雪峰(ソルボン)の夢(7)


サーカス公演が行なわれた金剛山文化会館


午後2時過ぎに、ふもとの温井里の現代グループ観光施設に戻ってきました。のりまき・ふとまきはまず、午後4時からだというサーカス公演のチケットを購入しました。25ドルの一般席と30ドルの特別席がありまして、せっかくなので特別席を奮発いたしました(笑)。その後遅い昼食タイムです。前日の夕食と同じくバイキング形式でしたが、結構メニュー構成も変わっていました。
昼食を済ませた後、おみやげ物店をうろうろすると、品数こそ多くはありませんが、なかなかユニークなみやげ物もあります。いちばんびっくりしたのは野菜でしょうか。金剛山観光客の食事用にと、現代グループと金剛山地元の高城郡人民委員会(日本で言えば地方自治体の長)が契約を結び、金剛山近くの農家で野菜などの生産を委託しているのですが、観光客の大幅な減少のため野菜が余っているらしいので、どうやらその野菜を売っているようです。値段は1ドルでかなりの分量があったので、日本人の感覚では“お買い得”なのですが……
あと、“山参(サンサム)”の現物を初めてみました。山参とは天然の朝鮮人参のことで、栽培物とはくらべものにならぬ高い薬効と価格(笑)で知られているものだそうです。朝鮮人参は朝鮮半島・中国東北部・ロシア沿海州に自生しているそうですが、どこの自生地でもひどい乱獲のため、天然物はとても貴重になっているといいます。ちなみに金剛山での山参の価格は1本100ドルあまりでした。
のりまき・ふとまきが“きっと皆が一番買わないだろうな〜〜”と思ってしまったのが金剛山を描いた絵画です。絵画は金剛山温泉の2階でも売っていましたが、大きい上に安っぽい掛け軸みたいな雰囲気の絵ばかりで、正直“買いたいな〜〜”という気が起きそうもない絵に見えました。
その他にも北朝鮮のタバコやお酒、また北朝鮮製のコチュジャン(とうがらしみそ)や干し鱈(ミョンテ)、北朝鮮の切手や記念銀貨、純銀製金剛山観光記念メダルなども売っていました。のりまき・ふとまきは北朝鮮製コチュジャンと、北朝鮮タバコ10種詰め合わせ(笑)を購入しました。買い物をしている人たちを見ていると、金剛山観光では通貨は“ドル”しか通用せず、韓国ウォンは持ち込み禁止のはずなのですが、何人か韓国ウォンで買い物をしていた人がいました。どうも建前と現実には多少ずれがあるようです。
それから、食堂脇のスナック売り場のようなところで、金剛山緑豆チヂミを注文しました。私たちが注文すると現代の男性社員が、見るからに油使いすぎ状態で余り慣れぬ手つきで調理し始めます。不安になったのですが、出来てきたものを食べてみると、油は確かに多めでしたが素朴なお味がなかなかよろしゅうございました。コックさんがちゃんと作ったものならばもっと美味しかったのかもしれません。それからしばらく周囲を散策していると、飴屋の金さんのお店のそばに貸し自転車があることに気づきました。レンタル料は1ドルと安いのですが、だいたい自転車に乗ってどこへ行けるのでしょうか?そばにいた係りの人に「これ、どこまで乗っていけるのですか?」と聞いてみると「このあたり(温井閣周辺)だけです」。との予想通りの返事です。金剛山で自転車を乗るのも面白いかな〜〜と少し思いましたが、結局私たちはそれだけのために自転車を借りる気にはなれませんでした。ちなみにこの自転車、中国の方から来ている職員さんたちがひまな時乗り回して遊んでいました(笑)。また中国から来たらしい皆さんは、羽根つきの羽根のようなものを足で蹴り上げる遊びもしていました。見ると羽根つきの羽根のような遊び道具をせっせと飴屋の金さんが作っています(^o^)。なんだか行動が少々とっぴで笑いを誘う人物です。
サーカスが始まる4時少し前、飴屋の金さんが私たちのところにやってきました。金さんは手に2枚の写真を持っています、見ると山で撮影した私たちとの記念写真でした。私たちがお礼をすると、金さんはプレゼントだといってきなこ飴を1箱、私たちに渡そうとします。お金を払おうと思ったのですが、金さんは『いいです』といいます。結局、ありがたくきなこ飴もいただくことにしました。
さて、サーカスが始まるということで、皆さん金剛山文化会館というドーム屋根の建物に集まり始めました。ふとまきは当初、金剛山観光中にサーカス観覧があるというので、きっと町(温井里とか、高城とか…)まで行ってサーカスを見るのだろうと思って期待していたようですが、サーカス観覧場所『金剛山文化会館』は、しっかり休憩施設温井閣の隣に立っています。金剛山観光はハイキングコース以外は全て、現代の観光専用施設内で完結するようになっているのです(-_-;)。
金剛山文化会館の入り口そばでは、ビデオと絵はがきを売っていました。絵はがきを購入した私の韓国・朝鮮語の発音が少しおかしかったのでしょう。売り子のお姉さんが「中国の方ですか」。と聞いてきたので韓国語で「日本人です」。と答えました。するとお姉さんは日本語で、「私は中国人です」。と言います。のりまきは「我是日本人(ウォーシーリーベンレン)」と、中国語で『私は日本人です』。と言ってみると、周りにいた2〜3人の職員の人たちも『我是日本人』と言い、笑います。売り子の人たちはみんな韓国・朝鮮語はぺらぺらだったので、多分北朝鮮の北隣の延辺朝鮮族自治州あたりから来ている中国籍の朝鮮族の皆さんなのでしょうが……なんともいえない妙なひとときでした。
さて、会場に入ってみて感じたのですが、会場は思ったよりも結構狭いのです。以前ピョンヤンでサーカスを見たときの会場はもっとずっと大きい会場でした。もっとも、ここでサーカス観覧をするのは金剛山観光客だけですので、そんなに大きな収容能力は必要ないのかもしれません。私たちの座席はステージ正面の席でした。特別席はステージ正面、一般席はステージ正面から外れた席という色分けになっているようです。皆さんが席に着いてみると、結構5ドル高い“特別席”を選択した人が多いことにびっくりしました。そして現代職員の皆さんや、バスの運転手さんも何人か、サーカスを見に来ました。
さて、サーカスが始まる前に現代の男性社員の人が壇上で色々話をしていました。韓国語だけでしたから何を言っていたのかよくわかりませんでしたが、サーカス団(平壌モランボンサーカス団)の説明とか、注意事項を話していたようです。さて、オーケストラの生演奏(!)が、金正日将軍の歌を演奏しつつサーカス公演が始まったのですが、始めにサーカス団員の皆さんが壇上に勢揃いした時、のりまきが写真を撮ると『写真はだめです』。と言われてしまいました。事前に貰っていた金剛山観光の説明では、『フラッシュ撮影』は出来ないとしか書かれていなかったのですが……事前説明があったのかも知れませんが、説明が韓国語だけでよくわかりませんでした。せめて英語での説明も欲しかったところです。
さて、北朝鮮観光で見物することが多いサーカスはなかなか質が高いものですが、金剛山観光でのサーカスもなかなか素晴らしいものでした。金剛山のサーカスは、会場が狭いためより臨場感があって素晴らしかったです。空中ブランコなどは客席の一部にまでロープを張って仕掛けを作るほど狭い会場なので、カメラの音でサーカス団員の皆さんの気も散ってしまいがちになると思えるので、写真撮影が難しいのは仕方のないところかもしれません。
写真の撮影が出来なかったので、ここでは金剛山で購入した平壌モランボンサーカス絵はがきを少し紹介します。特に口に咥えたナイフのきっ先に剣を乗せ、更にこの剣の柄の上にはワインを満たしたグラスをのせた器がある状態で、女性が曲芸を見せる場面などは素晴らしかったです。また、道化師のような人が幕間にコントのようなことをします(平壌で見ると、アメリカや韓国《南朝鮮》を皮肉る場面になります…笑)。その際、会場から参加者(協力者)を連れてくるのですが、指名された人の中で一人だけ、舞台に上がるのを渋っていたおじさんが舞台の上で帽子を取った際、みごとに毛が薄かったこと、あと、ベレー帽をかぶった例の写真大好きおじさん(笑)が、知人が幕間コントのためにステージに上がった際、ついつい写真をバチバチ取り出して係員から制止されていたことが印象的でした。

平壌モランボンサーカスの絵はがきより

サーカスに見とれている最中、ふとまきの隣に座っていた初老の男性が、突然ふとまきに「これからこの人は2回転半します」。と、日本語で説明をします。“2回転半”という難易度の高い日本語を使いこなすこの初老の男性は、それからときどき私たちにサーカスの技について説明をしてくれました。
さて、サーカスの最後の出し物は空中ブランコでした。みんなが色々な技を披露した後、もちろん一番上手な人が、最後の最後に最も難易度の高い技をするわけです。20代前半と思われる男性がその人だったのですが、最初の挑戦で失敗してしまいます。そこで『もう一回』ということになって、再挑戦するのですが再び失敗です。失敗したままでは空中ブランコの第一人者としてプライドが納まりません。皆が注目する中、彼は深く息を吸い込み再々挑戦することになりました。オーケストラの演奏も止まり、緊張の一瞬が過ぎて再々挑戦が始まりました……みんなの願いが通じたのか、今度は大成功、みんなほっとするやら感心するやらで大きな拍手を彼に送っていました。
サーカスの演目が終了しましたら、団員が皆集まって挨拶をします。この場面の写真は自由に撮影ができました。



サーカス終了後、平壌モランボンサーカス団の挨拶。上の写真の右側に下の写真の左側が続く。

さて、サーカスを見終わった後、昨晩と同じく温泉に入りに行きます。今回は前日よりも長湯をしまして、のりまき・ふとまきともども1時間近くくつろぎました。韓国人は日本人よりもあまり長湯をしない人が多いようで、多くの人はぱっぱと入浴し、ぱっぱと出て行きます。あと、男湯で感じたのですがタオルで前をかくす人が極めて少ないことも日本と違う点だと感じました。ほとんどの人が浴場内は素っ裸で堂々と歩いていました(笑)。
露天風呂でのりまきがくつろいでいますと、体つきの良い3〜40台の男性が、のりまきに話し掛けてきました。あまり上手ではありませんが日本語です。「いつ、日本を出発したのか」。とか、「いつ日本に帰るのか」。といったありふれた質問の後、「明日、金剛山から帰ったらどうする予定か?」と聞いてきます。「船が韓国の束草へ戻るともう夜になっているので、一応束草に泊る予定にしている」。と答えたところ、「では、私の車でソウルまで送っていこう、私の車は9人乗りだ、私と妻、そして父と母が乗るだけだから、まだまだ余裕がある。あなたが良ければソウルまで送るが」。と言ってきます。正直迷いましたが、この時は束草からソウルまでの帰り道に、江陵に立ち寄る計画もあったので、「すいませんが、途中江陵に立ち寄りますので……」。と説明し、お断りしました。
さて、温泉から上がってみると、先ほどのサーカス場で説明をしてくれた初老の男性を見かけました。私たちはさっそく自己紹介とお礼をしますと、初老の男性は、「私の名前は南○○といいます」。と自己紹介をするやいなや、私たちに「北はいかがですか」。と聞いてきます。思いがけない質問なので、「そうですね……」と言いよどんでいると、「韓国は発展したけれども、北朝鮮は貧しいままだ」。と言います。更に「このきれいな建物(金剛山温泉)も、韓国の人が立てたのだ」。と、誇らしげな感じで話します。南さんは、全体的に北朝鮮に対し優越感を感じているような感じでした。
そして、ふとまきが大変興味深いことを発見しました。温泉を出た後、建物の中をうろうろしていたら、「あれ…あの人、さっきチヂミを焼いていた見た人だ」。さっき緑豆チヂミを焼いていた現代社員が、いつのまにやら温泉の売店でソフトクリームを売っているのです。そればかりではありません、温井閣のみやげ物屋で野菜を売っていたお姉さんが、今、温泉のみやげ物屋に立っています(笑)。昼間のピアス青年ばかりではなく、多くの職員は観光客の行くところ行くところについていっているようです。そして多くの職員が一人何役もこなすようになっているみたいなのです。金剛山観光を扱っている現代峨山は経営が大変厳しく、11月分給料が給料日に払えず、更に現在、社長は無給で働いている状態だといいます。まあ、そんなことも関係しているのでしょうが、金剛山観光のみにしか使われることのない立派な各種施設と、観光客の動きに合わせて、観光施設間を渡り鳥のように動き回っている職員、そして金網とコンクリートの壁で住民の皆さんとの接触を極度に制限しようとする北朝鮮当局……考えるとなにかやりきれない思いが湧いてきます。
さて、お風呂を出てから昨晩と同じく寒い中を温井閣の食堂まで歩き、夕食になりました。夕食はやはりバイキングでした。夕食時、ふとまきにしては珍しく食欲がなかったみたいでしたが、まだ便秘は続いていましたし、のりまきは“少々お腹が張っているのだろうな〜”くらいに思っていたのです。
夕食も終わり、夜の8時30分すぎにバスに乗り、ホテル海金剛へ戻りました。相変わらずミス・イーは色々説明をしています……う〜ん〜〜よく話が尽きないなあ……窓から外を見ると、昨晩と同じく、私たちの通る道に張り巡らされた金網越しに、窓からささやかな明かりがともっている北朝鮮の民家が見えます。もちろん道のところどころに監視の兵士が立っていました。
私たちがホテル海金剛に到着して、ホテルの部屋に戻る前、ミス・キムから、明日は朝食後すぐホテルをチェックアウトして、大きな荷物をバスの下に詰め込んでから海金剛・三日浦の観光に向かい、観光と昼食の終了後、ホテルには戻らず北朝鮮の出国審査を済ませ、そのまま行きに乗ってきた雪峰号に乗船する段取りとの説明を受けました。
実は帰りのバスの中で、ふとまきは気分が悪くなり、何度か戻しそうになったのですが、とりあえずホテル海金剛まで戻れたのでした。のりまきがふとまきの異状に気づいたのは、ホテル海金剛の部屋に戻ってからでした。北朝鮮を旅行をすると、多くの人は体調を崩すようです。ふとまきもどうやら例外ではなかったようです。慣れない食事や水、環境の変化によるストレス、過密スケジュールによる疲れ……そしてふとまきの場合、ここのところ続いていた便秘が、事態をより悪化させたのでしょう。
とにかくすぐに寝た方がいいということで、ふとまきにはすぐ横になってもらいました。のりまきも、少々買い物があってホテルの売店に行った以外部屋に篭っていました。ちなみにホテルの売店に行った際、ちょうど現代グループの鄭夢憲会長一行がホテルに戻って来たところでして、さっそく食堂で打ち合わせを始めていました。なんだか今回の旅行では妙に鄭夢憲氏に縁があるようです(笑)。
早くに横になってもらったはいいのですが、ふとまきの苦闘は続きました……吐き気が続き、そのうえひどい下痢が始まったのです。下痢は一晩中、約1時間おきにトイレに駆け込まねばならないほどでした。また、吐き気があってお腹が痛い状態では、揺れるベットよりも床の方が寝やすかったのと、トイレに行く度にのりまきを起こすことを気にしたふとまきは、結局ダブルベットから、トイレに近い場所の床に丸くなって寝ることになってしまいました。また、2泊目は妙に暖房の効きが悪く、ふとまきは寒い思いをしながら夜を過ごすことになったのです。
どのくらい時間が経ったでしょうか……のりまきはいつのまにか寝てしまい、ふとまきもうとうととし始めました。その頃にはふとまきも最悪状態から脱し、下痢は続いていましたが吐き気はなくなってきました。そしてふとまきは“なんとか動ける状態”くらいになって、朝がやってきたのです。


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