内金剛遥かなり
(第四章)



内金剛の入り口、ここで入山料を支払う。



 さて、峠を越えたところでガイドのHさんが私たちに、「運転手さんは緊張のし通しだったので、ここで一服させてあげませんか?」と提案してきます。運転手さんほどではないにしても、緊張したのはこちらも同じです。みんな一も二もなく賛成し、峠で小休止となりました。
 峠の向こう側はこれまでの険しい山道とはうってかわって高原のようになっていて、のどやなか雰囲気が漂っています。緊張感から開放され、みんなほっとしています。のりまき・ふとまき以外の5人は高原の光景を眺めながら、のんびりとタバコをくゆらせていました。

恐ろしい峠を越えて、人も車も一休み♪

 一休みの後、出発です。気がついたら元山を出発してから早や2時間半、時計は10時20分を指していました。本当に『遥かなる内金剛』です!車は起伏の少ない道を比較的快調に飛ばし出します。空はまだ曇り空ではありますが、同じ曇りでも高曇りという感じになり、内金剛側に入ると明らかに天候が良くなってきました。L課長の顔も明るくなってきて、「皆さんのお陰で、内金剛はよい天気になりました!」などと話し出します。
 そんな中、ふとまきが異様な光景を目にします。道端で作業をしている人たちの中で、他と違った服装をしている2人の男性がいることに気づいたのです。作業をしている他の人は皆、朝鮮人民軍の軍服を着ていたのですが、2人の男性のみは白と薄い青色の縦縞をした、パジャマのような服を着ていたのです。ちょうど映画などで見る囚人服そっくりな服でした。
 その光景を目にしたL課長は、一瞬“しまった!”という表情を見せたようでしたが、私たちを乗せたマイクロバスはあっという間に囚人服のような服を着た男性たちの前を通り過ぎていきました。しかし、あの囚人服のような服を着た2人の男性はいったい何者だったのでしょう?後からこの時の話をした際、E.Tさんはナチスの囚人服のようだったといいます。今回の旅行の参加者はみんな、ガイドさんに聞きづらいことも結構突っ込んで聞いていきましたが、この2人の男性の正体については誰も質問できませんでした。

 やがてのどかな農村の見える場所へと進んでいきます。のりまきが日本に帰ってから地図を確認したら、丹楓(タンプン)里という場所でした。田んぼによっては集団で田植えをしていたり、のどかに牛車が進んでいったりする光景を見ることができました。

金剛郡丹楓里(クムガン郡タンプン里)の光景。のどかに牛車が進み、奥の方では大勢で田植えをしている。
ところで、この集落の奥の方へと進み、峠を越えれば外金剛方面へ抜けられる。


 まもなく検問所がありました。ここではL課長が車から降りて手続きをします。検問所のところで道は三方に分かれていました。まず、私たちがやってきた、海沿いの雲田里からの道路、これから私たちが向かう金剛郡への道、そしてもう一つ、万物相の脇を抜けて外金剛に方面に向かう道もここから分岐していました。検問所のところでは、おばさんが私たちの車を見て『良かったら乗せて行ってもらえないか〜〜』といった感じで運転手さんに話し掛けてきました。でも、やはり外国人観光客の乗った車に地元の人を乗せるわけにはいかないようで、L課長の検問所での手続きが終了するとマイクロバスは出発しました。
 検問の通過後、L課長は私たちに対して「皆さん、証明書はお持ちですか?」と言います。「証明書がなければここから帰れない。私はある。皆さんはない!ここは交通機関がないから、皆さんここから平壌まで歩いて帰らなければ〜〜」。などと、私たちに冗談を飛ばしたりします。

 検問所の先も比較的アップダウンの少ない道が続きました。やがて車窓からはかなり大きな川が見えるようになり、道は田んぼの中を進むようになりました。L課長が「このあたりを金川(クムチョン)里といいます」。などという説明を私たちにした直後、事件は起こりました。まず、私たちのマイクロバスの前に、朝鮮人民軍の兵士が立ちはだかったのです。ここまでの道のりで『車に乗せてくれ〜〜』と、道端に立ってヒッチハイクの意思表示をしていた人は珍しくありませんでした。現にさきほどの検問所でも、おばさん達が運転手さんに話し掛けてきました。しかし今回はヒッチハイクどころか、何としてでも車を停めようとしている感じです。
 もちろん私たちの乗ったマイクロバスは、無視してそのまま通り過ぎようとしました。しかし道に立ちはだかっていた兵士はあきらめることなく、空いていた窓に手をかけて、走る私たちの車に飛び乗ろうとしてきました!!兵士は必死の形相で飛び乗ろうとしてきます。兵士が手をかけた窓のそばに座っていたSさんを始め、皆、肝をつぶしてしまいました。
 マイクロバスは急停車して、さっそくL課長が降りて兵士に説明をします。兵士はすぐに引き下がりました。兵士が引き下がった後、私たちの車はすぐに出発しました。車に飛び乗ろうとした兵士の様子を見ると、そばに目に白いハンカチのようなものを巻いた兵士がいました。白いハンカチの目の当たる部分には血が滲んでいます……目にかなりひどい怪我を負っているようです。車に飛び乗ろうとした兵士は、どうも目に重傷を負った同僚兵士のために、なんとしてでも車を停めようとしたようです。
 ツアーメイトの4人はみんな、「車に乗せてあげた方がいいのでは?」と、ぼそぼそと言っていたのですが、聞こえなかったのか無視されたのか……L課長もガイドのHさんも、何も答えないまま先へと進んでいきました。何せ起こった出来事があまりにも想定外だったので、我々4人もガイドのHさんもL課長も、なんだかあっけにとられているうちに事件が終わってしまった感じでした。

 道は風光明媚な田園地帯の中を、まるで何事もなかったかのように進んでいきます。ところどころの田では田植えが行なわれていましたし、道はやはり結構多くの人が歩いています。しかし内金剛近くでは自転車の姿はほとんど見かけませんでした。
 しばらく行くと、少し大きめの集落が見えてきました。金剛郡の中心部、昔は末輝里と呼んだ場所です。軍事境界線が近いせいか兵士の姿が目立ちますが、意外と人通りがある町です。郡の中心部を過ぎたところで、L課長が道の脇に見える高まりを指差して「あれがその昔、鉄道が走っていた跡です」。といいます。見ると直線的な高まりが続いています。「向こうの方にはトンネルの跡もあります」。見ると鉄道の跡は、小高い丘の方へと進んでいっています。丘にトンネルが掘られていたのでしょう。かつて鉄原から内金剛まで走っていた金剛山電気鉄道の跡です!!
 L課長はさらに、「この先、ひとつだけ橋脚が残っている場所もあります」。といいます。7〜8分ほど進んだでしょうか、確かにありました!金剛山電気鉄道の橋脚跡が!

金剛山電気鉄道の橋脚跡

 「内金剛駅の跡はどうなっていますか?」のりまきがL課長に訊いてみると、「駅は戦争の爆撃で破壊されてしまった。今はもう何にもない。ただ、場所はわかるからあとで説明します」。と言います。やがて道は松の木立の中で止まりました。内金剛の入山ゲートのような場所に着いたようです。時計を見ると11時をまわったところです。元山から約3時間半、本当に遠いです!!この場所には60代くらいに見える男性がいて、ガイドのHさんと入山手続きをし始めました。ちなみに内金剛は入山料を取られるようでしたが、料金はHさんが払ったようです。
 入山手続きを行なっている間、L課長と私たち4人は、あたりをぶらぶらしながら待っていました。「もう随分前に、80歳を過ぎた日本人のお年寄りに、『内金剛に行かせてくれ!』と、涙を流しながら頼まれたことがあった……そのお年寄りは小さい頃内金剛で遊んだ思い出があって、どうしても思い出の内金剛に行ってみたかったんだ……でも、その当時内金剛は外国人の立ち入りが禁止されていて、なんとも仕様がなかった……でも、今だったら来てもらうことができる」。L課長はそんな話をしだしました。「もうあのお年寄り、生きていたらたぶん95歳くらいになっていると思う、もし、今、あのお年寄りが内金剛に行きたいと言ってきたら、私が背負ってでも連れて行くよ」。と続けました。日本植民地時代、朝鮮半島一の観光地であった金剛山に、古きよき時代の思い出を持つお年寄りは、意外と多いのかもしれません。
 それからL課長は、金剛山入場ゲートのところにあった金剛山での禁止事項について書かれた注意書きについて「これは『勝手に木を切るな、動物を獲るな、火事を起こすな、山に畑を作るな』ということだ……」。という説明をしました。

 入山手続きが終わった後、金剛山の入山ゲートで記念撮影をしました。私たちは入山ゲートの管理人さんにも記念撮影に入るよう勧めてみましたが、遠慮されてしまいました。
 記念撮影後、私たちは再びマイクロバスに乗り込みました。まもなく進行方向左手に古い石塔が見えてきました。のりまきは思わず「あ、あれだ!」と叫びました。続いてL課長が「そう、このあたりに内金剛の駅があった」。といいます。かつて金剛山電気鉄道・内金剛駅に到着すると、左手の高台に、1000年以上前に建てられた大理石製の古い塔が建っているのを望むことが出来ました(注)。金剛山電気鉄道と内金剛駅は消えてしまったけれども、古塔は今なお同じ場所に立ちつづけ、歴史の流れを眺めつづけていました……

今回撮影した、1000年以上前に建立された大理石製の古塔と集落


かつての金剛山電気鉄道内金剛駅、写真の右端に古塔が見える。
(朝鮮金剛山大観・徳田写真館・1935年刊より)


 内金剛駅と駅前広場があった場所は、現在『内剛里』という集落になっているようです。内剛里の集落を過ぎ、いよいよ金剛山中に入ろうとする時、マイクロバスは突然脇道へと逸れました。あれっ?どうしてだろう??


(注)大熊瀧三郎著・金剛山探勝案内記(1934年刊)によれば
…驛(内金剛駅)は江原道淮陽郡長楊面長淵里に在って、昔一大寺刹の有つた痕跡はあるが興亡の由來は詳でない。ぼんやりとしてゐれば見落すであらう程の石造りの汚い而も燈籠かと思はれる左方の五重塔は、今を距る一千五百年前新羅時代に建立したもので四面の彫刻は精巧非凡で金剛山中、三古塔の一として有名である。
この文を読めば、内金剛駅に到着して左方を見れば、問題の古塔が見ることができたことがわかる。



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