内金剛遥かなり
(第三章)



内金剛への苦難の行軍の核心部、雲田ー丹楓道路にある、恐怖の峠道を下から見上げてみました。
人の手で一個一個石を積み上げて作られた、万里の長城を彷彿とさせる九折の道です。
実に壮観な眺めですが、実際に通行するとなると恐怖です!!



 6月21日(月)、いよいよ3年越しの夢である内金剛行きの当日となりました。前夜は床についた11時過ぎまで本降りの雨が降り続いており、テレビでの天気予報でも21日は元山は雨とのことで、正直のりまきは意気消沈していました。
 道に転がった大石をどけながら進んだ、前日の『どよめきの滝』への道のりの中で、L課長が「内金剛への道のりはこんなものではない、雨が降ったら道は泥沼のようになる」。と語った言葉が、のりまきの頭の中をめぐりつづけ、疲れていたのに正直、昨晩の寝つきはあまりよくなかったのです。
 トイレに起きたところ、東の方の空は早くも白み始めていました。時刻を見たら朝の4時頃です。のりまきは外の様子を見てみました。雲が空一面にたれこめてはいましたが、雨は止んでいました。のりまきは空を見つめ続けてみても天気がよくならないことはわかっていましたが、『天気はどうかな??』と、しばらく落ち着かず空を眺めていました。
 するとやがてふとまきもトイレに起きてきました。落ち着かず外を眺めていたのりまきを見て、ふとまきも半ばあきれながらもしばらくのりまきと一緒に曇り空を眺めたり、今日の内金剛行きの支度をしたりしました。1時間くらい寝ることもできず、室内をうろうろしていたのりまきも、5時頃ベットに横になってみると、意外なことにすーっと眠ることができ、次に目が覚めてみるとモーニングコールの鳴る予定の6時半直前でした。

 6時半、ガイドのHさんからのモーニングコールが時間通りかかってきます。7時には予定通り朝食です。朝食も昨晩の夕食と同じように、魚介類を上手く使ったおかずがたっぷりの、美味しいものが出てきました(^o^)。欲を言えば朝はもう少し軽めのメニューがありがたいのですが……
 ところでE.TさんとSさんは、しっかり早起きをしてガイドなしの散歩を楽しんだようで、特にSさんは朝の桟橋の様子をビデオカメラで撮ったようです。ただ、2人が散歩に出たことに気づいたガイドのHさんが、途中からしっかり“同行”をしていました。ご苦労様です。そして明朝は桟橋の散歩が急遽日程に加わることになりました(笑)。

 食事が終わるとさっそく出発です。出発前にガイドのHさんは、昼に我々が食べるお弁当と、ビールやジュースなどの飲み物の用意に走り回っていました。ホテル側の弁当の準備が思ったよりも少し手間取ったようで、ガイドのHさんは出発予定時刻の7時半から少し遅れて、弁当や飲み物を抱えてマイクロバスに乗り込みました。Hさんを待つ間、L課長は「まだかな?!」と、少しいらついた感じで時計を眺めていました。結局、元山の東明ホテル出発は7時40分でした。

 出発時の天候は典型的な曇り空でした。マイクロバスはまず元山市街を走ります。街並みは煤けた感じがして、少々埃っぽい印象を受けました。朝の7時半過ぎ、そろそろ通勤時間のようで、街中では多くの人々が歩いていました。港湾関係の仕事をしている人が多いのか、歩いている人の多くは港の方に向かっていて、さすがに歴史ある著名な港町、元山を感じさせます。
 マイクロバスは10分ほどで元山市街地を抜け、田園地帯へと入ります。雲がたれこめていましたが、田植えが終わったばかりの広々とした水田の景色はやはり心地よいものです。ガイドさんは近年、この地一帯を大水害が襲い、周囲が水浸しになってしまったことを説明していました。田園地帯でのりまきは、水田以外にところどころで麦、とうもろこし、そしてじゃがいもやかぼちゃなども作付けされているのを目にしました。また水田をよく見てみると、日本とは違い、稲を二列に植えていることに気づきました。
 道はやがて小高い丘が続く地形に入ります。道路は昨日と同じくコンクリート舗装道路です。前日の平壌ー元山『高速道路』と同じく、コンクリートの繋ぎ目の施工が悪いためか、マイクロバスがときどきバタンバタンと大きく上下に揺れます。特に橋の手前では、橋の構造物と道路との繋ぎ方が相当悪いようで、橋を渡る際には運転手さんは必ず大きく減速をさせていました。

 まもなく道の脇に鉄道が走るようになりました。日本植民地時代の東海北部線をリメイクしたものと思われる『金剛山青年鉄道』です。鉄道が道路の近くを走り出してからしばらく進むと、道の先が開け、海が見えてきました!!東海(日本海)です。やがて海沿いに白い砂浜が広がっている光景が見えてきました。美しい光景に思わず私たちは歓声をあげます!
 鉄道はトンネルをくぐったりしながら、そのような美しい光景の中を縫うように進んでいるのが見えます。「この鉄道に乗って金剛山へ行くツアーを催行したら、きっと日本からお客さんが来ますよ」。とのりまきが話すと、Tさんが「ま、そんなツアーを募集したところで応募者はみんなお互いに知っている人だったりして〜〜」と言いながら笑います。それからひとしきり、初日から幾度となく話題に上った『朝鮮観光の猛者』たちの話題に花が咲きます。
 そのような中、Sさんが「この鉄道、運転されているのですか?」。と、ガイドさんたちに尋ねてきました。ガイドさんたちは一瞬困った顔をして、これまでの調子良い口調とは違い、小声で「わかりませんね」。と、答えていました。

金剛山青年鉄道のレールの状態。
私たちが見たところ、どの場所でもこんな感じであり、現在使用中の鉄道とは思えなかった。


 私たちの通る道は、かなり多くの人が歩いていたり、自転車に乗りながら移動していました。また時々路線バスと思われるバスが走っていました。平壌ー元山のような幹線道路以外の、元山ー高城のような道路にも路線バスが走っていることは、少々意外な気がしました。のりまきは12年前も4年前も、北朝鮮で路線バスが走っているところを見た覚えがないことを考えると、結構北朝鮮も変わりつつある面があるのかもしれません。ところで、路線バスのほとんどはスシ詰め満員で、ハンドルを握る運転手の手に触れんばかりに人が乗っていました。ただ、さすがにバスの屋根にまでは人は乗っていませんでした。
 鉄道はというと、だいたい私たちの通る道沿いを進んでいました。そして時々、故金日成主席の肖像画が正面に飾られている駅の姿も見えました。

 やがて道の脇に湖が見えてきました。洞庭湖や侍中湖といった、東海(日本海)沿いに連なる湖です。かなり大きい湖でしたが、釣りをしていると思われる小船が2〜3艘浮かんでいるのが見えるのみで、とても静かな感じです。
 湖を通り過ぎる頃、天候が悪化してきました。周囲が濃い霧に包まれ、やがて小雨がぱらつきだしました。降り出した雨を見て、L課長はマイクロバスの窓を開けて手を伸ばしました。手に当たる雨粒の感触を確かめたL課長は、「あちゃ」と、舌を打ち、顔をゆがめました。

 その後、道は湾のようなところに出ました。湾の一角には町並みが広がっていました。ガイドさんによると町の名前は通川です。通川は郊外に景勝地の叢石亭があることで有名な町です。湾沿いを進む際、韓国側の海沿いでも見かけたような鉄条網が、海岸線に張り巡らされているのが見えました。通川通過は8時50分頃、出発から約1時間10分後のことでした。

北朝鮮でも海沿いに張られる鉄条網

 通川の街は元山と印象が似ていて、なんとなくくすんだ埃っぽい感じがする街でした。通川の町中ではかなり多くの人が歩いていました。また通川の郊外には駅があり、駅には貨車が2台あるのが確認できました。通川を過ぎてしばらくして、また貨車が確認できました。貨車は『東海(トンへ)』という駅のそばにありました。

金剛山青年線、東海駅近くにあった貨車

 その頃、のりまきは『あれっ?』と思いました。のりまきは十中八九、通川から山を越えて内金剛方面へ向かうのだと思っていたのです。しかし通川を過ぎても、マイクロバスは外金剛のある高城方面へ進み続けています。『これはひょっとして、高城から温井里と、現代のやっている金剛山観光施設を横目に見ながら、万物相の先を超えて内金剛へ向かうのかな??』と、のりまきは思い始めました。
 通川の先、道は少し海から離れました。周囲の光景はというと、のどかな田園風景の中、時々集落が見えます。そのような集落の中の2箇所に、『モギョクタン(銭湯)』という文字が書かれた建物があるのに気づきました。
 まだまだ天候は良くはないのですが、いつしか雨は止みました。道はやがて通川郡を越え、外金剛のある高城郡へ入りました。郡境には『金剛山まであと34キロ』と書かれた、お約束の動物オブジェがありました。

 郡境を越えても私たちの乗ったマイクロバスは高城方面へと進みます。高城郡に入ると、道は海の近くを通ったり、またかなり大きな川沿いを進んでいったりしました。通川を通過して30分くらい経ったでしょうか?『これは現代の観光施設を外から見ることが出来るかな!』のりまきの期待が高まる中、道沿いに『金剛28キロ』と書かれた道路標識があるのが見えました。『あれ?』と思う間も無く、道はこれまでのコンクリート舗装の道から逸れ、未舗装の土の道を進み出しました。
 未舗装の道に入るや否や、L課長が「さあ、これからが本番です」といいます。どうやらこの道が昨日L課長が『内金剛への道はこんなものではない』。と言っていた道の正体のようです。そしてL課長は「この道はあの先の方に見える山を越えていくのです」。と続けます。先の方を見ると、かなり高い山が見えます。これはたしかに大変そうです。
 「(韓国の)現代が金剛山の観光を始めた後、内金剛のある金剛郡まで行く道としてこの道は作られました」。L課長はさらにそう説明をします。「この道が出来てから、内金剛はずいぶんと便利になりました」。ともいいます。もともと金剛郡まで行くには、万物相の先にある温井嶺という峠を越えて行くのが普通だったのですが、現代の金剛山観光が開始された後、新たにこの道路が作られたようなのです。それにしても新たに道路を作るとは……北朝鮮当局は、どうも高城や温井里の住民以外の人に、現代グループの行なっている金剛山観光の現状を見せたくないようです。現代グループの金剛山観光に対する北朝鮮側の強い警戒感が伺われます。
 ちなみに帰り道、この道路のことを『雲田(ウンジョン)ー丹楓(タンプン)道路』と呼ぶことを確認しました。高城郡雲田里と金剛郡丹楓里を結ぶ道路なので、そういう名がつけられたようです。

 最初、道は思ったよりも悪くありませんでした。ところどころに水溜りはありますが、道も比較的フラットで、日本の田舎道をマイクロバスが進む感じと大差ない感じです。しばらく行くと検問があり、ガイドのHさんが証明書を見せて通過しました。ところでL課長は、検問所にいた若い兵士に「この先、道はどうなっていますか?」と尋ねたのですが、兵士から返事はありませんでした。
 検問所の先、進行方向左手になかなか見事な山並みが見えてきました。L課長は「ここも金剛山の一部です」。と話していました。日本帰国後にのりまきが確認したところ、外金剛北端の『白鼎峰地域』のようです。
 
 やがて長い坂が始まりました。路肩は人力でひとつひとつ積み上げられた石で出来ていて、下を覗き込むとかなり深い谷になっています。道にもかなり大きな石が転がるようになり、次第に緊張感が高まってきました。
 そして道の先の方で道路工事をしている場面にぶつかりました。30名くらいの若い人民軍の兵士たちが、道路の修復作業をしているようです。どうやら道の一部が崩れてしまっているようなのです。工事現場にはトラックが止まっていて、このままでは通行ができません。私たちの乗ったマイクロバスは停車をして、ガイドのHさんとL課長が工事現場の兵士たちに話を聞きに行きました。
 ガイドのHさんとL課長はすぐに戻ってきました。兵士たちによると「10分くらいしたら通れるようになる」。とのこと、必然的に休憩タイムとなります。時計は9時45分を指していました。そういえば元山からここまで2時間以上、全く休憩なして走りつづけてきました。みんな外に出て良い空気を吸って、それからのり・ふと以外の5人は一斉に一服タイムです(^o^)。
 工事現場を見ると兵士たちの多くがこちらを興味深げに眺めてみます。手を振ってみると、お調子者らしい、上が白いシャツ姿の兵士がさっそく手を振ってきます。更に手を振ると、今度はもっと多くの兵士が手を振ります。
 10分も待つことなくトラックは動き出しました。荷台には荷物ではなく多くの兵士を載せて山を降りるようです。私たちのマイクロバスの脇をトラックが通過する際、荷台の兵士たちに手を振ってみると、兵士たちの多くは手を振り返してきました(^o^)。

 マイクロバスの運行が再開されてまもなく、E.TさんがL課長に「現代グループに協力させて、もっと道を良くすればよいのに」。と言いました。するとL課長は少しいやな顔をしながら、「いいえ、我々の力でしなければ……」と答えていました。現代グループはあくまで外金剛に閉じ込めておきたいのでしょうか?南北の協調が進んでいることや、南北対話をアメリカが邪魔をしていると話していたわりに、現代グループの観光開発が進む外金剛を迂回する新道路を作ってみたり、道路工事に現代グループの協力を求める話をいやがるなど、北朝鮮側の建て前と本音にはどうもかなり大きなへだたりがありそうです。
 ところどころに石が転がっている坂を少し登ると、またマイクロバスは止まりました……はて?また工事か??と思っていると、L課長が「降りてみて下さい」といいます。マイクロバスを降りてみてびっくりです!目の前には、これまで見たこともない壮観な光景が広がっていました。


日光のいろは坂のように、山肌を縫って進む峠道。
いろは坂との違いは、この道路が基本的に人力で石を積み上げ積み上げ作られたこと。

 「なんだ!これは!!」今回の旅行参加者の、のりまき・ふとまき、E.Tさん、Sさんが一斉に声をあげます。山肌を縫うように走る九折の道、しかも道の路側は明らかに人力で積み上げられた石で出来ています。景観とすれば万里の長城もかくやといった印象です!単に景色として見れればば良いのですが……問題はこれから私たちはこの峠を越えていかねばならないということです!!
 しばしの休憩の後、出発です。道の状態は思ったよりは良いのですが……山側を見れば石造りの城壁のような上の道の路側が迫ってきますし、下を覗き込むと谷底です!!落石がいつあってもおかしくない感じですし、だいたいマイクロバスが通過するには限界に近い道幅……道には申しわけ程度のガードレールしかありませんし、だいたいガードレールのないところも多いです。少しでも運転を誤れば谷底にまっさかさまになることは目に見えています!!まさに運転手さんにとって『苦難の行軍』です!!

 登りはじめてどのくらいの時間が経ったでしょうか??道の脇に展望台があるのが見えました。するとやがて道は大きく右側にカーブし、道の両側は切通しになりました。そして目の前には高城郡と金剛郡の郡境の表示が現れました!やった!!ついに峠を越えたのです!!!




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