雪峰(ソルボン)の夢(10)

金剛山旅行後の韓国旅行編です。

束草は白頭山・金剛山のゲートウエイであると書かれた、束草港の看板


12月2日(日)
朝が来ました。のりまき・ふとまきとも金剛山旅行に疲れ果て、また暖かいオンドルのおかげもあり、とにかくぐっすりと寝ることが出来て、なかなか良い目覚めでありました。起きてみたらふとまきは結構体調は戻ってきたみたいですが、いまだ食欲が全くなく、食ベ物は口に入らないようでした。
さて、ふとまきの体調も考え、当初寄ろうとも思っていた江陵は寄るのをやめにして、束草からソウルに直接戻ることにしました。宿をチェックアウトして、宿のそばの市外バスターミナルとなりの売店でパンとヨーグルトと飲み物を購入して、束草港の公園で朝食です。ふとまきはヨーグルトを少々と、ジュースを口にしました。さて、直接ソウルに戻ることにした時点で、ソウル行きのバスが出る束草の高速バスターミナルまで行くことになったのですが、その前に行ってみたいところがありました。束草には「ケッペ」という、特殊な渡し舟があるのです。なんでも舟についた水路の岸と岸を結んだロープを人力で手繰り寄せることにより渡っていくという舟だそうで、せっかくならば見ていきたいと思ったのです。
ところが、のりまき・ふとまきとも大荷物を抱えています。金剛山で購入したお土産で荷物は更にグレードアップしています。正直大荷物抱えてケッペの場所まで行くのはしんどい……ということで、少々困ってしまったのです。日本だったらこんな場合港やバスターミナルにコインロッカーがあるのですが、少なくとも束草の町ではコインロッカーが見当たりません。迷ったあげくに市内バスでケッペのある近くまで行ってみることにしました。
バス停で待つこと約5分、ケッペ方面に行きそうなバスが来まして乗り込む際に「ケッペ」と聞いてみますと、運転手さんは「バスに乗る必要はない」。という返事です。ジェスチャーによれば、ケッペは次のバス停のそばにあるとのことです。それならば何とかなりそうです。のりまき・ふとまきは重たい荷物背負って歩き出しました。
『そういえばケッペは舟だから、水のあるところに行かなければ……』歩き出して少し後、考えてみたら当たり前のことを思い出し、のりまき・ふとまきは海沿いの方に行ってみました。するとそこは2〜30メートルくらいの水路になっていまして、水辺には海の幸を扱う食堂が軒を連ねていました。水槽や干した魚の間で犬が気持ち良さそうに寝ていたりします。
水路沿いの道を進むこと約5分、目の前に四角い形の渡し舟が見えてきました、ケッペです。のりまき・ふとまきはさっそく乗ってみます。ケッペには船頭さんのような男性が一人乗っていまして、また、他の乗客のおばさん連中も慣れたもので、みんなしてなんだか引っぱり始めました。なんだろうと思って見てみると、水路の対岸同士を結んだワイヤーがケッペの中心を通っていまして、そのワイヤーを鉤のついた鉄棒に引っ掛けて、人の力で引っ張ることにより前進する仕組みになっていました。原理的にはケーブルカーに近い感じです。さて、のりまき・ふともきもケッペ引きを手伝ってみました。意外と簡単なものです。対岸に着くと料金所がありました。片道150ウォンでした。日本円で15円たらず……動力は私たちの腕なのですが、ま、安いですね〜〜

左はケッペのワイヤーを引っぱる光景。右はケッペ全景。

それから、またケッペを対岸まで乗りなおして、バスに乗って高速バスターミナルに向かうのも味気なく思ったので、地図を見たらケッペの降りたところから高速バスターミナルまではほとんど一本道であったこともあって、ゆっくり高速バスターミナルまで歩いてみることにしました。天気の良い朝、荷物は重たいのですが、周囲の光景ものどかな下町風で、折りしもあっちこっちでおばさん達が集まって、キムチの漬け込み作業を行なっていたりしていて、結構気持ちの良い道のりでした。
10時半頃に束草の高速バスターミナルに到着しました。早速ソウル行きの高速バスチケットを購入したら、約1時間後、11時半のバスでした。帰りは行きと違って結構バスターミナルが繁盛しています。束草は観光地なので日曜はバスも結構混雑するのかもしれません。バスを待つ約1時間、高速バスターミナルでしばしぼうっとしたり、バスターミナルそばの公衆電話で明日に予定されている板門店観光の予約確認の電話を入れたりしてました。
11時半、定刻通りバスが出発しました。バスは満席でした。出発したバスは、海辺の道を快調に飛ばします。のりまき・ふとまきはいつしか眠りに落ちてしまいました。のりまきが気がつくとバスは真新しい、とてもきれいな道路を走っています。『なんだ?これは??』行き(11月27日)には、絶対通らなかった道です。『ここはどこだ??』周囲を見渡してみると山の中で、海の形も見えません……『そういえば……行きは山から海沿いまでつづら折りの道を降りていって、ふとまきが調子を崩したんだったな〜〜もう山の中ということは、あのつづら折りの道はどこに行ったのだろう?』
しばらく行くとなんだかお祝いの広告みたいなものが見えてきました。『あれ……ひょっとしてこれは開通したばかりの道路なのかな??』そう思っていると、やがてバスはサービスエリアに休憩しました。サービスエリアは結構ごったがえしています。サービスエリアで昼食を購入しようと思ったのですが、やはりお客でごった返していて買い物も一苦労です。行列に並んで、なんとかのりまきはキンパプ(のりまき)のお弁当、ふとまきは飲み物を購入出来ました。また、このサービスエリアでは『高速道路新規開通』のパンフレットを配っていました。パンフレットを見ると、どうやら11月28日の午後5時に、高速道路41.9キロが開通したと書かれているようです。なるほどこれでは行きと違う道路を通るわけですね(^o^)。ところでふとまきはやはり昼食はのりまき1個のみ。ちなみにのりまきはなかなか美味でした。高速道路での食事は、日本・韓国・台湾では、韓国が一番美味しいような気がします(^o^)。
サービスエリアを出ますと、道路は混雑が始まりました。考えてみたら高速道路新規開通後初めての週末、しかも日曜の午後ともなれば上りが混雑するのは当然です。やがてバスは高速道路を降り、細い道や抜け道らしい道を走り出しました。韓国のバスは意外と飛ばさないと感じましたが、ブレーキが急です。下道を走り出して急ブレーキが続くと、ふとまきはまた少々気持ちが悪くなってしまったようですが、大したことはなく、ソウル市内に入るとまたかなりひどい渋滞にぶつかったりしたのですが、午後4時過ぎ、なんとかソウルのバスターミナルまで戻ってきました。
ソウルのバスターミナル内の売店で、コーヒーをすすりつつしばしの休憩。それから地下鉄に乗って、ソウル中心街に向かいます。鐘閣(チョンガク)というところまで行き、地下鉄を降りてみると何故かよくわからないのですが、機動隊員みたいな人がいっぱい警備をしています。そんな光景を横に見つつソウルの街並みを少し歩くと、なんだか東京の街とあまり違わない感じがしてきました。『8年前は、もう少し違ったような気がしたんだけどな〜〜』そんなことを思いつつ、便利が良いYMCAホテルに宿泊しようと思い、フロントまで行ってみると本日(日曜)は泊れるけれども明日(月曜)は難しいとのこと、明日、別のところに泊るのも面倒なので、地下鉄鐘閣駅の近くの旅館を探し、そこに宿泊することとなりました。今回の旅行ですっかりお気に入りとなりましたオンドル部屋でございます(^o^)。料金は一泊30000ウォン、束草のモーテルと同じですが部屋の大きさは半分、バスタブも海老のように身体を折り曲げなければ入れない感じですが、ソウル中心街というロケーションを考えればまずまずなのではないでしょうか?
宿が決まったらとりあえず夕食です。嬉しいことにふとまきは食欲が出てきたのです。細い路地をくぐり抜けると、ソウル観光スポットのひとつ、仁寺洞に出ました。のりまき・ふとまきは仁寺洞の照明がとても明るいお店で『うどん』を食べました。仁寺洞には、日本からの皆さんがいっぱいいらっしゃいます。ここ5日ほど聞くことのなかった“日本人の語る日本語”を、そこかしこで聞くことが出来ます。変わり者のりまき・ふとまききにとって少々興ざめなひとときでありました。
さて、仁寺洞を歩いていると妙なお店を発見しました。『ピョンヤンギャラリーアンドショップ』と書かれたお店で、ご丁寧にも日本語で“北朝鮮の記念品”とも書いております。のりまき・ふとまきは早速お店に入ってみることにしました。お店は2階にありまして、下から見ると静けさに包まれている感じで、上に人のいる気配があまり感じられません。2階に上がる階段途中にもなんだかよくわからないポスターみたいなものが貼っていて、アンダーグラウンドな雰囲気満点です。店に入ってみると結構こぎれいな広いお店で、写真集やお酒など色々な品物が売っています、しかしなんだか異様な雰囲気のお店です。店員さんは4〜50代の顔立ちの整った女性でしたが、お客である私たちに『いらっしゃいませ』。と言うわけでも、商品を眺めていても説明をするわけでもありません。店員さんの雰囲気はもはや“愛想がない”とかというレベルを超えていて、なにか悪いものでも吸ったかのような感じです。まず、“物を売る”といった気構えが全く感じられず、この店の目的は全く別のところにあるのでは?と邪推したくなってしまいます(笑)。とにかく全体的に禍々しさが漂ってくるような感じのお店なので、そういうものに興味がある方は仁寺洞の北朝鮮専門店を探してみてくださいな。

問題の『ピョンヤンギャラリーアンドショップ』入口は、こんなお人形がお出迎え(笑)。

さて、食事・お散歩・ちょっとした探検(笑)を終え、のりまき・ふとまきはコンビニとパン屋で買い物をして、旅館に戻りました。旅館でお風呂に入り、もう少し菓子パンなどをつまんでからお休みです。就寝時間はやはり10時台、いい子生活であります。

12月3日(月)
いよいよ今回旅行の実質最終日であります。今日はなんといっても板門店!ふとまきに起こされるようにして朝6時半に起床。8時半までにロッテホテルの大韓旅行社に集合なので、支度を済ませたら出発です。
出発後、コーヒー店でパンとコーヒーの朝食。朝食が終わると、なんだかんだで8時近くです。ロッテホテルまで行きまして、とっても豪華なロッテホテル内をお上りさん気分で歩き、大韓旅行社カウンターで板門店ツアーの手続きを済ませました。8時50分、ツアーバスに乗り込みます。私たちが申し込んだ板門店ツアーは日本人だけのツアーなので、周りには日本人しかいません。おとといまで周囲に韓国人しかいないツアーに参加していたのがなんだか夢のようです(笑)。参加者を見ると、団体さんもいるようですが私たちのように個人で申し込んだ人もいるようでした。
ツアーコンダクターは田中真紀子を若くした感じの女性でした(笑)。彼女は開口一番、皇太子の長女誕生のお祝いを私たちに言いまして、それから「先日南北間で銃撃があった」。との説明を始めました。銃撃は11月27日、のりまき・ふとまきの自宅出発後にあったことのなので、もちろんのりまき・ふとまきにとって初耳でありました。
田中真紀子似のツアーコンダクターさんは、しゃきしゃきとした口調で話す、なかなか注意事項に細かい方でありました。ひょっとしたら田中真紀子女史に性格も似ているのかもしれません(笑)。板門店までの道すがら、ツアーコンダクターさんは9月のアメリカ同時多発テロ以降、板門店ツアーが4回ほど中止になった話しや韓国の歴史について、色々語って下さいます。
さて、バスはやがて、臨津江の向こうに北朝鮮の景色が見える場所にやってきました。川沿いには鉄条網が張られ、次第にものものしい雰囲気が漂ってきます。それから臨津江を渡る橋のところで検問がありまして、“以後の写真撮影の禁止”など、改めて注意事項の徹底がされます。検問の後、バスは一見今までとあまり変わらぬ田園地帯を走り、ほどなく駐車場に止まりました。駐車場の周りは基地になっていまして、トイレ休憩の後専用バスに乗り換えて板門店に向かいます。
バスを乗り換える際、乗り換えたバスには兵士が同乗します。バスから見える景色は鉄条網あり監視所ありで、軍事一色になっていきます。しばらく行くと平屋建ての建物の前でバスが止まって、バスを降りるように言われます。すぐに平屋建ての建物の中に案内され、宣伝映画を見させられ、その後『板門店でなにがあっても責任を取れない』。という宣言書に署名を求められます。それからゲストカードを渡されまして上着に着用するよう言われました。これまでの流れは以前(1993年)、韓国側から板門店に行った際と基本的に変わりません。
バスに再び乗って、いよいよ板門店に向かいます。一見して以前と建物の配置がかなり変わったようでした。まず板門店の自由の家というあずまやに登り、ここから北朝鮮側を見ると、前2回とは明らかに雰囲気が違うのです。緊張感が板門店全体を覆い尽くしています。監視の兵士も南北双方とも以前来た時よりも多いですし、そもそも兵士一人一人から放たれる緊張感が全く違います。北の兵士たちはこちらの様子をじっとうかがいながら、時々フラッシュをたいて写真撮影をしています。
あずまやを降り、いよいよ軍事停戦委員会の建物の中に入ります。ツアーコンダクターが「今日はここに入るのは難しいと言われたのですが、入れるようにお願いしました」。と話していましたが、あながちうそでもなさそうです。移動中に写真撮影をしようとすると、止めるように言われます。少なくとも前回はこんなことはありませんでした。
それから軍事停戦委員会の建物に入りました。この建物の中も机の配置が変わっていました(笑)。建物内のみ、北朝鮮側に足を踏み入れることが許されています。屈強な二人の兵士が警備を続けていまして、観光客が兵士の前を横切ろうとしたり、北朝鮮側の出口に近づきすぎたりすると無言で大きな手で制止していました。やはり前回はこんなではありませんでした。今回のツアーで、口ひげを生やした男性と野球帽をかぶった、少しあやしい雰囲気の二人組男性が参加していたのですが、口ひげを生やした男性の方が何度か兵士から行動制止を受けていました。口ひげ男性の名誉のためにいいますが、少々言動に落ち着きがなかっただけで、特に不審な行動をしていたわけではありません。1993年の時は全く問題にならなかった行動だと思います(笑)。
さて、軍事停戦委員会の建物を出ますと、北朝鮮が望める展望台までバスで移動です。バスは軍事境界線まで数メートルのところを走り、展望台まで行きます。展望台からは北の風景が見えます、北側に2000年夏、北朝鮮でいやというほど見させられた『21世紀の太陽金正日将軍万歳』というスローガンがあるのが望めます。また、世界一の高さを誇る北朝鮮国旗掲揚台も健在です。展望台からバスに再び乗り込みまして、ポプラ事件の切り株跡、帰らざる橋を車中から見学しました。切り株跡も8年前と少し変わっていました。
さて、これで板門店観光は終了。正直とても緊張いたしました(-_-メ)。前回・前々回は物見遊山の気分もあったのですが、今回はとてもそんな気分になれませんでした。銃撃事件の後でもこの緊張感ならば、本当の戦場での緊張感はいかばかりでありましょうか?のりまきの想像なのですが、戦場では弾が飛んでくる前に、緊張感で駄目になってしまうことも多いのではないでしょうか?
昼食は兵士と一緒にバイキングです。『まずい』との声が多いシロモノですが、前回も今回も、まあ普通の味に感じました。あと、コーラはアメリカのお味で、まさにコーラらしい美味しいものでした。ここんとこ韓国(北朝鮮)にどっぷり漬かっていたのりまき・ふとまきにとって、アメリカンテイストの昼食は良い気分転換になった気もします。おみやげ物は田中真紀子似のツアーコンダクターさんが『安価な兵隊さん価格で買える紫水晶は、板門店のお薦め』。と宣伝していましたが、宝石の類に興味を示さぬのりまき・ふとまきは、絵はがきとTシャツと軍事境界線の鉄条網を購入しました。おみやげとして軍事境界線の鉄条網を買うなんざ、紫水晶を買うよりもタチが悪いかも知れませぬ〜〜
昼食・おみやげ購入が終わりますとゲストカードを返却し、バスを乗り換えた駐車場まで戻って、ソウルから乗ってきたバスに乗り換え、帰途につきました。
さて、ソウルに戻ったら気になりだしたのがみやげ物です(笑)。職場を1週間留守にして旅行している人間の性、おみやげ物を探しにロッテデパートをうろうろしますが、どうも日本の高島屋地下とあまり変わらない雰囲気で、あまりお土産を買う気がしません。みやげ物ならば空港でも買えます(笑)。そこで買い物はせず、まず本屋に寄って金剛山の資料を探してみて、それから『誰も歩かなかった韓国の旅(昭文社)』という、のりまきが日本の本屋で見た限り、一番面白かった韓国ガイドブックで紹介されていた焼肉屋を探しにいくことになりました。
焼肉屋は、往十里(ワンシムニ)というところにあるといいます。ロッテデパートからまず教保文庫という大きな本屋に行き、金剛山のガイドブックと地図を購入した後、地下鉄で往十里まで向かいます。乗り込んだ地下鉄は座席は空いてないがあまり混んでいるわけではない…という位の混み方で、地下鉄で数駅先の往十里まで、のりまき・ふとまきは端の方に立っていました。すると目の前に立っていたおばさんが、私たちに「どこに行くのですか?」と話しかけてきます。なまりの少ない日本語です。「往十里です」。と言うと、おばさんは「私も往十里で地下鉄を乗り換える」。と言います。続いておばさんは「往十里に何をしに行くのですか?」と尋ねてきます。「往十里に美味しい焼肉店があるというので、食べに行こうと思いまして……」。と答えると、「往十里なんて(遠くに)行かないでも、焼肉店はあるのに??」とおばさん、少々怪訝そうな表情をします。
「本によると美味しい焼肉屋が、警察病院のそばにあると聞いていまして……」。と話してみると、おばさんは大きく頷いて「往十里に警察病院はある」。と言います。少々迷ったのですが、店までの道筋がわからないので道を尋ねる場合の手助けになるかもしれないと思い、おばさんに「ハングルで警察病院と書いていただけませんか?」と、お願いしました。おばさんは快く応じてくれます。後になって、この時の判断がとても正しかったことが分かるのです(^o^)。
それから後、おばさんとは色々お話をしました。おばさんは以前東京の方に数年住んだことがあるそうです。日本語はそのときに覚えたとのことで、「あまり上手くありませんが……」。と、謙遜されていましたがなかなかどうして、日本語の実力はかなりのものでした。私たちもソウルかピョンヤンに数年住めば、韓国・朝鮮語が話せるようになるのでしょうか?
さあ、往十里に着きました。おばさんは私たちのために駅の地図で『警察病院』を確認しようとしますが見つかりません、そこで駅前に警察署があるので、ここで聞いてみたら……といった感じの説明を私たちにしました。私たちはおばさんにお礼をしてから別れ、地上に出てみました。
地上に出てみますと確かに目の前に警察署があります。警察署の入口には数人の警察官がいまして、なにやら忙しそうに動き回っています。声をかけるのも申し訳なく思ったのですが、思い切って声をかけてみます。一人の警察官におばさんに書いてもらった『警察病院』のハングル文字を見せたところ、慌てた感じで「日本人か……チャムシルまで地下鉄で行って、そこからタクシー」。といった感じの内容を、早口の英語韓国語日本語ちゃんぽんの妙〜な言葉で説明します。そしてこれだけ話すとその警察官はバイクに乗って、あわててどこかへ出かけていきます。どうやら管内で事件発生でもしたらしく、出動するところだったようです。
いくら警察官の説明だとはいえ、こんなにあわてていた時の説明通りに行動するのは危険です。だいたい地下鉄に同乗していたおばさんは『警察病院は往十里にある』。と言っていました。チャムシルにあるとは言ってません。あたりを見回してみると、交番もあります。交番の人ならばよくわかるかもしれません。のりまき・ふとまきは交番に行ってみました。交番には一人のおじさんが座っていました。交番ではまず問題の焼肉屋の名前を見せてみたのですが、「知らない」。とのこと、そこで『警察病院』のハングル文字を見せると、「あっちの方だ」。と言います。約500メートル先とのことです。警察病院への行き方をもう少し聞こうと思ったのですが、おじさんの説明は要領を得ません。そこで私たちは交番を出て、近くにいたおばさんに焼肉店の店名を見せて「この店はどちらにありますか?」と聞いてみました。おばさんは「知らないねえ……往十里といっても広いからねえ、往十里の焼肉屋といってもいっぱいあってわからないよ」。といった感じで話します。
仕方ありません、とりあえず交番のおじさんの言った方向に歩いてみることにします。警察病院はきっとそれなりの大きさの病院、たぶん総合病院でしょう、近くまでいったらわかるかもしれません。しかししばらく歩いてみても総合病院らしいものは全く見つかりません。そんな時、またまた若い二人の警察官が私たちの目の前に現れました。
のりまき・ふとまきは性懲りもなく、焼肉屋の名前を警察官に見せてみます。「あ、あれだな……」そんな感じで二人は話しております。どうやら知っているようです。「どこですか?」と聞いてみると、なんと私たちの歩いて来た方向を指差します。つまりさっきの交番のおじさんとは、正反対方向を示したのです。「どうやって行くのですか?」と聞いてみると、二人の警察官は『おまえ、日本語分かるか?』といった感じで顔を見合わせています。そして、「う〜ん、説明は難しい……タクシーに乗って行く方がいい」。といった感じの話をします。
う〜ん……困ってしまった……誰の話を信じればよいのか??みんな言っていることがバラバラだ……結局、まず交番のおじさんの説明した方向にもう少し歩いてみることにしました。2〜3分後、私たちの目の前に漢江に架かっているらしい大きな橋が見えてきました。いくらなんでも問題の焼肉店が川の向こうにあるとは思えません。これは明らかにおかしいです。
これはもう困ってしまいました。焼肉店ひとつでここまで苦労するとは思いませんでした。そろそろ諦めようかなあ〜〜と思ったのですが、道路を見ると結構タクシーが走っています。「最後にタクシーに聞いてみよう」。と思い、タクシーを止めてみました。
のりまき・ふとまきの前に一台のタクシーが止まりました。運転手さんは見るからに実直そうなおじさんです。まず、焼肉店の名前を示してみても「知らない」。とのこと、運転手さんは「電話番号はわかりませんか?」と聞き返してきます。「すいません、わかりません……でも、ここのそばらしいです」。と言って地下鉄で会ったおばさんに書いてもらった『警察病院』のハングル文字を見せてみます。運転手さんは頷いて「ここならわかる」。とのこと、更に運転手さんは「ここでいいのですか?」と聞いてきます。のりまき・ふとまきはどこに連れて行かれるのか少々不安でしたが、思い切って行ってみることにしました。
タクシーの運転手さんは私たちを乗せるとメーターを回しだします。タクシーは私たちが往十里から歩いてきた道を戻り、更に地下鉄往十里駅を通過していきます。後から聞いた2人の若い警察官の示した方角通りです。つまり、駅そばの交番のおじさんの説明とは正反対の方角です。やがてタクシーは2回ほど路地を曲がり、乗車して10分たつかたたないかのうちに、門は狭いのですが結構大きい病院のそばに停車します。運転手さんは「ここです」。とのこと、料金2500ウォンなり。
病院入口をみて唖然としました。問題の『警察病院』、どうやら最近病院の名前が変わってしまっていたようなのです。さて、気を取り直して焼肉屋探しです。周囲を少し歩き回ってみると、道で立ち話をしていたおじさん二人組に出会いました。おじさん2人は、焼肉屋でよく見かける、ビール飲みながら焼き肉をぱくぱくほお張っていそうなタイプです(笑)。おじさんたちに焼肉店の名前を見せると早速「あの路地を曲がって少し歩きなさい」。と、自信満々のお答え。やっと焼肉にありつけそうだ〜〜路地を曲がりますと、まずこぎれいな焼肉店がありました。しかしあまり繁盛してなさそうです。だいたい店名がまるで違います。少し先にもうひとつお店がありました。行ってみることにします。のりまき・ふとまきが店の前に着くやいなや、私たちの目の前に一台の黒塗りの車が止まり、数人の人が降りて店にぞろぞろ入っていきます。このとき確信しました。このお店こそ捜し求めてきた焼肉屋だ!!さて、のりまき・ふとまきが焼肉屋に入ろうと思って再び唖然です。病院ばかりではなく、なんと店の名前も変わってしまっていたようなのです
さて、お店に入ってびっくりです。まだ6時になるかならないかだというのに、かなり広い店内には客がいっぱいいます。お店はかなり入り組んでいて、座敷みたいな部屋がいくつもやや無造作に並んでいるような作りになっていて、奥のほうまで良く見わたせない感じなのですが、優に100人は入れそうです。店員も忙しそうに動き回っています。このお店、なんと下駄箱専属のおじさんがいて、お客の脱いだ履物の管理を専任でこなしている繁盛ぶりです。のりまき・ふとまきは座席に着くとメニューを注文します。のりまきが「牛カルビ下さい」。と言うと、店員は「カルビはない、牛トンシム(注)だけだ」。とおっしゃいます。このときトンシムとはいったいなんのことやらさっぱり解らなかったのですが、メニューがこれしかないというのならいたしかたありません、トンシムと飲み物を注文します。
いよいよ肉の登場です。のりまき・ふとまきの目の前にあまり脂身のない、赤身系の肉が大量に現れました。韓国ですので付け合せのキムチ、それから野菜などもついてきます。肉につけるたれは、塩だれとコチュジャンや醤油をあわせたと思われるたれの2種類です。さあ、肉を焼きます。肉を焼くのは網ではなく、鉄鍋です。その頃には私たちが日本人であることわかったか、日本語がある程度できる店員さんが私たちにいろいろ説明してくれるようになりました。
肉が焼けてきまして、口に入れてみます。「お、おいしい!!」あまり柔らかくはないのですが、歯ごたえある、旨味にあふれたお肉です。今まで食べたことのない焼肉であります。堪能、堪能であります♪♪お腹の調子がよくなかったふとまきも、最初は少々おっかなびっくりでしたが、やがて調子良くお肉をぱくつきだしました。そんな時、私たちの前におばさんが現れ、「味はどうでしたか?」と、日本語で聞いてきました。「美味しいです」。と答えると「ごはんは、来てもそのまま食べないようにね」。と言います。最初、この人はお客さんかな〜と思いました。
気がつくとお店にはひっきりなしに人がやってきます。大繁盛です。お店の人もせわしなく動き回り、とにかく活気に溢れています。やがて、のりまき・ふとまきは目の前にあったかなり大量の肉(たしか600グラム)を食い尽くしてしまいました。肉が一段落しますと、日本語のできる店員さんが『ビビンバどうですか?』と聞いてきます。せっかくなので注文します。店員さんはまず、肉を焼いた鉄鍋の上に、余った付け合せのねぎを放り込み、しばらく炒めてからねぎを取り出します。それからごはんとキムチなどが入った具を鉄鍋に放り込み、蓋をしてしばらくぐつぐつしました。数分後完成であります。口に入れるとこれまた絶品!!味も良いのですが、おこげの香ばしさがまたたまりません!ビビンバというより、焼飯に近い感じです。ぱくぱくぱくぱく……食べ尽くしました。
幸せな気分になって、のりまき・ふとまきはお店を後にします。下足番のおじさんは、大量の履物の中からすぐにのりまき・ふとまきの靴を見つけ出します。また、店のレジにいたおばさんは、さきほど肉を食べている時に現れた日本語が上手なおばさんでした。「この店はここで40年間やっている」。と、説明します。「私は横浜に親戚がいて、時々行く」。とのことで、また、「今度博多にここの支店を出そうと思っている。日本人は甘い味を好む人が多いので、味をどうしようか考えているのだけれど、日本のお客さんはみんな『日本でもこのままの味の方がよい』。という」。などと話していました。支店開店に向けて数日後には博多に行くとも話していましたので、近いうちに日本で新たな焼肉の美味を味わえるようになるかも知れません。
またおばさんは、「今日はビビンバだったけれども味噌汁もある、味噌汁も美味しいので、次来た時は是非食べて欲しい」。とも言っていました。これはもう要再挑戦でしょう!。ちなみに料金は総額約50000ウォン。一番高い食事でしたが満足度も一番でした。
帰りしな、玄関脇の洗い場を見ると、数人のおばさんが洗い物を一所懸命やっています。あとからあとから使用済みの皿やらなんやらがやってきていて、洗い場は戦場のようでした。とにかくこのお店、大繁盛しています!!

左はトンシムを焼いております。右は出来たてで湯気をあげているビビンバ。ああ、じゅるじゅる(^o^)。

さて、お肉とビビンバを大量に食べたふとまきは、今更のようにお腹の調子が気になってきます。徒歩→地下鉄という手段で帰るのはお腹のことを考えると少々不安です。そこで鐘閣の旅館のそばまでタクシーで帰ることにしました。タクシーを降りた後、またコンビニで飲み物を少々買って旅館に戻りました。旅館に戻ったらやはり一日の疲れもあって、お風呂に入ったらほどなく睡眠です。睡眠時間はやはり10時台頃、本当に良い子生活です(笑)。

12月4日(火)
日本に帰る日です。特に大きなことはない平凡な帰国でした。あ、朝起きてみて、ふとまきの胃の調子は普通でした。ほっとしました(^o^)。
旅館を7時過ぎに出て、YMCAホテルのそばのうどん店で朝食。コシがあって美味しゅうございましいた。朝食後ソウル駅まで地下鉄で移動。ソウル駅前から空港行きのリムジンバスに乗り、仁川国際空港に行き、空港でお土産を買って帰りました。
韓国は近うございます。夕方にはもうのりまき・ふとまきは自宅に戻っていました。

(注):トンシムとはひれ肉のこと。ちなみにお店の名前は『大都食堂』。電話番号は2292−9772:2293−9095です。(2001年12月時点)。場所は確かに少々わかりにくいと思います。私たちが参考にした、誰も歩かなかった韓国の旅(昭文社):によれば、韓国のお店は税金対策で結構屋号・電話番号の変更が頻繁だといいます。皆さん、行かれるならば少々覚悟して行ってみてくださいな(笑)。




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