韓国ー北朝鮮間のDMZ(非武装地帯)と、南北連結鉄道
2003・12・2〜4日の状況

(その1・統一展望台ー南江)


はじめに

 この図は、金剛山陸路観光で見ることができる、現在朝鮮半島の南北を繋ぐ形で建設中の、鉄道建設の現状(2003年12月初旬)について、金剛山陸路観光の往復時と三日浦観光時にメモした内容をもとに、推定コースを日本植民地時代の5万分1の地図上に落としてみたものです。区間的には韓国側の高城統一展望台から、北朝鮮側の金剛山青年鉄道・金剛山青年駅までを記してみました。
 赤線は建設中の鉄道、黒線は金剛山観光などに使用されている南北間を連結する東海線臨時道路です。そして赤の太線部分は線路の敷設が終わっている場所です。
 のりまきが各種情報を総合して推定しましたが、当然誤りやズレなどがあると思いますのでこの点を念頭に置いてご利用ください。意外と思われるかもしれませんが、北朝鮮側よりも韓国側の推定の方が難しく、自信もありません。これは高城統一展望台から軍事境界線までの間に目印となるような地形がないことによります。
 また鉄道の建設状況とともに、南北間の非武装地帯やその周辺の様子も一緒にまとめてみました。

 各記号は、カタカナはコース上で目立つ地名、英大文字は南北の金網と軍事境界線、数字は行程中で特色あるものが見えた場所を示しています。それぞれについての説明は、解説コーナーに一括してまとめました。


これまでの南北を連結する鉄道・道路(東海線)と、金剛山陸路観光
についての簡単な経過


2002・9・18 東海線・京義(平釜)線双方で、南北を連結する鉄道・道路(東海線)、同時着工。
(参考記事・中央日報 2002・9・18 南北、「鉄道・道路連結」着工式
2002・12・12 東海線臨時道路、南北間で連結される。
(参考記事・中央日報 2002・12・13 南北鉄道連結区間での地雷除去、14日完了) 
2003・1・27 南北間の軍事境界線通行交渉が妥結
(参考記事・朝鮮日報 2003・1・27 南北の軍事境界線通行交渉が妥結
2003・2・5 金剛山陸路観光の事前踏査が行なわれ、板門店以外で初めて軍事境界線の通過が行なわれた。
(参考記事・中央日報 2003・2・5 金剛山陸路観光・事前踏査を開始
2003・2・14 東海線の臨時道路が正式に開通。金剛山陸路観光のテスト観光出発。
(参考記事・朝鮮日報 2003.2・14 東海線の臨時道路が開通
2003・2・23 一般旅行客参加の金剛山陸路観光開始
(参考記事・朝鮮日報 2003・2・23 初の金剛山陸路観光が実現
2003・3・1 金剛山陸路観光中断
(参考記事・朝鮮日報 2003.3・2 金剛山陸路観光が開始10日で暗礁
2003・6・14 東海・京義(平釜)線とも、南北間のレールの連結式が行なわれた。
(参考記事・朝鮮日報 2003・6・15 「南北縦断」京義・東海線連結式が開催
2003・9・1 金剛山陸路観光再開




同一条件でスキャニングした、5万分の1の縮尺です。参考にしてみて下さい。

原図:1916(大正5)年測量、1918(大正8)年朝鮮総督府発行 5万分1地図:高城


 なお鉄道ジャーナル2004年2月号には、主に韓国側の東海北部線の現状が詳しく紹介されています。東海北部線の現状に興味のある方にとって必読のルポです。
 また、著者の小牟田哲彦氏は鉄道ジャーナル2003年7〜10月号にも、『朝鮮半島 軍事分界線を越えていた4つの鉄道』と題した、朝鮮半島の分断によって切断されてしまった4つの鉄道についての現状を紹介したルポを連載しており、朝鮮半島の近現代の鉄道を熱心に調査・研究されています。のりまきも小牟田氏から貴重な情報・資料等の提供を受けています。この場を借りて御礼申しあげます。

鉄道ジャーナル2004年2月号の内容は、こちらのリンクをご参照下さい


上の地図の解説コーナーはこちらです

束草港で見かけた南北連結鉄道用の枕木・レールはこちら

(2003・12・12 完成)



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