内金剛遥かなり
(第八章)



内金剛の入山ゲートで撮影した、牛車と子どもたち



 内金剛の入山ゲートでは、L課長とガイドのHさんが何やら手続きをしていました。たぶん内金剛に入山した我々が、確かに内金剛から出たという手続きをしていたのでしょう。
 待っている間、のりまきとSさんは周囲の様子を並んで片や写真撮影、片やビデオを廻していました。その時です、私たちが下山してきた内金剛側から、自転車に乗った一人の男が、血相変えてやってきました。
 男はL課長とガイドのHさんに何やら抗議をしていましたが、説明を受けると案外簡単に引き下がっていきました。男が帰った後、ガイドのHさんがSさんに向かって「Sさん、気をつけて下さいね。わかっているでしょう?工事中の人とか撮影をしないでくださいね」。と言ってきました。私とSさんは、「この先には人が働いていた工事現場なんてなかったぞ??なんで文句言われなきゃいけないの??」と言いながら、思わず顔を見合わせてしまいました。
 後からTさんがガイドのHさんに聞いたところ、男性の文句は、「どうして子どもたちに写真をやったりしたんだ!」といった内容であったようです。つまりSさんが内金剛で二人の少年たちにあげた、ポラロイド写真について文句を言いに来たようなのです。たぶんあの二人の少年たちは、周囲にポラロイド写真を見せびらかしたに違いありません。これまでポラロイド写真なんか見たことがないと思われる内金剛の人々にとって、それはきっとかなりの衝撃であったのでしょう。そういえば内金剛周辺では自転車の姿をほとんど見ませんでした。めったにない自転車に乗ってやってきたことを考えると、男は内金剛周辺の有力者の一人であったのかもしれません。
 それにしてもガイドのHさんの注意は何だったのでしょう?想像するに、一番きわどい撮影を敢行していたSさんに対して、ちょっと注意を促した程度のことだったのではないのでしょうか?

 入山ゲートでの手続きは数分で終了しました。のりまきは持参のお菓子をお礼として渡しました。管理人さんは遠慮していましたが、L課長から『貰っとききなよ〜』と言われ、丁寧に一礼をしてお菓子を受け取りました。それからL課長は私たちに対して、「妙吉祥への道が崩れてしまっているので、直してもらうようにお願いしました」。といいます。するとこのゲートの管理人さんは、内金剛の管理などにも携わっているのでしょうか?
 ほどなく私たちの乗ったマイクロバスは出発しました。帰り道は疲れがどっと出てきました。特にのりまきは3年越しの夢であった内金剛行きに成功して、気分が緩んでいくのが感じられました。持ち主の気分が緩んだせいもあるのでしょうか?内金剛のゲートを出た後、愛用のカメラも少しの間、調子が悪くなってしまったりもしました。
 表訓寺から同乗した2人の女性は、別々の集落で降りていきました。降りる際にL課長はふとまき持参のお菓子を彼女たちにおみやげとして持たせていました。ところで彼女たちがマイクロバスから降りる際にも感じたのですが、本当に周囲の人たちとは違う、垢抜けた服装をしています。ガイドのHさんによれば、彼女たちは内金剛にやってくる『お客さん』の接待をする仕事をしているといいますが……『お客さん』であるはずの私たちの前に姿を現したのが、内金剛からの帰途であるというのもよくわからない話です。本当に彼女たちの役目はいったい何なのでしょう??

 私たちの乗ったマイクロバスが金剛郡の中心地に近づいた時のことです。10人近い子どもの集団が、金剛郡の中心地の方に向かって歩いていました。子どもたちの中に、私たちに付いて普徳庵まで行ったあの2人の少年がいるではありませんか!少年は私たちの姿を見つけると、飛び跳ねるように手を振ります。もちろん私たちも手を振り返します。ひょっとして少年たちは金剛郡の中心地までポラロイド写真を自慢しに行くつもりなのでしょうか??それにしても内金剛入り口のゲートがあった内剛里から金剛郡の中心部まではかなりの距離があります。10キロまではいかないかもしれませんが、それに近い距離があったと思います。本当にすごい健脚です!

 『まだかなまだかな〜〜』と思いながらマイクロバスに乗っていた行きとは違い、帰り道は同じ道でも随分早く感じられます。やがて例の九折の道へとさしかかります。今回は九折の道の上部にある展望台で休憩です。展望台には記念碑が立っていて、L課長に読んでもらったところ、そこには金正日氏が2000年3月25日にこの道路を視察したと書かれていました。う〜ん……結構この道は危険だと思うのですが、よく来ましたね〜〜
 また、同じ石碑にはこの道路のことを『雲田(ウンジョン)ー丹楓(タンプン)道路』と書いてありました。雲田(ウンジョン)と丹楓(タンプン)という場所を繋ぐ道路なので、そのような名前がつけられたようです。

休憩所そばで、がけ下をおっかなそうに覗き込む運転手さん。

 九折の道を越えてしまうと、のりまきはもうすっかり気が抜けてしまいました。帰り道、日本に帰って外金剛の『白鼎峰区域』とわかった道沿いの山々が美しく輝いていましたが、のりまきは正直、写真を撮る気力が失せてしまっていました。
 ぼーっとしていると、道はいつのまにか行きに元山から走ったコンクリート道路へと戻ってきました。ここで運転手さんは車を停めて、異常がないかどうか点検します。車の点検中、みんな外で休憩タイムです。ここでL課長は「今回はわが国の本当の田舎に行きました。全てをお見せしました。特に説明の必要もないでしょう」。と言います。内金剛にあった高級幹部用と思われる一角のことなどを考えれば、やはり全ては見せていないのでしょうが……ハプニング続きであった今回の内金剛旅行を考えると、L課長らの立場からすると、『日本人観光客に見せられる限界』に挑戦するような面が大きかったのも事実だと思います。
 「わが国は正直遅れている……統一がなされれば、軍事費に無駄なお金なんかかける必要がなくなる、統一すればわが国はきっと発展していくでしょう」。L課長はそう続けます。
 「そうですね……まず、外金剛と内金剛が一緒に観光できる日が来れば良いと思っています」。のりまきがL課長にそう答えると、「それはずっと先のことになると思います」。と、答えてきました。国の統一は念願しながら、多くの韓国人が観光を楽しむ外金剛を北朝鮮の他の地域から“隔離”しようとする姿勢は、のりまきにはどうも理解ができませんでした。

 一休みの後、再び出発です。一年の間で一番日が長い季節なだけに、なかなか暗くなりません。ところで内金剛からの帰り道、ふとまきは荷物と人を載せた新品のトラックが3台ほど、走っているのを見かけました。北朝鮮で明らかに新品のトラックが走っているのは珍しいことです。『なんだろう?』と思ってよく見ると、韓国の現代のトラックでした。北朝鮮の人々はこのトラックが韓国のトラックであることを知っているのでしょうか?興味のあるところです。
 午後7時頃、侍中湖の近くの海辺にある『侍中湖休憩所』で休憩となりましたが、外はまだかなり明るい感じでした。ここの海辺はきれいな砂浜で、しかも沖に浮かぶ島々の形も良く、さらに浜辺には木製の小舟なんかもあったりして、なかなかムードの良い場所でした。

夕暮れの侍中湖休憩所前の海

 ちなみに侍中湖には『侍中閣』という宿泊施設があり、ガイドのHさんによれば美容と健康に良い『湖の泥を使った泥パック』などもできるといいます。侍中湖は元山よりも金剛山に近いので、内金剛行きの際などに宿泊して、泥パックなども楽しめればよいのですが……どうも設備の点で至らない面があるようです。
 ところで……侍中湖休憩所にはもう一台、平壌ナンバーの車が停まっていました。その平壌ナンバーの車には意外なお客さんが乗っていました。マルチーズです。北朝鮮でマルチーズのような座敷犬を見ようとは思いませんでしたので、少々びっくりです。

侍中湖休憩所で出会ったマルチーズ

 侍中湖休憩所を出ると、運転手さんは明らかに飛ばしだしました。いくら日が長いといったところで、周囲はどんどんと暗くなっていきます。ただでさえ北朝鮮の夜は暗いのに、こんな田舎ではまさに闇夜となることは目に見えています。そのうえ悪いことに曇っているので月明かり星明りも期待できません。
 午後の8時頃、私たちの乗ったマイクロバスは元山市街に入りました。もうすっかり暮れてしまいましたが、また空には明るさが残っています。ほっと一安心というところでしょうか。午後8時過ぎ、ようやく今朝出発した東明ホテルへと戻ってきました。出発から12時間以上が経過しています……本当に運転手さん、お疲れさま!!

 ホテル到着後、フロントで鍵を貰うときに「今晩はシャワーのお湯が出る時間は何時からにしますか?」と聞かれました。私たちは4人ともゆっくりと食事とビールを楽しめるように、10時半がいいと答えたのですが、フロントは「10時からにしてもらえませんでしょうか?」と言ってきました。どうも10時からお湯が出る時間にしたいようです。仕方がないので10時からお湯が出るようにしてもらうことにしました。
 フロントで鍵を貰った後、部屋には戻らずさっそく夕食にします。夕食はまた私たち4人で食べ、L課長とガイドのHさん、そして運転手さんも別に夕食をとることになりました。夕食の内容は前日の夜と同じ感じで、美味しいのですが似たような内容です。食事とともにビールを楽しみ、私たち4人はあまりにもいろんな出来事があった、6月21日を振り返っていました。
 ところで、私たちは奥の方のテーブルに宴会の用意がされていることに気づきました。時計が午後9時をまわると、地元の人らしき人がちらちら私たちの様子を伺いに来るのが目につくようになりました。
 「これって……ひょっとして私たちが夕食を終わるのを待っているのかな?」。私たち4人はそう思い出しました。もしそうならば10時半からお湯が出るようにするよりも、少しでも早い10時からをフロントが希望したのもわかります。それにしても私たちが夕食をとっていても、かまわず宴会を始めればよいのに。そんなに外国人との接触に対して神経質にならなければならないのでしょうか?
 結局私たちは9時45分頃にお開きとしました。私たちの夕食終了後、予想通りさっそく地元の人たちが食堂へと入っていきました。う〜ん……

 部屋に戻るとさっそく入浴タイムです。お湯の出る時間が短かったおかげで、ふとまきが苦労した昨晩の経験を生かし、部屋に戻るとのりまきは水しか出ない段階で、髪と体を洗い出しました。髪と体を洗った後、のりまきはシャンプーと石鹸がついたまま、お湯が出るのを待ちました。そして待望のお湯が出るとシャンプーと石鹸を流し、急いでふとまきにバトンタッチです。
 昨晩の経験を生かし、今回はふとまきもしっかりお湯を使って髪と体を洗うことができました。めでたしめでたし!!ちなみに2日目も30分たらずでシャワーのお湯は止まってしまいました。

 お風呂から出ると、どっと疲労感が襲ってきました。のりまき・ふとまきは、いろんなことがありすぎた6月21日をお互い振り返る余裕もなく、床に入りました。




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