても良かったんですね。本当は死んで欲しかったんでしょう」などと言うのであった。本当はかなり怖かったのであろう。そう思うと登山中に騒がなかったのはすごいことであった。

その二。
登山が始まってすぐに体調不良を訴え出した。結局は厚着をし過ぎてのぼせていたようで、トレーナーを脱いだら良くなった。が、
「ここのところ仕事も忙しかったしな〜」
「風邪ひいちゃったのかな〜」
などと弱気になりだした。二人だったら中止にしたかもしれなかった。せっかく始まったばかりの登山が中止にならずに良かった。

その三。
荷物。朝荷物を詰める時には
「僕のバックが大きいから色々持つよ。重いもの入れていいよ。」
と感心するようなことを言っていたのでみかんやおにぎりなど重めのものをのりまきに頼みふとまきがお菓子などを持った。しかし、途中体調が悪いと訴えだしてから、
「荷物が重すぎるんです。」
などと言うではないか。
「じゃあ、バック変えようか?私がそっち持つよ。」
と言うと
「いいです。いいです。」
などと言う。多分、これも二人だったら
「じゃあ、お願いします」
とすぐに荷物を交代しただろう。それを一応断わるということをした。
・・・・・結局、初めの山小屋休憩のところでみかんは一行の胃袋の中へ。他飲み物なども含む重たいものがすべてふとまきの方に移動された。何にも言わずに持ち帰るのもしゃくだったので
「のりまきが重たいものは僕が持ちますとかいいながら、これですよ〜。」
と同行者に訴えながらふとまきのバックに入れ替えた。

その四。
のりまきはアキレス腱のところが出っ張っている。靴下もつま先などに穴があく前にそのアキレス腱あたりに穴があく。今回の登山はその部分に水泡が出来た。それも登り初めの頃に
「ちょっと〜。足から水が出てきました〜。」
と叫ぶではないか。ふとまきはすぐに水ぶくれだな〜と思ったが同行のAさんは膝に水が溜まったとでも思ったのであろうか。
「足に水〜?」
と心配そうに言った。その言い方から膝に水が溜まったりしたら大変だと思ってくれていると感じたふとまきが
「水泡、水泡」とつぶやくと
Aさんはな〜んだ、といった感じでにやっとした。
「靴があわね〜んじゃないのか?」
と落ち着いた口調でAさんが言う。
しかし、アキレス腱の上の出っ張っているところの水泡なので、その部分まで合う靴はないと思うとふとまきが言う。
じゃあ紐の締め方を工夫して、とかなんとかいうことになり、Aさんが説明してくれるがのりまきうわのそらである。
「聞いていますか?」
に、慌てて頷き紐を締めなおすのりまき。
その後、その水泡のことで登山中は騒ぐことはなかった。ふとまきも忘れていたが、家に帰ると
「ふとまき、これ、見て下さいよ〜。」
と両足の水泡を見せる。思わず
「両方に出来てたんですか〜。その割には騒がず登山が出来てえらかったですね。」
と言ってしまった。
しかし、次の日には
「足が痛いのでなんとか靴にあたらないようにしてください。」
といい、穴のように切り取ったガーゼを水泡の周りにあて、靴に当たらないようにテープで止めた。
紐を締め直した方の足の水泡の方が小さかったようだった。

11月5日(木)
私たちも一応、メール機能のついた携帯電話を持っている。ふとまきが3年前抽選で当てたもので、当たったし当時持ってなかったからこれを機会に使おうか〜ってな具合に使い出した。ペアで当たったのである。
それはそれでおいておいてのりまきはこのような機械にうといので、通話ができるくらいだった。
ふとまきの方に留守電メッセージは入れられてもふとまきが入れた留守電メッセージをタイムリーに聞く事は出来ないようである。そんなのりまきに携帯のメールの使い方を教えた。ま、教えたのが9月頃なので使い方は覚えた。ようやくメールのやりとりでタイムリーに用件が伝わるようになった。それもそれで置いておいて・・・。
11月2日のこと。二人で休みで車で一日出かけた。もちろんふとまきが運転である。運転中にメールを打たなければならない事態が起こった。ふとまきの電話をのりまきに渡し替わりに打つように依頼する。
かくかくしかじか・・・。入力が終わった。
「じゃあ、それでいいので送って下さい。」
とふとまきが言う。
のりまき。携帯のアンテナを最後まで引き上げ、車の窓の方へ(外に向かって)手を差し伸べた。そしてゆっくり丁寧に送信ボタンを押す。
「はい。送りましたよ〜。」
アンテナを引き上げ、窓ぎりぎりのところから送信でもしないとメールが届かないと思っているようである。
「いつもそのようにして送信するわけですか?」
と問うと
「ま、気分の問題ですよ。気分のね」
と答えにならない返事をするのであった。

同様にしてコンビニのコピーも
「ちょっと、この大切な書類が折れ曲がらないように手伝ってもらえますか?」
などと言い訳めいたことを言うが、一人で行けないのりまきはちょっと慣れない機械にあたるとパニックになってしまうようだ。
ま、仕方がないのでついていく。
そして、
「用紙のサイズも良し、印刷の濃度もフリーね、ま、それでいいだろう・・・。枚数もいいね。」
といちいち確認する。そしてコピーボタンをゆっくりと力強く押し、
「これでよし」
っと・・・。と押した指をかなり上まで引き挙げて、出来上がりを待つのである。
「よし、いいね、これで」
と独り言を言ったあと
「どう?これでいいよね」
とふとまきへの確認も忘れない。


11月4日(火)
15000円の古本が来た。立派な本である(見かけ)。それはそれでいい。しかし、
パラパラと見たのりまき
「わ〜、失敗した。これなら国会図書館で必要な部分をコピーしても良かったな。」
と言うではないか。
「え?失敗した?????」
と言うと
「いや〜。失敗ってこともないよ。今は必要ない部分もそのうち必要になることもあるしね。まあ、ただ15000円はちょっと高いかなっていうくらい。」
と慌てている。何が『ちょっと高いかなっていうくらいだ。』
「そんならたまには15000円で私に何か買ってよ」
と言う。
「そうですよね〜。何か買ってあげたい気分です。」
・・・・・・・・・。

さてさて、金剛山陸路観光。いよいよ行けるのであります。
「日本の第一号を目指す!」
とはりきったまま、その夢は崩れたのりまきだが、ようやく予約が取れた。
あれだけ行きたがったし、「一人ではつまらないから(本当は不安?)一緒に行こう。お金は僕が出すから」と
言っていたのにいざ決まって振り込みも済ますと
「ふとまき〜。なんかさ、僕、僕の趣味にどんどんふとまきをひきずりこんでますね。なんだか申し訳ない気持ちで一杯です。」
などと言っている。今さら遅いのである。
たまには金網のない海外に行きたいなぁ。


10月31日(金)
昼間はまだ暖かいので、蚊はまだいる。夜パソコンを見ていて
「あ!」
とか言うので何かと思えば
「蚊が!」
だから何さと思いつつ黙っていると
「まだいやがる蚊、め!」
そして蚊取りマットをつけては
「もうなくなりますけど、もう一箱あるんでしたよね。」
とこれを毎回繰り返す。そのたびに
「はい。もう一箱あります。」
と何回言っただろう。

金剛山の陸路の観光に知人や旅行社を介して申し込んでいるが、なかなか行けない様子。そんな中、日本の方々のツアーがあったり、韓国の知人で行ったりした方のメールが届く。
一時は(ふとまきにはよくわからないが)研究も結構底をついたといった感じで、更に陸路も行けないので苛々していた。
「ソウルに陸路の申し込みの為にわざわざ行くかもしれないからね」
などと言ったりしていた。語学が堪能なら電話で済む話である。知人に何度もメールをしたりもした。
そんなふうに苛々しながら研究などしておもしろいものができるわけがない。
そんなことをのりまきに伝えると
「いらいらなどしていません。」
と言ったが、数日後には
「行ける時には行けると思うというゆったりとした気持ちで過ごすことにします。」
と言い直した。
そんなのりまき、また古本を購入。今度は日本時代の金剛山鉄道の現地の責任者?だかの伝記だそうで、1冊15000円。
驚かなくなったふとまきもこわいものである。

10月19日(日)
ふとまき、体が重たい。昨日運動会にてちょっと走る機会があった。ぼてぼてである。こんなはずじゃあなかったのに・・・、と思う時の悲しさ。恐くて普段はのらない体重計に乗る。増えている。
のりまきに言うと
「また体重の話ですかぁ〜?」
「だって・・・。どうする?このままいったら恐ろしいよ・・・。」
「僕はちっとも気にしていませんよ。」
なぐさめにもならない。ま、ふとまきの意志薄弱なのがいけないのだ。冬に太る傾向なので、これからまだ太ることが予想される。
「あ〜あ、どうしよう」
「結婚しちゃったんだからもうこっちのもん!って思えばいいじゃないですか。本当に僕は気にしていませんよ。」
・・・・・・。
3日坊主の夜のランニングに行くふとまきであった。

10月18日(土)
引っ越しして丁度1年。記念日である。
両親は記念に何が食べたいかとのりまきに聞いたそうである。
ふとまきも日記を遡ってみる。いろいろあったなぁ〜。引っ越すまでも、引っ越してからも・・・・・。
のりまきに言うと
「そうですね。いろいろありますね〜。」
と言いながらもパソコンに見入っているのであった。

10月17日(金)
左:先日雨が降ったのでデジカメで撮りました。しかし、出来はいまいち。また挑戦します。右は部屋で撮った物。



10月14日(火)
ここ数日
「ふとまき〜。」
とか
「あ〜!!」
とか騒ぐので一体何かと思うと
蚊なのである。蚊ごときで一体なんであんなに大声を出すのだろう。
さっきも
「あ〜!まただ!」
と言うので
「蚊ですか?」
と言うと、
「そうです。蚊め!どうしてこんなに寒くなっても出るんですか?」
と怒っている。
「こんな時期にまででていたらマットがなくなってしまいますよ。ふとまきはそれでもいいのですか?」
なんだか意味不明。夏の蚊は騒がないのに・・・。

ちなみに本日はのりまき、行きも帰りも雨。長靴くんの活躍デーにつき御満悦であった。

10月9日(木)
今日は晴天。数日前は雨がふったり曇ったりした。
のりまき実は長靴好き。

結婚当初雨の日に
「長靴は?」
と聞いてくる。ふとまきは中学生よりずっと陸上部だったので雨の日でも外で練習があり、いつでも運動靴を愛用していて長靴を履く習慣はない。また、学生の頃は長靴なんてダサイ、と思っていたので長靴を探すのりまきが以外に思えた。
結論を言えば、のりまきの婿入り?道具に長靴はなかったので、履きたくても履けなかった。

・・・・・・・・・その後、のりまきの実家に行った時に
「お父さん、僕の長靴なかったっけ?」
「あるよ。」
ってなわけで長靴を持って来た。・・・・・・・・・・

長靴を持って来てからというもの、のりまきは長靴をたびたび履いた。小雨の時でも
「長靴は?」
と聞く。そんな時には
「え?たいして降ってないよ。靴でいいんじゃないの?」
とあまり長靴を履かせなかった。

同居をすると。
雨が降るとのり父、のり母、どちらともなく
「おい、長靴で行けよ〜。」
とか
「長靴で行くんでしょう?」
とか言う。素直に従うのりまき。のり父も長靴を履く。
のりまきの長靴好きは親譲りだったのだ。そんなわけでのりまきもふとまきに咎められることなくのびのびと長靴を履けるようになった。
しかし、
小雨の日どころか、朝仕事に行く時に雨が降っていなくても これから降る という天気予報の時には長靴を履いていく。
驚くふとまき。
でも、そんなふうにのりまきが長靴を履いていくと雨が降らないのだ。

ある日、のりまき職場の飲み会の日、雨だったので長靴を履いていった。
飲み会をするころには晴れていて、
「のりまきさん、その靴はなんなんですかぁ〜?」
ってな話になったそうだ。

最後に
長靴を履いたのりまきと電車に乗り、隣に座った時のこと。ふっと前を見ると
前に座っていた高校生の男の子3人のうちの一人がのりまきの姿を見た瞬間笑いを必至にこらえて・・・。その後に上から下まで目で追って見た。そして隣の男の子に肘鉄をして、のりまきの方を顎で「見ろよ」と合図してくすっと笑った。肘鉄をされた男の子がのりまきの足元を見て・・・。更に隣の男の子に目配せをした。3人で笑いをこらえた後、
一人の子が携帯電話のカメラでのりまきの足元の写真を撮った。それを見ながら3人でくすくす笑っていたことがあったことを付け加えておく。
のりまきはそんなことにはおかまいなしである。
他人のふりをしたかったのはふとまき。しかし、のりまきは平然と話しかけてくるのであった。

10月5日(日)
我が家は現在のところ、のりふとが仕事の時はのり父、のり母が夕食を、ふとまきが休みで用事もない時にはふとまきが夕食を作っている。
今日はふとまき夜勤明け、午後からは家にいるためふとまきが夕食を作った。
現在、のりまきの料理に対する熱はほとんどないので、のりまきが作ることや、のりまきがふとまきの手伝いをするということはめったにない。
それが今日は手伝うと言い出した。
そんなわけで、二人で作成・・・。
しかし、一人で作るより時間がかかった。なんでだろう〜♪。

それはさておき
同居してほぼ1年になるのに、のりまき、お茶わんやお椀が誰のものだかまだ覚えられない。父のご飯茶わんにもっては、ふとまきのところに置いたりしている。お椀は両親とのりふとで2個ずつ同じ物を使っているが、それも両親のを私たちのところに置いたりする。そのたびに
「違うよ。それは私たちのだよ〜。」と言われている。
最近はのりまき、盛り付け係が多いが、多いから覚えたのかというと、覚えていない。ま、間違ったところに置く前に
「これだれの?こっちはだれの?」と確認するようになっただけ学習効果は見られたとは言える。
歴史や文学や生物に関してはすぐに覚えるのに、毎日使うお茶わんは覚えられない。どういうことだろう。

また、神経質なところもある。水切りのざるなどは少しでも食べ物がついていると
「ふとまき、ちょっと、これなんですか?」
と洗い直しをさせる。チェックマンでもある。ボウルも少々汚れていて
「これ、もう一度洗ってください。」
と言ったが、それは今日は使ってないものだというと
「あ、そうですか。」と口調が和らいだ。両親が洗って少々汚れている分は構わないようだ。

ところで
料理を手伝うなんて、今日ののりまきは上機嫌だ。
のりまき、昨夜大学時代の恩師の還暦のお祝い会があり参加した。それが楽しかったようだ。
のりまきの天敵?いや、その教授がのりまきを天敵だと思っているのか、成績発表前に「お前の単位はない!」と先輩の追い出しコンパで言い放ち、本当に単位をくれなかった教授も見えていたそうだ。(詳細はこちらこちら
その先生にふとまきは「のりまきと結婚するとは奇特な人もいるもんだ」と感心されたようだが、昨夜も「是非ふとまきにあってみたい」と言っていたそうだ。
「のりまきの大学時代のていたらくを話すのに、のりふとの二人だけは意味がないから、証人となるべく第三者(のりまきの友人)が一緒の方がいい。」
とまで言っていたそうだ。その教授よほどのりまきに恨みでもあるのだろうか。


10月2日(木)そのA
ひさびさの観察日記をおもしろいと言っていただき、調子にのって第二段。

今日の夕食で美味しいラーメン屋の話題になった。話に聞いた美味しいラーメン屋の行き方をインターネットで調べて欲しいと のり父。
インターネットで調べるのりまき。
「でもね〜、こうやって美味しい美味しいっていう店に限ってろくなことないのよ。ここもね〜。並ぶ程じゃないんじゃないの〜?」
と独り言をいいながら調べている。
「まあ、いいじゃん。それだけの店の味がどんなもんか食べてみたって・・・。」
と遠くからふとまきが言うと
「ま、そんなつもりで最初から行くならば、まあいいか。」
まあいいか、って行くのは両親なんだし・・・。

挙句
「ふとまきもこの頃は気がついてきたかと思うんだけどねぇ。世の中って宣伝が大切なのよね〜。わかる〜?あんまり美味しくない店でも宣伝が上手いと人が集るのよ。」
えらそうである。
「なによ。そんなこと最近じゃなくたって気がついてたよ。」
黙るのりまき。
「のりまきももっと宣伝したら?『金剛山のこと』・・・。」
実は、金剛山のことを本にしたくても宣伝出来ない自分への宣伝力のなさを誰かわかって〜!と叫んでいるようであった。(多分だけど)

話は変わって
「しかし、ふとまき、良かったですね。北朝鮮のことで来てくれた客さんが日記が面白いなんて。ふとまきの文章にはファンがいるんですね。それに比べて僕なんか・・・。誰も書き込んでくれません。」
ほんとに元気なくなって来たので
「それは、私の文章がいいんじゃなくってモデルがいいからでしょう〜?」
とフォロー?したのであった。

10月2日(木)
またまたご無沙汰。

週末にふとまきがレンタルビデオを借りてきた。ロードオブザリング2つの塔。3部作の2作目。ロードオブザリングつまりは指輪物語は何度かここにも書いたがのりまきの愛読本である。我が家でもその重要さは『金剛山』の資料と同じ場所にあるということで理解できる。何度も読んでいるらしい。結婚後「何かおもしろい本ある?」と聞くふとまきに薦めたのも『指輪物語』。ふとまきにはなんだか難しくて読めなかった。
そんな思い入れのあるお話が映画になるというので1部の時は映画館に観に行った。(そのときの様子も日記に書いた記憶が・・・。)

2部はなぜか機会を逃してしまい、結局観に行けなかった。そんなわけで
家で観る・・・・・。じっと見入るのりまき。かと思いきや事あるごとに説明を始める。ふとまきが質問するならば、待ってましたとばかりに説明をし出して・・・。
「じゃあ、種を明かそうか〜?ちょっとまてよ。これ言っちゃうとおもしろくなくなっちゃうしな。どう?今聞く?それとも聞かないで3部作まで待ってる?」
などともったいぶったりするのである。そして、
「ここの場面は本ではもっと詳しいんだよなあ」とか
「あそこの部分は重要なのになんでこんなふうに短くしちゃったんだろう」とか、
「え〜?ここはこんな場面じゃないのよ。ここで指輪が出てきたら、本当は誰がもっているかわからない場面なのにだいなしじゃないのよ〜。」
などなど言っているのである。で、観終わると
「と、いうわけです。ふとまき理解出来ましたか?」
何が『と、いうわけです』だ。あたかもふとまきには理解出来ない映画かのようなくちぶり、そして自分が映画や物語を作ったわけでもないのに、言うのである。
次はのりまきのいない時にもう一度借りて静かに観ようと思う。

プロ野球もリーグ優勝が決まった。
9月30日のダイエーの優勝が決まった後、球場での胴上げはテレビを観た。その後、テレビ画面ではビールかけの会場が写し出された。
テレビを消さなかったので「観るの?」と聞くと
「いや〜、見ない見ない。もう寝ますよ。だってただのビールかけでしょ!変わり映えしないもの見たってしょうがないじゃない。」
ま、そうだが・・・。ダイエーのファンさんごめんなさい。

8月5日(火)
6月26日以降、すっかりご無沙汰してしまった(反省)。今日は時間があるので自分の10年日記をめくりながらトピックスを書いていこうと思う。超ロングランになってしまうかな・・・・・。

さて本日。昨日に引き続き、研修中携帯にメッセージが。休み時間に聞いてみると
「あのう、今回は本当に困って電話しました。(じゃあ、いつものは困ったと言っても困ってないのか?ととっさに思うふとまき)ふとまきぃ〜、軽自動車の保険の証書はどこにあるんですか。本当に困っています。聞いたら電話ください。」
・・・・・・・・。だから先日保険会社からハガキ来てるよ。と言ったのに・・・・・・。と思いつつ、自分でも保険の証書をどこにしまったのか思い出せない。とにかく電話してみる。
「あ〜、あのですね。保険が切れているようなんですよ。どこにあるのか知っていますか。云々かんぬん。」
まるで私が悪いかのように色々と言い出す。
「たしか、ふとまきが書類とか置いてある場所に保管しているんではなかったでしたっけ?」
そうかもしれないが、私のせい〜?
休憩時間はまだ少しあったがここでやりとりをしていても仕方がないので
「じゃ、休憩時間が終わるんで。」
と電話を切った。
夕方の報告によれば、保険の証書は私がいつも色々書類などを置くところにあって実際に期限は切れていたらしい。で、
「あのですね〜。結局、木曜日の午後に僕が出向いて契約してきます。本当なら金額も更新ではなく、新規になるので多く取られるようなんですが、契約書を書けば今回だけは更新扱いにしてくれるようです。」
と、まるで自分がやってあげるんだ。というような口調で報告の電話があった。
そして
「ま、今回のことはお互いが不注意でした。今後気をつけましょう。」
と言うのであった。

8月4日(月)
今日から5日間研修のふとまき。昼休みに携帯を見るとメッセージが入っている。公衆電話からだ。聞いてみるとのりまきだった。
「今日は携帯電話を持って行くのを忘れたので夕方も公衆電話から電話をします。」などというメッセージが始まった。何もそんなこと一々知らせなくたっていいようなものの・・・。と思いながら聞いていると「あとは悲しいニュースがあります。」と来るではないか。どんよりとした声になっている。なんだ??「・・・・・あのですね〜。現代峨山(げんだいあさん)会長・鄭夢憲(チョンモンフォン)氏がビルから飛び降りて自殺してしました。驚きました・・・。」と沈んでいる。
まあ、金剛山に魅せられたのりまきだし、私たちもはじめて金剛山へ言った時には鄭夢憲氏も一緒の船で金剛山に行かれていて、全く知らない人とは言えないまでも・・・・・・。まあ、とにかくあわてて誰かに伝えたかったのかもしれない。しかし、親戚とか身内が亡くなったというようなお知らせ振りだった。

8月3日(日)晴天
日記を無精している間が、長かった梅雨の時期だったのだが、我が家はその間、大雨による雨漏りがあった。
大騒ぎ一家であるので、雨漏りを発見した時の騒ぎようといったらそりゃあ、大変だった。雨漏りがあっても困りはするが、不機嫌にならなくてもいいと思うのに、雨漏りのおかげで我が家は険悪なムードがただよっていた。雨が漏っちゃったんだもん、仕方がないじゃんね〜とはならないのである。
結局、中古で買った家のでこんなことになるのであろうが、その雨漏りを業者を頼んで直してもらうのかどうかでまた険悪な話し合いとなる。
「業者に頼めば高いし、たいして悪くない部分も直せと言うだろうから、自分たちでみてみればいい。」
と言うのり父と、そういう父の腕だか判断(この雨漏りなら自分たちで直せるだろうとか、無理だとかいう判断)を信じられないからか
「そんなこと言って直んなかったらどうすんのよ。余計壊れたってしらないよ。見積りだけでもしてもらった方がいいと思うよ。」
と意見の分かれるのり母。そして雨漏りだけではなくベランダの錆もかなり始まっていた。
困るのりふと。結局のりまきが
「では、こうしましょう。まずは僕たち、お父さんと見てみて、自分たちなりに修理してみてそれでも直らなかったら業者に頼むことにしましょう。」
渋々了解する母。
こんなやりとりが6月の終わり位にあり、雨漏りだけはのりまきと父で直したようだった。その後の大雨でも雨漏りがないので、大成功だったようだ。だからと言う訳でもないが
ついでにベランダのペンキも自分たちでやろう。ということになった。8月に入り、ようやく梅雨が明けた。

今日は晴天。今日はのりふとも両方休みで急遽ペンキ塗りの日となった。
暑いのが大嫌いののり母に、朝食時
「今日のあんたたちの予定は?」と聞かれる。
ペンキも業者に頼めばと思っている?母の反応が恐かったが
「今日は、天気もいいのでベランダのペンキでも塗ろうかと思っています・・・。」
とこわごわ言うふとまき。のりまきものり父もこんな時には何も言わないのだ。
「げ〜。こんな暑い日にやらなくたっていいじゃん。お父さんは手伝いなさいよ。わたしゃこんな暑い日にペンキ塗るなんてごめんだね。」
と言うのり母。
と、言っていたのに、あれれれれ。
日に焼けないようにジャンバーを着込み、手伝いに来るのり母。もちろん、色々聞いてくるし言ってくる。
なんだ〜?暑いからわたしゃごめんだね〜なんて言ってたのに。文句言うなら家で涼んでてよ〜。と心でつぶやくふとまき。
サンダーで錆を落とし終わったのが午後になってからだった。さ、いよいよ錆止めを塗る。
そんな時
「いい?隣の家は洗濯物干しているんだからね。わかってるね。絶対ペンキを垂らすなよ。わかった?」
と更に、正統なご意見を述べてくる母。・・・・・・・・・・。垂らさないようにと思うと垂らしてしまうのが人間だ。?
ペンキ塗りは以外に楽しくて、3人で塗っているとのり母もやりたくなったようだった。
「ちょっと私にもやらせてよ。」
そんな時の対応はのりまきである。
「はいよ〜。」
と親切に母にはけを渡したりしている。
自分では夢中になって母の塗るところは見なかった。でも、風が強く父がペンキを大量にひっくり返した時にも
「素人がやるっていうのはこういうことだよね〜。」
と、物分りの良いことを言って、当初私たちに言っていたこととは全然対応の違うのり母。なんとか錆止めまでは塗り終えた。

夕方ふっと気がついてのりまきに聞いてみる。
「ねえ、あれだけペンキ垂らすなと言っていた母が手伝ったけど、母はやっぱり言うだけあって垂らさなかったの〜?」
「うう〜ん。母が一番垂らしてたよ〜。」
なんだか、ふとまきは嬉しくなった。うるさく言う人程体験してみた方が良いのである。だから、父がこぼしても怒らなかったのだ。

そう考えると、多分、暑いからと言って母がどこかにでかけてしまっていたら、この作業の大変さも理解してもらえなかったし、こぼれたペンキを見て「やっぱり業者に頼めばよかったんじゃないのよ!」などと激怒していただろうから、今回なんだかんだうるさいと思ったりもしたが、4人で作業をしたことは大変良いことだったような気がした。我が家の今後にとっても・・・・・。(あ〜。のりまき観察日記というより、ふとまきの愚痴になっちゃったな〜(苦笑))

7月27日(日)
町内会の草取りの日。年に4回くらいあるようで、今年2回目の町内の草取りの日。1回目はのり父が行ってくれたので、今回は私たちの番。ふとまきは夜勤入りだったのでのり父、のり母はのりまきに出るように命じていた。
しかし、なんか家にいるのも気が引けるのでふとまきも参加。のりまきの作業が心配だったということもあった。
やはり・・・・・・。
作業中も落ち着きの無いのりまき。一箇所で草を刈るということが出来ないようだった。あちこち動いては草を抜き、周りの人の動きを見ては
「は〜ん、この草も抜くのか〜。」
と言ってみたり
「え〜?これも抜いちゃうの?」
などと声を出している。やっぱり一人で来させないでよかった。近所のおばさんたちはこの慣れない発声にどう返事をしていいのかわからない様子だった。のりまきが
「ふとまき〜、ここは終わりましたから今度はあっちに行って来ますね。」
と行ったあとを覗くをまだまだ草が残っていたりした。
飽きるのも早く立っては座りまた立って
「ふとまきは案外草取りは上手いんですね〜。」
などと感心している。
「まあね〜。大学時代グランドの草刈を毎日やってたもん。」
と言うと
「ま、それなら上手くてあたりまえだ。」
と、異様に納得した様子。
「では、そろそろ終わりにしてくださいね〜」
と役員の人からの声がかかるとなぜか途端に
「この笹が気になりますね〜。」
とか言って一人でやりはじめるのであった。

7月26日(土)
かねてから、自分のしたことで人が喜ぶのが好きなのりまきは、自分が発見した美味しいお店を紹介して、喜んでもらえると大変嬉しいようである。
今回富士登山マラソンに出場したAちゃんが我が家に泊って、今日の夕方はのりまきお薦めの中華街の福満園に行った。
Aちゃんが福満園に行くのは2度目。前回行って美味しかったと気に入ってくれたようだった。リクエストがあり再び行くことになったが、人数が4人だったため多くの種類は楽しめなかった。Aちゃんが
「やっぱり中華は大人数できた方が色々食べられていいよね〜。」
と言う。Aちゃん
「じゃあ、また来るからその時は事前に連絡して大勢で来よう。」
と。すると
「いいですね〜。なんなら僕がコーディネートしますよ。」
思わず
コーディネート?
と声を合わせてしまうAちゃんと私。
「いや〜、僕が美味しいというお店をここまで喜んでくれるとは・・・。」
と悦にいるのりまきだった。

しかし、このAちゃんはのりまきがお薦めするシュウマイ(私たちの前に住んでいたアパートの最寄駅の商店街の肉屋のもの)も気に入ってくれた。
それもまたのりまきには嬉しいようで
「いや〜、さびれた商店街にある店なんですよ。でもね〜、昼時になるとね。近くの会社勤めの人とかがコロッケとシュウマイとかって買いにくるんですよ。それとかね〜。高校生とかが学校の帰りにコロッケとか色々買って食べながら歩いているんですよ。親子づれとかもね。シュウマイとか子どもが選んだりして・・・。結構並んでいることとかもあってね。こりゃあ〜、美味しいだろうな〜。と思って買ったら本当、美味しくてね〜。これ食べたら崎陽軒なんて食べられなくなっちゃいました。いやぁ〜ね。崎陽軒がまずい。って言っているわけじゃあないんですよ。あれはあれで、美味しい。それは認めます。でもね。あそこのはね。1個20円なんですよ。20円であの美味しさでしょ。あれは本当に美味いですよ。10個買っても200円ですからね〜。」
と、Aちゃんに誉められる度に説明が始まる。
「でも、これだけは本と、のりまき氏に感謝するわ〜。」
と言われるとますます悦にひたり、Aちゃんが帰った後も
「あそこまで気に入ってもらえるとは、のりまき、素直にうれしいです。」
などと繰り返し言うのであった。

7月25日(金)
富士登山マラソンに出場の為我が家に来たAちゃんに感化された私たちもランニングを始めようということになる。気が向いた時に行こうと。
ふとまきは落ちこぼれ体育会人間だから、まあ、ランニングとかも若いころは時々行なったりしたが、何せ体育は苦手。というのりまきがランニングである。Aちゃんの影響力は多い。
しかし、のりまきの夢も大きい。金剛山マラソン出場。
だそうだ。

のりまき、遅番より帰宅・・・・・。
続きもあるのですが。また今度・・・。(7月25〜8月5日はまとめ書き)

6月26日(木)
のりまき、昨夜も古本を注文。この頃は古本もネットで買える、便利な世の中だ。ネットでの古本調べや購入も慣れてくるとまたまたいつものようにあれこれと言っている。
「結構これらもいい加減ですね。ここの本屋のこの本は、注文して『ない』と返事が来たのに、ネットではまだ在庫があることになっていますよ。あ〜、こっちもだ。この本なんてやっと見つけたと思って注文したのに『ありませんでした』なんて言っちゃって、それにしても値段のつけ方も結構いい加減ですね〜。」
古本屋業界というのはのりまきが言うには、古本屋の出す目録を見ていると(定期的に見るんだろうな〜)、あるところで多分誰かが亡くなったりしてまとめて古本が入ったような感じがわかるそうで、そうするといわゆる専門の古本屋がその本を購入し、値段をあげて販売するんだそうで、
「僕も徹底的にやるならそのくらいやってもいいよね。」
などと言うのである。
「え?一冊300円とかの目録を買い占めて調べるっていうの?」
とふとまきが言うと
「いや〜、まさかそこまではやらないけどね。」
そういうことをするのはちっとも苦ではないらしい。

「でもね。僕のここにある本もさ〜。適当な値段で買ったものや高いもの、あるよね。これなんて、ほんとお買い得よ。R(のりまきご用達の古本屋で朝鮮半島の本は充実しているようだが値段は高い)だったらきっとこの3倍はしたと思うよ。」
最近朝鮮半島の古本が高い値段で売れていると言うのりまき。自分の買った本が高価になることを望んでいるようである。
「あとはね〜、僕は最後の手段と考えているんだけどね。こちらからこの本探していますって言って探してもらう方法もあるのよ。でもね〜、そうするとこっちが『欲しい』っていうのがわかっているから値段はかなり高いんだと思うんだよね〜。だからさ、安いところはほんと安いからもう少し地道に探してみようと思っているんだけどね。ま、どうしてもみつからなければそれもやってみようかと思うんだ。」

ところで、まあ、これだけお金もかけて研究しているのだから、
「本にするように売り込んでみたら?」
と冗談半分、本気半分のりまきに言ってみた。すると
「もう少し頑張ってみてからね。」
と言う。
「まだ何か調べることがあるの?」
と聞くと
「あのね〜。日本の頃の情報は大分集まってきたんですよ。でもね。北朝鮮の時代になってからのことがね〜。殆ど調べられていない。日本の時代のこともね〜。大正時代の本は結構手に入ったと思うんだけどね。不思議なことに昭和の頃の本がないのよ。なんででしょうね〜。だから売り込むにはちょっと早いんですよ。」
はぁ〜。まだやる気なわけね。
「北朝鮮の時代のことなんて調べられるの?」
と思わず聞くふとまき。
「それには直接答えず、今回金剛山のことを調べるようになってわかったことと言うのはね。・・・・・。」
とひとつひとつ説明し出す。
「えっとまずはね。歩きの時代からバス・電車、というように変わるその間に『人力車』の時代もあったということ。鯨は殺した後血抜きをするということ。血を抜かないと腐るのが早いんだって。それから・・・。」
ふとまきだんだん眠くなってくる。
「と、まあ、こうやってのりまきの雑学の知識が増えてきたんですけど、こんなのたいして役にも立ちませんね・・・。」
と自分でフォローするのであった。

6月25日(水)
 自称『金剛山・北朝鮮研究家』のりまきの北朝鮮、金剛山に関する熱は冷めていない。あきっぽいのりまきがここまで続くとは思ってもみなかった。しかし、やるとなるとすごいものである。最近は古本も探したり、国会図書館に資料を探しにいったりと研究?に余念がない。その結果・・・・・。溜まる溜まる本棚が埋まってしまった。そして・・・・・。
少し前から「そろそろここもなんとかしないとね〜。」とつぶやくのりまき。その割にはコピーはただ山積み。ネットからプリントアウトしたものも束のようになってただ積んでいる。
我が家の北朝鮮、金剛山関係の本棚と言うのは二つの本棚を積み重ねたもので、ひとつのほうは手前と奧とで二段に使えるものなの(手前のは左右にスライドできる)だが、今まではそちらの方を下にして使っていたため、上の本棚の重みでそのスライドが動かなくなっていた。そこで、本日休みのふとまきは、その本棚の上下を入れ替えてあげた。スライドが上手く動くようになったため、有効に使え、本も見やすく整理された。

 

家に帰ってきたのりまきに「どう?勝手にだったけど、本棚の上と下交換したの。本が見やすくなったでしょ?」
と言う。すると
「はい。見ましたよ。これでまた本が買えますね。」
と言うではないか。確か、先日
「もう買いたいと思うものはほぼ買いました。」
と、言ってたはずなのに・・・。
「え?もうだいたい買ったってこのあいだ言ってたじゃん。」
と言うと
「あ〜、もうふとまきは僕が本を買うのは嫌なんですね。もういいです。」
といじけている。その割には本棚を眺めては
「見やすくなりましたね〜♪。あとは、僕なりに使いやすいように移動させてもらいますけどいいですか。」
とか言いながら、
「これだけ空いていればまだまだ入りますね〜。」
とつぶやいているのであった。


5月30日(金)
夕方のこと。のりまきからの帰るコールがあったが元気が無い。
「また、ちょっとやっちゃってね・・・。あのう。足の爪が巻き爪になっちゃってね・・・。医務の人にみてもらったら医者に言った方がいいっていうんですけど、保険証持ってないし、いけないんです。ふとまきならどうします?」
のりまきは常々爪きりが好きで、常に白い部分がないくらいこまめに爪を切っている。
「そりゃあ、深爪でしょ?あんなにいつも爪切ってれば巻き爪にもなるよ。帰ってきて消毒でもしたら?」
「ふとまきは冷たいんですね。僕のことなんかどうだっていいんですね。医務の人には深爪じゃなくて巻き爪だと言われましたよ。医者に行った方がいいとも・・・・。」
「そりゃあ、医務の人は医者に行った方がいいって言うでしょう。それに深爪し過ぎて巻き爪になったんでしょう?私たちだって仕事ならそういうよ。」
そしてどうせ医者に行ったって消毒して軟膏塗るだけだろうと心で思う。
「あ〜、痛くて家まで帰れるか・・・。」
大袈裟な・・・。と思いつつ、
「じゃあ、けんけんで帰ってきたら?」
というと
「本当に心配してないんですね。もういいです。」
と本気にいじけている。
「じゃあ、本当に歩けないようならば駅まで迎えに行きますから電話ください。」

なんだかんだと歩いて帰宅。
その痛い場所を見るが多少腫れている程度。しかしのりまきは
「今、たくさん膿が出ました。」
と大変そう。

「でも、靴を脱いで当たらなくなったので痛みが和らぎました。」
と。ひさびさの大袈裟くんであった。


5月18日(日)
先日、のりまきの手持ちの資料がNステーションの特集にちらっと写った。それはもう大騒ぎで番組を見ていのだった。
そして・・・・・・。昨日その特集への情報提供の方々の飲み会があった。野次馬で参加させてもらうふとまき。会はとても楽しいものだった。たかが北朝鮮?されど北朝鮮・・・。

昨日はその会に名刺を持っていこう!ということになる。今までのは写真も飾り気もないもので、引っ越しした住所がとりあえずわかれば、と作ったものだった。今回、HPのアドレスも変更となっているし、新しいもので作った方が良いということになった。今までのものを変更だけしてプリントする。
「ま、わかればいいか。」とのり・ふと。
しかし、あわてていたのかふとまき作成のその名刺、はHPとメールのアドレスが間違っていたようだった。
「ふとまき〜。アドレスミスです。」

結局、のりまきが作ることに。
「写真でもやってみようかな〜。」と始めは半分冗談みたいにして作成しだす。数分後
「どう?どう?こんなふうにやってみました。どうですか〜?自分で言うのもなんだけど、結構、これ気に入っちゃってます。どうですか〜?」
ハイテンションである。こんな時に批判はいけない(笑)。ぐっと笑いたいのもこらえて
「わ〜、いいじゃありませんか。」と言うふとまき。
「でも、時間がかかっちゃってふとまきの分が作れませんでしたね。」
などと気まで使っている。
「今日はふとまきはおまけだから名刺もいらないよ。」と言うと
「そうですね〜。」
と言って、自分の名刺をプリントアウトするのりまき。そして、いつもは名刺も全部ふとまきに持たせるのだが、
「今日は自分でも2〜3枚持ってようかな〜。」
とか言って、ポケットに数枚入れては
「なかなかこれいいと思います。自分でも気に入っています。」
と言っていた。

ちなみに・・・・・・。その名刺の肩書きはこうだった。
北朝鮮・金剛山研究家・・・・・・。


5月16日(金)
結局、今日休みをとったのりまきも雨天のため、山登りから古本屋めぐりへと予定が変わったようだ。朝から神田界隈の古本屋へ出かけたらしい。今回は下調べをしてめぼしをつけて古本屋探しをしたらしい。のりまき好みの本屋にも出会えたようだった。そして・・・・・・。『朝鮮金剛山百景』とかいう大正時代のA新聞主催のツアーで金剛山に写真を撮りに行ってその写真のコンクールをするというその写真集を買ってきた。そこは写真専門の古本屋だったらしい。
「ふとまき。ちょっとこれ観て。いい写真でしょう〜?のどかでさ〜(山と一頭の牛がのんびりとした雰囲気で写っている)。こういう写真は今の時代の人間には撮れないのよ。わかるでしょ?そんな話で店の主人と話が盛り上がっちゃってさ〜」
テンションが高い高い。
「わかるでしょ?って?のんびりとした雰囲気では写せないってこと?こんな風景がないから?」とふとまき。
「あのね〜。同じような風景があってもこんな風には撮れないのよ。なんでだかわかる?あのね〜。今の時代の時間の流れとこの時の時代の時間の流れはちがうのよ。同じ風景を今の人間が撮ったらやっぱりどこかあくせくした感じになっちゃうのよ。僕がそういったらね。店の主人喜んじゃってね。」などと言いながら、
「なんだかわかんないけど店の文献目録もただでもらっちゃった」と自慢している。
「やっぱり古本屋の人ってお客のことがわかるんだろうね〜。」
・・・・・・・・。
そして買った写真集を眺めては
「なんでこれが一等賞なんだろうね〜。僕だったらこっちを選ぶけれどね。ほら?どう?こっちの方がいいと思わない?」
返事に困るふとまき。すると
「ま、美的センスの違いだよね。」
と、あたかも自分の美的センスが優れているといいたげだ。
「まあ、選ぶのも人間だからね。好みがあるんじゃない?」と一応答えた。

もう一軒のりまき好みの店があったようだった。
「店の主人にね。さっきの店(上に書いた写真集を買った店)の話とかしたらなんか、また話が盛り上がっちゃってさ。なんかね〜。お客さんの調べたいことを全部本を調べて買ったら数十万円かかっちゃうよ。とか言われたよ。でも、なんか気に入ってくれたみたいで、本当は買わない人には見せないという古い地図をお客さんには今度お見せしますなんて言われちゃったよ。だから次はいつ行こうかな〜なんて思ってんだ〜。」
のりまき、幸せ者である。

5月13日(火)
今日はふとまき休みの日。一人で丹沢の山に登りに行った。一人で成し遂げたかった。だいたい、結婚してからどこかに出かけるというと、用意周到に、下調べをするのりまきに従ってただついていくという形ばかりだった。まあそれはそれで楽なのでありがたいのだか、いつの日からかのりまきは『ふとまきは地図もろくに読めないし、一人では出かけられない』と思っているような感じがしてきたのだ。結婚後も一人で出かけたこともあったが、行き先を告げると
「そこに行くならこの時期はやめた方がいい」「あそこに行くなら○○線で○○まで行ってそこから乗り換えないとだめだよ」「車?それはやめた方がいい。だいたい駐車場なんてないよ。あの辺は」などなどうるさいうるさい。そんなこともあり、一人で丹沢の山に行くとだけ伝え、どの山に登るのかも言わずに出かけた。無事山登りも終えて、帰りは温泉にも入り、知人にも会えてとても良い気分転換をした。
だいたい、のりまきは、登山においては、自分の方が知識も経験もふとまきよりは上と思っていたふしがあった。それが、帰ってきて畦が丸に登ったと知り悔しかったようだった。早速、16日に休みをとり、天気が良かったら『一人』で登山しようと考えたようだった。山登りの本を引っ張り出して、あれこれコースを考えている。挙句には
「今の時期ね〜。正直畦が丸よりもいいコースがあったのよ。」などと言うのである。
「でも、今日のコースも緑がきれいで充分よかったよ。」と言うと
「ま、そうかもね〜。」
と。


5月6日(火)
のりまき観察日記をしばらく書かなかった理由について考えてみた。書きたい気持ちがなぜかあまり起きなかったのだ。でも、考えたからといって理由らしい理由もなかった。のりまきが観察日記に書くに至らぬ凡人になったのかといえば、NOなのだけど・・・。

そういえば、先日も友人に声をかけてもらってバーベキューに行った。その時もやはりいつものようにじっとしていられずに、あちこち動き回り、友人からの質問にも答えにならない返答をしていたっけ。本人本当は恥ずかしいのだろうが、何回かしか会っていない友人は『変な人』としか思わないだろう。
「ふとまきさん、こういう旦那さんだと毎日飽きないでしょう〜。」
と言われたが、誉められていたとは思えなかった(笑)。

さてさて、金剛山に魅せられたのりまき、研究も続いているようだ。HPも熱心に作成している。そんな4月のある日。これだけ熱心にやっているのだから人は何人位来ているのか知りたくなったようだ。金剛山のところにもカウンターを設置。
しかし・・・・・・・・。想像していたよりお客さんが来ていないようだった。
めげるのりまき。それでも最初は、「そのうち来てくれるでしょう。」
と言っていたが、それでも全然お客さんがないと
「あ〜、僕はなんてダメな人間なんでしょう。は〜ぁ〜あ〜。」
だから言った。
「ゴッホだって死んだ後に有名になったんでしょう?生きているうちに評価されないことがなんですか!それにいつも言っているじゃありませんか。僕は人の評価を気にせずにこつこつやっている人が好きだって。そういう人が好きなのに自分は生きているうちに評価されたいんですか〜。」
すると、更にめげたのりまき。

しかし、今日、ニュースステーションにのりまきの持っている資料とHPのアドレスが出るらしく、途端に元気になりだした。
「今日はテレビを見ますからもうお風呂も入りますね。」
と、現在入浴中である。

5月4日(日)
随分ご無沙汰。
昨日は家族で西沢渓谷に行った。GWなので、渋滞だと言う事で4時に起床。起床と同時に出発。せっかち家族なので、早い早い(笑)。
おかげさまで渋滞には合わずに行けた。

さて、西沢渓谷。景色がきれいだった。しかしまあ、のりまき。何しろめずらしいものを誰よりも早く見つけたいのか、足取りがはやい。
「あ〜。見て〜。ほら。」と。それでいて「な〜んだ。」とか言われると目に見えてしょげるのである。

3月20日(木)
今日は休み。おてんとさまも出ているのでなんとなく掃除や整理をする。しかし、わが家にはなんでこんなに点眼薬があるのだろうか。
それは、のりまきが買うからである。ちょっと眼がおかしいと
「大変です。放っておくとものもらいになります。目薬持ってませんよね。仕方がない・・・・・。買います。」
これで一回か二回しか使っていない目薬が異様に多い。旅行などに行くと殆どこれである。毎回眼がおかしくなって目薬を買うだろうことが予測できないのだろうか。予測して持参してほしい。見かけじゃなんともないので
「そんな〜、大丈夫だよ。」
とか言おうものならば、
「ふとまきは僕の体が心配じゃないんですね。」とか
「わからないからそんなこと言うのです。」
などといじけるので、勝手にしろ、の心境で放っておく。
ま、私の方も今度から旅行に行く時はのりまきの目薬を持ち歩くようにしようと思う。(なんて、いい妻なんでしょう)

話は変わるが、まあ、新しいホームページ作成や移転作業に燃えている。
色々な写真を載せては
「どうですか?自分で言うのもなんだけど、いいと思いませんか?」
と悦にいっている。そして、写真集などは
「本当に写真集を大切にする人はたいてい同じ本を2冊買うんですよ。そして1冊は何も使わずに大切にしまっておいてもう1冊を使いこなすんです。」
「じゃあ、のりまきはこれらの本はあまり大切ではないということですね。」
と言うと
「僕にはそこまでする意味(何も使わずとっておくということ)はないと思うので1冊しか買わないだけです。大切でないわけではないのです。その辺わかってもらえましたか。」
とかなんとか言っている。まあ、数千円もする写真の本を何冊も買って、更にそれらを2冊ずつ揃えるなんてぞっとするのでいい心がけと言える。?
しかし、先日関西で買った1冊12000円もする資料集のような古本もある人に貴重だと誉めてもらい、
「僕が買った本を認めてくれる人がいるんです。ふとまきさま、あの時なんて言いましたか?わかってもらえましたか。」
などと言ったり、
「あの(関西の)古本屋の店主ももう僕のことを覚えていてくれて、おまけに今回はいつもと買う本の毛色が違うからか『このような本もお探しなんですか〜?』とか言われちゃったよ。」
などと嬉しそうに話している。
しかしHPの移転よりも新しい金剛山のページ作りのほうに夢中で移転が終わるのはいつになるのだろうかと不安である。そして自分でパソコンを占領しておきながら、「ふとまきは新しいHPに対する意欲が感じられませんね。」などと言うのである。今に見ていろ。


3月11日(月)
先日、のりまきの仕事の福利厚生?を使って家族でステーキコースとフランス料理のコースを食べにレストランに出かけた。
ステーキコースとなったふとまきの方は、肉が高級なためか量より質、といった感じだった。較べてフランス料理コースののりまきは量の方も申し分ない感じだった。しかし、まあ、量がちょっと足りないからといってもそこそこ満足出来る量であるのに、のりまきは
「あ〜、僕はふとまきの量が足りないことが気がかりです。」
「ふとまき、それじゃあ足りないでしょう?」
「大丈夫ですか?おなか一杯になりましたか?」
などなどコースの途中で何度も何度も言っている。
「大丈夫だよ。」
と言うのだが、気が付くと
「ふとまきの方は量が少ないですね〜・・・。」
と。あんまり言うものだから?のり父は自分が頼んだパンを1個
「ほれよ。これ食え」
と差し出してくれちゃうし、のり母も
「これ、食べられないから食べて・・・。」
と・・・・・・。ほらぁ〜。のり父とのり母が気にしてしまうではないか〜・・・・・。すると
「ふとまき、良かったですね。食べたらどうですか〜?」
と。・・・・・・・。思わず笑ってしまうのであった。
なんだかんだと食べる私も私だった。

その時は車で行ったのだが。行きはふとまきが運転。ふとまきはビールを飲んだので帰りはのりまきが運転。
久々にのりまきの運転で恐怖を体験した。

帰りは渋滞・・・・・。その時、国道はUターン禁止・・・・。のり父のり母、待つことが嫌いである。イライラしだした。のりまきは、裏道運転などは苦手である。どうしようか・・・・・。考えるのりふと。
「どうすればいいんですか?」
とのりまき、言っている。少しづつ進むとUターン禁止ではなくなり・・・・・。
「Uターン、Uターン。」
と言うふとまきを睨みつけている。
「もう、酔いも冷めたんだから運転かわってもらえよ。」
とのり父は言い出している。
すると・・・・・。突然、くるりとUターンをし出したのりまき。のりまきがUターンするなんて・・・・・。初めてのことだった。
そのUターンは恐くはなかったのだが、
「もう、僕はUターンしたら道はわかりませんよ。ふとまき案内してください。」
と言い出し、ま、ふとまきの地元であったのでふとまきが道を案内した。のりまき、やけくそである。
恐かったのは、いつも結構はらはらするバイパスの乗り口だった。加速する分離帯が短い上に左から入ってすぐに右車線にまで移動しないとならない場所である。そして、結構いつも交通量が多い。ふとまきの運転でもはらはらする場所なので、のりまきがそこから入るという事はのりまきも、ふとまきも緊張状態だった。
「どうする?今日はもう一つ先から乗る?」
と言うが、なんだかやけになっているのりまき。やけくそになって
「お任せします。」
と言ったかと思ったが、先の入り口に行く気配はない。そのはらはらする入り口の方に向かって
「こっちですよね〜。」
と言っている。のりまき、挑戦する気だな〜?こうなりゃあ、やけくそだ〜。
信号が青になり、すぐにその入り口である。のりまき肩に力が入る。
「ちょ・・っとここは恐いんですよね〜。」
などと言うものだからのり父のり母も緊張し出した。
すると、いきなりウインカーも出さずにしかも、たいして後も見ずに左から一番右まで走りだしたのだ・・・・・。
ひぇ〜。
無事に自分たちの行くバイパスに乗れると
「いや〜、ほっとしました。」
とのりまき。皆で肩を下ろす。
「しかし、ウインカーも出さずに、それもいきなり右車線まで、やりましたな。のりまきさん。正直驚きましたよ。」
とふとまきが言うと
「こんな時、夜はいいんですよ。ライトでわかりますから。今の場合はライトが後から来ていなかったので一気に行きました。」
といっている。そんな〜。ライト付け忘れた車がいたらどうすんの?と思ったが、両親の手前更に恐怖を与えると思い言うのをやめた。

結局、Uターンをした後の道がまあまあ空いていて、正解の進路変更だった。あ〜、恐かった。

2月24日(月)
のりまきの熱中する金剛山観光。陸路から行ける、行けない、とばたばたしているようだ。
しかし、そのばたばたが某テレビ局の朝のワイド番組で特集されたのだ。しかも、結構長い時間放映されていた。のりまきはマイナーであった金剛山に目を向け、それがこのような全国的なテレビ番組にて取り扱われたことに、先見の目があるとでも言いたげにご満悦にテレビを眺めていた。

2月23日(日)
友人の家で野草、山菜、きのこ、などの話に花がさいた。生物が好きだとも言っているのりまきは今回の話にたいそう刺激を受けたようだった。
「ふとまき、これからは僕はHPで花とか生物のこともやってみようかと思いました。」
え〜?さんざん広げてしまったから絞るとか言ってたのに、また広げんのかよ〜。と思いつつ
「え〜?では金剛山はどうするんですか?」
と言うと、少々慌てて
「だから、少しだけですけどね。」
と言い直している。はぁ〜。また始まったと心で思うだけにした。

夜、関西より無事帰宅。

2月22日(土)
いつも、この友人宅では家の周りで採れた山菜や野草の手料理でもてなしてくれる。そんな話から昨夜は“のびる”が家の付近で採れるのか?という話題になった。友人の父は「採れるよ。どこにでもたくさん・・・。」と言う。
それを確かめるべくのりまきとIさんと友人父は朝から散策に出かけた。たくさんの“のびる”の収穫があった。戻ったのりまき
「いや〜、あったあった。たくさんあったよ。しかもけっこう大きい。葉っぱは貧弱だったから期待してなかったんだけど、抜いてみると思ったより立派だったよ。」
と。見るとほんとに立派なのびるがたくさん採れていた。更にのりまき
「僕もね、父親に教えられてのびるとか見つけたことあるけど、だめだね。Aちゃんのお父さんとにはかなわないよ。もうね〜、目の付け所がぜんぜん違うのよ。ここだと入っていく時のカンというのかな。ま、ねんきが違うけどね〜。」
何を言うか。ずーずーしい。友人父とどう較べようというのだ。ねんきがちがうと来たもんだ。
のびるを洗い、朝食の食卓にのびるが並ぶ・・・。
友人父が小さい頃(終戦のころ)に食べるものを山に探しにいったというような話をしてくれる。
「はは〜ん、それじゃあ、かなうわけないよ、僕なんか。下地(したじ)がぜんぜん違うもん。」
下地が違うから友人父のように勘を働かせて“のびる”などの野草が見つけられなくても仕方がないのだ!と声高らかに自己防衛アンド自分を正当化している。幸せなる自己解釈だ。

2月21日(金)
20日から21日への日付変更は東名高速だった。結局多賀インターの風呂に入り、9時ころまで仮眠。
その日は琵琶湖付近を周ることにした。
歴史好きなのりまきが行きたかったところは、日本で4つしかない城の国宝、彦根城であった。
まず、彦根付近にさしかかると高台に城とおぼしき建物が・・・。すると
「あんなところにいんちきな城もどきがあるではありませんか。やっぱり彦根の人間は目立つことが好きなんですかな。自分で城のようなものを建てておられるようではありませんか。」
とのりまき。
「ほう〜。」
とかなんとかのりまきの友人は言っている。そのまま
道にある看板に従っていくと、どうやらその城もどきが彦根城なようだった。
「え〜?これが彦根城?城もどきかと思ったら・・・。これが国宝ですか?」
・・・・・・。
そして、車を駐車場に停めて石垣を登っていく。
「ま、石垣は立派ですけどね〜。はぁ〜、これが国宝。どこが国宝なんでしょうかね〜。ま、かわいらしい建物ではありますがね・・・。その基準がよくわかりませんな。」
そんなこんなで、相変わらずのりまきがぶつぶつつぶやきながら彦根城見学が終わった。

それはそれなのだが・・・。

その夜はいつもお世話になるふとまき友人宅へ。
ふとまき友人が帰宅。
「で、今日はどこへ行ったん?」
彦根城に行った話をする。
「へぇ〜、で、のりまき氏、これのどこが国宝なんでしょうかね〜。とかなんとか言ったんじゃないの?」
ご名答。これにはふとまきものりまき友人もあいた口が塞がらない位笑ってしまった。
のりまき友人「あんたって人は、行動パターンがすぐわかってしまうのはかわらないね〜。」と呆れていた。

2月20日(木)
昨夜、なんというのか、一家でほっと胸をなでおろし・・・・・。
今晩からは関西へのたびである。
のりまきは、ホットしたと同時にいきなりHP作りなどに張り切りだした。

2月19日(水)
ひさびさである。
のりまき観察日記どころではない気分が続いていた。のり母がストライキを起こした。まあ、小さいことが積み重なっていたのだろう。
何か楽しむのにお金がないから楽しめないというようなことを言ったようにふとまきには聞こえたので、ふとまきは、足りないのならば私がバイトでもしてでもいいからお金を気にせず楽しんでください。というような事を言ったのだが、それがどうもいけなかったらしい。母が姿を見せなくなった。(かなり経過は省略)
で、その後は結局のり父がのり母と私たちの間に入ってくれたのだが、のり父も母を思うあまり、かなり大袈裟に私たちに母の気持ちを伝えていたので、話は更にこじれたようだ、という事に本日気がついた。ま、事が終わってみるとちゃんちゃん、って感じであるが、なかなかどうしてしんどい数日間が流れていた。

1月28日(火)
遅番で帰宅ののりまき、遅番でののりまき作成の料理の話もそこそこに、
「いや〜、先を越されるかもしれません。」
といきなり言い出す。表情もなんというのか、困っている。
「何の先を越されるんですか」
と言うとなんでも、2月に金剛山マラソンと南北の離散家族の対談が金剛山で行われるようなのだが、それにどうやら陸路が使われるかもしれないのだそうだ。金剛山マラソンには日本からの参加者もいるとかで、その人たちが陸路で金剛山に行ったのなら、日本第一号を目指すのりまきは先を越されることになる。本気で表情が悔しがっている。そのくせ
「ま、しかたがありません。これも運命ですから。」
と口では冷静を装っているのだ。
「それに今から申し込めないの?」
と言うと、
「マラソンと離散家族の関係とでもう満杯でしょう・・・。マラソンに申し込むのはどうかと思って見てみたんですが、もうとっくの昔に締め切ってました。・・・・・・・・。あ〜あ。ま、運命ですね。仕方がない。」
「え?マラソンって?マラソン走る気なわけ?」
「まあ、10キロだしね。運動不足だからちょっと練習すればなんとかなると思ってたんですけどね。どうですか?来年はふとまきも一緒に出ませんか?」
のりまきが運動なんてしたのを見たことがない。スキーに誘っても「僕は遠慮します。」と言い、
従兄弟のいるフィリピンの海でシュノーケリングをした時にもみんなに笑われていた。そんなのりまきが、運動?マラソン???
しかもあのウップダウンの激しい金剛山のマラソンに出ようと言うのだ。
運命ですね。仕方がないと言いつつ、全然納得出来ないようだった。

ところで、最近の遅番は2人で行うらしい。従って料理も二人で決めて二人で作るようで、以前の熱はない。
昨日はちなみにミネストローネをのりまきが作ったそうだが、美味しく出来たとかで、自慢していた。
その自慢より、「金剛山陸路観光に日本人第一号になれないかもしれない。」という衝撃の方が大きな一日のようだった。

1月20日(月)
何を血迷ったか、家に帰るなり、足尾銅山のことをネットで検索を始めた。
「ふ〜む。そうか〜。あのね〜。田中正造がすごい人間だってことは認めるよ。そりゃあ、あの人はすごいさ。でもさぁ〜、なんで古河市兵衛があんなにひどく言われるわけよ。昔なんてもっとひどかったよね。古河市兵衛なんてけちょんけちょんよ〜。はっっは〜ん、そうか、最近はそうでもないな〜。そうだよね〜。けちょんけちょんに言うのはいいよ。でも、じゃああんた、富士通に恩恵受けてないの?って聞きたいよね。富士通のはじまりよ。それをけちょんけちょんに言ってたらそんなの天につば吐いているようなもんよ。自分の顔にかかるからね。ほら、こんなにあるよの、関連会社が。それなのさ〜、物事って知れば知るほど誰も悪くないってなるよね〜。」
「どうしたの?いきなり足尾銅山ですか?」
とふとまき
「いや〜、前から興味はあったのよ。でもね〜。ちょっと本格的に調べてみようかな〜って気になってね・・・。」
「え?じゃあ金剛山はどうするの?」
にやっと微笑み
「ちょっと手を広げすぎかな〜?」
「いや、別にいいけど、急にまたなんでかな〜と思ってさ。じゃあ、金剛山と同時進行ってことね。」

1月12日(日)
のりまき誕生日。ふとまきも忘れていた。お互い様(笑)。

のりふとが二人とも休みで、のりまきが夕飯を作った。ひさびさののりまきの料理作成。アパートでのような大騒ぎなないものの、騒ぐ、リアクションが大きいは、変わらない。
さっぱりとしたスパゲッティが出来た。
「さっぱりして美味しいね。」
とふとまき。
のり父とのり母は無言・・・・・・。
「どうでしたか〜?」
とのりまき。
更に無言・・・・・・・。
「美味しいって言って、また作られると困るからだまってるんでしょう?ね。お父さん。」
更に無言・・・・・。

ふとまきは、あ〜、せっかくのやる気もなくなっちゃうんじゃないかな〜。とのりまきがかわいそうになる。
あ〜、これでのりまきの“大騒ぎ料理作り”はもっと回数が減っちゃうんじゃないかな〜・・・・・。

しかし、のりまきは2階に上がり
「うちの両親、本当にまずいと食べないのよ。だから今日のは確かにあんまり気にはいらなかったんだろうけど、全部食べてたからね〜。まだましよ〜。」
と言いながら料理の本を見ていた。次は美味しいものを作ると言っている。えらい。

1月11日(土)
某Y新聞購読によって“ボリジョイサーカス”チケットが当たったので、家族4人で出かけた。のりまきは何せ、北朝鮮で4回(2回は平壌、2回は金剛山)観ただけだそうで、「北朝鮮のサーカスはとにかくすごいんだ。」と1回目の金剛山に行く前にふとまきに言っていた。
実際に金剛山のサーカスを見た後、確かにすごかったが、ふとまきは幼少の頃、確か、木下大サーカスというのを見た記憶があり、そちらもすごかったと記憶していたので、北朝鮮だから特にすごいかどうかはわからなかった。
ボリジョイサーカスを観る事でのりまきは北朝鮮以外のサーカスを初めて観ることになるわけである。
「見比べてみよう。」
と、力の入るのりまき。結局のところ、見せ方はボリジョイサーカスの方が上手だね〜。という感想だった。それぞれの種目はそれぞれで、甲乙つけがたかった。もちろん、北朝鮮の方がすごいね〜、というものもあったし、ボリジョイの方がすごいね〜というものもあった。
「要は国民性の違いでしょう。笑い方の見せ方とかが、ちがったよね。北朝鮮はどちらかというと我々日本人に似ているよね。ボリジョイはロシアだから手も長くってなんか最後のポーズとかが決まるんだよね。すっ、って感じでさ〜」
と述べている。金剛山では動物のサーカスはなかったが、それは
「北朝鮮では経済的に動物を買えない=飼えないんじゃないのかな〜?」
というふとまきの感想に
「クマならいるはずよ〜」
と言っていた。

1月7日(水)
実はふとまき、3日に大変なことをしでかしてしまったのである。ふとまきの実家の人が来るということで、いつもより車を奧に入れて弟の車をその前に置こうということにした。その、車を奧に動かす時に車をベランダからの雨どいにぶつけてしまったのである。そして、古いエンビのパイプをボキっと折ってしまったのだ。不幸中の幸いは、それがふとまきの家族が来る直前の出来事だったということだった。
まずはのりまきにこっそり報告。のりまきの顔が途端に曇る・・・・・。嗚呼(笑)。
ぶつけた告白は皆がいる時に言おうと決めた。
ふとまきの家族が家に入り挨拶が済んで告白をした。
「人に当てたんじゃないんだから良かったわよ。」というのり母の言葉
で済んだ。が、その後皆が帰って・・・・・。
「こりゃあ、すげ〜や。」
などとのり父に言われてやはり気にしてしまうのであった。

その後も気になっていたふとまき。
今日休みだったので、のり父にお願いしてホームセンターに行ってもらうことになった。
「こんなのよ〜。同じの買ってきてつなげりゃあ簡単よ〜。」
などとのり父は言っていた。しかし・・・・・。さすがは中古物件。同じ太さのパイプが売っていないのであった。
2件のホームセンターに行き、近くの商店に行く。商店に聞くと
「そりゃあ、古い形なんですよ。今は殆ど使ってないんじゃないかな〜。」
「取り寄せとかは?」
とふとまきが聞くと
「う〜ん、ちょっとうちでは出来ないね。」
「他に、こんなの売っている店ないかね?」
とのり父。
「あってもね〜、個人には売ってくれないんじゃないかな」
・・・・・・・。
結局、あくまでも、壊したのは私で、なおすのがのり父である。文句は・・・言えない。あたりまえである。むしろ感謝しなければいけない。が、が、
「自分の友人にそのような仕事をしている友人がいるので、パイプが手に入るか連絡取ってみます。」とか、
「実家の近くにパイプやさんがあったと思うんで行って来て見ます。」
などなど言っても聞き入れてはもらえないのであった。結局のり父のアイディアで、ひとまわり大きいパイプを今の途切れたパイプに入れ込むことになった。

昼を食べ、再びホームセンターへ行ったのであった。
教訓:家の中(敷地)での運転には特に気をつけよ。

本日のり母は、というと一人どこかへ出かけており、
「開店前につくように家を出るぞ。」
といって9:30頃と決めた私たちが家を出る時にはもういなかった。

わが家の構図は・・・。女が強く、男が弱い?
のり母の言う事が私の見たところ、絶対的であり、それに従うがのり父で、のりまきは我関せずを決め込んでいる。のり母はふとまきに気を使ってれるので、のり父はストレスとなるだろう。例えばのり父が
「今度暇な時に車で運んでもらいたいものがあるから○○まで乗っけてってくれるか。」
と言っていたので、休みで暇な時に
「今日は暇なので買い物付き合えますよ。」
とか言うとする。するとのり母は
「ふとちゃんがせっかく休みなんだから、買い物なんていいいい、買い物なんて自分たちで行くからいいよ。気にしないで、休みな。」
などと言ったりする。
「でも、今日は本当、大丈夫ですけど。」
と言うのだが、
「もう〜、お父さん、休みなんだから休ませてあげて。」
とのり父を怒るのである。
では、のり母のいない時に言えばいいんだと(学習効果?)、のり父一人の時に言ったのだが、結局のところ、のりまき両親は現在は両方共働いていないので、ふとまきとのり父が出かければ必ずのり母にばれることになるため、一人の時に言っても
「今日はいいよ。」とのり父に言われるのである。
効果はなし。
のり父はそれにストレスを感じる部分もあるのであろう、今日のように自分が頼んだのではなく、ふとまきの為にふとまきと出かけるのでのり母に引け目もなく、気が楽なようだった。
用が済むと
「ちょっと自分の物なんだけどな。」
となにやら家具売り場へ。
それは随分前から買いたいからつきあって、と言っていたものだった。しかし、在庫はなく・・・・・・。
こんなの買いに来るくらいいつでも言ってよ、お父さん。と思うのだが、のり母の前では頼めないようだ。

のり母がいるとのり父は遠慮するので気の毒になるし、のり母ののり父に対する毒舌を聞くのも辛いが、このように2人で出かけると遠慮なくあれこれの店に
「つきあってやるよ。」
と言いながら、付き合ってくれるので、ありがたいのかなんなのかわからなくなる(笑)。今日は他にも銀行、郵便局、写真の現像を取りに行く、など用足しがあったが、この買い物が済んで家に戻り自転車で出かけようと思った。しかし、買い物終わってまた出かけると
「なんだ、またどこか行くのか?」
と言われるのもなんだしな〜、と思い車の中で
「実は今日、まだこれとあれとそれが残ってて・・・。でも郵便局とかは車停められないので家に帰ってからまた自転車で出ます。」
と言うと
「車の停められる郵便局あるぞ。」
と、結局全部付き合ってくれたのであった(笑)。

1月4日(土)
昨夜思った。
ふとまき実家の訪問は、結局今ののりふとの一家では一大イベントで疲れたことだったが、ふだん顔を合わせる家族以外の人との交流は新鮮だった。今までのりふとの友人は来ても、のり父とのり母と話すことは殆どなかった。のり父の高校時代の話や、仕事に対しての話など今まで一度も聞いたことがないような話が聞けた。こもる生活はある意味楽かもしれないし、人との付き合いも楽しいことばかりでもないが、やはり違った空気に触れるのはわが家にはいいことなのかもしれない。
と、いうことでこれから時には人に来てもらおうと思った(笑)。

これも昨夜のことだが、
観察日記をぶらりと読み返す。
のりまきの楽しい行動は最近見られないと感じた。ふとまきの観察の視点も偏って来ているか。

そんな中久々の・・・。
今日は友人と新年会。友人の家に行った。待ち合わせをした私たち4人が買い物を頼まれていた。デザートもお任せで頼むとのことだった。
ケーキを買うことにする。
ケーキ屋へ。途端にはりきるのりまき。
「わぁ〜、美味しそう。どうやって買うんですか?大きいのを一つにするんですか?それとも小さいのにするんですか?同じ物を人数分にしますか?それとも数種類を3個ずつとかにします?いっそ全部ばらばらっていうのはどうでしょうね〜。けんかになるかな?でも、おもしろそう。」
驚く友人たち・・・。唖然としたらしい。そりゃあそうだ。
「どうしようか〜。」
結局ばらばらに15個買うことにした。
「どうです?食べる時はじゃんけんですか?けんかにならないかな?ケーキは何にしますか?これなんて美味しそうですね。あ。こっちもいいな〜。あ〜、これは洋酒入りで大人向けと書いてあります。子どももいますからね〜。それが子どもにあたったら困りますね〜。」
「子どもにあたってもその親と交換すればいいじゃん。」
とあっさり友人に言われている。
「のりまき、そんなに選びたいんなら選ばせてもらいなよ。」
とふとまき。
「え〜?そうですか?いえいえ、いいです、僕なんて。どうぞみなさん選んで〜」
そこまで言われて他の人が選べるか!
なんだかんだとのりまき選ぶ。
新年会も宴たけなわになってきた。
「そろそろケーキでも」
とのりまきふとまきに言ってくる。
「あのう〜。この人、ケーキ食べたいそうなんですけど」
と皆に聞く。
じゃんけんでもなく、子どもから好きなのを選んで、残り大人も適当に選ぶことに。
子どもが選ぶ時からケーキの箱を覗くのりまき。自分のを選んでふとまきの分まで選んでくれようとするので
「自分の分は自分で選びます。」
と言った。
「ふとまきさんの旦那さん、ケーキ好きなんだね〜」
と笑われた。


1月3日(金)
なんだか、この観察日記もストレス解消に使われているような。
ま、いいか。そう言えば、先ほど2002年の総括も書いたので、興味のある方はご覧ください。

ふとまき一家参上の巻き。
今日はふとまきの実家の皆が昼にわが家に来る日であった。
朝食は7:00ころ。のり父は助惣鱈の鍋のあく抜きについて、昨夜寝ながら考えたそうだ。
「お父さん。えらいじゃん。」
とのり母に言われている。

「朝のうちにセッテイングだけしとこうや。」
というのり父の言葉にのりふとの部屋のこたつテーブルと電気カーペットが下に運ばれる。セット完了。
さすがに数日前から考えたのり父とのり母。手際もよい。
一家が到着する頃料理も仕上がった。

味も美味しく、楽しいひと時が過ぎていく。

終わりよければ全て良し。数々の困難も?美味しく楽しい時間に消されていた。

1月2日(木)
さて、ふとまきは仕事である。
今朝、のり母は
「昨日は眠れなくて。」
と言っていた。3日の料理の事とか考えていて眠れなかったのだろうか。心が少し痛むふとまき(?)。
さて、
のり父、のり母とのりまきが明日の買い物に行ってくれることになった。申し訳ないと思う反面、仕事で良かったと思うふとまき(笑)。
のりまきの報告によれば、朝初詣に出掛けたのり父のり母から11時前に買い物をしたから荷物を取りに来るようにとの電話があったそうだ。のりまき、荷物を取りに行き、3人でお茶をして(美味しいケーキセットだったらしい)、昼食用に寿司を買って帰宅。13時前に昼食を済ませたらしい。寿司もなかなかの味だった(ふとまきは夕食で頂いた)。のりまきの名誉の為に言うとそのケーキセットもお寿司ものりまきの『おごり』である。健気な息子である。更に健気なのは
「うちの両親、ケーキセットが気に入ってくれて、美味しい美味しいと上機嫌でした。」
と、のりまきも嬉しそうに話すところである。一人っ子であるのりまきの幼少時の苦労が見えてくる。
そして・・・・・。
その後、明日の料理の試作が作られたらしい。ご苦労様である。
例のタコの揚げ物は天ぷら(小麦粉)とから揚げ粉と2種類作ってみるすごさ。今日の夕食にはそれら試作も食卓に並んだ。結局食べ較べて小麦粉の方が気に入ったらしく、明日は小麦粉で揚げると言う。恐れいりました、という感じである。

試作を作ると、材料に不足があったようで、のりまき買出しに行かされる。
「そのとき、昼寝をしていたんですよ〜。」
とあとで私に言うが、どうしようもない。

そんなこんなで明日を迎える。

夕食後二人で2階に上がってきたあとののりまきの第一声
「にゃ〜ん。人を呼ばなければ呼んだら?とか言うのに、一度人が来るというだけでこの騒ぎ。一体・・・・・・・。にゃ〜であります。これからも人が来る度にこれなんでしょうか・・・。」

ふとまきはその後、実家に電話。明日の時間の打ち合わせである。
ざっと、試作までしてのおもてなしだと説明。時間には厳守して欲しいと伝え、更には空腹にしてくるようにと付け加えた。
「なんだか行くのが申し訳ないね〜。」
とふと母が言う。
さあ、どんな一日になるでしょうか(笑)。

1月1日(水)
あけましておめでとうございます。
今年ももりだくさんで観察日記がはじまるでしょう(笑)。本年もよろしくお願い致します。
今日はふとまきは元旦勤務。のりまきは一人で金剛山の調べものや、ネットサーフィンをしていた様子で昼ご飯以外は部屋から出なかったらしい。
夕食時のり母
「まったく〜、1日あんたは一体何してるの?まったく、おかしな子だよ。」

さてさて。3日はふとまきの実家の皆がわが家にやってくる日となっていた。引っ越し当日にふとまき母が家を見に来て以来でふとまきの弟もお嫁さんも妹もまだ新居を見ていない。どうせ見に来てもらうなら仙台に転勤になっている弟夫婦がこちらに来ている方がいい、ということで正月に皆に来てもらおうと思っていた。のり父のり母は特に「来てもらったら?」などとは言わない。だからふとまきから
「弟や妹がまだ家を見ていないので、正月に家族の皆に来てもらおうと思うんですけどいいですか?」と11月ころに聞いてみた。
「べつにいいけど〜。」
とのり父
「そうよ。まだ来てもらってないんだから、来てもらって〜。」
とのり母。
そういうわけで正月に来てもらうことになった。いつにしようか?・・・
・・・・・・・・・・ふとまきの1月の勤務表が出来た。1月1、2日が日勤。3日、4日が休みであった。1、2日でも夕方なら空いてはいるが、そうなるとのり父、のり母に料理をしてもらうことになるので、3日の昼間にすることにした。その方が自分が準備が出来ると思ったのである。ふとまき実家の皆も大丈夫だった。そんなわけでふとまきは自分の家の者が来るので3日に買出しに行って、鍋か何かつつけばいいとおきらくに考えていた。

のり父、のり母がそれでいいわけがなかった。
まず、朝食後、ふとまきが仕事に行く準備があるので先に2階へ上がってきた。その後数分してのりまきが2階へ。
「ふとまきさま、またあのせっかちな親たちが3日の料理は決めたのか?買い物はどうするんだ?などと聞いてきました。3日に買い物に行ってたんじゃ間に合わない、とまで言っています。どうしますか?」
としょげている。
う〜む。
朝、出掛ける前にのりふとでメニューをだいたい考えた。ふとまきが出勤する時
「のりまきに言っておいたけど、3日の買い物2日にはしといた方がいいぞ」
とのり父。
「夕方話せばいいじゃないよ。」
とのり母。
気が重たくなるふとまき(苦笑)。
夕食時に3日のメニューを皆で決めた。鍋が主体で、あとはサラダとのり母の得意な料理を数品。それで充分だと思った。するとのり母
「若い人が来るんだから何か揚げ物でもした方がいいんじゃないの?どう?」
と言っている。
「はぁ〜。まあいらないとは思うんですが、確かに揚げ物もあればあったで食べるとは思いますけど・・・。」
とふとまき
「そうだね。確かにアクセントにはなるよ。」
とのりまき
「鍋もあるんだしよ〜。他に料理も作るんだ、揚げ物なんていらねぇよ。」
とのり父
「お父さん。お父さんのような年じゃないんだよ。若い人が来るんだから。食べる量だって私たちとは違うよ。ねぇ〜」
とのり母
・・・・・・・・・。何といっていいのかわからぬのりふと。のり母としてはタコのから揚げで美味しそうだった料理を知っているらしく、それなんかどう?などと聞いてきた。
「タコですか?美味しそう。そりゃあ、まあ、あれば食べるでしょうけど・・・。でも大変だったら無理しなくても・・・・・・。」
などなど
なんだかんだと色々意見が出たが最終的には揚げ物も数種類作ることになった。

「じゃあ、明日はタコの揚げ物の練習だ!」
え???練習までするの?いいよ。と心で思うふとまきだったが・・・・・・・・。