内金剛遥かなり
(第九章)



元山港に停泊中の、あの万景峰号


 6月22日(火)の朝が来ました。興奮の内金剛行きのおかげで寝床に入ったらバタンキューであったのに、起きてみるとまだ疲れが取れていません。まあ、あれだけ内金剛行きに興奮したのだから仕方のないところかもしれません(笑)。
 今日は7時から元山港の桟橋を散歩です。7時にホテルのロビーに行ってみると、みなさんきちんと揃っています。今回の旅行はしっかり時間厳守です(笑)。予定通り外に出て桟橋の方へ向かいます。天気は良好で、朝から陽射しがきつかったです。桟橋を歩き出してまもなく、ゲートがあってしっかり入場料を取られるのには少し驚きました。私たちの入場料は金剛山の時と同じくガイドさんが払ってくれたようですが……
 海を見ると、結構多くの人が何かをとっています。どうも海草を採っている人と魚を獲っている人がいるようです。海草を採っている人はテングサを採っていたようで、桟橋のあちこちで採られたテングサが広げられていました。のりまきが『テングサ』について話していると、ガイドのHさんは、「のりまきさん、海草に詳しいんですね〜」と言いながら、しっかり『テングサ』の名をメモしていました。

 ところで魚獲りの方法はなかなかユニークなものでした。たまたま桟橋の途中に日本語が話せるお年寄りがいて、少しですが魚獲りのやりかたを見せていただくことができました。ちなみにこのお年寄りが私たちに日本語で「おはようございます」。と話し掛けた際、ガイドのHさんは思わずギクリとしていました。どうも北朝鮮観光のガイドさんは『ハプニング』が苦手なようです。

日本語が話せる、魚獲りをしていたお年寄り
沖にいるゴム浮き輪に乗った相棒との間に渡された、釣り針つきの長い糸を手繰っています。

 思わず「あーっ!日本語だ!!」という私たちに、「(日本語)わかりますよ〜」と、愛想良く答えてくれたこのお年寄りは、魚獲りについて、「沖にいる人(ゴムの浮き輪を漕いでいる)と、2人組で魚を獲っている」。といいます。見るとゴムの浮き輪に乗った人とお年寄りとの間には釣り針がいくつも付けられた、長い糸が渡されています。そうやって一種のはえ縄のような方法で魚を獲っているそうです。
 「写真撮ってもいいですか?」との、のりまきのお願いに、このお年寄りは「いいですよ〜」と、やはり愛想良く応じてくれました。

お年寄りの沖の相棒です、板のようなものでゴム浮き輪を操縦をしているのがわかると思います。


近くにあったゴムの浮き輪と、卓球のラケットを思わせるオール
このような道具で、魚獲りのために沖へと繰り出すのだ


 桟橋は結構長く、やがて元山の市街地が海を隔てて一望できるようになりました。海から眺めた元山は、確かにきれいな街です。しかし昨晩、内金剛からの帰途に見た光景を思い出してみると、市街地の山側にある高層建築の多くは、明かりが全く灯っていませんでした。元山の高層建築は飾り物だとの噂を聞いたことがありますが、ひょっとして本当なのかもしれません。

桟橋から見た元山、泊っている大きな船は万景峰号

 港にはあの万景峰号が停泊しているのが見えます。思ったよりも結構大きな船です。桟橋の一番先には小さな島があって、その島には小さな灯台がありました。沖の方を見ると南の方から伸びた半島のような地形があって、そこにはかなり大きくてきれいな建物が建っていました。ガイドのHさんによれば「最近出来た朝鮮人民軍の保養所です」。とのことでした。元山の沖の方に伸びた半島には『明沙十里』という、風光明媚な浜辺があるとのことですので、そのような景勝地に人民軍の保養所が出来たということなのでしょうか?

 帰り道に再び日本語を話せるお年寄りのところを覗いてみました。ガイドのHさんが「魚、獲れましたか?」と聞いたところ、「う〜ん……獲れないね」。と言います。私たちが「どうもありがとうございました」。とお礼をすると、お年寄りは「またおいでください」。と言います。次回元山に来る時に、このお年寄りに再会できるでしょうか?
 桟橋の途中で魚が獲れている場面に出会いました。獲れていた魚は先がとがった『サヨリ』でした。ガイドのHさんは“さより”という魚の名前を知らなかったようで、のりまきが『サヨリ』という名前を口にすると、「のりまきさんは魚にも詳しいんですね〜」と言いながら、テングサに続いて『サヨリ』の名をしっかりノートにメモしていました。

 8時にホテルに戻って朝食になりました。朝食はこれまでのこのホテルでの食事と大体同じでしたが、うるち米で作られた朝鮮半島のお餅『松餅(ソンビョン)』がついてきました。そういえばガイドのHさんは「今日は旧暦5月5日にあたり、端午(タノ)という祝日です」。と話していました。朝食を食べながら、『これって日本ではちまきや柏餅にあたるものかな?』とみんなで話していました。後からHさんに確認してみると、やはり「はい、朝鮮では旧暦5月5日には松餅を食べる習慣があります」。とのことでした。ちなみに朝鮮での5月5日の意味合いは『田植えが一段落をした後、みんなでお休みを取って娯楽を楽しむ』とのことで、日本のそれとは少し違うようです。
 東明ホテルの松餅は大変に美味しかったです。以前大阪の鶴橋で買った松餅は期待はずれの味でしたので、正直嬉しかったです。

東明ホテルの朝食で出た松餅。美味♪

 朝食後、最初の予定では内金剛帰りに寄る予定であった共同農場へと向かいました。ホテルを出てからまず、横浜の山下公園の雰囲気に少し似ている、港にある公園へ行きました。その公園には金日成像があり、また万景峰号が停泊しているのです。まず私たちは金日成像を横目に見て、それからあの万景峰号のそばに行き、写真を撮りました。
 ところで港と反対側の広場には数台のバスが停まっていて、中には二階建てのバスもありました。のりまきが「あのバスは何ですか?」と、ガイドのHさんに聞いてみると、「あれはたぶん平壌行きのバスです」。と答えていました。良く見ると乗客とおぼしき人々がバスの周囲にいたので、平壌行きかどうかはともかくとして、確かに路線バスっぽかったです。

 ところで万景峰号の近くでガイドのHさんは、「この万景峰号は、日本ではミサイルの部品を運んでいるとか、色々なことを言われているようですが、そのようなことはありません」。と話していました。しかしSさんが万景峰号に接近してみようとすると、Hさんは「近づかないで下さい」。と、しっかり制止していました。そういえばL課長は「日本の新聞はいつも読んでいて、日本のマスコミの北朝鮮報道については良く知っている」。と話していました。どうやら」朝鮮国際旅行社のガイドさんたちは、日本の新聞を読むことができるようです。
 また、のりまきは公園を歩く人の多くがアイスキャンデーを食べていることに気づきました。思わず「あ、美味しそうだな〜」とつぶやいたのりまきの声を聞いていたガイドのHさんは、万景峰号の外観見学を終え、マイクロバスに乗り込む前に、公園内の露店でアイスキャンデーを買ってくれました。ありがたく頂いてみると、小豆の入った甘さ控えめの美味しいキャンデーでした。

 元山から14キロという天三共同農場へは、最初昨日内金剛に向かったのと同じ道を行き、途中から脇道へと逸れました。ところで脇道に逸れてからまもなく、検問所があったのですが、この検問所はなぜか簡単に通してもらえず、ガイドのHさんばかりではなく、L課長も検問所の中に入って何やら説明などをしていました。
 10分あまり後、ようやく検問所を通過できました。検問所を過ぎると完全な農村風景の中を進むようになります。やがて周囲の農村と較べて明らかに建物がきれいで立派な、天三共同農場に着きました。

 農場に着くとL課長が管理事務所のような場所に向かい、見学の手続きをしに行きました。L課長はなかなか戻ってきません。私たちはのんびりとあぜ道にいたあひるを眺めていたりしました。10分以上経ったでしょうか?L課長とともに、20代後半くらいの女性と小さな女の子がやってきました。L課長は「今日は祝日だったのと、この子がどうしてもお母さんから離れなくて遅くなりました」。といいます。そして農場見学に向かう前に、L課長はふとまきに「もしお菓子があれば、持っていってもらえますか?」と言ってきました。
 また、L課長はさっそく女の子にふとまきが持参したチョコレートと黒飴を渡していました。女の子は黒飴を口にしていましたが、明らかに初体験であったらしく、ペッペッと唾を吐き出していました。また、チョコレートについても全く知らなかったようで、しっかりと握り締めてしまっていました。きっとべちょべちょになってしまったことでしょう。


きれいな模範農村とあひる

 農場の説明はやはりこの地を現地指導したという、金親子の賞賛が中心でした。天三共同農場は柿が有名とのことで、たしかに農場のいたるところに柿の木が植えられていました。ちなみに柿は甘柿とのことでしたが、北朝鮮の交通事情を考えれば、いったいどのあたりまで出荷が出来るものなのか、疑問ではあります。
 説明の女性には、終始女の子がぴったりとくっついていました。女の子は5歳とのことでしたが、ずいぶん小さくて3歳位の感じに見えました。それ以上に気になったのは、女の子は終始ひと言も喋らなかったことです。あまり会ったことのない外国人に緊張して、喋ることが出来なかったのでしょうか??

 農場の見学をしていると、どこからかアコーディオンと子どもの歌声が聞こえてきました。やがて見学の最後に『農家に寄ってみませんか?』と、ガイドのHさんが言ってきます。この農家見学は明らかに“お決まりコース”なのでしょうが、せっかくなので寄ってみることにしました。
 お邪魔した農家は、農場の入り口に近い場所にありました。私たちは八畳間くらいの部屋に案内され、まず取れたてのあんずをご馳走になりました。それから自家製というどんぐり焼酎をふるまわれました。くせの強いお酒で、E.TさんSさん、のりまきが口をつけるのが精一杯の中、ふとまきだけが結構飲んでいました(^o^)。
 この農家、中古とはいえパソコンも置かれているなど、『朝鮮の一般的農家』とはとても思いにくかったところもあるのですが、泥遊びをしていたこの家の男の子が後から現れ、そーっとハイハイしながら足を洗いに流し場に向かったり、産まれたばかりの子どもがすやすやお母さんの懐で眠っていたりと、ほほえましい良い光景が見られて心が和みました。
 そしてこの家の女の子が、『お客様のために』歌を歌ってくれることになりました。お母さんのアコーディオンの伴奏つきです。先ほどのアコーディオンと子どもの歌声は、『練習』だったのですね(笑)。女の子は幼稚園では花丸を貰えそうな、はきはきとした大きな声で歌っていました。

 時間の関係上、農場見学は比較的短時間で終わりました。農家にはふとまき持参のお菓子をおみやげとして渡しました。ところで訪問した農家では、取れたてのじゃがいもを使った料理を作ってくれていたのですが、それは食べずに帰ることになりました。帰りしな、のりまきが「せっかくならじゃがいも、試食してみたかったな〜」とつぶやいた声を聞いたガイドのHさんは、農家まで戻って、ふかしたてのじゃがいもを持ってきてくれました。
 最後に案内をしてくれた女性と、その娘さんとお別れの挨拶をしました。娘さんはふかしたてのじゃがいもを美味しそうにほおばっていたのが印象的でした。黒飴とは違い、ふかしたじゃがいもは食べなれた味で安心したようでした。

 マイクロバスに乗り込み、さっそくじゃがいもの試食となります。採れたてのものはなんでも美味しいものです。とても美味なじゃがいもで、特に運転手さんがたくさん食べていました。
 行きに通過に手間取った検問所は、帰りもやはり少してこずりました。検問所を通過後、私たちは松濤園国際キャンプ場に向かいました。お昼も近くなったこの頃には、疲れがどっと押し寄せてきました。疲れていたのはのりまきばかりではなく、ふとまきもE.TさんもSさんも疲れていたようです。元山の街に戻ってみると、祝日らしく元山港の公園や朝歩いた桟橋、そして松と砂浜が美しい松濤園という公園には、びっくりするほどの人が押し寄せていました。松濤園にある海水浴場では、まだ6月後半だというのに多くの人が泳いでいました。
 多くは近所の家族が連れ立って来ているのか職場の仲間が集まって来ているのか……かなりの人数の団体でした。団体の様子を見ていると、どうも『バーベキュー』をしに来たような感じにも見える団体もあり、少しですが車で来ている団体もあったのにはびっくりしました。しかし私たち4人は疲れのピークで、誰一人写真を撮ったりビデオカメラを廻す元気がありませんでした。

 見学場所である松濤園国際キャンプ場とは、日本で言うキャンプ場とは違い、海の近くに子どもたちが泊まる建物や野外活動をする施設があって、日本ではさしずめ林間学校にあたるようなものでした。『親愛なる指導者同志』が現地指導なさったとかで、外見上なかなか立派には作ってありましたが、私たちが来たとたんに噴水やエスカレーターを動かしていたりなど、やはりこの場所でも北朝鮮のエネルギー不足を感じてしまいました。ただ見学中、リネン庫でおばさんたちが忙しく働いているのを目撃したので、施設そのものはそれなりに活用されているようでした。

 松濤園国際キャンプ場の見学終了後、マイクロバスに乗り込もうとすると、広場で運動会をやっていました。私たちが目撃していた際にはちょうど綱引きの場面でした。マイクロバスに乗って、海辺を走ると先ほどよりも更に人出が増えた感じです。ところで海水浴場には仕切りが作られていて、人が少ない砂浜には、『外国人』という文字が書かれた掲示が確認できたので、どうも『外国人用』と『国内用』のビーチの区別がされているようです。詳しく見ることができたわけではないので断言はできませんが、もっと細かいビーチの区分けがされている可能性もあります。また、朝散歩をした桟橋と同じように、海水浴場の入場もしっかり料金を取っていました。

 東明ホテルに戻るとさっそく昼食となりました。今回も美味しいのですがやはり同一パターンの食事でした。ただ、今回は刺身がついてきました。どこから持ってきたのかわさびも付いています。美味とまではいきませんが、まずまず食べられるお刺身でした。東明ホテルの食事は全体的に美味しく、特に海産物を使った辛味のスープや煮物系の料理は心のこもった『おふくろの味』で、嬉しかったです。

 昼食後、すぐに元山を出発して平壌へと戻ります。昼ご飯を食べ、眠気がピークとなる中、出発となったのです。




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