雪峰(ソルボン)の夢(9)


三日浦・蓬莱台から遥か東海(日本海)方面を望む


日本語堪能の初老の男性は、ミス・キムとなにか話を始めました。何を話しているのだろうと思っていたら、私たちに対して、「あなたたちには通訳がいないのだろう?私が通訳をしてあげよう」。と聞いてきました。私たちは「いいえ、キムさんに通訳をしてもらっています」。と説明したのですが、今度はミス・キムに対して「では、あなたは日本語で観光の通訳が出来るのかね?」と聞き返してきます。ミス・キムは肩をすくめてしまいました。それから少しまた、ミス・キムと初老の男性は韓国語で話していましたが、話し終わった後にミス・キムは「では、バスを移動します。私とのりまきさんたちは、こちらのバスに乗ります」。と言ってきました。結局私たち夫婦は初老の男性が乗っているバスにミス・キムと一緒に移動することになったのです。
さて、初老の男性の乗っていたバスは10人くらいの団体でずいぶん人が少なく、ゆったりした感じです。どうも初老の男性を長とする団体のようです。初老の男性はバスに乗り込むとさっそく名刺を私たちに渡しました。名刺を見ると、初老の男性は全羅南道のお茶を商う会社の会長さんで、名前は崔さんということがわかりました。「のりまき・ふとまきといいます」。私たちも挨拶をしますと、私たちと崔会長の前隣に座っていた中年の夫婦が会長になにやら聞いてきました。すると崔会長は少々聞きにくそうに「あなたたち二人はどういう関係なのかね?」と聞いてきました。「はい、夫婦です」。そう答えますと崔会長も中年夫婦も納得したようににっこりします。
移動したバスには、若い男性の現代職員が添乗していました。この人は時々説明をするのですが、ミス・イーのように終始話し続けることはありません。崔会長は現代の若い男性添乗職員の言葉をまず、「質問をしてもらえばそれについて説明すると言っています」。と通訳しました。正直ずいぶん落ち着いた印象です。
バスはもと来た道を戻りだしました。二重の鉄条網と高圧電線で仕切られたものものしい防御線を超えると、行きには気づかなかった空堀のような地形が目につきます。ひょっとしたら対戦車用の堀なのかもしれませんが、のりまきの考えすぎかもしれません。
先ほど通過した、広い水田の彼方に金剛山の雄大な姿が望める場所に着きました。崔会長はずいぶん遠くに見える大きな廃墟を指差して、「あれは鉄道の駅の跡です、隣に見えている塔のようなものは、蒸気機関車の給水塔の跡です」。と説明します。鉄道の駅と給水塔の跡があるということは、やはり以前、海金剛の近くに鉄道が走っていた時代があるようです。そして近景の水のない水田を見てみると、先ほどはいなかった牛が何頭かいます。『あれえ?』と思って改めて見てみますと、鍬が付けられている牛もいて、どうやら田起し作業の最中だったようです。もっと近くに来てみますと、北朝鮮の農家の人たちが何人か集まって田んぼに腰をかけているのが見えてきます。『休憩中かな〜』と思いましたが、農家の皆さんのそばには北朝鮮の兵隊さんがしっかり目を光らせています(-_-;)。どうやら金剛山観光客の通過に合わせて作業休憩になった感じです。
「ずいぶん北朝鮮の生活は韓国の生活と違いそうですね」。ふとまきがそう崔会長に話しかけてみると、「そう……これが資本主義と共産主義の差なのだろうね……」と、崔会長は淡々とした口調で語ります。昨日の夜、金剛山温泉で南さんから聞いた、韓国の優位性を自慢するような話とは少々印象が違いました。
そんな時、このバスに乗っている20代前半の若者が、北朝鮮の皆さんに手を振りだしました。これまで乗っていたバスにも北朝鮮の皆さんに手を振る人はいましたが、どちらかといえば北朝鮮の人が手を振っているのを見て、こちらも手を振りだすといった感じでした。のりまき・ふとまきもその一人でした。しかし、この若者は積極的に北朝鮮の人々に手を振っています。『ずいぶん熱心な若者だなあ……』のりまき・ふとまきはそう思いながらこの若者の手を振る姿を見ていました。ちなみに農家の皆さんは、手を振り返してくれませんでした。
道はやがてアンテナかレーダー基地の脇を通り、学校のような建物があった集落まで戻ってきました。「この建物は高等中学校です」。崔会長は学校のような建物の一つを指差してそう説明します。それから道は川のそばを走るようになりました。海金剛への行きは川とは反対側の座席だったので、あまり川の様子はわからなかったのですが、今回はよく見ることができます。川は海に近いこともあってかゆっくりと流れています。朝鮮半島はこのところ水不足とのことで、水量はあまり多くありません。川沿いにも時々、形の良い大きな岩や小山があるのが見えます。ちょうど海金剛が陸に上がったような感じでなかなかの景色です。
川面を眺めていると、川底に古い空き缶のようなものが落ちているのを見つけました。のりまきはこの3日間の中で、北朝鮮の光景の中で『ゴミ』というものが落ちているのを今初めて目にしました。考えてみると山も海も道路も田畑も見える限りの家並みも、北朝鮮の光景の中でゴミが落ちている場面をここまで全く見ていません!これはすごいことだと思うのですが、のりまきはどうして人がいる場所で“ゴミ”が見当たらないのか、考えてしまいました。九竜淵コースで監視員の皆さんが竹箒でせっせと掃除をしていたように、主に韓国から来るお客さんにきれいなころを見せようと、まめに掃除をしているのかもしれませんし、北朝鮮の皆さんの生活は、もともとあまり“ゴミ”が出ないような生活なのかもしれません。
やがて途中で落ちた橋のあたりまで来ると、バスはまた別の横道へ入っていきました。まもなく坂を登り出し、坂を登りきったところに駐車場がありました。現代社員のガイドが、バスを降りる際に何か説明をしていました。「ここから三日浦(サミルポ)を歩きます。30分くらい歩き、別の駐車場のある場所まで行きます。バスは歩いた先の駐車場まで先まわりします。疲れているのならばバスに乗ったままでもかまいません」。崔会長はそう私たちにガイドさんの通訳をします。「どうする、ふとまき?バスに乗っていく?」。ふとまきの体調が気になっていたのりまきは、そうふとまきに聞いてみました。ふとまきは「歩いていきます」。と言います。少し心配でしたが、のりまきはふとまきと一緒に、崔会長とともに三日浦散策に出発しました。
バスを降りるとまもなく展望台がありまして、展望台からは三日浦が一望できます。。展望台の名前は、崔会長が“将軍台”と言うと説明してくれます。三日浦は今回の旅行2日目に見た花津浦と同じく、海の入り江が堆積作用の結果仕切られて出来た潟湖だといいますが(注1)、正直なところ花津浦よりもずっときれいです。穏やかな湖面は天然の鏡のようですし、湖の周囲を囲む山々の、松の緑や岩々が湖面に映え素晴らしい景色です。ところで北朝鮮の農民の皆さんに一所懸命手を振っていた若者は、三日浦の絶景には目もくれず、将軍台に建っていた金正日氏の母親、金正淑氏をたたえる石碑の写真を撮っていました。
将軍台はいちどきに200人の人が集中して落ち着きません。絶景なのでみんな良いポジションで写真を撮りたがります(笑)。写真大好きののりまきはやはり妥協が出来ず、数人の韓国人に“少しよけてもらえませんか?”と言われたあげく、なんとか写真を撮りました。この光景を目にした崔会長は、ふとまきに「彼は写真家なのか?」と聞いて来たそうです。ふとまきはもちろん「いいえ、ちがいます。でものりまきは写真が大好きです」。と答えました(大笑)。

将軍台から見た三日浦の光景、湖に浮かぶ緑の島が臥牛島

将軍台を過ぎますと、道はなぜか手すりがつけられた山道のような道を下ります。三日浦の周囲は山で囲まれているので、周遊道路も山道のようになるのでしょう。湖の周囲をただ歩くだけと思っていた私たちはかなりびっくりしました。道はやがて長い吊り橋を渡り、また登りにかかります。登っていく途中の大岩に、なぜか海金剛では見られなかった、北朝鮮ではお約束の金日成一族を称えた碑文が刻まれているのを目にします。韓国人の皆さんの多くも興味深げに碑文を眺めていて、写真を撮ったり、碑文をバックに記念撮影に納まる人もいました。
上まで登ってみるとまた絶景が広がっていました。蓬莱台という展望台だそうです。蓬莱台から見る三日浦も美しく、更には遠くに東海(日本海)の姿も望めます。また蓬莱台からは蓮花台という展望台が良く見えます。崔会長は蓮花台を指差しながら「あの展望台は蓮の花のような岩の上にあるので、蓮花台といいます」。と説明して、「これからあそこまで行きます」。と続けます。蓮花台の彼方にはうっすらと金剛山の峰々が望めます。そして蓮花台の下の大岩には、やはり政治スローガンが刻まれています。
のりまき・ふとまきとも蓬莱台からの景色に見とれていますと、崔会長が現代の男性職員の一人を掴まえて「あんた、ガイドしなさい」。と言いました。現代の男性職員は崔会長と私たちの姿を見て、にこりと笑うとまず、崔会長に対して韓国語で説明をします。崔会長はうんうんと聞いた後、「湖に浮かぶあの島は、牛が寝そべっている形に似ているので、寝た牛の島(臥牛島:ワウド)という。そして湖の中の小さな島に建っている建物は、昔そこで4人の仙人の女……」ここで少し崔会長がいいよどんでいるので、「仙女のことですか?」とのりまきが言うと「そうそう、仙女が天からやってきて、遊んだので四仙亭と言われている」。と通訳してくれます(注2)。崔会長のわかりやすい通訳を、のりまき・ふとまきとも頷きながら聞いているのを見て、崔会長は満足そうに「昨日私と会えばよかったんだ。もっと色々通訳出来たのに……」と言います。ガイドをしてくれた現代の男性社員も嬉しそうです。
さて、蓬莱台からまた道は下りです。道の脇にある大岩には、必ずといっていいほど金日成親子を称える文章か政治スローガンが刻まれています。金剛山よりも険しくないので文字も刻みやすいからなのでしょうか?三日浦の碑文密度は相当なものです。
坂を降りきってしまうと、先の方に湖畔に建つ瀟洒な建物が見えてきました。建物の近くに行ってみますと、壁面になかなか洒落た紅葉のレリーフがあります。崔会長は再び先ほどガイドしてくれた現代社員を呼びます。現代社員も心得たもので、まず崔会長に韓国語で建物の説明をします。「この建物はタンブン館(丹楓館:注3)といって、北朝鮮のレストランです。現在は使われていません」。とのことです。確かにカーテンは下ろされたままです。「この建物をぐるりと廻って、それから駐車場の方へ向かいます」。崔会長はこう続けました。丹楓館には湖沿いに歩けるようなテラスがあって、そのテラスをぐるりと廻ることができるのです。丹楓館のテラスから湖面を見ると、なぜか丹楓館の周囲の湖底にはいくらかゴミが落ちていました。まあ、ゴミがあるといっても日本の富士五湖などよりもずっときれいですが……そして丹楓館のテラスからは、先ほど蓬莱台から望めた四仙亭を比較的近くから見ることができました。また、丹楓館のそばにはやはり北朝鮮の監視員の人がいまして、何人かの韓国人観光客に囲まれて質問を受けていたようです。

三日浦湖畔に建つ丹楓館


三日浦に浮かぶ小島と四仙亭

丹楓館を過ぎると道はまた登りになります。正直、三日浦観光は湖畔散策というよりちょっとしたハイキングです。体調不良のふとまきは、体力の限界に近づいてきました。ただ、運が良かったことに道は急ではなく、だらだらと登る感じです。やがてバスが止まっている駐車場が見えてきました。そして駐車場の少し先に蓮花台の展望台がありました。「どうする?バスで休んでいる??」とのりまきがふとまきに聞いてみると、「行きますよ」。と言います。駐車場からゆっくり歩いて約2分、今回の金剛山観光最後の観光場所、蓮花台になんとかふとまきは辿り付くことができました。
東洋風の楼閣である、蓮花台から見る景色も素晴らしいものでした。ここからは三日浦ばかりではなく、反対側の金剛山の雄大な景色や、近くの北朝鮮の集落や田畑の光景もなかなか美しかったです。蓮花台の光景を楽しんだのりまき・ふとまきは、崔会長にお礼を言いつつバスに戻りました。

蓮花台から見た北朝鮮の農村風景、遠くに金剛山の勇姿が見えます。


北朝鮮の家並みを拡大してみました。地図で確認したら“烽火里”という地名の集落らしいです。
集落の前にはコンクリートの白い壁が、長城のように立っているのがわかると思います(-_-;)。

バスは私たちを乗せると温井里の現代観光施設へと戻ります。バスから見える北朝鮮の皆さんに対して、私たちと同乗の若者はやはり律儀に手を振りつづけています。無視する人もいるのですが、結構手を振りかえしてくれる人も多いです。帰り道は、川沿いに子どもたちが集まっていた場所もあって、子どもたちの多くは手を振ってきます。行きに見かけた煙を吐きつつ停車中のトラクターは、相変わらず同じ場所で煙を出していました。ほんとうに何をしているのでしょう?道沿いの金網と、監視の北朝鮮兵士は相変わらずです(-_-;)。
温井里の観光施設に戻ってみると昼になっていたので、まもなく昼食を温井閣でとる時間になりました。ふとまきはお腹の調子が悪くて昼食はパス。よく見ると昼食をパスしているのはふとまき一人ではなく、ほかにも数名いたようです。やはり慣れない環境等で体調を崩したのでしょう。のりまきはしっかり昼食を頂きました。またまたバイキングでしたが、今回は冷麺が選択できるようになっていました。のりまきはなんとか冷麺にありつけたのですが、ずいぶんと冷麺は人気があったようで、すぐになくなってしまったようです。冷麺はまあまあのお味でありました。
バス出発時刻まで、ふとまきは椅子に腰掛けて一休みです。のりまきは最後なので少し周囲を散策したりみやげ物購入をしたりしました。温井閣と金剛山文化会館の裏手の方にある、温井里の街並みがよく望める場所を最後に覗いてみると、やはり北朝鮮の兵士がしっかり監視しています。しばらく温井里の家並みや土手の上のコンクリート壁を眺めていると、北朝鮮兵士が手でピストルの形を作り、のりまきのことを撃つまねをします。少々びっくりしましたが、雰囲気から見てどうやら冗談のようです。のりまきは笑ってから北朝鮮兵士に一礼してその場を去りましたが、倒れるまねくらいしてみたら面白かったかもしれません。
のりまきはバスに乗る前、最後に北朝鮮の記念銀貨と金剛山観光記念銀メダルを購入しました。記念銀貨は2000年6月に平壌で行なわれた、金大中・韓国大統領と金正日・朝鮮民主主義人民共和国国防委員長の南北首脳会談を記念したもので、記念メダルは北朝鮮が史実と主張している、朝鮮半島伝説の建国者・檀君の肖像と謎の文字が刻まれた摩訶不思議なメダルです。韓国人の皆さんの中には、北朝鮮のお酒を大量に買い込んでいる人もいましたし、カメラ大好きベレー帽おじさんは、他の誰もが買おうとしなかった、金剛山の風景を描いた大きな絵を買っていました(^o^)。
さあ、2泊3日の短い期間で、なごり惜しさもあるのですが、いよいよ金剛山を離れる時が来ました。昼食が終わり、おみやげ物の買い物も済んだ頃、皆を乗せてバスは温井里の観光施設を出発しました。温井里の観光施設から帰りの船(雪峰号)までのバスは、これまで乗っていたター1のバスに戻りました。温井閣の売り子さんや飴屋の金さんらが手を振りつつ見送ってくれます。私たちも手を振りました。
さて、雪峰号に向かう最後のバスの車中でも、ミス・イーはずーっとお話をしています。本当に彼女はいったいいつまで話し続けられるのでしょうか??バスは15分あまりで北朝鮮の出入国管理事務所のところに着きました。最後にみんなでミス・イーとミス・キム、それから運転手さんに拍手をしました。お疲れ様でした!
ミス・キムが私たちに「ター1の25番と26番目に出国審査をします」。と説明をします。全く入国時と同じ順序です。北朝鮮の出国時、温井閣の売店にもあったように、出入国管理事務所の売店でも金剛山で採れた野菜を売っている光景を目にしました。野菜を売っている脇には『明日の朝食に金剛山の野菜はいかがですか』。というような看板が立っていました。
出国審査は入国審査と較べてあっさりとしたもので、北朝鮮の入国印が捺されたカードを回収した後、すぐに終わりました。手荷物のX線検査を終えると行きに乗った雪峰号に乗船します。雪峰号に乗り込んでまもなく、寝不足ふとまきは船室に入るやいなや睡眠タイムに突入です(^○^)。のりまきはデッキに立ち、雪峰号の北朝鮮からの出航を待っていました。するとのりまきの後を現代グループの鄭夢憲会長の一行が足早に通り過ぎていきました。行きの船で私たちに日本語で話しかけてきた、ミスターパクも鄭会長のかばん持ちの一人として私の後を走っていきました。
そんなこんなのうちに出航です。束草出航時と同じくタグボートが雪峰号のそばに現れたので、タグボートに助けられながら出航するのかと思ったら、今度は雪峰号は自力で航行を始めました。なお、タグボートは結構新しくてしっかりした船でしたが、良く見ると朝鮮半島を空色に染めぬいた旗を掲揚していました。どうやら北朝鮮のものではなく、韓国のタグボートのようです。
雪峰号は波静かな長箭湾を滑るように進んで行きます。湾内に北朝鮮の船が数隻、浮かんでいるのは目につきましたが、行きに雪峰号に接岸した真っ黒な北朝鮮の船は、帰りは見かけませんでした。やがて船はゆっくりと外海に出て行き、北朝鮮の光景も見えなくなっていきました。
北朝鮮の陸地が見えなくなった頃、船室では行きの船で預かった携帯電話の返却が始まりました。船室内がざわついたのはその時くらいのもの、あとは行きとは異なり、ひたすらまったりとした時が流れていきます。多くの人は船室内でまどろんでいます……デッキに出てみると、返却されたばかりの携帯電話を使って、韓国の家族や友人に電話をかけている人たちがいました。すやすや眠っているふとまきの寝顔を見ながら、いつしかのりまきも眠ってしまいました……
『少し寒いなあ……』目が覚めた時、のりまきはそう感じました。行きの船は暖かかったのですが、帰りの船は暖房の効きが悪いようで、少々寒く感じます。そういえばホテル海金剛も、2泊目は寒かったです。どうしてなのでしょうか?することのない船室内で、酒盛りも始まったようです。酒盛りの輪の中心にはベレー帽をかぶった写真大好きおじさんがいました(笑)。
日もとっぷりと暮れ、やがて街の明かりが見えてきました。北朝鮮で見たささやかな明かりとは違い、近づくにつれなんだかまぶしさを感じてしまいます(笑)。束草に到着したようです。船はゆっくりと接岸しました。せっかちな韓国人は、われ先にと出口に向かいます。しかしなかなか下船が始まりません。なんだろうと思っていたら、現代グループの鄭夢憲会長一行が下船を開始しました。私たち一般客はVIPの後に下船ということらしいです。日本人と違うなあ〜〜と思ったのは、こんな時、不平を洩らす人がいないことです。
さて、下船が始まりました。のりまき・ふとまきはゆっくり下船しました。下船時には、韓国の入国審査が行なわれました。入国審査官から「金剛山はいかがでしたか?」と、日本語で聞かれました。「はい、素晴らしかったです」。と答えると、審査官はにっこりと笑います。入国審査が終わりますとその先に、現代社員の皆さんが整列して、乗客の見送りをしています。私たちは特にお世話になったミスターパクと、ミス・キム、ミス・イーにお礼の挨拶をしました。そして束草港の金剛山行き観光船ターミナルを出たところに、崔会長一行がいました。のりまき・ふとまきは「お世話になりました」。と崔会長にお礼をしますと、崔会長は「気をつけて旅行を続けてください」。と、私たちに話します。
さて、のりまき・ふとまきは束草の港を離れ、港から徒歩で約4〜5分の、束草の市外バスターミナル周辺まで行きました。バスターミナル周辺には旅館が結構あって、その中から本日の宿を探そうと思ったのです。結局金剛山観光出航前日に泊った民泊の隣にあったモーテルにしました。値段は30000ウォン。広くて暖かなオンドル部屋で、大きなバスと水洗トイレつき、今回の旅行で最も快適な宿でした(^o^)。
宿が決まったら、あいかわらず食事のできないふとまきを部屋に残し、のりまきは夕食に向かいます。2日目(11月28日)朝、美味しい朝食を食べた同じ店に行ってスンドゥプ(おぼろ豆腐)定食を注文。やはり美味でありました♪♪それからコンビニエンスストアでジュースやミネラルウオーターを購入。宿に戻ってお風呂に入り、ジュースを飲んでまもなくのりまき・ふとまきとも寝床につきました。

注1……もともと三日浦は、東海(日本海)の入り江のひとつであったのですが、川の堆積作用に加え、一部は人工的に堤を作ることにより海から切り離され、現在のような湖になったということです。

注2……観光ガイドに書かれている内容では、仙女ではなく、仙人が遊んだことになっています。

注3……タンブン(丹楓)とは、韓国・朝鮮語で“もみじ”のこと。

金剛山見取り図(3) 三日浦・海金剛コースへ飛ぶ



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