DMZを越えて
(第十章)



金剛ビレッジ脇を走る金剛山青年線の架線と、背景の山に刻まれた金正日の大文字
いつの日にか、韓国からの列車がここを走るようになるのだろうか?


(2004・1・4 完成)



 万物相からまたバスに乗り込み、皆、温井閣へと戻ります。温井閣で昼食を摂り、高城(長箭)港の北朝鮮出入国管理事務所で北朝鮮出国手続きを終えれば、金剛山観光の日程はほぼ終了ということになります。
 温井閣でバスを降りる際、ガイドの康さんが、「お二人はカードにウォンを入れていましたか?」と聞いてきます。どうも温井閣で金剛山観光カカードの残金を清算するようです。「いいえ、お金は入れていません」。と答えると、康さんは「わかりました」。と言い、安心した表情を見せます。
 みんなが昼食に殺到する中、のりまき・ふとまきはまずレンタルの軽アイゼンを返却します。返却すると1人あたり6ドル、合計12ドルが戻ってきましたから、レンタル料は1人あたり1ドルだったことになります。
 それからお土産のお酒を購入します。今回は前回も買った最もアルコール度数の高いへび酒と金剛山のツルニンジン酒、さらに手書きと思われる素敵な金剛山名所絵が描かれた木製の箱入りの金剛山岩茸酒を購入しました。
 買い物の間に食堂の人も少し減ったようです……入り口で一人10ドルの食券を購入して、バイキングの昼食をいただきます。考えてみれば温井閣で食事をしたのは初日の夜以来です。これまでは朝食以外は温井閣での食事でしたから、今回は温井閣の食堂にずいぶん行かないなあ〜〜という印象です。今回の旅行で私たちは、やはり北朝鮮経営のレストランが面白く、味の面でもなかなか満足度が高かったように感じました。温井閣のレストランには悪いのですが、この次金剛山に行く時も、北朝鮮経営のレストランを多く利用することになると思いました。
 ところで10ドルの食事は高いと感じたのか、昼食を温井閣内のコンビニで買って済ませている人もいました。北朝鮮経営のレストランもコンビ二も出来て、2001、2002年と較べて金剛山観光での選択肢が広がったのは良いことだと思います。
 食事を終わってまだ多少ゆっくりする時間があったので、周囲をぶらぶらしてみます。すると温井閣の裏手の方に三毛猫がいました。さてはて……飼い猫でしょうか野良猫でしょうか??たぶん温井閣で働く皆さんの飼い猫なのだと思いますが、それにしてもどうやって北朝鮮の金剛山までやって来れたのか……やはり謎であります。
 また、日本語のわかる人から話し掛けられたりもしました。その人は私たちに向かって「日本人が金剛山に来れるのか?」と言い、驚いていました。これは金剛山に行って毎回感じることなのですが、金剛山に日本人が来ること自体かなり驚きのようです。

 さて、いよいよ金剛山とのお別れの時が来ました。金剛山観光客はみんなバスに乗り込み、北朝鮮の出入国管理事務所へと向かいます。温井閣の職員の皆さんは、例によって総出でバスに向かって手を振ります。
 バスは高城(長箭)港の方へと向かっていきます。温井川を渡る前、北朝鮮の作業員たちが道の脇に掘られた溝に黒いケーブルを埋めているところに出会いました。「なにやっているんだろうね〜」。と、ふとまきと話していると、近くに座っていた済州の安さんが、「電話線かなにか埋めてんじゃあないか」。と答えてくれました。
 道が高城(長箭)湾沿いを走るようになって、北朝鮮の出入国管理事務所に近づいたところで、これまで金剛山観光道路の脇にあった戸数約20戸ほどの集落が、今回壊されていることに気づきました。どうやら何らかの理由で集落全体が移転させられることになったようです。2002年7月の金剛山旅行の時には集落は健在でしたので、それ以降に移転させられたようです(-_-メ)。
 バスはやがてホテル海金剛と北朝鮮の出入国管理事務所の前に止まります。みんな金剛山のお土産物でふくらんだ大荷物を背負って、北朝鮮の出国手続きへと向かいます。私たちの『マ』のグループは、どうもまた一番最後の方のようです。
 出入国管理事務所の前では石を捨てている人たちがいました。どうやら金剛山の山中で石を拾ってきたのですが、金剛山の石は持ち出し禁止なので、出入国管理事務所を前に放棄していたようでした。
 出国手続きを待っている間に、私たちは昨日玉流の滝前で記念撮影のシャッターを押し、今日は万物相まで行くバス内で飴を貰った女性二人組に話し掛けられました。彼女たちは本当に英語も日本語もだめで、片言の韓国語とジェスチュアーで話しました。とにかく私たちが11月29日に韓国に着き、12月6日に日本へ戻る予定であることはなんとか通じたようでした(笑)。それにしても金剛山観光に行くと毎回感じるのですが、韓国人の大集団の中で旅行をしていると、最初はなんとなく一種の警戒心のようなものが感じられることがあります。そして2日目、3日目となるに従って、徐々に警戒心が薄れ、打ち解けてくるようです。

 今回は私たち『マ』のグループが本当に最後となってしまいました。私たち二人は『マ』のグループの中でも最後尾なので、やはり自動的に全体の最後となってしまいます(笑)。荷物検査に入る直前、行きの荷物検査の際に日本語で話しかけてくれた、前歯が少し欠けたお笑い系の男性が、現代峨山の洪さんから「どうもありがとうございました」。と、丁寧な挨拶をされていました。どうも洪さんは件の男性にお世話になったようです。
 私たちの荷物検査が始まりました。荷物検査の担当はちょっときつそうな中年女性職員でした。荷物にX線を通してみると、ふとまきの荷物の確認が必要とのことになりました。そんな中、日本語の話せる前歯が少し欠けたお笑い系の男性が私たちの前にやってきました。
 「こんにちは」。笑いながらお互いに挨拶をします。「金剛山はどうでしたか?」男性はそう私たちに聞いてきます。「今回で3回目ですが、いいですね〜」。と、ふとまきが答えます。
 「3回目?!」前歯の欠けた口をぽかんと開けて、びっくりしたようにそう言います。
 結局、X線検査でひっかかったのはお財布に入った日本や韓国の小銭でした。荷物検査の担当女性も笑って納得です。そして男性は「この人たち、金剛山に3回も来ているんだ!」と、説明を始めます。ちょっときつそうな感じの荷物検査の担当女性も「3回目ですか?」と言い、驚いたような顔をします。
 最後に出国審査を受け、無事に北朝鮮の出国手続きは終了です。出国審査のブースのところまで日本語が話せる前歯が少し欠けたお笑い系の男性はやってきて、私たちに「さようなら」。と声をかけてくれます(^o^)。

 私たちはバスに乗り込み、韓国側の統一展望台を目指します。時間は午後1時少し前でした。帰りのバスは行きよりも2台少ない13台で、私たちの『マ』のバスは13台目のしんがりとなりました。13台のバスは隊列を組んで2日前に来た道を戻っていきます。そしてしんがりの私たちのバスの後には、北朝鮮側の監視者が乗ったジープがしっかりとくっついて行きます。
 今回、バスの乗客の中にメモを取っている人が多いことは前にも書きましたが、金剛山からの帰り、特に北朝鮮と韓国の境界に近づくと、メモを熱心にとっていました。みんな軍事境界線周辺はどうなっているのか興味があるでしょうから、まあこれは当然のことかもしれません。
 また今回、バスの乗客の中で北朝鮮の皆さんに手を振る人も目立ちました。帰りに私たちの隣に座ったお母さんなども、熱心に手を振っていました。これまでも手を振る人はかなりいたのですが、どことなく『同胞に対する義務感』のような感じで手を振っていた人が多かったように思えましたが、今回は自然な感じで手を振っていた人が多いように感じました。また北朝鮮の人の反応も今回が一番手ごたえがあり、道端で作業をしている作業員たちの中にも、時折、にこっと笑いながら手を振り返してくれる人もいました。

 バスはまず移転させられ、壊されてしまった集落を過ぎ、2日間泊った金剛ビレッジの脇を過ぎていきます。それから金剛山青年線の脇を進みます。少し向こうには北朝鮮の皆さんが利用している道路があり、かなり多くの人が歩いていたり自転車に乗っています。この道路の温井里が見えだすあたりに、謎の動物オブジェが立っているのですが、金剛山からの帰り道、子どもが3人、オブジェによじ登ってみたりしながら遊んでいるのが見えました(^o^)。どこでも変わることのない子どもたちの無邪気な光景になんとなくほっとします。
 道はやがて温井川を渡り、温井閣方面への道を左に見送って韓国へと続く南北連結の臨時道路に入ります。川の方を見ていると、相変わらず川を徒歩で渡っている人たちの姿がありました。初日に見たように、子どもを背負いながら川を渡るお母さんもいます。
 それから2日前の行きの際、夕食の炊事の煙が各戸から立ち上っていた集落の近くにある小高い丘に、高射砲のような砲が据え付けられていることに気づきました。砲は全部で5門あり、みんな北の方を向いていました。砲そのものはかなり古く年代物のような感じでした。
 今日は道端で作業をしている人が多いです。ただ2日前と違っていたのは、今回は道沿いの溝をみんなでせっせと埋める作業をしていたのです。さきほど見かけたように、電話線かなにかを道端に埋める作業をしていたのかもしれません。
 やがて進行方向右側が広々とした場所になります。最初はあぜ道も確認できなかったので、何に使われているのかよくわからない土地でしたが、やがてあぜ道が見えてきたので、田んぼが広がっている場所もあるのだと思われます。田んぼと思われる場所の一部には、青々とした草が生えていました。ひょっとして二毛作として麦を播いているのかも知れません。また、このあたりには貧弱な送電線が3本通っていました。送電線は川沿いのポンプ場と思われる建物まで延びていました。
 川向こうは山が川沿いまで迫っていて、二日前の行きの時や昨日の三日浦行きの際にも見かけたように、多くの作業員が鉄道工事に従事していました。

 道はやがて南江を渡ります。南江を渡ると道の反対側の川向こうには、三日浦前の広場のような場所の先にある落ちた橋が見えてきます。落ちた橋の橋脚は昨日確認したように、やはり改修されていてきれいになっています。しかし北朝鮮の皆さんは、以前と変わりなく橋のたもとを徒歩で川を渡っているようです(-_-メ)。
 川向こうに旧邑里の街並みが見えてきた頃、南江のかなり下流にもうひとつ橋脚があることが確認できました。その橋脚はかなり遠くにありましたが、三日浦そばの落ちた橋同様、改修されてきれいになっているようでした。遠くに確認できた橋脚は、あとで確認すると旧日本植民地時代に作られた南江に架けられた鉄橋のようです。橋脚が改修されているということは、南北を繋ぐ東海北部線の工事はやはりそれなりには進行しているようでした。旧邑里の街のはずれには、海金剛に行く途中に遠望出来る旧高城駅に残る蒸気機関車の給水塔も見えました……東海北部線が復活する日は来るのでしょうか?

 道はやがて行きにも見えた、トタン葺き屋根の作業場のようなところのそばを通ります。作業場ではやはり十数人の人たちが集まってなにやら藁打ちのような作業をしていました。やがて行きに検問が行なわれた湖のそばに到着します。帰りもやはり同じ場所で検問が行なわれました。このあたりは行きと同じく大勢の作業員たちが鉄道工事を行なっていました。
 各バスで検問が行なわれている最中、当然のことながらバスは停車しています。この停車中、バスの車窓からはまことに興味深い光景が見物できました。
 まず、女性兵士の行進が見えました。女性兵士は約7〜8名で、男性と同じくカーキ色の軍服を着て早足で行進していました。バスの乗客たちはまず珍しい北朝鮮の女性兵士の行進を見てどよめきました。
 引き続き、私たちの目の前を15〜20人くらいの子どもたちの行列が通り過ぎていきました。小学校中〜高学年と思える子どもたちは皆、お揃いの赤いネッカチーフを首に捲いていて、先頭の子どもはかなり大きな赤旗を持っていました。バスの乗客たちはみんなもう外の光景にクギ付けで、バス内には半ば歓声があがり、多くの人が子どもたちに手を振り出しました。

 やがて私たちのバスにも北朝鮮の兵士が乗り込み、検問が行なわれます。バス内のチェックが終わると運転手さんにバスの荷物室を開けさせて、荷物室の確認を行なう点も行きと一緒です。バス内チェックも荷物室チェックも行きと同じく一瞥程度のものでした。
 私たちのバスが13台中の13台目だったので、検問も最後でした。私たちのバスの検問が終了すると出発です。検問の場所以降、道の両脇は工事現場が続くようになります。鉄道工事現場では、韓国からの重機がうなりをあげつつ穴を掘っていて、その脇で多くの北朝鮮の作業員たちが働いています。
 そして別の場所では、一見砂のようにしか見えないコンクリートを練ってから砂利を混ぜ、それを木枠に入れ、手作業で木枠内のコンクリートをならし、ある程度乾いた状態で木枠を外して、木蘭館の増築工事の現場で見かけたようなコンクリートブロックを作っていました。また、出来上がったコンクリートブロックを積み上げて何かの建物を作っている人たちもいました。
 また、工事現場には北朝鮮風のスローガンと赤旗が並べられ、そしてところどころには北朝鮮の国旗も掲げられていました。写真撮影やビデオ撮影が厳禁の場所であることはわかっていますが、実に見どころ満載で、本当に写真を撮りまくりたくなってしまう場所です!!


『DMZを越えて・第5章』でも紹介しましたが……
今回、金剛山の建設現場でよく見かけたコンクリートブロック


 そんな時に事件は起こりました。李くんが北朝鮮の鉄道工事を行なっていた作業員たちに手を振った時です。北朝鮮の作業員の一人がこぶしを高々と突き出し、李くんに対して返事を返しました。李くんは大喜びでバスの中でこぶしを突き上げ飛び跳ねます!すると北朝鮮の作業員はさらにこぶしを高く突き上げ、喜びを表します。そうなるともう、バスの中からも外の作業員たちからも拍手と歓声の渦が巻き起こります!
 ふとまきは『大丈夫だろうか?』と思い、自分たちのバスの後についてきていた北朝鮮の監視者が乗ったジープを見ました。すると意外や意外、ジープの中の人たちも嬉しそうにこの光景を指差しながら笑っています……のりまきは5度目、ふとまきは3度目の北朝鮮でしたが、北朝鮮の人たちとの距離が最も近く感じられた一瞬でした。

 興奮さめやらぬ中、バスは軍事境界線に向かい走っていきます。北朝鮮の監視の車は鑑湖の南側の鉄の門のところからきびすを返すように帰っていきました。『ここから先には進めない』といった感じで、すごすごと尾っぽを巻いて帰る犬のような感じもありました。
 鉄の門から軍事境界線までの間、北朝鮮側も木蘭館の増築工事の現場で見かけたようなコンクリートブロックで、韓国側が作っているような塹壕を作っているのが確認できました。
 まもなく朽ちかけた軍事境界線を示す鉄製の看板を越え、韓国へと戻ってきました……バス内には安堵のため息とともに拍手が起こりました。そして何人かの人は、行きは誰も手を振ろうとしなかった韓国兵に向かって『ご苦労さん』といった感じで手を振り出しました。


2001年12月、板門店の帰らざる橋のたもとで撮影した
軍事境界線を示す朽ちかけた鉄製の立て札…参考までに……


 統一展望台へは午後3時前に到着しました。バスを降り、韓国側の出入国事務所に入る前に運転手の金さんと「また会いましょう!」といいながら握手をします(^o^)。金さんは重いのりまきの荷物を運ぶ手伝いまでしてくれました。感謝であります!
 韓国への入国審査はあっという間に終わり、金剛山観光は無事終了となりました……お疲れ!!




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