DMZを越えて
(第五章)


九竜台から覗いた、上八潭の絶景

(2003・12・26 完成)


2003年12月3日(水)
 金剛山観光の朝は早いです。まず朝食は6時半から開始ですが、とにかく出発が7時40分なので仕方ありません。金剛山観光二日目の今日は、九竜淵・三日浦そして北朝鮮特別料理の金剛苑と、イベント目白押しです。興奮してしまったのりまきは、朝の4時半頃に目を覚ましてしまい、それ以降寝付けませんでした(笑)。外は快晴でとても良い天気です……明るくなってくると金剛山の勇姿が次第に姿を現しだします。金剛ビレッジはホテル海金剛よりも金剛山本体に近いため、岩に刻まれた『金正日』の巨大文字がかなり近くに見えます。
 のりまき・ふとまきは6時半少し前に金剛ビレッジの食堂、『ハナウォル』に行ってみます。すると早起きをした人たちが早くも食堂前に集まりだしていました。ハナウォルに入ってみると、広い部屋に長テーブルとパイプ椅子が並べられていて、まさに一昔前の大学の学食といった雰囲気です。肝心の朝食はというと、バイキング形式で一応パンもご飯もありましたが、ホテル海金剛と較べておかずの種類はぐっと少ないです。またおかずの内容自体もホテル海金剛のものと較べると質素であるのは否めません。料理のお味は決して悪くなく、結構いけると思うのですが……食物を乗せる白いプラスチック製のトレイがなんとなく侘しさを感じさせます。


金剛ビレッジの食堂『ハナウォル』の食器。なんとなく侘しさを感じてしまう……

 朝起きてみて、心配したお腹の調子はのりまき・ふとまきとも特に異常なかったのですが、朝食はやはりつつましやかに頂きます。私たちが食事を始めてまもなく、50〜60代に見える父と、20代の息子の親子連れが現れました。私たちと同じマー2のバスに乗っていて、『済州から来ました!』と言っていた人たちです。「こんにちは」。お互い挨拶をしてから、まもなく親子は揃って朝食を取りに行きます。体格の良い息子さんは、トレイから溢れんばかりのてんこ盛りのご飯・おかずを持って来て、黙々と食べています。のりまき・ふとまきはびっくりです。
 朝食が終わり、少ししたら出発です。前々回(2001年)やはり同じ頃に金剛山へ行った際に、とても寒い思いをした経験を生かし、手ぶくろ・毛糸の帽子などなど、防寒対策には万全を期します。
 7時30分頃に荷物を持って外に出てみると、すでにバスに人が乗り始めていました。のりまき・ふとまきがバスに乗り込もうとすると、女の子の声で「おはようございます」。という声がします。なまりの全くないきれいな日本語です。ただ、このときはまだ声の主が誰であるかわかりませんでした。
 今回の『マー2』号車の皆さんは、初回の金剛山観光の時と同じように、皆さんおおむね時間厳守されます。7時40分、バスはほぼ定刻通り温井閣に向かいます。

 バスの車窓からは、暗くなってから到着した昨日は見ることが出来なかった周囲の景色が見えてきます。前回の金剛山観光の際に確認した、丘の中腹から高城(長箭)湾方面に向けられている砲は、今回も確認できました。また私たちが移動する金剛山観光専用道路の隣を走る金剛山青年鉄道は、確実に路盤の状況が悪化しており、路盤が流出してレールが浮いてしまっている場所も見受けられました。どうも金剛山青年鉄道は全く使われていないようです。
 金剛山青年鉄道の少し向こうには、北朝鮮の皆さんが歩いていたり自転車に乗っている道路があります。その北朝鮮の皆さんが利用する道路に、前回と前々回はなかった、遊園地などにありそうな動物のオブジェが立てられていることに気づきました。ところで動物のオブジェは九竜淵にも三日浦にも万物相にも新たに作られていました。これらオブジェの作風は、以前(2000年7月)のりまきが北朝鮮・黄海南道の九月山を旅行した時に見かけたの動物のオブジェと同じく、見れば見るほど妙〜な感じがしてくるものでした。
 やがて温井里の街並みが見えてきます。見た感じは前回・前々回と変わりません。金剛山青年駅を進行方向左手に見て、道は温井川を渡ります。温井川が見える場所まで行くと、北朝鮮の女性が川で洗濯をしている場面に遭遇しました。12月の朝8時ごろ、山から流れ落ちてきたばかりの川の水で洗濯をするのです……きっとさぞかし冷たいことでしょう。

 温井閣には8時少し前に到着しました。到着するとまず、のりまき・ふとまきは金剛苑の予約に走ります。以前飴屋の金さんのお店があったあたりにある予約場所の前まで行くと、金剛山に向かう時と昨晩温井閣で出会った朴さん夫婦に会いました。朴さんのだんなさんが「金剛苑を予約するのですか?」という感じで私たちに話しかけてきたので。のりまき・ふとまきは頷きます。それを見て朴さんご夫妻は「私たちも金剛苑に行きます」。と言ってにっこりと笑います。
 予約場所には数人の人が並んでいました。私たちの目の前で30人を超えるかなり大勢の団体予約もあって少々やきもきしましたが、のりまき・ふとまきは無事に金剛苑の予約に成功し、2人分の50ドルを支払い、予約票を貰うことが出来ました。また予約場所で、九竜淵コースにある北朝鮮側経営のレストラン・木蘭館の利用チケットも販売していることに気づき、一緒に購入しました。
 予約が終わった後、ガイドの康さんが「金剛苑の予約出来ましたか?」と聞いてきます。金剛苑の予約票を見せると康さんは安心したようでにっこりします。

 金剛苑の予約が終わってから、のりまき・ふとまきは温井閣の前に建てられた鄭夢憲氏の顕彰碑を見に行きました。氏は現代グループの会長として金剛山観光などの対北朝鮮事業に尽力していましたが、今年(2003年)8月4日に飛び降り自殺によって非業の死を遂げました。碑を前にして、2001年11〜12月の最初の金剛山行きの際、鄭夢憲氏が一緒の船で金剛山へ向かい、ホテル海金剛でヒラメ釣りを氏の隣で見たことを思い出します……
 私たち以外にも、顕彰碑を少なからぬ金剛山観光客が見に来ていました。また、この顕彰碑のそばからは温井里がかなり良く見えるのですが、しっかりと『撮影禁止』の注意書きが貼ってありました。ただ、のりまきは注意書きに気づく前に写真を撮ってしまいました。この場所は北朝鮮の監視員が監視をしていましたが、気づかなかったのか大したことないと思われたのか、監視員からは何も言われませんでした。


スキャナの機能いっぱい活用してみました……温井里の遠景です。
コンクリートの壁の向こうに家並みが並んでいるのがわかります。


 それから昨晩はゆっくりと見ることができなかった、温井閣で販売しているお土産を確認します。まず、前回は駅のタバコ屋程度の規模であった免税店が随分立派になったことに気づきます。今回はタバコと洋酒ばかりではなく、プラダやシャネルなどもしっかり販売されています。当然、お客さんもそれなりに集まっていました。
 また金剛山・北朝鮮のお土産は、全体的に品揃えが豊富になって、これまでより色々な商品が選べるようになった印象でした。しかしこれまで2回とも購入した、北朝鮮タバコ10種詰め合わせは今回は売っていませんでした(-_-メ)。

 そんなこんなで出発の時間になりました。私たちもマー2号のバスに戻り出発です。バスは8時半、温井閣を出発します。出発後九竜淵コースはすぐに山の中に入っていきますが、まず進行方向右側の山すそで、北朝鮮の兵士たちが数十人〜100人くらい集まって、なにやら作業をしている光景が目につきました。これは今回の金剛山旅行全体で感じたことなのですが、今現在、金剛山地区のあっちこっちで建設作業をしている感じでした。
 道はやがて峠のような場所を越え、神渓川沿いを走るようになります。このあたりは人里から少々離れた場所だと思うのですが、少々カラフルないでたちをした数人の若い女性が歩いているのを目撃しました。彼女たちはいわゆる金剛山観光の『環境保護巡察員』でもなさそうでしたし、いったい何をしていたのでしょう?女性たちを見送った後、バスは松林の中、ガタガタ道を揺れながら進んでいきます。

 道は朝鮮戦争時に焼失してしまった元金剛山四大寺のひとつ、神渓寺の跡地を過ぎ、ほどなく車道終点の駐車場に到着です。駐車場から出発する前に、私たちは康さんに時間について確認します。
 康さんはふとまきが出したノートに、12:30/1:10/1:50と書き、「シャトルバスがこの時間に出ます。これに乗って下さい」。というような説明をします。どうも九竜淵コースからの帰りは、12時半、1時10分、1時50分に駐車場を出発するバスのどれかに乗れば良いようです。帰りのバスが選べるのならば、ある程度自分たちのペースで歩くことができます。
 それから先ほどチケット売り場で購入した木蘭館のチケットを見せて「木蘭館には何時に行けばいいですか?」と聞いてみると、康さんはノートに11:30〜1:00と書きます。どうやら木蘭館には11時半から1時までの間に行けば良いようです。
 最後にふとまきが三日浦 温井発とノートに書くと、康さんは2:30と書きます。九竜淵コースから温井閣に戻った後、三日浦コースは2時30分に出発することがわかりました。これで三日浦に行くまでの時間の流れが大体理解できました。
 そんな時に私たちの乗ってきたバスの運転手が、小走りに私たちのところまでやって来ます。運転手はふとまきがバスに置いたままにしておいたお風呂セットを持っていました。私たちはこれまでの金剛山観光がそうであったように、どこへ行くのにも同じバスに乗るものだと思い込んでしまっていて、バス内に荷物を置きっぱなしにしてしまったのでした。

 九竜淵コースの案内板前でのりまきと康さんが記念撮影をした後、いよいよ私たちは九竜淵コースに出発します。出発後まもなく、道の脇に手製と思われるコンクリートブロックが並べられていることに気づきました。同じようなコンクリートブロックはDMZ内の北朝鮮側工事現場でも現地製作されて建物の工事に使われていました。どうもこういうコンクリートブロックを使うことが、北朝鮮流工事のやり方の一つであるようでした。


九竜淵コース駐車場のすぐ先にあったコンクリートブロック
金剛山各所の北朝鮮側工事現場で同じようなコンクリートブロックを見た。


木蘭館の増築工事。金剛山地区で見かけた北朝鮮側建設工事は
だいたいこんなような感じで工事を進めていた。


 それからまもなく目の前に木蘭館が見えてきました。木蘭館は2年前とはうって変わって、改築されて小ぎれいな感じの建物に変身していました。奧の方では増築工事も行なわれています。先ほどのコンクリートブロックは、どうやら木蘭館の増築工事で使用されているようでした。
 木蘭館を過ぎると道は山道に入ります。韓国人はせっかちなのか、多くの人はかなりのスピードで進んでいきます。印象として景色を堪能しながら進むような人は少ない感じです。前回はあまり感じなかったのですが、登りはじめてまもなく、のりまきは思ったよりコースがきついと感じました。九竜淵コースは最後の上八潭に登るまではだらだらとした登りが続くのですが、最近ののりまきは運動不足なのかもしれません(-_-メ)
 天気がよく、周囲の山々の景色は青空に映え、道のそばを流れる渓流の流れも澄み切っています。寒いのが玉にキズですが、冬にしては素晴らしいハイキング日和です(^o^)。歩いていくと記憶にない金日成・金正日親子を称える碑が、ところどころに建っていることに気が付きます。どうもこの2年の間に新たに作られたもののようです。
 やがて道はこの水を飲むと10年若返るといわれる参鹿水の前を通ります。みんな若返りたいのか、多くの人が水を飲もうと集まっていました(^o^)。それから天然の門“金剛門”をくぐり、やがて私たちは玉流の滝の前に着きました。景色がとりわけ美しい場所なので、多くの人が写真を撮っています。のりまき・ふとまきも写真撮影を行い、また、この場所にいたコダックの社員さんに記念撮影をお願いします。
 すると、同じバスに乗っていた女性二人組が写真を撮ってくれるようにふとまきに頼んできました。ふとまきはシャッターを押したのですが、言葉もよくわからない中で不安だったのか、ふとまきが撮影をした後、のりまきにもシャッターを押すように頼んできました。
 玉流の滝を過ぎると、周囲の山々の多くは鋸の歯を立てたような切り立った岩峰となり、渓流の流れも更に美しいエメラルド色となって、景色は目に見えて冴えを増します。
 道は二連の翡翠の玉のような連珠潭を過ぎ、そして滝を落ちる水しぶきが“鳳凰が飛ぶ”ように見えることから飛鳳の滝といわれる大滝の前を通ります。前回は水がなく涸れ滝であった飛鳳の滝は、今回は少し水が流れ落ちていて、多少なりとも名前の由来を感じとることが出来ました。


二連の翡翠の玉のような連珠潭

 やがて道は上八潭を望む展望台である九竜台と、九竜の滝との分岐点に着きました。さあ、これから九竜台への急登にチャレンジです!!橋を渡るといきなり急登が始まります。道は鉄製の急な梯子をよじ登るように上がっていきます……登っていくといつしか息がゼエゼエしてきます。登りの途中で疲労のためかのびてしまっているおばさんが一人いました。また、のびてまではいないけれども、多くの人が疲れたのかあちこちで休憩をとっていました。
 のりまきは登りながら、日本植民地時代に九竜の滝と九竜台との分岐点から600〜700メートルほど沢を奥に入ったあたりにあったという、金剛鉱山の跡を確認したいと思いましたが、見つかりませんでした。ただ、推定される場所あたりでかなり大きな穴が開いているところを見つけたので、ひょっとしたらその穴が鉱山跡なのかもしれません。
 九竜台までの登りの中間あたりにさしかかった頃でしょうか……のりまき・ふとまきがきつい登りに苦しんでいると、朴さん夫婦が軽快な足取りで降りていきました。ご夫婦とも例によって私たちを見て手を挙げながらにっこりします。それにしても朴夫婦はたぶん60〜70代だと思うのですが、その健脚ぶりにはびっくりです。

 あえぎながら30分近く登ったでしょうか。ようやく九竜台に到着しました。2年前も感じましたが、ここからの風景は四方八方どこを見ても絶景です!特に絶壁のはるか下にある、翡翠の首飾りを思わせる上八潭と、目の前に広がる世尊峰の勇姿はいくら見つめていても見飽きることがありません。
 そういえば今回は2年前(2001年)よりも暖かいようで、前回は凍れる首飾りのようであった上八潭もまだほとんど凍っておらず、翡翠の首飾りを思わせる澄んだ濃い緑色を湛えていました。
 下の方を良く見ると、ジグザグな山道が山腹につけられているのが見えました。どうもこの山道は、眼前に見える世尊峰や金剛山最高峰である毘盧峰まで続く登山道のようでした。世尊峰は山頂からの景色が金剛山の中でも随一といわれ、近いうちに金剛山観光の目玉のひとつとして、動石洞ー世尊峰ー九竜淵周遊コースの登山が行なわれるとの話があります。このコースは踏破に約8時間かかるという本格登山コースで、山頂近くでは長い梯子をよじ登る場所もあるといいます。また日本植民地時代の1944(昭和19)年の芥川賞受賞作品:登攀では、このコースの世尊峰登攀場面がクライマックスとして描かれています。
 のりまきは、ぜひ近いうちにこの動石洞ー世尊峰ー九竜淵周遊コースの登山をしてみたいと思っています。


九竜台から望む世尊峰の勇姿

 九竜台は天気は良かったのですが、風が大変に強く、下手をすると飛ばされてしまいそうでした。そんな中、皆それぞれに記念撮影をしていました。のりまき・ふとまきも、同じバスに乗ってきた家族連れの記念撮影のシャッターを押したり、またその家族連れの人にシャッターを押してもらったりしました。
 絶景と上まで登りきった達成感とで、なかなか九竜台から立ち去りがたいものがありましたが、現代の職員の「急いでください」。との呼びかけに促されるように、私たちは九竜台から降り始めることにしました。




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