金剛山観光政府補助
(2003・4・12 最終加筆)


金剛山観光はこれまで黒字になったことがありません。
つまりやればやるほど赤字が生み出されて続けているのです。
しかし未だに観光は中止されていません。
その理由のひとつに韓国政府の金剛山観光への『補助』があります。



 観光関連事業に政府が援助すること自体、特におかしな話ではありません。現に戦前の金剛山観光で多くの場合用いられていた金剛山電気鉄道にも、朝鮮総督府が補助金という形で援助を続けていました。しかしこれは地域の産業の育成や交通機関の整備などといった目的があるのであって、金剛山観光のように『政府が観光客の旅行費用を一部負担』するといった、直接的な形での観光への補助は聞いたことがありません。
 金剛山観光にこれまで行なわれてきた韓国政府の援助は、南北交流基金の貸し付けと観光客の旅行費用を一部負担する措置の二つのやり方が行なわれてきました。これからその金剛山観光への援助の流れを見ていきたいと思います。

 金剛山観光が苦境に立たされたのは『金剛山観光の危機』でも触れますが、2000年末以降のことです。それから金剛山観光の活性化を図り、現代グループは北朝鮮側に観光特区の指定や陸路観光の開始などの金剛山観光の活性化策、更には金剛山観光料の値下げなどの交渉を行なっていきます。しかしいくら話し合ってもなかなか事態が好転しない中で、韓国政府が『南北交流基金』を用いての金剛山観光への援助を行なうこととなったのです。具体的には2001年6月19日に、公企業である韓国観光公社が金剛山観光事業に参加することが明るみになり、6月26日に韓国観光公社が900億ウォン(約90億円)の南北交流基金の貸し出しを韓国政府統一部に申請、29日には融資が認められ、韓国観光公社を通じて現代グループ内で金剛山観光事業を行なっている現代峨山に基金が渡されることになったのです。
 『南北交流基金』とは、朝鮮半島南北間の人や物の交流を促進することを目的として、1990年8月に『南北交流基金法』が制定されたことにより開始された基金で、1991年3月に韓国政府が250億ウォンを出資することによって始まったものです。もちろん南北間の交流のためならば何にでも無条件に使えるわけではなく、韓国政府の統一部に協力基金の貸し出し申請があった場合、韓国輸出入銀行が資金の貸し出し審査を行なうことになっています。輸出入銀行の審査の結果は統一部長官を委員長、関連官庁の次官が委員として参加する『南北交流協力推進協議会』で更に協議され、ここで支援方針が決定されれば、輸出入銀行と資金貸し出し申請業者との間に南北交流基金の貸し出し契約が締結・執行される流れになります。
 つまり南北交流基金は、実際の貸し出しまでに“銀行”の目で事業の妥当性を判断され、そのうえで韓国政府の目で南北交流のためにどれだけ資するかという視点で更にチェックが入る建て前になっているわけです。
 金剛山観光は南北交流に役立つという面はともかくとして、毎月毎月巨額の赤字を出しているわけで、果たして『事業』として成り立っているのかどうか疑問で、この点に論議が集まったことは言うまでもありません。実際、輸出入銀行の審査では『金剛山観光の収益では融資金の償還がなされるかどうか不透明である』。との審査がなされていたのです。
 また、南北協力基金には貸し付けではなく北朝鮮に対する食糧援助や肥料支援、更に南北離散家族再会事業など、南北間の交流の発展に役立つ事業の必要経費を補助するといった使い方もあります。ちなみに後で触れる韓国政府の『金剛山観光客への経費援助』は、南北協力基金から支出されることになりました。
 
 そんな事情もあって、南北交流基金から貸し出しが認められた900億ウォン全額が現代峨山に渡されたわけではなく、まず450億ウォンが渡されて、その後の流れを見て残り450億ウォンの融資を決める形となりました。お金を貸し出す輸出入銀行は『貸し出した450億ウォンが金剛山観光事業に使われた証明を観光公社が提出し、さらに金剛山陸路観光で目に見える進展があった場合、残りの450億ウォンを貸し出す』。としたのでした。つまり『半額だけ貸すから、少し様子を見させて欲しい』ということになったのです。

 現代峨山は貸し出しを受けた450億ウォンを、未払いであった4600万ドルの観光料のうち2200万ドルを北朝鮮側に支払うためや、現代峨山の運営費や銀行への償還に使ってしまっていました。これを“金剛山観光事業に支出した”とは言い難いところですが、より以上問題になるのが『金剛山陸路観光で進展があった場合』という条件です。2001年6月以降しばらくの間、金剛山陸路観光については全く進展がありませんでした(金剛山陸路観光の項を参考にしてみてください)。これでは残り450億ウォンは貸し出しが出来ないことになります。現代峨山は早くも2001年9月には再び資金不足が表面化します。
 それでも金剛山観光は継続されていくのですが、2001年10月には現代峨山社員の給料の遅配が起こるなど、資金不足はいよいよ深刻化します。そうした中、2002年に入るとまもなく、韓国政府の手で驚くような金剛山観光支援策が行なわれることになりました。

 2001年1月21日、韓国政府はこれまで貸し出しを止めていた南北交流基金の450億ウォンを、金剛山観光のために貸し出すことと、南北離散家族や修学旅行生の金剛山旅行に対して費用の一部を補助する方針を明らかにします。1月23日には、韓国政府から南北協力基金貸し付け条件の緩和。離散家族・修学旅行生・教諭の金剛山観光代金の一部を補助。金剛山地区に免税店の開設を認めるの3点を骨子とする“金剛山観光支援策”が発表されます。
 その上、金剛山事業に貸し付けた南北交流基金の利率を事実上無利子に近い、最小限のものに抑え、また貸し出し期間も延長されることが決められたのです。具体的には、利率は当初、年利5パーセント3年据え置きで5年間の分割返済となっていたのが、『北朝鮮側が金剛山を観光特区に指定し、さらに陸路観光を認めてから2年後』までは年利1パーセントとし、その後当初の利率4パーセントとすることになりました。貸し出し期間の延長についても、『北朝鮮側が金剛山を観光特区に指定し、さらに陸路観光を認めてから2年後から返済を開始することとし、返済期間はその時の状況によって改めて判断する』。と決められました。確かにこれでは優遇のしすぎと感じられます。
 さて……南北交流基金を実際に使ったのは現代峨山であるとはいえ、元はといえば韓国観光公社が輸出入銀行から借りたお金です。韓国観光公社は自分たちが借りたお金を現代峨山に使わせる代わりに、『金剛山にある資産』を現代峨山から譲り受けて、一応の形を取ったのです。韓国観光公社が現代峨山から譲り受けた資産は、金剛山温泉・金剛山旅館・金剛山文化会館でした(注1)。
 また、先にも触れたように現代峨山は2001年6月に450億ウォンを借りたのですが、2002年3月にまず追加で62億ウォンの貸し出しを受け、その後は分割で貸し出しを受けることにしました。実際2002年9月まで、現代峨山は南北協力基金からの貸し出しを分割で受けたのでした。

 さて、南北協力基金貸し付けの問題が一応けりがついた後、いよいよ金剛山観光費用に対する補助問題が煮詰まってきました。これは韓国政府が行なった金剛山観光補助の決定版でありました。2002年3月21日、学生・教員・障害者・離散家族・国家有功者が金剛山観光を行なう場合、全体経費の60〜70%を政府が補助し、生活保護者や僻地の学生・教師は全額補助をするという、『金剛山観光客への経費援助案』が決められたのです(注2)。
 また金剛山観光客に対する経費補助は、先に説明した『南北協力基金』から援助を受けることにしました。経費の援助を受けた金剛山観光客は2002年4月4日に、初めて金剛山へ出発します。多くの観光客にとって観光費用が三分の一となった金剛山観光は観光客が殺到し、金剛山観光は活気を取り戻すこととなりました。

 しかし、『金剛山観光客への経費援助』は2002年10月23日、2003年度予算案に計上されていた200億ウォンのうち、1億ウォンのみを残して199億ウォンが予算凍結をされてしまいます。つまり2003年度の『金剛山観光客への経費補助』は凍結されることになってしまったのです。これは北朝鮮情勢の緊迫化によるもので、『北朝鮮の核開発問題に進展が見られれば、予算凍結の解除を検討する』とされました。そして今現在まで北朝鮮の核問題に好転の気配は無く、『金剛山観光客への経費援助』についての予算案凍結が解除される見込みはありません。このまま行けばまた現代峨山は厳しい資金不足に見舞われて、金剛山観光の危機が再燃すること必至です。そうなったとき、再びまた新たなる『金剛山観光政府補助』が話題に上るかもしれません。


(注1)金剛山旅館については安全診断を行なった結果、改修・補修に約300億ウォンもの巨額を要することが判明し、韓国観光公社は事業権引き受けを留保した。その代わりに温井閣の一部を現代峨山から資産として引き継ぐことになった。

(注2)金剛山観光補助は、純粋な金剛山観光料金のみ補助対象としています。具体的には金剛山での宿泊費・金剛山へ向かう船の往復交通費・朝食代となります。つまり金剛山観光出発地である束草までの交通費や、金剛山でのサーカス観覧や温泉などのオプション観光などは補助対象から外されています。



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