雪峰(ソルボン)の夢(8)


海金剛でのりまき・ふとまき記念撮影♪


12月1日(土)
さて、金剛山3日目の朝も良い天気でありました。ふとまきは激しい下痢のため、あまり眠れていません……もちろん下痢も終結したわけではありません。朝食時もふとまきは少々水を飲んだのみです。
今日は海金剛・三日浦観光をして、それから北朝鮮を出国して束草へ戻る日です。正直、ふとまきにとって観光は厳しいかなあ〜〜と思いましたが、ふとまきはとりあえず“大丈夫”というので、出発することにしました。まず、昨晩ミス・キムから受けた説明どおり、ホテル海金剛をチェックアウトしました。ホテルをチェックアウトして、大きな荷物をバスの下部の荷物置き場に詰め込んでから、本日もター1のバスに乗りこみ、ミス・イーの弁舌を朝から拝聴いたします(^o^)。韓国語がほとんどわからず残念です。バスに同乗する韓国人の皆さんは、結構笑っていますので結構ツボを押さえた話をしているのでしょうが……それにしてもミス・イーはいったいどれだけ話しつづけられるのでしょうか?
朝の光の中、前日と同じく北朝鮮の皆さんは徒歩や自転車で移動しています。朝から移動しているということは、子どもは通学、大人は通勤なのでしょうか?それとも噂で言われているように“買い出し”などの事情もあるのでしょうか?さて、バスは温井里の現代観光施設に着き、ちょっとした休憩をして、まず海金剛へと向かいます。
温井里から海金剛へは平野部分を進むので、前日と較べてはるかに北朝鮮の日常生活を目にする場面が多かったです。まず、“金剛山青年”と壁面に書かれた鉄道の駅を通り過ぎました。この駅は、正面に故金日成主席の写真を飾り、主席の写真の両脇は政治スローガンで固めていました。
“金剛山青年駅”から先は、どうやら昔鉄道が走っていた跡がそのまま現在北朝鮮の人々が使っている道になっているようです。ちなみに現在完成している鉄道も、以前あった鉄道跡をリメイクしたものかもしれません。北朝鮮の人は、やはり歩いていたり自転車に乗ったりしています。何故か自転車は結構新しいものに見えました。数年前ミャンマーで見かけた自転車よりもずっと新しいものです。日本でよく見かけるママチャリとあまり変わらないようにも見えます。多くのものが年代物に見える北朝鮮の光景で、自転車の新しさは結構目に付きます。北朝鮮の人たちは、時々バスに乗っている私たちに手を振っていたりします。北朝鮮の人たちが使う道路と反対側には広い河原がある川が流れていました。
時々、年代物のトラックが走っていたりします。トラックは緑色っぽい塗装をしていて、昭和20〜30年代の映像として見るトラックに似ています。トラックが荷台に人を乗せて、土煙をあげて走っている場面も見ましたが、まさにモノクロームの映画のワンシーンを見る思いでした。また、トラクターのようなものが道や河川敷で煙をあげて止まっている場面も見ました。おかしなことに海金剛・三日浦からの帰り道も同じ場所で煙をあげていました。あれはいったいなんだったのでしょう?故障中ならば修理をするはずだし、仕事中ならば一ヶ所にとどまっているのは変だし……また韓国側でも見かけた、いざという時(この場合韓国側が攻めてきた場合)道路に石を落とすようになっているしかけもありました。
北朝鮮の民家の前には、相変わらずコンクリートの壁が立てられています(-_-;)。また、私たちの乗ったバスが走る道路は、やはり金網で周囲から仕切られ、監視の兵士もしっかり目を光らせています。やがて、北朝鮮の皆さんが使う道路と私たちの乗るバス道路が交差する場所に来ました。北朝鮮の皆さんが使う道路は、私たちが通る金剛山観光専用道路を横切った後、まもなく広い河原を持つ川を渡ることになるのですが、なんと川に架けられた橋が途中で落ちてしまっていました。橋の落ちた箇所から河原へと降りれるように板のようなものが渡されていまして、北朝鮮の皆さんは、途中からみんな河原に降りて川を渡っていました。
途中から落ちている橋を見送ったあたりで道は未舗装となって細くなり、金網の仕切りはなくなりました。ここから先は特に金剛山観光の専用道路ではなく、北朝鮮の皆さんと共用の道路のようです。ただし観光バスの通過時にはしっかり地元の人の通行を制限しているようでした(-_-;)。まもなく周囲に集落が見えてきました。学校らしい建物が2ヶ所あって、そのうち1ヶ所ではちょうど体育の時間が始まったのか、休み時間になったところだったのでしょうか、子どもたちが結構大勢、校庭に出てきた場面に遭遇しました。学校にはコンクリート障壁の目隠しはありませんでしたが、ここの集落もしっかりコンクリート障壁で屋根以外見えにくいようになっています。集落の先には、少々年季の入ったアンテナかレーダーのようなものが低木の茂みの中で旋回している軍事基地がありました。軍事基地と道を挟んで反対側には広々とした水田が広がっています。冬なのでもちろん水田にはなにもなく、広々とした平野の彼方に金剛山の勇姿が輝いています。とても絵になる光景で、写真を撮れないのが残念な風景のひとつでした。
さて、道はやがて更に細くなり、バスは周囲に松の潅木が生い茂っているようなところを走り出しました。すると、目の前に小さな駐車場のような場所が見えてきました。ホテル海金剛でもらった資料によれば、“末茂里駐車場”という名前らしいです。そして駐車場のすぐ先には、検問がありました。ところでこの検問所の脇には、二重の金網の間に高圧電線を張り巡らせてあるという、実にものものしい防御線が敷かれていました。更によく見ると二重の金網の間は箒のようなものできれいに掃かれていまして、足跡がつけばすぐにわかるようになっています。海金剛地区は朝鮮半島の南北軍事境界線に近いので、この防御線は最初軍事境界線に関係する施設かなあと思いましたが、問題の防御線は太陽の方角から判断すると南北方向に伸びています。軍事境界線がらみの防御線ならば基本的に東西方向に敷設されると思われるので、後から説明する軍事施設に関わる防御線なのかも知れません。
さて、ものものしい防御線を越えるとまもなくまた駐車場が見えてきました。私たちはバスをその駐車場を降りました。そういえば温井里から海金剛に行くバス中も、ミス・イーは連続トークを続けていました(笑)。そして海金剛までのバスには、現代の新人社員らしい人が数人乗ってきて、ミス・イーの解説を真剣にメモしていました。なんだか新人研修に近い雰囲気でした。少なくともそんな情景を見ると現代グループは金剛山観光の看板を下ろすつもりはなさそうに感じました。
駐車場から道は坂を下りるようになっています。坂を下ると海が見えてきました。そして松が生い茂った岩礁がいくつも浮かぶ、日本で言えばちょうど松島のような光景が見えてきました。ミス・キムは「あちらが韓国です」。と、南の方を指差します。見ると海に沿って、南の方角はいくつもの山が連なっているのが見えます。「向こうの山は韓国です」。ミス・キムはそう続けます。「写真撮っていいですか」。北朝鮮から韓国方面の写真を撮っていいのかわからなかったのりまきは、ミス・キムに聞いてみました。ミス・キムは「いいですよ」。と、答えました。韓国人の観光客も、多くの人が韓国方面の写真を撮っていましたので、たしかに問題はなかったようです。ところで、今回の金剛山旅行での写真の一部が、北朝鮮でのX線検査の影響からか光を被ったように写ってしまったのですが、悪いことに海金剛の写真の多くがその光を被った写真になってしまい、青い海に枝ぶりの良い松が生えている島が浮かぶ、海金剛の美しさが伝わらない写真が多くなってしまったのが残念です。

比較的良く撮れていた海金剛の写真です。


朝の光を受けて輝く海金剛の島々

海金剛の観光ルートを進んでいくうちに、突然現代の社員たちがなにやら大声を出しはじめました。九竜淵コースと万物相コースとに分かれた前日と違って、海金剛は金剛山観光客が全員一緒に参加します。約200人の観光客に対し、数人の現代社員が大声で叫んでいるのです。ミス・キムも私たちに対して「あちらの方向の写真撮影は絶対に駄目です」。と、今までにない強い調子で話します。『なんだろう?』と思い、問題の方角を見てみると、約10メートルほどの海辺の断崖の中ほどを一部削って、高射砲やトーチカが据え付けられています。『はは〜ん……これじゃあ確かに写真撮影は出来ないな……』と納得しました。以前日本人の観光客が金剛山観光中に“カメラが軍事基地の方角を向いていた”というだけでカメラごと没収となったといういわくつきの場所は、きっとここでしょう。それにしてもこの軍事基地、さきほど見たものものしい防御線によって仕切られているようなのですが……それほどまでに重要な軍事基地なのでしょうか?温井里から海金剛まで来る途中に見えたアンテナかレーダー基地も、ホテル海金剛そばの軍事基地もそんなに厳重な防御線などありませんでした。日本に帰ってから地図で確認したのですが、私たちが見学した海金剛から南北の軍事境界線まで、直線距離にして6〜7キロの距離はありそうです。海金剛の次に向かった三日浦も軍事境界線から8キロくらいですし、だいたい現代の観光施設のある温井里自体、軍事境界線から15キロ程度ですから、やはり海金剛そばのものものしい防御線は南北の軍事境界線に近いからあるというには疑問が残ります。
以前のりまきは、海金剛地区にウランが埋蔵されているという噂を耳にしたことがありました。ものものしい防御線や厳しい写真撮影禁止は、単に軍事基地があるばかりではなく、ひょっとしたらそんなことも関係しているのかもしれません。ところで、これも日本に帰ってから気づいたことなのですが、北朝鮮のガイドブック等でよく、海金剛の写真として紹介されている“海金剛門”の写真は、角度から見て問題の軍事基地から撮影した写真のようです。

少々光を被ったようになって残念ですが……海万物相の写真です。写真右側すぐ奥に軍事基地がある。

海金剛では歩く距離が短かったこともあって、トイレに駆け込むことはありましたがふとまきの体調は比較的落ち着いていました。ガイドブックなどを読むと海金剛は少し離れた他の場所にも見所があるようなのですが、軍事基地があるなどの制約のためか、あまり色々見ることができないようで残念です。
さて、この海金剛ではまず昨晩金剛山温泉で『ソウルまで車に乗っていきませんか?』と勧めてくれた恰幅のよい中年男性に再会しました。男性はのりまきが首から下げていた“金剛山観光カード”をしげしげと眺めています(^o^)。のりまきが改めて挨拶をすると、「あ、私は徐○○といいます。こちらが私の母です」。といって、隣にいた母親を紹介してくれました。更にのりまきの隣にいたふとまきについて『どういう関係ですか?』と、極めて単刀直入な質問をしてきます。「あ、妻のふとまきです」。と、こちらも単純明快な回答をします(笑)。「新婚旅行ですか?」徐さんは、続いてそんなことを聞いてきました。「いいえ、違いますよ〜」。と答えると笑っています。そういえば後ほどもう一度徐さんにあった時、徐さんは笑いながら「新婚旅行…いいですねえ……」。などといっておどけていました。また、徐さんはとても好奇心の旺盛な人物らしく、私たちと話した後には、北朝鮮の監視員になにやら色々と質問をしていたようです。
そして飴屋の金さんは白い韓国の民族衣装を身にまとい、その上白いはちまきをするという気合の入りまくったいでたちで、前日に引き続き観光客と一緒に海金剛まで来て、商売に励んでいました(^o^)。金さんはなにやらいろいろ韓国・朝鮮の昔懐かしい遊びを大勢の韓国人の前で披露して、やんやの喝采を浴びていました。
海金剛の観光はあまり広くない範囲で歩き回ることも少なかったので30分程度で終わり、バスまで戻る最中に、私たちは「お元気ですか?」と、なまりのないきれいな日本語で呼び止められました。『誰だろう?』と思って見てみると北朝鮮の監視員でした。のりまき・ふとまきは「はい」と返事をしました。また、海金剛では昨日九竜淵コースの山で出会った北朝鮮の監視員にも会いました。ふとまきが思わず「あ、昨日もいた人だ」。と言うと、その監視員さんは笑っていました。
バスまで戻る途中、私たちはまたまた日本語で呼び止められました。今度は初老の男性です。私たちが日本語で話しているのを聞いて、まず「きれいですね〜」。と話し掛けてきたのです。この初老の男性は、それからバスに戻るまでの間私たちに話かけてきました。さて、私たちがバスに乗ろうとする段になって、この男性、なにやらミス・キムに話し掛けだしたのです。


金剛山見取り図(3) 三日浦・海金剛コースへ飛ぶ



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