内金剛遥かなり
(第六章)



今回の内金剛行きの最終目的地、朝鮮半島最大の磨崖仏の妙吉祥



 普徳庵からの光景は、高い場所にあるだけあってなかなかのものです。みんな順番に庵の中に入ってみます。ガイドのHさんが普徳庵の中に向かった後に、ふとまきが続いて入ろうとすると、「ちょっと待ってください、ふとまきさん〜〜ふとまきさんは重たいですから、私が出た後に入って下さいね〜〜」と、ずいぶんな冗談を言っていました。ふとまきが素直に「はあ〜い」と答えると、Hさんはあわてて「冗談です!冗談です!!」と、真顔になって前言を否定したのがおかしかったです。ちなみにL課長の話では、普徳庵の入場定員は大人2名だそうです。日本植民地時代の記録では、『中に人が入ると揺れる』と書かれていましたが、今回私たちが庵内に入っても揺れませんでした。ところで庵の奥には小さな洞窟があり、そのため日本植民地時代、ここは“普徳窟”と呼ばれていました。
 庵の上には広場のようになっている場所があって、そこでしばしの休憩をとります。L課長が前回普徳庵に来たのは、今年(2004年)の3月だったそうですが、その時は普徳庵への道が凍っていて、とても怖い思いをしたといいます。ちなみに庵の上の広場にはその昔、ここで修行をしていた僧侶の住み家があったようです。

近くから見た普徳庵


普徳庵の中にある小洞窟

 休憩の後、今回の内金剛行きでの最終目的地である妙吉祥へ向かいます。普徳庵を降り、もとの道へと戻ったあたりにはオオヤマレンゲが多く、花のかぐわしい香りが漂っていました。

北朝鮮の国花、モンラン(オオヤマレンゲ)
内金剛のあちこちで咲いていた。


 道を先へと進むと、とてもきれいな滝と淵が見えてきました。万瀑洞にある八つの潭の中でも最も美しいといわれる真珠潭です。形の整った滝と、深いエメラルド色をした淵とが絶妙のバランスをとっていて、たしかに大変に美しいです。しかも周囲の木々の多くはモミジやカエデの仲間のようで、秋の紅葉時はさぞかし美しいことでしょう。

真珠潭です。

 ところで、例の2人の少年は姿が見えなくなりました。どうも普徳庵で引き返したようです。また、普徳庵までは観光ポイントを示す案内板が要所要所に立てられていましたが、普徳庵以降は全く案内板がなくなってしまいました。どうも普徳庵までは観光客がやって来ることを想定しているのですが、普徳庵より上流は、どうも今のところ観光の対象とはされていないようでした。

 真珠潭を過ぎても少しの間、渓谷は続きましたが、やがて木立に囲まれた平凡な山道を登るようになります。道を進みながらL課長は「この2〜3日、この道は誰も歩いてなさそうだな……」と、つぶやきました。まもなく、この道に前回人がやって来たのは、どうも2〜3日前どころではなさそうなことがわかるのでした。
 しばらく行くと目の前に石碑が3つ立っている場所に着きました。石碑を見てみると、『摩訶衍』という文字が見えました。どうもこの場所が摩訶衍の跡のようです。摩訶衍は金剛山中の寺院としては大きなものであったといい、近くには摩訶旅館という朝鮮式旅館まであったといいますが、昔の面影は全くなく、すっかり木立に覆われてしまっていました。跡形もなくなっていた外金剛駅とともに、摩訶衍のあまりの変貌ぶりに時の流れを感じざるを得ませんでした。ところで摩訶衍には作成中の案内板と思われるものがありました。今後、内金剛の奥地も観光整備を行なっていく予定なのでしょうか?

摩訶衍の跡に立つ3つの石碑


朝鮮金剛山(日之出商行・1936年刊)より、摩訶衍

 摩訶衍を過ぎても、道はしばらく樹林帯を進みます。やがて再び道は川沿いを進むようになります。川沿いを歩くようになって、道が急に荒れ出しました。まずは倒木です。倒木が容赦なく道を塞ぎだしました。

倒木が道を塞ぐ……

 倒木だけだったら、まあ仕方がないとも思えたのですが……続いて洪水のせいだと思われるのですが、道がそっくり流されてしまった場所に出くわしました。道が流されてしまっているのですから、もう道なき道を進むしかありません。L課長とガイドのHさんは『引き返そうか?』といった表情を見せます。しかし、私たち4人は先へ行ってみました。少し先に行くと、道は復活していました。
 この頃になるとL課長とガイドのHさんは、本当にこの道で正しいのだろうか??と疑問を持ち出したようです。しかし私たちもガイドも地図を持って来ていません。結局L課長とガイドのHさんは、昼食の時にL課長にプレゼントした、のりまき製の内金剛ガイドブックにある、戦前の内金剛地図を盛んににらめっこしだしました!意外なところでのりまき製のガイドブックが活躍することになってしまいました!!
 まあ、このくらいの道ならば軽登山靴でも履いていれば大した問題もなく通れるのですが、私たちは登山なんか想定していないので、普通の運動靴を履いています。L課長に至っては革靴です!そのために皆、この悪路で次々と転倒を始めました。転倒とはいっても大した怪我はなく、みんな転倒後も問題なく進めたのですが……
 更に進むと、今度はなんと道が水没してしまっていました。

水没した道……

 これは困りました……みんなでまわり道がないか探したのですが見つかりません、どうもここを突破するしかなさそうです。結局、水没した道を強行突破することになりました。皆で力を合わせ、誰も水中に落ちることなく最大の難所を突破しました!最大の難所突破後、L課長が先頭を切って先へと進みます。まもなくL課長の大きな声が響きます。『あったぞ!!』
 みんな疲れた足を速め、先を急ぎます。ついに到着しました!高さ15メートルの巨大磨崖仏、妙吉祥へ!!期待を裏切らない、いや、期待以上の見事なものです。我々旅行者4名、そして二人のガイドさん全員の顔に喜びが溢れています。時計を見ると午後の2時半です。本当に遠かった……
 Sさんがまず、「ここまで来てしょぼかったらガッカリだったけれども、これは納得だ!でも、『ここまで苦労して来てこんなもんか!』なあんて言うやつ、居るんだろな〜」といいます。そしてL課長が「ここまで来たのは本当にあなたたちが初めてです。3月の視察の時は、普徳庵までしか行けませんでした」。と続けます。
 「すると、日本人でここに来るのは約60年ぶりということですか??」と、のりまきがL課長に訊いてみます。L課長は頷きます。本当、よくぞここまで来たものです。正直、さらに喜びが増してきます!!
 そしてこれまで積極的には写真に納まろうとしなかったガイドのHさんが、「L課長と皆さんのおかげでここまで来ることができました!」と言いながら、Sさんに「よかったら私とL課長のことをポラロイドカメラで撮ってもらえませんか?」とお願いしてきました。もちろんSさんは快諾して、L課長とガイドのHさんは相次いでポラロイドカメラで妙吉祥と記念撮影に納まります。きっと出来上がった写真を朝鮮国際旅行社の他の社員に自慢するのでしょう(^o^)。

 また、妙吉祥の目の前にある石灯籠のそばでは、土を掘り返したような跡がありました。工事中かなにかのようにも見えたのですが、L課長によると、『倒れていたので、建て直しているのです』とのことでしたが……ここまでの道のりを考えると、とても工事や建て直しの作業を行なっている人が入っているようには見えず、結局何であるか謎が残ります。
 私たちは30分近く妙吉祥の前にいたでしょうか……午後3時少し前、私たちは妙吉祥を出発、山を降り出しました。




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