DMZを越えて
(第四章)


今回のお宿、金剛ビレッジ。外観はたしかにコンテナハウスそのもの

(2003・12・23 完成)



 高城(長箭)港にある北朝鮮の出入国管理事務所は、これまでの雪峰号での海路での金剛山観光で用いられていたものと同じものです。軍事境界線を越えて北朝鮮に入ってから、DMZ(非武装地帯)を過ぎたあたりで入国審査を行なわず、わざわざ高城(長箭)港まで行って入国手続きを行なうのも面倒だと思うのですが、まあ今のところそうなっているのですから仕方ありません。
 場所も一緒なので、金剛山観光での北朝鮮入国手続きはこれまでと全く変わりません。バスごとに列になって、ひとりひとりあらかじめ決められた順番に従って入国審査を行ないます。さすがにこの北朝鮮の入国審査は、韓国側での出国審査よりは多少手間取っていて、入国審査の書類に疑問が見つかって、係官から質問攻めにあっている人や、X線検査の結果、北朝鮮側の係官から荷物の確認を求められる人もいましたが、おおむねスムーズに手続きが進んでいきます。
 ただ今回はこれまでと違い、私たちが乗ってきたバスの中に北朝鮮係官が入り、何か不審なものが残されていないなどうか確認作業を行なっていました。金剛山観光客は入国審査が終わった後も全く同じバスに乗って移動するわけですから、バスに不審物を置いたままにして入国審査の網の目をくぐりぬけようと画策することは考えられるわけで、たしかに北朝鮮係官のバス内点検には理由があることです。この点検はかなりしっかりと行なわれていて、飴の袋のようなものを置き忘れた人に対して、『これはなんだ?』といった質問がされていました。実のところのりまき・ふとまきはバス内にミネラルウオーターを置き忘れてしまっていて、少々心配でしたが、これは北朝鮮係官に見逃されたようでした。

 私たち『マー2』のバスは最後の方に手続きをすることになりました。私たちはマー2の最後、31番目と32番目に手続きを行ないます。私たちの2人ほど前に手続きを行なった女性が、観光証に書かれた住所について北朝鮮の係官から質問攻めにあってしまったこともあり、韓国出国時と同じく、私たち2人はまたまた全体の最後に手続きを行なうことになってしまいました。
 まず北朝鮮入国手続きの方ですが、係官は慎重に確認はしていましたが、のりまき・ふとまきとも特に問題なくパスしました。韓国出国時に問題となった、ふとまきのパスポートの写真があるページの記述と実際の名前が異なっていることについても、韓国側出国管理官の予想通り全く問題にされませんでした(笑)。
 ところで……今回の北朝鮮入国は2003年12月2日でしたが、北朝鮮の係官が捺した入国スタンプは2003年12月1日となっていました。同じ係官の捺した入国スタンプは、たぶん全て12月1日の日付になっていると思います。観光客の住所については細かく確認しておいて、入国スタンプの日付は間違える……これもまた韓国・朝鮮人らしいケンチャナヨ精神の現れなのでしょうか?


12月1日の日付で通行検査所(入国管理事務所)印が捺された、今回ののりまきの観光証。

 続いて荷物検査です。荷物検査の担当は中年の男性でした。X銭検査の装置にのりまき・ふとまきの荷物を通してみると、のりまき・ふとまきの荷物とも『荷物の中身の確認が必要』という結果になりました。荷物検査のベルトコンベアを逆回転させ、チェックが必要な部分を係員が改めて確認していた時です。私たちは突然、「日本から来ましたか?」と、日本語で話しかけられました。見ると私たちの前には荷物検査の担当係官とは別の、前歯が少し欠けた、ちょっと軽い感じのするお笑いタレント風の男性が立っていました。
 「はい、私たちは日本人です」。と、のりまきが韓国・朝鮮語で答えると、この男性は目を輝かせて「朝鮮語が出来るのか?」と聞いてきます。
 「ちょっとだけ……」のりまきがそうジェスチュアーで示すと、その男性はにこにこと笑い出しました。つられるように荷物検査担当の係官もにっこりします。荷物を開けて確認すると、問題になったのはのりまきはフィルムX線保護ケースで、ふとまきは使い捨てカイロの束でした。荷物検査の係官と日本語ができる係官は、ともににこにことしたまま確認を行ないます。まもなく問題はなく、行ってよいということになりました。別れ際に日本語の出来る係官は私たち二人に向かって「またお会いしましょう」。と声をかけます。

 のりまき・ふとまきは北朝鮮入国も全体の最後です。全ての検査が終了する場所で、数名の金剛山観光職員とともに初回の金剛山行きのときと同じようにクマの着ぐるみが歓迎のために手を振っていましたが、ほとんど一瞥する余裕も無く、とにかく急いでバスに乗り込みました。
 今回は出入国管理事務所目の前のホテル海金剛ではなく、金剛ビレッジが宿泊場所なので、入国手続きが終わればすぐにバスに乗って移動です。バスに乗り込み、高城(長箭)湾沿いを3〜4分進むと金剛ビレッジに到着しました。
 金剛ビレッジは二回目の金剛山行きの時に外観は見ています。もともと金剛山で働く現代の関係者の宿所としていたコンテナハウスを、さらに改造したものなので、外観はまさにコンテナハウスです。そのコンテナハウスに今回宿泊するわけです。実際、金剛ビレッジとはどんなところなのか興味深々でした。
 バスを降りるとガイドの康さんが話しかけてきました。彼女はどうやら金剛山観光のガイドになりたてのニューフェイスで、日本語はもちろん英語もまったくダメで、コミュニケーションには苦労しましたが、一生懸命に仕事に取り組んでいて、結構好感が持てました。
 「二人のお部屋は401号です」。という、わかりやすい用件の後、お互い言葉が通じないので続いての用件を聞き取るのに苦労しましたが、「チェックインが終わったら、すぐに出発です」。ということを伝えたかったようです。これはこれまで二回の金剛山観光と全く同じなので、私たちが特に迷うことではありません。
 「明日の金剛苑(クムガンウォン)の予約をお願いしたいと思います」。康さんの話の後、のりまきは今回の旅行前に旅行会社の人に、『金剛山に着いたらすぐに金剛苑の予約をしなさい』。と教えられた通り、北朝鮮特別料理が食べられるレストラン、金剛苑の予約をお願いしてみたのでした。康さんは思いもかけぬことを訊かれてびっくりしたような顔をしましたが、「はい、ではすぐに予約しましょう」。と答えてくれます。それから現代の男性社員がのりまき・ふとまきを金剛ビレッジ401号室に案内します。

 部屋に入ってみると、清潔な感じがするオンドル部屋でした。部屋は暖かく、泊り心地も決して悪くありませんでした。のりまき・ふとまきが泊った401号室は二段ベット2つと折りたたみ式ベット2つがあって、最大6名が泊れるようになっている部屋で、2人で宿泊するには充分な広さがありました。
 ただしシャワールームは仕切りが無く、シャワーが10数台並んでいるだけの一昔前の高校運動部の部室を思わせるもので、また朝食をとった食堂『ハナウォル』も、一昔前の大学の学食のような食堂でした。また、どういうわけか金剛ビレッジには卓球場とトレーニング場がありました。卓球場は夜、卓球をしている観光客がいましたが、ダンベルやバーベルなどかなり本格的な設備を備えているトレーニング場は、私たちが宿泊している間、誰にも使われていませんでした。
 金剛ビレッジにはコンビ二(ファミリーマート)もありました。温井閣のコンビニとともに北朝鮮初のコンビ二だそうですが、夜の9時から11時頃まで営業というかなり妙な時間にオープンしていました。今回は2日目の九竜淵コース行きに備えてお菓子等を初日の夜に購入しました。


私たちの泊まった部屋。あの外観から考えれば、まあまあではないだろうか?

 金剛ビレッジのチェックインを済ませたのりまき・ふとまきは、簡単に荷物をまとめてバスに乗り込みました。バスに乗り込む前に、金剛ビレッジ内に卓球場・トレーニング場・コンビニがあることは確認したのですが、出発時はどれも閉まっていました。バスは私たちを乗せた後3〜4分で出発しました。ガイドの康さんは色々と説明をしていますが、韓国語なのでまったくわかりません。のりまきはぼんやり車窓から外を眺めていました。バスはもうすっかり暗くなった中を走ります。北朝鮮の家々のささやかな明かりは前回・前々回と一緒です。バスは温井閣で停まりました。『あれ?たしか最近の金剛山観光のスケジュールでは、最初に温泉に行くんじゃなかったっけ?』旅行に行く直前、日本で読んだ最新の金剛山観光スケジュールでは確か最初に温泉に行くとなっていたと思ったのですが……でも、そのときはのりまきの記憶違いかなあと思っていました。
 温井閣に着くと、康さんが私たちに「では、金剛苑の予約をしましょう」。と言うと、温井閣の駐車場の外れにある小さな建物に私たちを連れていきます。康さんは建物にいた男性係員に「金剛苑の予約お願いします」。と頼みましたが、「出来ない」。という返事でした。康さんは係員から話を聞いた後、私たちに説明をしようとするのですが日本語がわからずになかなか言葉が出てきません。彼女はあわててポケットから辞書を取り出しいろいろ調べていましたが、結局「あした、あ・し・た」と私たちに話します。康さんは辞書で『明日』という言葉を一生懸命になって捜していたのでした。のりまき・ふとまきとも笑って「あした、あしたね」。と言い、のりまきは「レイル アチム(明日の朝)」と韓国語でも話してみます。康さんは「ネ〜、レイル・アチム(はい、明日の朝)」と言い、用件が通じてほっとしたのかようやく笑みをみせます。

 さて、夕食です。のりまき・ふとまきは体調もまだあまり良くなかったので、恒例のバイキングもささやかに頂きます。私たちの座った席の隣に、バスで一緒だったもう60代に見えるおばさんがひとりで食事をしていましたが、このおばさん、山盛りのご飯やおかずを食べ、さらにおかわりまでしていました……日本では20代の男性並みの量を平らげるおばさんの姿を見て、私たちは目をむいてしまいました。
 夕食の後、温井閣を少しぶらぶらしていると、先ほど金剛ビレッジで出会った朴夫婦と出会いました。ソファーに腰掛けていた朴夫婦は、私たちを見ると手を挙げながらにっこり笑って挨拶します。。もちろんのりまき・ふとまきも挨拶をしました。

 食事も終わったことですし、次は金剛山温泉です。今日の疲れをとり、明日に備えるためにはやはり温泉です!“さあ、温泉に行こう!”と思ったところが、みんな温泉の方に行かず、金剛山文化会館の方へ向かって歩き出しています。『どうしてだろう??』と思って金剛山文化会館の入り口まで行ってみると、チケット売り場に『本日、19:00開演』と書いてあります。、なんとまもなく平壌モランボンサーカスの上演が始まるようなのです!
 びっくりした私たちは現代の社員を捜します。幸い、社員はすぐ見つかりました。さっそく「これからサーカスなのですか?」と尋ねてみると、「そうだ」。とのことです。ではいったい温泉はどうなってしまうのでしょう?「温泉は?」と聞いてみると、「サーカスが8時30分に終わるので、それから温泉に入れる。温泉からは9時半から10時頃戻ることができる」。といいます。体調がいまいちののりまき・ふとまきは、長丁場になることが予想される明日に備えて、10時前にはお休みするつもりでしたのでびっくりです。そこで「今から温泉に行けますか?」との問いには、「はい、大丈夫です」。と言います。また、このときはどういうことなのか把握しきれなかったのですが、現代の社員さんの説明から、温泉に入った後、夜の8時半頃には宿泊先の金剛ビレッジまで戻ることができることもわかりました。…注1
 正直かなり迷いましたが、温泉の方に向かう人が本当に誰もいなかったのと、せっかく金剛山まで来てサーカスを見ないのも残念なような気がしたので、時計はもう7時2〜3分前だったのですが、サーカスを見ることにしました。金剛山文化会館のサーカスのチケット売り場に行き、大急ぎでチケットを購入します。今回はもう25ドルの一般席が売り切れてしまっていて、30ドルの特別席になりました。

 会場に入るとすぐにサーカスが始まります。まず前回、金剛山温泉の食堂で英語で南北離散家族の説明をしてくれた上に、チケット売り場で英語でふとまきを助けてくれた恰幅の良い男性が、平壌モランボンサーカスの説明をします。そんな光景を、舞台の袖の方からBBC放送のカメラマンが撮影を行なっていました。
 続いてサーカス本番となります。席についてしばらくしてから気づいたのですが、今回は人民服風のいでたちで、胸に金日成バッチをつけた北朝鮮の人が何人かサーカスを見ていました。私たちの席の後の方にも立っていましたし、オーケストラが陣取っている2階の奧の方にも2人ほどサーカスを見ている北朝鮮の人がいました。
 今回のサーカス公演では、公演開始直後に観客の一人が倒れるというハプニングがありました。倒れた観客と一緒に、約10名の人がばたばたと会場から出て行きました。公演中にそんなことも起きたのですが、BBCの撮影があったからか、北朝鮮の人が見ていたからか……今回のサーカスは適度な緊張感の中、ひとつひとつの演技に張りがあって見ごたえがありました。

 今回は1時間半の間に行なわれた11の演目をメモしましたので、文章での紹介には限界があるのですが、紹介します。

1・天井に雪の結晶が映し出される中、女性団員が廻りながら舞い、天井から降りてくる。
2・若い団員たちのなわとび
3・つり輪
4・幕間のピエロ2人組(1)
5・水兵風の服を着た、一番若い少年団員たちの鉄棒演技
6・男女2名の空中ブランコ
7・韓国・朝鮮風の板とび(若い団員中心)。衣装も民族風の衣装
8・女性団員が口に咥えた剣の先に、剣を立て、
 その上にさらにワインが注がれたグラスが乗っているお盆を立てて、空中で演技を行なう
9・ピン・皿を様々な形で投げる(若い団員中心)
10・幕間のピエロ2人組(2)
11・空中ブランコ演技

 どの演技もほとんどミスがなく、丁寧かつはつらつとした良い演技をしていました。前回のサーカス公演がかなりテンションが低い期待はずれのものだったので、正直嬉しかったです。幕間のピエロの時にはお決まりのように選ばれた観客も演技に参加をするのですが、それもなかなか盛り上がりました。
 平壌モランボンサーカスの面白いところのひとつとして、生のオーケストラ演奏の中、演技を行なうことにあります。今回はオーケストラの演奏も気合が乗った良い演奏をしていて、1時間半はあっという間に過ぎていきます。そんなこんなの情景を、BBC放送のカメラマンは、あるときは舞台に上がり、あるときは最前列から撮影を続けます。北朝鮮側の観客はといえば、サーカスを指差しながら話をしていたり、時々は身を乗り出してサーカスを見ていたりしていました。
 午後8時半、サーカスはフィナーレを迎えます。平壌モランボンサーカス団の皆さんは、例によって舞台に並んでご挨拶です。韓国からの金剛山観光客の皆さんは、これも例によって立って声援を送ります。BBCのカメラはそんな光景をおさめようとカメラを廻しつづけます。


平壌モランボンサーカスのフィナーレと、撮影を続けるBBCカメラマン


同じく平壌モランボンサーカスのフィナーレから

 サーカスが終わり、外へ出てみると温井閣前の駐車場にはバスが何台も止まっていました。私たちは最初、これまで乗ってきたラー2のバスに乗ることになるのかと思ったのですが、どうもホテル(ホテル海金剛・金剛ビレッジ)へ戻るバスと温泉に向かうバスがあるようでした。これはいったいどうしたことかと思い、近くにいた現代の社員に確認したところ、やはりバスによってホテルに戻るものと温泉へ向かうものがあり、また、バスは特に指定されているわけではなく、どのバスに乗ってもかまわないとのことでした。これまでの金剛山観光では、どこへ行くのにも基本的に一台のバスに乗りつづけたので、システムの違いに面食らってしまいました。…注2
 これから温泉に行くと帰りの時間がかなり遅くなることもあって、体調がまだいまいちののりまき・ふとまきは、温泉へ行こうかホテルへ戻ろうか少々迷いました。ラー2のバスに乗って一緒に来た温井ビレッジに宿泊する家族連れなどは、皆さっさと宿へ戻るようです。結局私たちは温泉へ行くことに決めたのですが、少々もたもたしていたのりまき・ふとまきの前からはバスがどんどんといなくなっていきます。そして声をかけてみたバスは「ホテルへ戻る」と言います。少々夜も遅くて寒いこともあってか、歩いて温泉まで行こうとする人は誰もいません。私たちは少々困ってしまいました。
 すると最後に残っていた1台のバスから「このバスは温泉に行くぞ!」という声がかかりました。見ると初回・二回目の旅行でお世話になった金さんが運転するバスです。顔を見合わせた金さんと私たちは3度目の出会いにお互い大喜びです。さっそく金さんが運転するバスに乗り込み、私たちは温泉へ向かうことができました。

 金剛山温泉の敷地内には、初回の時は温泉場しかなく、二回目の時は温泉場以外に子どもたちがキャンプ体験を行なうテントが並んでいましたが、今回はなにやらごちゃごちゃと建物が並んでいます。翌日の夕方、金剛山温泉に入浴前に確認したのですが、金剛山温泉の敷地内には温井ビレッジとドーム型の宿泊施設が建てられていたのでした。また軽食やお菓子、飲み物程度が買えるコンビニ風の売店もありました。
 温泉に入ります。温泉は前回・前々と同じく気持ちよく快適でした……ただ、のりまきはロッカーの鍵が上手くかからなかったので、荷物が心配なこともあって少し早めに出ました。ふとまきが出てくるまで少々時間があったので、温泉の二階を覗いてみると、北朝鮮画家の描いた絵画を展示・販売していました。またこれまでの金剛山観光時には金剛山温泉内にもお土産を売るコーナーがあったのですが、今回はコーナーはあっても売り子がおらず、単なるお土産の展示場になってしまっていました。
 やがてふとまきも温泉から上がってきます。温泉から上がったのりまき・ふとまきは気になっていることがありました。韓国側から持ってきたミネラルウオータをあらかた飲んでしまい、手もとに飲み物がなくなっていることです。このとき、まだ私たちは金剛ビレッジのコンビ二は夜の9時以降に開いていることは知りませんでした。とにかく何か飲むものを手に入れないと明日の朝まで困ってしまうと思い、金剛山温泉の建物から外へ出て、金剛山温泉敷地内にある売店へ行ってみようとしたとき、近くにいた現代の社員に「どこへ行くのか?」と話し掛けられました。のりまきが「生水(ミネラルウオーター)」と答えると、「金剛山温泉内でミネラルウオーターは飲める」と言われました。言われてみるとたしかに温泉内に水が飲める場所がありました。しかしやはりのりまき・ふとまきは飲み物を買いたかったので、金剛山温泉敷地内にある売店まで行ってみました。
 売店内には先にも書いたように、軽食やお菓子、飲み物などが売られていました。中ではいかにも雑貨屋にいそうな、元気が良いおばさんが働いていました。おばさんは売店に集まっていた現代の社員の皆さんとなにやら楽しそうに話していました。のりまき・ふとまきはここで『金剛山生水(金剛山ミネラルウオーター』2本を1ドルで購入してほっと一安心です。
 この頃には温泉から出た人たちがかなり金剛山温泉のロビーに集まってきました。やがて金剛山温泉から宿へ戻る1台目のバスが出発します。のりまき・ふとまきもそれに乗り込み、金剛ビレッジへ戻ることにしました。夜9時過ぎの北朝鮮は本当に静かであります。約10分でバスは金剛ビレッジの前に着きます。到着後、バスに乗っていた現代の社員から『写真はダメですよ』。と英語で言われながら、私たちはバスを降ります。

 バスを降りてみると、夕方はやっていなかったコンビニが開いています。入り口を見ると『12月2・3日の開店時間は夜9時〜11時』と張り出されています。わざわざ金剛山温泉敷地内の売店で、ミネラルウオーター買う必要はなかったわけですね。ただ、開店時間はいつも夜9時〜11時であるわけではなさそうなので、金剛ビレッジに泊まる時は確認が必要だと思います。
 この時点まで明日の予定が全くわかりません……戻ってみるとガイドの康さんがいたので、片言の韓国語などで時間を確認しようとすると、康さんは6:30と7:40と私たちのノートに書きます。どうやら「朝食は6時半から。そして金剛ビレッジの出発は7時40分」ということのようです。
 康さんに明日の朝の日程を確認したすぐ後に、「日本の方ですか」。と、日本語で私たちに話しかけてきた現代の男性職員がいました。私たちは「はい」。と答えた後、「明日は6時30分から朝食ですか?」と確認してみます。すると男性は「はい、そうです」。と答えてくれます。続けて「もしわからないことがあったらここの事務所にいますから、何でも聞きに来て下さい」。と言ってくれました。

 401号室に戻ってみると、なんと部屋に『金剛山生水』が2本、置かれていました。ああ、本当に金剛山温泉の敷地内の売店でミネラルウオーター買うんじゃなかった(笑)。
 のりまき・ふとまきは部屋に荷物を置くと、今さっき出会った日本語が出来る現代の男性職員のところと、コンビニへ行ってみることにしました。まず明日の観光日程を確認したいと思い、そしてコンビニでは明日に備えて買出しをすることになりました。九竜淵コースにしろ万物相コースにしろ、これまでの金剛山観光の経験上、昼食の時間が午後の2時前後とかなり遅く、どうしても途中でお腹が減ってしまったので、コンビ二で飴やお菓子を買うことにしたのです。
 まず事務所に行ってみたのですが、男性はいませんでした。そこでコンビニでの買い物を先に済ますことにしました。コンビニ内は価格はウォン表示でしたが、買い物はドルで出来ました。ところでドルで買う場合、端数は切り捨て扱いでした。つまり1500ウォン(約1・2〜3ドル)のものを買っても1ドルと計算されたのです。

 さて、買い物も終わったので再び事務所に行ってみます。事務所に行くと今回は日本語が出来る男性がいました。さっそく明日の詳しい日程を確認することにします。まず明日の朝、金剛ビレッジを出発したら夕食後まで戻ってこないかどうかを確認します。これは朝の出発時に金剛山温泉入浴のためのお風呂セットを持っていく必要があるのかどうかを知るために、是非必要な情報でした。
 「明日は朝、ここを出てから夜まで戻ってこないのですか?」と聞いてみると「そうです」。との答えが返ってきます。どうもこれまでの金剛山観光と同じく、朝、いったん出発すると宿泊場所には夜まで帰ってこないようです。「温泉も入った後に帰るから、道具を持っていかねばね…」。とのりまき・ふとまきが話していると、男性は「そうです、温泉に入ってから戻ります。でも温泉には全て道具が揃っているから、大丈夫ですよ」。と答えてくれます。
 続いて明日は九竜淵コースと三日浦コースに行くことになるかという点です。事前に日本で手に入れた情報や、束草港で手に入れた金剛山観光日程表によると、金剛山観光は2日目に九竜淵コース・サーカス鑑賞、3日目に万物相コースか三日浦・海金剛コースのどちらかを選択するコースとなっていました。初日の夜にサーカス鑑賞を済ませてしまったということは、今回の場合、2日目の午後に三日浦観光を行なうのでは?と思ったので聞いてみることにしました…注2
 のりまきは「明日は九竜淵コースと三日浦コースに行くのですか?」と、男性に聞くと「それはわからない」。との答えでした。

 買い物も済ませたし、温泉の日程もわかったのでとりあえず一安心です。九竜淵コースと三日浦コースについては明日になればわかるでしょう。部屋にもどってひと息ついていると、ドアをノックする音がします。ドアを開けてみると、今さっき明日の日程を聞いた日本語ができる現代の男性社員が立っていました。
 「あなたの言うように、明日は九竜淵コースと三日浦コース両方に行きます」。男性はそう私たちに話してくれます。わざわざ確認してくれたようです。感謝であります!!

 のりまき・ふとまきは明日用の荷物を整理してから、今日起こった盛り沢山の出来事を簡単にまとめてから就寝です。本当にお疲れの一日でした!!


注2…9月1日の金剛山陸路観光本格実施以降、観光日程はかなり頻繁に変更されています。

まず9月1日当初は
2日目 九竜淵コースと万物相コースのうち1つを選択→サーカス→温泉・夕食
3日目 三日浦・海金剛コース
となっていました。

そして9月後半からは
2日目 九竜淵コース→三日浦コース→サーカス→温泉・夕食
3日目 万物相コース
となりました。これは9月中旬に朝鮮半島を襲った台風14号の影響で、海金剛観光が難しくなったことによるようです。

さらに11月後半からは
2日目 九竜淵コース→温泉→サーカス→夕食
3日目 万物相コースと三日浦・海金剛コースのうち1つを選択
となりました。これは金剛山観光のホームページ(現代峨山のホームページ等)や、束草港で手に入れた観光日程表、さらには偶然手に入れた11月30日〜12月2日の陸路観光日程表からも確認できました。

しかし、なぜか今回の旅行は
1日目 サーカス
2日目 九竜淵コース→三日浦コース→温泉・夕食
3日目 万物相コース
という日程で行なわれました。
 今回の金剛山観光で感じたことですが、これまでよりも観光メニューが増えて現地での選択の幅が広がった上に、日程も流動的な点があるので、これまで以上に現地で現代の社員さんに確認しながら観光を楽しんだ方がよいと思います。

注2…後でも詳しく説明しますが、どこへ行くのでも決められたバスに乗りつづけたこれまでの金剛山観光と違い、今回は時間と行き先にある程度のバリエーションを持ったリムジンバス形式となっている場面がありました。
 初日の夜の場合、7時以降サーカスを見ても良いし、温泉に入っても良く、午後8時30分にサーカスないし温泉を楽しんだ人たちを乗せて、温井閣からホテル海金剛と金剛ビレッジ方面へ戻るバスと、サーカスも温泉も楽しもうという人のために温井閣から金剛山温泉へ向かうバスが運行されました。そして午後9時半〜10時には金剛山温泉からホテル海金剛と金剛ビレッジへ戻るバスが運行されたのです。





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