のりまき観察日記2002年C11月・12月


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12月31日(火)
厳密に言えばもう1月1日で、この日記も2003年バージョンに切り替えないとならないが、なにしろ今日はふとまきが元旦勤務なので、睡眠時間を考えてこのままのページで2002年のしめくくりとしたい。
31日は岡田さんの個展に出かけたが、途中電化製品ショップに寄った。29日の忘年会で相当楽しくて、なぜか金剛山観光について書かれたHP探しや新しくするというHPの更新に余念がないのりまきはそれ以降、韓国語の金剛山観光のHpも真剣に見出した。そうすると困るのが言葉である。
「どうせやるならとことんやんなよ。」
とのふとまきのススメ?で、韓国語の翻訳ソフトを見ることにした。
もう一つは今朝のり母が
「あんたは、いつも寝てばかりで・・・。ちょっとは働きなさい。運動だってしないと体が変になっちゃうよ。」
と年末年始休みに入っているのりまきに言っていた。のりまきのみ休みの日には昼ご飯以外下に降りない様で、のり母はずっと寝ていると思っているようだった。思わず
「まあ、寝てばかりでもないようですよ。なにやら研究してるんだよね〜。」
と一応フォローのつもりでふとまきが言う。
「何が研究だよ。家のことをろくろく手伝いもしないで。」
と言うので、
「大物は家のことなどしないで、研究にいそしんでもらって。」
と更に言うが
「だめだめ。こんなの。本を書くったって偏った本しか読まないし、研究ったってあちこち手をつけてこれっていうもんが無いんだよ。ふとまきさん、こんな人に期待なんてしちゃあだめだよ。無理無理。」
そうかな〜。
「いや〜。とことんやって欲しいですね〜。」
と言うがなんとなく気まずくなり2階へ。そんなこともあってソフトでも買おうよなどと言う事になったのだ。やれ〜、のりまき!
ソフトは数種類あり結局もう少し下調べをしてから買うということになった。が、のりまき売り場で大声であれこれ言っている
「はっは〜ん。そうか。いや、ちょっと待てよ。僕が必要なのは・・・。ふ〜む。これだと便利だけとちょっと高いな〜。」ぶつぶつぶつぶつ。
ソフトを見た後は
「ちょっとパソコンも見たいな〜」
とパソコン売り場へ。ゆくゆく買い替えるものを見ている。その後、カメラを見たいというので、カメラ売り場へ行くが、???ここ最近カメラが欲しいなんて聞いたことないぞ〜。と思っていると
「いや〜。今度金剛山の陸路が開始になったら、持ち込んで良いカメラぎりぎりのを持って行こうかな〜って思ってるんだ〜。これなんてどうかな?いや〜、これは重いな。」
そんなこと聞いてないよ。
しばらく見た後デジカメ売り場へ。
「でも、これからの時代デジカメ1本にしぼってもいいよね。こんなのとか、あんなのとか・・・・・。あ、防水がある。これもいいね〜。何しろこの間は雨で参ったからね。僕たちみたいな旅行をする者にとってはこんな防水用のも必要だね〜。」
はぁ。のっているな〜。まあ、勝手にやってちょうだい。

そして。家に着く。
英語での北朝鮮の旅行記の感想メールが寄せられた。
「ちょっと、見て。」
と声が上ずっている。
エクセレント!!とかなんとか書いてあり、私でもなんとか読めそうな英文だったがふとまきをパソコンの前に座らせ
「いい?僕が今から訳すからね。」
と言っている。あ〜。テンションがあがる。もうこうなれば、お金もつぎ込んで徹底的にやってもらおうじゃないの。って気分である。

12月28日(土)
ふとまき母の姉の家(埼玉県)での餅つきの日。
毎年恒例の餅つきの日。たいていふとまきかふとまき弟が運転手となり、餅や野菜をもらいに行く。のりまきは今まで仕事納めの日でありあまり行ける機会がなかった。
今年は土曜日であり、のりまきも参加。会社に勤める従兄弟なども集まった。
好奇心旺盛ののりまきは色々なことに感心やら驚いてせっせと手伝いをしていた。
のりまきは結構『まめおくん』であり、お手伝いが好きなことが判明。我が家でやらないのは、やることなすことけなされるからなのかもしれない、と思った。

12月27日(金)
恐怖の、ソファーの届く日。
まず、26日の夕方に27日のお届け時間の電話が入ることになっていたようだった。その電話が来るのも待ちに待っていた様子。ふとまきが仕事から帰った時に丁度電話が鳴った。それがソファーの配達時間の連絡だった。
「ようやくかかってきやがった。」
とのり父。で、11時頃から13時頃との指定だったようだった。

そして今日・・・・・。
約束の時間の前に届いたらしい。
「まったくよ〜、家にいたからいいようなものの。あれでいなかったらどうするんだろうな〜。まったくいい加減だよ。」とのり父
のり母も
「本当にいい加減だね〜。」
と言っている。営業事務でクレーム電話対応などもしていたふとまきが
「私も良くクレーム電話とかとったり、納期の確認の電話とかに出てましたけど、たいていは早めに言って遅れるより長めに言って早い方が文句がないので、だいたい遅めに言ってましたけどね・・・。」
というが、ぜんぜんフォローになってない。
「あれでいたからいいようなものの、いなかったらどうするんだよ。」
と続くので
「まあ、自分で言った時間より早くていないんだからまた出直したでしょうけど・・・。」
と一応言っといた。

12月26日(木)
今日はふとまきの誕生日。昨日も
「明日は私、誕生日なんだ〜。」
と宣伝した。「そうだね〜」
などと覚えていたようなふりしていたが、あの様子では忘れている。
今日も何も言われない。寝る頃になって
「今日、誕生日なんだよね〜」
と言うと
「あ!!忘れてた。」
ま、正直でよろしい。

12月25日(水)
無事クリスマスイブ、終了。なんと言っても大騒ぎ一家である(笑)。
このまま行くと、この日記。のりまきよりのり父、のり母の方が多く登場するような・・・。

今日は台所のテーブルが届く日であった。引っ越し後あれこれ探したりしてようやく気に入った(もちろん値段的にも)ものがあり、それが今日届くことになっていた。さあ、のり父とのり母。待つことが嫌いなのである。
今回、家を買うときにも(のりふとはアパート、のり父、のり母は二世帯で住むには無理があるような家に住んでいて、それを売って今回二世帯でも住めるような中古物件を購入した。)色々な人と色々なところで打ち合わせなどをしたり、家を見に行ったり、引っ越しする時にも運送会社や様々な業者が来たりしたが、何せ待つことが嫌いなのである。
午前中との約束で11時を過ぎようものならイライラして来るし、12時をまわろうものならもうそれは大変だ。
不動産屋や工事などは比較的時間に正確であったが、引っ越し関係はなかなか、ルーズであった。すると〜。いらいらいらいら。
「まだ、1時間あるではないですか。」
などと言っても聞く耳を持たない。一番大変だったのは引っ越しの後のダンボールの引取りである。そのうちそのうちとか言いつつ一ヶ月も過ぎ、もう大変だった。血圧があがるというものだ。
今日もテーブルが時間通りに来ないと大変だな〜。
と思ったが、運良く前々から友人と会う約束になっていた。内心
『ラッキー』と思って出かけたふとまき。
午後、家に着くとテーブルが来ていた。更に今日は想定時間の前に届いたようで、のり父、のり母のご機嫌も良好であった。

して、のりまき帰宅。
「のりまき、来たよ。ほれ。」
とテーブルのことをのりまきに報告するのり父。
「はぁ。」
テーブルを見てもこんな返事である。多分父は
「いいですね〜。」とかなんとか言って欲しかったのだろうが。のりまきはなんだっていいのである。

もう一つ、リビング?のソファーのような椅子があさって届くらしい。
その日もふとまき、幸いにして仕事なのである。

12月24日(火)
いや〜。今日はクリスマスイブである。結婚して二人暮らしの時にはクリスマスイブだからと言っても
「ケーキ屋も混んでるしね〜。空いている時に美味しく食べた方がいいよね〜」などと何にもしないで過ごしていた。
しかし・・・・・。
のり父とのり母は
「うちはそんなに何にもしないよね〜。ね、お父さん。」
とか言いつつ数日後には
「24日は何にする?チキン?それとも焼き肉にでもする?ケーキはどうする?」
などと聞いてくる。
結局料理はのり父とのり母が。ケーキをのりまきが買うことになった。
のりまきが
「どんなケーキがいいですか?」
と4人揃っている時に尋ねると
「なんでもいいよ。駅でもなんでも24日になら売ってるだろ。あ〜いうのでいいんだよ。形なんだから・・・。」
などとのり父は言うので、のりまきは特に予約もしなかった。
今日はふとまき夜勤明け。夜勤から帰りにはわが家の最寄のK駅の構内でケーキの販売をしていた。それを見て何でもいいと言われたからのりまきここで買ってくるのかな?などと思いながら通過。家に着くと。
もう買い物を済ませた両親が家にいた。のり母が
「ふとまき、駅の見た?ケーキ売ってたね。」といってくる。
のり父は
「あんなのどこか聞いたこともないメーカーだったよ。あんなところじゃあ買わない方がいいよ。どこのだかもわかんないしまずそうだったよな、母さん。・・・」と言っている。
「はい、見ました。メーカーまでは見なかったですけど、あんなところで売っているなんて驚きました、でもみんな帰りあそこに辿り着く前にケーキ買ってきちゃうんじゃないのかな〜?」とふとまきが答えると
なんでも、朝、そのケーキを販売していた場所に
『本日ここでケーキの販売をします』
という看板が立ててあったそうだ。K駅というのは駅の売店以外には何もない閑散とした駅であり、ケーキの販売があること自体が意外なような場所である。

夕方。のりまきから電話
「今日はなんでもK駅でケーキ売っているそうなのでそこでケーキ買って帰ります。」
やはり・・・・・。
「なんかね〜、のり父、のり母が買い物であそこを通って見たらしいけどまずそうだったって言ってたよ。だからあそこでは買わない方がいいと思うよ。」
「なんでしょうね〜。まったくうちの親は。何でもいい。その辺で売っているケーキでいい。と言うから朝看板を見てそこで買おうとしたのです。」
とのり。
「・・・じゃあ、一つ先の駅まで行って買ってきます。」
と、半分いじけ、半分やけになるのり。
「でも、仕事帰りに先の駅まで言ったら帰る時間が遅くなっちゃうじゃん。帰りが遅くなるとまた大変だよ。私が買いに行くよ。」

そして、台所にいたのり父に聞く
「今携帯に電話あったんですけどのりまきK駅でケーキを買うといってるんですよ。」
「え〜?あんな変てこなの?」
やはりのり父はあそこのでは嫌なのだ。
「そう、だからK駅のケーキの話し(あまりおいしそうでない)をしたらE駅まで仕事の帰りに買いに行くと言っているんですが、それだと帰りが遅くなるので今から私が買いに言ってこようと思うんですけど。」
するとのり父
「買いにいってきてもいいよ。でも、そんな、わざわざE駅まで行くこと無いよ。あそこにケーキ屋があるだろ。そこでいいよ。」
と歩いて行けるケーキ屋を指定した。
歩くこと25分。ケーキ屋は大変混んでいておまけにデコレーションケーキは予約で19:30にならないと出来ないという。
のりまきから
「のり父のり母は『丸いケーキ』が食べたいんだ」
と聞いていたふとまきは考えてしまった。
と、仕事が終わってケーキの件が気になっているのりまきから携帯に電話が。
経過を報告すると更に落ち込むのり
「だから言ったんですよ。どんなケーキが食べたいのか?って。そしたら何のケーキでもいいと言ったじゃないですか。それだから予約もしなかったのに・・・・・。こんなことなら美味しいケーキ屋で予約しておくんだった。どうしましょう。まったく・・・・・・・。」
「でも、両親は丸いケーキが好きなんでしょう?今から横のスーパーにあるケーキ屋も見てみようか?」
「いや、スーパーのケーキ屋なら駅のも一緒です。」
「ショートじゃ嫌なんでよね〜。」
「そうなんです。だから予約しましょう。でもその前にとりあえずふとまき家に電話してそのようにします、って言ってもらえませんか?それで良ければ予約してください。」
なんだよ。私が言うのかよ〜・・・。
仕方がない。家に電話する。
「ケーキ屋まで来たんですけどすごい混んでて・・・・、丸いのは予約で19:30になるそうなんです。ご馳走を食べて取りに行くと時間的には丁度良いので予約しますけどいいですか?」
「え?予約?ったく。じゃあ、もういいよ。」
と電話口で機嫌の悪いのり父。
折り返しのりまきに経過報告。

結局また歩いて家に帰り、焼き肉をして、のりまきと歩いてケーキを取りに行った。
美味しい丸いケーキを食べられたのり父は御満悦のようであったが。
ケーキ一つでここまで苦労したのはふとまきの人生始まって以来のことだった。

のりまきがある部分で用意周到なわけがだいぶわかってきた。

12月23日(月)
いきなりのりまき
「あのね〜、色々考えたんですけどね。僕、職場が変わった(公僕なので勤務の移動がある)あと2、3ヶ月後に必ず体調崩しているんですよ〜。今回のもね、引っ越しして2、3ヶ月なんで、それが原因かな〜と思ったんです。」
何をいきなり
「え?なんのこと?」
「先日の下痢と吐き気です。」
「あ〜、そうか。そういえば引っ越ししてそのくらいだもんね〜。環境の変化に敏感だってことですね。」
「そうです。」

12月22日(日)
先週勇気を出してのり父のり母に言ったことで(17日参照)なんとなく居心地が良くなってきた。

12月20日(金)
朝から、流れる韓国の選挙の結果のニュースを見ては一人でぶつぶつ独り言を言っている。
「いや〜、どちらかというとアメリカ的だよね。商業学校卒業で独学で司法試験合格したんだって。盧さんはどちらかというとふとまきが好きなタイプだよね。なんか、北にとって都合が良さそうにみえるけれど実は手ごわいんじゃないのかな〜。じっくりしつこく責めるタイプなような気がするな・・・。」

12月19日(木)
のりまきの体調もようやく復帰。ふとまきが夜勤から帰るとのりまき父が
「あいつもへたりながらようやく仕事に行ったよ。」
と言っている。ふとまきは今日は職場の忘年会。夜勤明けで寝たあと某ホテルへ。のりまきは体調が万全でないということで午後は出張を組んで早めに帰宅。ふとまきが家を出る前に帰ってきた。さすがは公僕。
ふとまきが忘年会へと支度をしていると
「ま、気をつけていってらっしゃい。2次会は行かないと行っててもどうせ行くんでしょうから。僕は今日は韓国の選挙の結果がわかるまでは起きていると思います。いや〜ね〜、昨日今まで応援していた人がいきなり応援をやめるなんてことになったから一体どうなるのやら。目が離せません。だってね・・・うんぬんかんぬん・・・。」
もう私は出発。聞いてはいられない。しかし、しゃべりだしたところを見ると体調も戻って来ている。
「行ってきます。」と家を出る。

結局のところふとまきは2次会へ。2次会でのりまきのことも知っているNさんが
「ふとまきさんのところってこういう時にはご主人何してんの?」
と聞いてくる。
「はあ、まあ、いつもは本読んだりインターネット見たりしているんですけどね。今日は何でも韓国の選挙の結果が気になるらしいですからずっとネット見てるんじゃないかな〜?」と答える。
「へぇ」
まあ、そうしか答えられないよな。更に
「そういえば、最近引っ越して同居したんだって?ご主人って兄弟いるの?」
「一人っ子なんですよ。」
「そうか〜、そりゃあ、大変だな〜。あ、でもあのようなご兄弟がもう一人とかいたらもっと大変か〜。」
さすがは職場の人間関係のことなら何でも知っているという人間ウォッチャーのNさん。わかっている。
「そうですね〜。ま、家族で変わっていますよ。」
と、一応答えておいた。
2次会が終わると携帯にのりまきメールが。
そこには韓国の選挙の結果が書かれていた。『・・・・・・略・・・・・・選挙の結果もわかったので先に寝ます。』夜道が危ないので迎えに行きましょうかなどというメールは?あるはずがない。
しかし、ふとまきが遅くなっても怒るわけでもないし、いつも飲み会に気持ちよく出してくれるのは本当にありがたい。

12月18日(水)
のりまき、今日も休み。食欲が全くでないらしい。
のりまき父に「ま、あんたは仕事にいたっていなくったってどっちだっていい存在なのよ。」
などと言われている。
ふとまきは夜勤。午前中は二人でお休み。ふとまきの出勤前にのりまき
「あ〜、ふとまきがいないと心細い。」
などと言っている。アパートに二人でいたころにはないお言葉。と、いうことは父母がいる場合においてふとまきがいた方が心強いということらしいが、実の親子だろ。と思うのは私くらいなものなのだろうか。

12月17日(火)
のりまき、昨夜より下痢と嘔吐でダウン。今日仕事を休んだ。昨夕あたりに
「ちょっとお腹の調子が悪いので今日はもう寝ます。」と言った時には
何言ってるの?また〜、おおげさだな〜などと思っていたがふとまきが寝る頃
トイレに駆け込み
「ふとまき〜、吐き気が・・・。」
と言った後にかなり吐いたのを見て少々反省。しかし、私はなんともないので、食中りではなさそうだった。夜中も何度もトイレに行っていたようだった。
自分で身体が弱いと言っていたのりまきは、そのような時の対応も心得ており、看護師などと名乗るふとまきが情けない位に“今何をすべきか”という事を知っている。仕事を休んだがまだ体調はいまいちである。関西では色々楽しかったのでテンションも高かったが、今日は元気も無く静かでお通夜のような夜である。

ちょっと気がかりなこととしては、同居のストレスかもしれない、ということである。
旅行前に
「遊びすぎ」だと父に言われたので旅行前は先手を打って
「大掃除などはどうしますか?」「車での買い物などありますか?」などなど年末にすべきことを確認してみた。
「大掃除はしない」ということだったので特に何もせずに関西に行った。家に帰るとと私たちが主に使う部屋のカーテンの裾が縫ってあった。どうやら私たちの部屋のガラス拭きもしてくれたらしい。大掃除はしないと言っていたのに・・・・・。カーテンの方はレースの方と厚手の方との丈がかなり違っていたので長さをあわせようと短い方の裾をほどいて洗い、時間のある時に何か他の布を足して長さを合わせようと思っていたものだった。洗濯もしてくれたようだった。まあ、縫ってくれていたことはありがたかったが。私たちが主に使う部屋でもあり自分たちのペースでやりたかった。カーテンの洗濯もつい最近したばかりだった。そしてそれを「お母さんがカーテン洗ってくれたんだぞ」と恩を着せられたので、ふとまきは今後、自分の身を守る為にも、カーテンは先日洗ったし裾挙げは自分もやろうと思っていたんだということと、自分達のことは自分たちのペースでして行きたいということを両親に言う必要があった。そのことをのりまきに言ったのだ。
「今日、4人で揃っている時に言わせてもらよ。」
のりまきの体調が悪くなったのはその後からだったのだ。結局、ふとまきがカーテンの裾があがっていて驚いたこと。カーテンの洗濯はこのあいだしたという事を伝えたあと、そんなこと結婚前は自分から言ったことがなかったというのりまきが両親に向かって「僕たちの事は僕たちのペースで一生懸命やりたいと思います。至らないところはたくさんあると思いますが、そんな時には先に言って下さい。」と言ってくれた。
のりまきありがとう。ちょっと感動的なシーンであった。
今、のりまきは横の部屋ですやすや眠っている。

12月16日(月)
ただいま〜。関西より無事到着。有意義な旅だった。
深夜バスで朝の4時40分位にA駅に到着。デニーズで始発までお茶を飲み、朝6時前に家に着いた。
のりまき両親私たちが発った次の日、自分たちが案内したバス乗り場が正しかったのかA駅まで見に行ったそうだ。まあ、他にも用事があったのだろうが、帰るなりのりまき母
「私たちも次の日バス乗り場がどこか見に行ってきたよ。お父さんが言った通りの場所にあったね。夜も2時まで開いているコーヒーショップもあったよ。あんたたちわかった?」
「いえ、それはわからなかったというか、バス乗り場の前のバス会社が、中に入れて座れるようになってたんで、飲み物買ったらそこにいました。」
とふとまき。
「へ〜、入れたの。お父さん、入れたんだって。暖房効いてるの?そうなんだ〜。いや〜、2時まで開いているところ見つけたからね。ね。お父さん。」
「そうだよ。な。」
と父。
「はあ。・・・・・。それは気がつかなかったな・・・。」とふとまき。
実はバスに買い込むビールを探すのに時間がかかって、喫茶店など探しもしなかったのだ。
「で、今朝は何時についたの?で、電車が出るまでどうしてたの?」
「4時40分頃ついちゃいまして、デニーズでお茶しました。」ここらで荷物を置いて2階から降りてきたのりまき。
「デニーズ?A駅にそんなものあったっけ?ねぇ、お父さんデニーズなんてあった?」母
「あったかな?」
「ホームから見えるところでホーム沿いになるんですけど、あったんですよ。そこが24時間営業だったんです。」ふとまき。
と、まあ、夜も朝も時間がつぶせることがわかったのりまき両親
「私たちも季節が良くなったら利用してみようかななんて言ってたんだよね。お父さん。」

〜2002年冬関西の旅〜の巻き
今回もまた、ふとまきの友人の一家にお世話になった。友人のみならず、旦那さん。ご両親、妹さん、そして妹さんの旦那さんとお子さんにまで・・・。ありがとうございました。この場も使って御礼致します。お世話の程度は読むとわかると思います。
しかし、そこでもここの日記の話題となった。話そうとすると知っている。『あ、そうか〜のりまき観察日記に書いたんだ〜』と思ったことが結構あった。ありがたいことである。その上、ふとまきの味方であるので、本当に嬉しい(笑)。
ところで、書いたかどうだか忘れてしまったが、今回の関西旅行は当初ふとまきの学生時代の女3人の集いで、予め休みを取っていたものだった。しかし、四国から来るはずの友人が来れず、女の集いは出来なくなった。その変わりに?のりまきが行くことになったのだ。
こちらもその頃、金剛山の陸路観光が始まるとかどうとかで日本第一号を目指すのりまきとしてはそれも狙いたかった。なんだかんだと私も行けば行ったで面白いので、金剛山か関西かで迷ってた時期もあった。が、結局陸路観光は開始にならずに関西に行けたのだった。

12月13日(金)
朝、京都着。今回往復深夜バスにしようと言ったのはのりまきだったはずである。経済的に、また乗る場所を考えても(新横浜までは引っ越しによって更に遠くなったので)、また時間を有効に使えるという意味でもバスがいいとのりまきが言ったのだ。あ〜、それなのに
「ふとまきは良く寝れましたか?」
「うん、よく寝たよ。」
「そうでしょう、そうでしょう。横を見るといつも寝てましたもんね。」
「そうですか。でも、のりまきだって私が横を見るとすやすや寝ていましたよ。眠れなかったのですか。」
「はい。あまり眠れませんでした。困ったな〜。どうしようかな〜。疲れちゃうな〜。」
あ〜、これなら新幹線にすれば良かった。
結局、事前にも一応お願いしていたが、たいていならはた迷惑な仕事前の朝の8時に友人宅にお邪魔し休ませてもらうことにした。友人は既に出勤。旦那さまがおられ、恐縮しつつ勝手に風呂を沸かし入らせてもらい、更に旦那さまが仕事に出られたあとぬくぬくカーペットで仮眠をとり昼前より活動を開始した。
・今日の目的は金剛山の関係書物を探すこと。
本はふとまきも好きだが今回はのりまき、ゆっくり探したいと言うのでふとまきは映画でも観ようと考えていた。しかし、なんだかんだと映画を観るほどの時間はなかったし、特に観たいと思う映画もなかった。そのため、のりまきに付き合うことに。ネットで調べていたなんとかとかいう古本屋は定休日で閉まっていた。とたんにしょぼくれるのりまき。その本屋、支店は開いているというので住所を頼りに地下鉄に乗る。結局、そのネットでの住所は古い住所だったらしく、探せどもない。更にしょぼくれるのりまき。仕方がないからふとまきが電話で道を聞く。元来調子がいいふとまきは話半分位聞いて「はいはい」と返事するのでなかなか辿り着けない。道を聞くということがどうものりまき、出来ないらしい。
結局、ふとまきが主であったはずの関西の旅がのりまきに付き合うことになってしまった。
結局、金剛山関係の本が買えたのは前にも行った事があったお店。17500円なり〜。

夜は友人の実家へ。
夕飯をご馳走になり、知り合いにも声をかけて下さっていてご夫婦で会いに来てくださった。いつもはもっと人数が多い中のりまきと話をしただけだったそのご主人、今回はじめてのりまきの話をゆっくり聞いたようだった。
「しかし、のりまきさん。マニアックですな〜。」
と感心?されていた。

12月14日(土)
今日は金剛山観光がご縁で知り合うことが出来た方とお会いした。
ふとまきから見れば、なにか恐れ多いお方とお会いするという感じである。とても有意義な時間となった。
その方はのりまきの金剛山への興味を良い意味で評価してくださっており、
「奥さんも、ちょっとのことは多めに見てこれからも外に出してあげてください。」
というようなことをふとまきは言われた。
昨日はちぇっ。古本で17500円かよ〜などと思ったが、このような方に言われると、もっと買ってもいいよ。などと思うのだから私もひどいものである。
しかし、今日のその方とのお話でのりまきが、更にこれからも金剛山に注目しよう!と決意したということは言うまでもない。
やるならとことんやれ〜。というところである。

夕方友人実家に戻ると妹さんとお子さんも来てくれていた。のりまき、結婚して私の友人の子どもに触れるまで子どもと触れ合ったことがなかったとのことで、子どもには不慣れである。触り方もぎこちない。なんと声をかけていいのかもわからないのか、
「いいか〜、将来男泣かせの女になるんだぞ〜。」とか「おじさんが気を送ってやるからな」などと言って子どもに呆れられている。しかし、あの存在だけで笑いが出るようなところのあるのりまきは案外子どもには嫌われないようである。その上友人の妹さんに
「僕にお子様の教育係りをさせなさい。無料でやりまっせ。洗脳教育してあげますよ。」などと言い妹さんにまで呆れられている。
しかし、友人ご一家はのりまきの対応が上手く
「のりまき氏、あなたのお子さんで見本を作ってからにしてくださいよ。のりまき氏のお子さんを見て、あ〜、あのような子どもにしたいと思えばお願いしてあげます。」と言われている。

私たちが夕飯も終わった頃、友人の妹さんの旦那さんもお仕事を終えて会いに来て下さる。お疲れのところ、ありがたいことである。HPもたまに見て下さっているようであるし、好奇心旺盛の私たちの心をくすぐるような情報提供者でもある。しかし、のりまきはそんなこともお構いなしに
「では、先に寝ます。」と寝てしまうのである。

12月15日(日)
本日の予定。
・樋口製茶場茶へ行く
・『滋賀サファリパーク』へ行く
・大竹さんの個展に行く→馬場さんと4人で食事
この予定に近江牛の昼食と牛肉のお土産購入が加わった。
のりまきが良く遊びに行くHPに『滋賀サファリパーク』の紹介がしてあった。それを読んだ時から関西に今度行く時には行ってみようと言っていた。開館日が日曜日のみとのことで、今回では今日しかなかった。場所は信楽の近く。友人の家から信楽に向かい車で出かけることになった。車で出かけることになった、などと簡単に書くが、14日も友人が送迎してくれ、そして今日も信楽まで約40分私たちにつきあってくれた。しかも、のりまき、普段私の友人が運転の時には後部座席に座るのだが、のりまき、その友人とは気が合うのか、助手席に進んで座っている。

友人の運転が上手いので、「あ〜!!危ないっ!」などと助手席から騒ぐことはなかったことは良かったが、「いや〜、今のお店ふるってますね。見ましたか看板。」「僕は静岡ですが、それにしてもこのあたりの茶畑もなかなかなもんですね。」などと独り言ともとれる発言を連発していた。
その途中にある樋口製茶場、御茶屋さんは友人に前にも連れて行ってもらったお店であるが、お茶がとても美味しい。更には店長さんがお茶に詳しく、何でも知っていてそのお茶の話を聞くだけでもお店に行く価値がある。売っているのだから詳しくて当たり前ってな範囲をとっくにとおり越している。能書きのりまきもさすがにこの店長にはかなわない。かなわないが、かなわないことを認めたがらないのりまき、質問はせず私と友人の質問を横で盗み聞きしている。へそまがり。
美味しいお茶も入れてくれ、同じ葉で入れるたびに味が変わるという体験もそこで初めて味わった。(一回目はなんとかという成分が出て甘く、2回目は今度は別の何かが出て来て云々カンヌンとかそのように味が変わる)。のりまきは前回そこで買った葉番茶がまた欲しいと言う事で連れて行ってもらった。今回も些細な質問にも大変丁寧に答えてくださり、結構長い時間御茶屋さんにいた。
友人は最初滋賀サファリパークまで私たちを連れていってくれたら、私たちを降ろして次なる目的地に向かうはずだった。が、
「その博物館、そんなに時間がかからないんなら、一緒に行って、そして次の目的地の途中でおろしたるわ。」と言ってくれた。その方が私たちは夕方の行く京都に近いので大助かり。そんなことで、結局はかなりの時間運転をさせてしまうことになった。
のりまきはたいして恐縮もせず、「そりゃあ、助かります。」と答えていた。
そのお礼にということでのりまきが昼食をおごった。私も一緒におごってもらう。美味しかったよごちそうさん。
滋賀サファリ博物館については後日のりまきが何か書きたいようであるので、ここでは省略する。
この日のもう一つの特記事項は、のりまき両親へのお土産である。近江牛の美味しいお店があると聞き、牛肉をお土産にしようということになった。その辺はのりまきのえらい?すごい?ところである。のりまきは『両親にお土産であまり気に入られたことがない』ということを気にしている。どこへ行っても両親へのお土産は慎重に選ぶ。慎重かつ高価なものが多い。それでも北陸の旅行の蟹の時に喜んだくらいだったそうだ。
ふとまきは家族へは殆どお土産など買ったことがない。いつも感心すると同時にこんなにして選ぶのりまきを健気だと思ったりもする。友人も「家になんて買わないらしく、女二人で感心していた。
「それでも、蟹よりは安いのよ。」
とのりまき。両親の前では健気である。

夕方〜夜も楽しみ、あっという間に帰りのバスに乗り込むことになった。
今回も友人、その一家にお世話になり、元気ももらい、楽しい旅となった。

12月12日(木)
金剛山の陸路からの観光については、ここ数日ニュースにとりあげられていないようだ。
結局、関西に行ける事になった私たち。今回は深夜バスで往復する。只今出発前。引っ越ししたので今回は始めてのバスターミナルよりバスに乗り込むことになっている。
今日の夕飯(のりまきの両親とのりふとの4人)ではバスの乗り場の話になった。ふとまきやふとまき実家では、「口があるんだからわからなかったら聞きなさい。」と、「まあ、なんとかなるよ。」でだいたいこの程度のことは過ごしてきた。しかし、のりまきの両親は違うのである。
「今回Hから乗るっていうけどあんたたち乗り場わかるの?」と母。
「まあ、チケットに書いてあるし。だいたいはわかるよ。」とのり。
すると母
「だいたいって・・・。あんたたちもいい加減だね。全然違う方だったらどうするの?」
「まあ、なんとかなるよ。わかりそうもなければ駅で聞くし。」とのり。
「そんなこと言って、バスが出発しちゃったらどうするの。早めに行きなさいよ。寒いけどね。あの辺にお茶飲めるようなところあったっけお父さん・・・。なかったんじゃないかな。そしたらあんたたちどうするのよ。」
「まあ、いざとなれば飲み屋に入ればいいよね、のりさん。」ようやく言葉が出たふとまき。
「外は寒いよ〜。だいたい夏に深夜バスで旅行に行くっていうならわかるけど、こんな寒い時期に夜のバスなんで私には信じられないね。あんたたちも物好きだね。で、チケットには場所はどこだって書いてあるの?いいからそれちょっと持って来て見せて見なさい。」
私たちは35歳だ・・・。
夕飯終わって
「じゃあ、チケット持ってきます。」
とのりまきチケット取りに行く。
その間、なんと答えていいかわからずふとまき無言。父は何度となく私の顔を見ている・・・(苦笑)。
チケットを見た母。
「場所がわからなかったら、○○のところに交番があるからそこでおまわりさんに聞きなさいよ。」

違う環境で生きてきた人が生活をするということはこういうことだ。

12月2日(月)
まだまだ覚めやらぬ、金剛山への熱は続いている。韓国から陸路での金剛山の観光コース(ツアー)が少し前から出来ると言われていたのだが中々・・・難航しそうだった。
「日本からの陸路コース第一号を狙うっていうのもいいよね〜♪」
などと言っていたので更に念入りにニュースを見ては
「まあ、年内には無理だろう。」とか
「もしかして年内ってことも考えられるかもよ。」
とか言っていた。最終的にもし行くとしても(なぜかふとまきも行くことになっているのだ)ふとまきが12月の勤務の希望を書き入れる11月中旬にはいつ頃開始になるのかを予測していつ何泊するのか答えを出さなければならなかった。
「どうする?来月の勤務表の締めは明日だよ。いつ頃開始になるのかわからないと休みが入れられないよ。」
「う〜ん、今のままだと、100%ってわけにはいかないけど99.9%位は12月には開始されないよ。ま、あの国のことだからわからないけどね。だって、地雷が埋めてあって陸路の工事が難航しているらしいよ。旅行中に地雷にやられたなんて目もあてられないからね。」などと言いながら調子は高い。
もし12月に開始に開始になってものりまきの予想が外れたのではなくて、あの国のせいにするらしい。
結局、12月中にはほぼ開始にならないだろうと判断し別の予定で休みの希望をとった。ところが、昨日のニュースによれば12月11日から金剛山陸路コースの観光が開始になるという。「あれだけ、色々騒ぎになって年内はほぼ無理かと思ったんだけどね。」と言い訳めいた発言も忘れない(笑)。
「ま、1号はあきらめるよ。ふとまきと行きたいし、年が明けてからにするよ。」
と、先日一号を目指すと言っていたのにもかかわらずいきなりそんな風な発言に変わるから
「何言ってるのよ。1号目指すんならとことん目指しなよ。予定は変更したっていいじゃん。やるだけやりなよ。」
と言うと・・・。
「そうですね。そうやって言う事が変わるから僕はダメ人間なのですね。」
といじけている。



12月1日(日)
年賀状を書く時期がやってきた。毎年色々考えるのであるが、何しろのりまき、北朝鮮について何か印したいらしい。私としては二人の関係をイメージするものでかつタイムリーな何かにしたいのだが。して、またしても写真にするのかイラストにするのか悩んでいる。
のりまき、北朝鮮の旅行の写真を眺めては
「この絵を僕が描こうか?」「これなんてどう?」とか言っている。
「北朝鮮の写真であっても動物のオブジェでは人が見ても北朝鮮だかなんだかわからないじゃん。」
と、言うと
「それはそれでまたいいんじゃない?」
と言っている。北にこだわるのに北かどうかわからないなんて、意味無いんじゃないのかな〜。さあ、どんな年賀状になりますやら。

11月27日(水)
今日はふとまきが休みで実家からもらった車の名義変更に行ってきた。陸運局の住所をのりまきに調べてもらい、地図を元に行き方も説明してくれた。国道246号を右折するのであったが、その際に
「立体交差になっているはずだから、右折と言っても左側の車線にいて、左の道に逸れてから右折するからね。」
と説明している。
すごいと思うのは、その交差点の右折が立体交差になっているのかを把握しているということである。近所ではあるまいし、交差点が立体交差か否かということなんてふとまきにとってはどうでもいいことだ。運転していればわかるのだから(笑)。でも、なにしろのりまきは自分が車線変更が苦手なのでこのように把握しておかないととっさには車線変更が出来ないのであろう。道順を間違えただけで大騒ぎするのりまき両親を乗せることの多いこの頃、尚更慎重だ。ま、おかげで本当に立体交差で左に逸れてから右折をして陸運局にたどりついた。

友人が指を骨折したそうである。のりまきの怪我の時のおおげさ振りを目の当たりにしているので、
>私は右手小指を骨折し、不自由な生活を過ごしています。でものりまき氏のように大騒ぎはしていません。黙って痛みに耐えています。
というメールが届いた。


11月26日(火)
この日記も書かずに約1ヶ月が経ってしまった。正直、同居が始まり、この親にしてこの子あり(笑)。書こうにも書きずらい(苦笑)。のりまきには『ふとまきが見たのりまき両親像』について直接語って来たが、日記となると躊躇する(笑)。
「パソコンを覚えようかな〜。」などと言っている親の目にこの日記が触れたらどうなるのだろう。
しかし、義父が「結婚したら観察、飼育日記をつけて欲しい。」と言ったのだ。開き直っている自分もいる。

さかのぼってトピックスを(笑)

11月3日(日)
巨人の優勝パレードが銀座で行われた。のりまきの好奇心旺盛さは多分母ゆずりなのであろう。
「なんでも一度は行ってみたいんだよね。お父さん一緒に行ってくれるよね。」
と半ば強制的とも言えるが母に言われて両親二人で出かけていった。妻が強く夫が弱いのはのりふとと同じなのか。

11月4日(月)
のりまき、テレビタックルの取材で六本木へ。なんでも日本人の海外旅行についての話らしい。誰でも気軽に行けるような海外旅行ではないが、かといって危険を冒すような旅行ばかりに行っているマニアックな人でもないような人の海外旅行の話を聞きたいらしい、と言っている。
「そんなんで、なんで僕が選ばれたんだろうね〜。」
と言いつつ嬉しそうである。(テレビ局の下請けからメールがきた)
打ち合わせの電話では北朝鮮の話がメインであとはイスラエルだとかニューギニアの話などを聞かれたようだ。
そして、言われた通り、北朝鮮で買ったお土産やら色々な海外旅行の写真やら選んで六本木に出かけていった。
結局、取材に対してのりまき
「いや〜、やはりなんだかんだ言っても緊張するよね。思うように上手くしゃべれないや。な〜んかね。頭が働かないというか・・・。」
だそうである。頭が働かないくらいで丁度良いのかもしれない。
取材後、上手くしゃべれたと思わなかったし、なんともその日の特集のテーマに合ってないような取材だったので、数多く取材をした中から本番に使われるのではないかと思ったのりまきは取材の人に
「写るかわからないんですよね。」
と聞いたようだ。
「写りますよ。」
との答えだったらしい。そして、宣伝しまくったのは(主にふとまきが)言うまでもない。

11月5日(火)
わが家の表札が出来上がり。
たかが表札、されど表札である。中古の家の購入にて表札の部分が凹んでおり、ようやく表札が入るのだ。それらは父の仕事である。
母は「はやくつけてよ。」「本当にお父さんできるの?」「どうやってつけるの?」「失敗したらどうするの」と色々ととめどなく聞いている。
父は苦笑。だいたいにおいてこのようにして我が家の物事は進んでいく。そんな中のりまきは他人事である。

11月9日(土)
馬場京子さんの個展に出かける。出かける時にははしゃぐのりまき。今日も多弁である。そんな時には会場に入る前に
「今日もよくしゃべるんだろうな〜。」
とわざと言う。すると
「今日は大人しくしています。」
としおらしく言うのだが、やはり会場に行くと良く喋るのである。

11月15日(金)
「引っ越しで出てきたよ」
とのりまきの幼少期の作文や絵画、通知表などが出てきたと母が私たちのところに持ってきた。
今日はその作文などを読んだ。
ふとまきにくらべると偏りがあるが、成績が良い。中学では夏休みの宿題で天気予報の新聞の切り抜きに解説をつけるというものをやって県の教育委員会に表彰されていた。
逆上がりは出来ずに苦労したようだった。その後出来たあとは出来ない人のコーチにまわったと作文に書いてあった、説明好き、教え好きは小さい頃からだったと判明した。

しかし、小学生の頃の作文でも書き方がえらそうであった。
どうしても笑ってしまうのりまき小学6年の時の作文『わがおいたちの記』の部分を許可無く引用する(全員が同じ作文を書いて製本したらしい)。

(略)生まれた時のようすは顔はくろくかみの毛も多かったのですごくおとなびてみえたようでおじさんやおばさんが「この子はやがて親なかせになるぞ」といったそうである。

名前の由来
ぼくの名前の由来はぼくが生まれたころテレビで放映していたテレビドラマ『ママとおふくろ』の登場人物からとったそうだけどなんだかぼくから見ると変な由来だと思う。ただこのドラマの中で『のりまき』という子はたいへん親孝行だったそうだからぼくにも親孝行になれという話であるらしい。(略)

この生い立ちの記というのが原稿用紙80枚以上であるから恐れ入る。これを斜めに読むだけで時間が過ぎてしまった。
今後も少しづつのりまきの幼少の研究を行ないたい。

11月17日(日)
ふとまきの学生時代の大阪の友人よりメールが届く。12月に高知から同じく友人が出てくるのでその日にあわせて関西に来ないかという内容であった。しばらく関西に行ってないし、友人にも会っていない。行きたいふとまき。
しかし、まだまだ飽きない金剛山観光が韓国から日帰りで陸から行けるかもしれないらしい。そのようになったら日本人1号を狙いたいので関西行きはまだ返事を待って欲しいといっている。
のりまきが日本人1号を目指すのは勝手だが、私はもう少し別な事にお金を使いたい。

11月23日(月)
のりまき両親、今日は巨人軍ファン感謝デーである。東京ドームに出かけていった。
老後にボケないようにファンクラブに入ろうかと真剣に悩んでいた。

11月25日(月)
テレビタックル。主にはふとまきが友人に宣伝。のりまきもなんだかんだと緊張している。テレビ放映の時間には見ていられないと風呂に入った。しかし、なんだか話題が沿わなかったのか、出ると言われたまま出なかった。がっかりするのりふと。

11月26日(火)
テレビに出なかったのりまき。気にしていないといいつつ昨夜は殆ど眠れなかったようだった。
交通費もなし。色々物品も持って行って、写真もたくさんのアルバムから探して探して抜いていった。出ますといいつつ出ないのはなんとも言えぬ。
たかがテレビ、されどテレビ。


トピックスとかいいつつ残されたメモ書きはこの程度であった。
もうすこしまめに少しずつ書くよう心がけたい(反省)。