雪峰(ソルボン)の夢(1)

金剛山出航日までの旅行記
まだまだ出だしなのですぅ〜〜


金日成旧別荘からの眺望。確かに美しいですね。
目の前に広がる白砂の海水浴場で1948年の夏、金正日氏が泳いだそうな。


のりまき・ふとまきは11月27日(火)、いつもとほとんど変わらぬ時間に目を覚ましました。成田発ソウル行きの飛行機は12時20分出発予定。いつも仕事に行く時間に起きて、成田に向かえば充分間に合う計算でした。旅行に行く際、のりまき・ふとまきの話題になっていたのが、ふとまきが読んでいた“北朝鮮を知りすぎた医者”の2冊本。北朝鮮で医療救援活動に従事していたドイツ人医師が、なかなか普通では見られない北朝鮮の内幕を暴き立てた本なのですが、今回の旅行で北朝鮮に入国するので、のりまき所蔵の北朝鮮本の中から、ふとまきが読み出した本なのですが、読んでいる最中に北朝鮮・金剛山に向かうことになったため、『これ、旅行に持っていってよいのだろうか?』が話題になったわけです。結局2冊とも持っていくことになりまして、状況によって金剛山の船が出発する束草の町のコインロッカーにでも置いていくか、最悪の場合船の中で放棄する予定でした。
初冬とはいえ、冬季に寒い外国へ行くのは初めての経験であったためか、荷物が想像以上に大きくかつ重くなってしまい、朝の通勤ラッシュの中、大荷物で出かけることになってしまった。ま、それでも大したことなく成田空港行きのバスに乗り込むことが出来ました。成田空港までは首都高速も大きな渋滞はなく、順調でした。のりまき・ふとまきとも、ちょうど同じ頃朝鮮半島の南北軍事境界線で発砲事件が勃発したことなど知る由もありません。
成田では海外旅行損害保険に入り、しばらくお茶をしたり空港ロビーでぼーっとしてから飛行機に乗り込みました。飛行機の中で配られていた日本の新聞をのりまきが取ってみたら、たまたま毎日新聞でした。毎日新聞を読んでいくと、毎日新聞の国際面に、『現代グループの鄭夢憲(チョン・モンホン)会長が、金剛山事業活性化について協議するために29日から金剛山を訪問する』。との記事が出ている。「う〜ん……うちの金剛山観光と日程が重なるなあ……」のりまき・ふとまきはソウル行きの飛行機の中でこんなことを話していました。
午後3時半過ぎ、飛行機は仁川国際空港に到着。なかなか預けた荷物が出てこないので少々いらいらしてしまいます。そんなこんなのうちに、警察犬か麻薬探知犬かわからないのですが、犬が二匹、私たちの飛行機で届けられた荷物をくんくんくんくん嗅ぎ回りだしました……『なにがあったのだろう…』と、少々不安になってしまいました。荷物は少し後になって無事に現れ、入国に関する諸手続きを済ませて両替も行い、いざソウルの高速バスターミナル(高速バスとは、あえていうなら特急バスのようなものか?)へ行くリムジンバスに乗り込もうとしたのですが、仁川国際空港は思ったよりも広くてまごついてしまいました。そこでインフォメーションセンターを探し、リムジンバス乗り場を教えてもらいました。
外へ出てみると確かに寒いのですが、関東地方の真冬よりは暖かい感じがしました。リムジンバスはあまり待たずに到着、午後4時半ごろソウル高速バスターミナル行きのリムジンバスは仁川空港を出発しました。ソウル市内の渋滞も思ったよりひどくはなく、約1時間でバスターミナルに到着。すんなりと金剛山行きの船が出る、束草へ向かうバスのチケット売り場も見つかり、高速バスのチケットを購入してみてびっくり、なんと購入したバスチケットに書かれたバス出発時刻は午後5時40分。出発まであと2〜3分しかありません。とにかくびっくりして束草行きのバス停を探すと、運がいいことにすぐに発見。ところがふとまきはバス出発前にトイレに行きたかったのです。荷物をバスの脇に下ろし、バス会社の係の人に『トイレに行きたい』。と伝えたかったのですが、韓国語でどう伝えたらよいのかよくわかりません。何度か、『トイレット、トイレット』と話しているうちに、そばを歩いていた女の人が助け舟を出してくれたりもして、なんとか意味が通じ、バス会社の係りの人から、『トイレから戻るまでバス出発を待っている』。との返事を貰い、大急ぎでトイレに駆け込み、トイレが終わったら駆け足でバスまで戻りました。
束草行き高速バスはのりまき・ふとまきを乗せて午後5時42〜3分頃、出発しました。一安心してバスの座席に着いてみると、3列シートのゆったりしたバスで、 なかなか快適です。ただしバスにトイレはついていません。
乗車後1時間40〜50分くらい経った後、バスはサービスエリアで休憩。夕ご飯がわりにサービスエリアでクンマントゥ(揚げ餃子)とキムチ饅頭を買い、バスの中でぱくつきました。とっても美味しく堪能いたしました(^o^)。休憩後バスは再び出発。暫くは快適に進んでいったのですが、東海(日本海)の海沿いに道が降りる際、つづら折の急カーブが連続して、ふとまきは少々バス酔い状態。のりまきは車酔いこそ無いものの、少々頭痛状態……バスはあまり飛ばしはしないのですが、ブレーキが急でブレーキをするたびに良く揺れます。また、二人とも長旅の疲れが出てきたようです。
その後東海(日本海)沿いをバスは進み、窓から景色を見ると海岸線に金網が張られています。北朝鮮からのスパイなどの浸透を防ぐ為のものと聞いていますが……ところどころ闇夜をサーチライトが照らし、軍事境界線近くを感じさせてきました。
夜の9時30分頃、束草の高速バスターミナルに到着。2〜3人、民泊(民宿)の呼び込みのおばさんから声をかけられましたが、まずはもう少し食事をしたいと思って、バスターミナルそばの食堂で冷麺を食べました。まあまあといったところ。それからバスターミナルそばにあるモーテルの一つに投宿。モーテルとはいっても日本で言えばビジネスホテルと旅館の中間のような感じで、バス・トイレつきで30000ウォン(約3000円弱)。オンドルもついてなかなか快適でありました。バスタブの栓がないのでタオルで栓をする工夫をしまして(^o^)、のりまき・ふとまきは入浴の後、夜10時半ごろに爆睡モードに突入……


翌朝(11月28日:水曜日)は、朝8時少し前に起床。シャワー浴びて荷物整理をしました。この頃からふとまきの便秘が気になりだしました。出発当日も便が出ず、旅行二日目の28日朝も出なかったのです。まあ、とにもかくにもチェックアウト。韓国側から金剛山(特に海金剛)を望めるという、高城統一展望台に行き、出来れば金日成の旧別荘があり、広義の金剛山(海金剛)最南端でもある、花津浦(ファジンポ)にも寄ってみたいと思い、翌日の金剛山行き船の乗り場にも近い束草市外バスターミナル(市外バスとは、高速バスよりは止まる場所が多い、どうやら急行バスのような感じ)へと向かうことにしました。
天気は曇り空、雨こそ降る気配はなかったものの、寒い中出発です。大荷物を背負っていたので、タクシーに乗ろうかと思ったのですが、意外とタクシー待ちの人が多く、バス(市内バス:各駅停車鈍行バスのようなもの)も多く走っているようなので、意を決してバスに乗り込んでみました。バスの運転手さんに『束草市外バスターミナル』というと、『乗れ』というジェスチャー。ただ、乗ったはいいけど料金の支払い方法が初めてでよくわかりません。運転手さんもあれこれ説明してくれるのですがなかなか通じません。最後には運転手さんがやはりジェスチャーで、『お金の払い方をみていなさい』といった感じで、他の乗客のお金の払い方を見せながら指差しで説明。結局100ウォン硬貨を4枚と、1000ウォン札1枚入れると運転手さんが手元のお釣り返却パネルを操作して、10ウォン数枚のお釣りをくれました。市内バスの運賃支払い方法は、どうやら千ウォン札を必要枚数入れると、運転手さんが手元のお釣り返却パネルを操作して、お釣りを渡すシステムになっているようです。市内バスは少し前の日本の路線バスといった感じで、座席よりも立つスペースが広く、座席もあまり大きくなく硬いものです。朝の通勤・通学時間と重なったためか、バスは少々混んでいました。約10分ほどバスに乗った後、運転手さんは、私たちに『ここで降りてあちらの道を行きなさい』。と示してくれました。バスを降り、教えられたとおりに行くとすぐに束草市外バスターミナルは見つかりました。
市外バスターミナルにコインロッカーがあるだろうと思い、探してみましたが、全くそんなものは存在しません。荷物預かりの制度が別にあるのかもしれませんが……韓国語の能力不足で聞いてみることが困難なので、とりあえず市外バスターミナルそばの食堂で朝ご飯。スンドゥプ(汲み出し豆腐)定食などを注文したのですがこれが絶品!単純なのりまき・ふとまきは気分が良くなってしまいました。食事後やむを得ず朝の9時過ぎから宿探しにチャレンジ。フロントがいないところが多そうだったのですが、バスターミナルから2〜3分の『民泊(民宿)』にフロントのおばさんがいて、そこに投宿を決定。バスタブはないものの、広いオンドル部屋で20000ウォン(2000円弱)なり。
荷物を置いて市外バスターミナルに戻ってみると、展望台方面行きのバスがまさに出発しようとしていました。あわてて走ってみましたが手遅れで、バスは出発してしまいました。「あ〜あ、間が悪いね」。と二人して話していたら、出発したはずのバスが道に止まっています。どうやら私たちに気づいたのか、待っていてくれるみたいです。私たちはとにかく止まってくれているバスに駆け寄ります。
市外バスの運転手さんは。『どこに行くのか』。と聞いてくるので『トンイルチョンマンデ(統一展望台)』と言うと、『乗れ』とのこと。バスに乗り込むと、4列シートのこれまた快適なバスで、日本でいえば観光バスか高速バスといった感じです。ただしこの市外バスにもトイレはありません。バスは海沿いの道を快調に飛ばします。このバスもブレーキが急でありました。曇り空のもと、車窓からはなかなかきれいな海岸、あちらこちらに『民泊』や海の幸の料理店、海水浴場……そして海岸線には鉄条網……バスが北の方へ進み、北朝鮮との境が近づくにつれて、周囲に軍事施設も多くなり、トラックに軍人さんが乗り込んでいる姿も目立つようになりました。
漁港のような町を通過し、乗車後約50分・10時半頃バスはいきなり寂しい赤茶けた土の駐車場に停車します。ここが終点だそうです。バス代一人3000ウォン、2人分6000ウォンを支払うと、バスの運転手がなにやら私たちに説明をはじめました。どうやらここで、バスの乗り換えが必要なようです。ここからは『市内バス』に乗って、更に北上する必要があるようなのです。結局運転手さんは私たち2人とともにバスを降りた中年男性に、『統一展望台行きの市内バス停留所』まで案内するよう頼みこんだようで、私たちは中年男性に連れられて市外バスの終点から歩きだしました。歩き出して2分もたたないうちにバス停が見えてきました。『あれですか?』とのりまきが聞いてみると『違う』とのこと、結局4〜5分歩いて別のバス停前に到着しました。
そのバス停そばに、ちょうどおばあさんがいまして、中年男性はそのおばあさんに『統一展望台行きバス乗り場』を聞いていました。するとどうやら最初に見えたバス停が統一展望台方面のバス乗り場らしいことが判明。言葉がほとんどわからない私たちは、不安に思いながらも中年男性とおばあさんにお礼を言って、最初見えたバス停の方へ歩きはじめました。
バス停に着いてみたものの、なんだか不安でうろうろしていた私たちふたりを見かねたのか、まもなくおばあさんが私たちの方へ歩いてきました。おばあさんはやはりジェスチャーで『ここでいい』。と示し、更に私たちの手帳に行き先のバス停の名前まで書き込んでくれました。そして昔(多分日本植民地時代)、学校で覚えたという、『やかましいこというな』。という日本語を私たちに話し、笑いました。
親切なおばあさんに改めて御礼をして、バスを待っていると約5分後、市内バスが現れました。バスの運転手さんにおばあさんが書いてくれた地名を差し出してみると運転手さんは大きく頷きました。今回はきちんと千ウォン札を料金箱に入れ、しっかり料金支払いを行いました(^o^)。市内バスなのでもちろん一昔前の日本の路線バスのような感じです。バスは賑やかな海辺の漁港を過ぎ、7〜8分でバスターミナルに着きました。そしてどこにいくのかと運転手さんが聞いてくるので『統一展望台』と答えると、運転手さんは道路の先を指差しながら『テンミニツウオーク・チェンジバス』と言います。道路を更に10分歩いて、また別のバスに乗るようです。
バスの運転手さんにお礼をして、のりまき・ふとまきは歩き始めました。海辺の景色はなかなかで、青い海に松が生い茂った島が浮かんでいたり、『金剛山コンド(コンドミニアム)』という名の立派な建物が立っていたりします。しかし海岸線はしっかり鉄条網です(-_-;)。約10分後、午前11時ごろ駐車場と平屋建ての建物のある場所に着きました。“統一安保公園”という名前の場所のようです。建物の入口にあるチケット売り場で統一展望台行きシャトルバスチケットと、統一展望台入場料を払うシステムになっているようです。シャトルバスは私たちが行った時は10時30分と12時30分、そして14時30分の一日3本でした。
のりまき・ふとまきはやむなく約1時間半、統一安保公園でぶらぶらしていました。平日の昼間だというのに、結構多くの韓国人が観光に来ていました。公共交通機関で来るには少々不便なところなので、ほとんどみんな自家用車か、韓国国内のツアーで来ていたようです。韓国人は統一展望台へ行く前に、なんだかビデオを見させられるようなのですが、外国人の私たちは免除でした。統一安保公園にあった観光案内所で、高城郡(韓国側では統一展望台、北朝鮮側では金剛山がある郡)の観光地図があったので、貰ってみると花津浦には金日成の旧別荘以外にも、大韓民国初代大統領、李承晩大統領の旧別荘もあることが判明、のりまきはは『是非寄ってみたいな〜〜』と、改めて思いました。
統一安保公園で今回の旅行で最もまずい食事をとった後、12時30分シャトルバスに乗り込んで統一展望台に向かいました。待っている間に天気は徐々に回復。快晴に近い状態の中、バスは出発しました。乗客はのりまき・ふとまき以外には韓国人の若者がひとりだけでした。
統一安保公園先にもしばらく人家はあり、スルメなどのおみやげ物屋や、海水浴場などもありました。しかし、そのうち民統線(民間人統制線の略、民統線の先は民間人の立ち入りが制限される)の検問ゲートの先は、全く人家がなくなり、あるのは空と海と海岸線、あとは軍事施設と鉄条網だけになりました。そのうちバスの行く先彼方の海に、青い空のもと、青い海に多くの島が浮かぶ絶景が広がりはじめました。今まで見てきた景色の何倍も何倍も美しい、目の覚めるような絶景です。間違いありません、憧れの海金剛です。
バスは上に展望台の建物がある小高い丘のふもとに止まりました。見学時間は一時間とのことです。展望台に上がると、山のはるか彼方に白く霞んだ金剛山の峰峰、海の向こうに海金剛の絶景。……べつにここが北朝鮮を望む展望台でないとしても、充分に人を呼べる絶景です。望遠鏡を覗いてみると、海金剛の絶景のひとつでありながら軍事境界線のまっただなか(しかも北側)にあるため、禁断の地となってしまっている鑑湖(カムホ)の湖水がわずかに望めます。

左は韓国側の統一展望台から北朝鮮(海金剛)方面を撮影した写真
右は3日後、北朝鮮の海金剛から韓国側(統一展望台方面)を撮影したもの。

韓国軍・北朝鮮軍の監視所や鉄条網……そういったもの以外、一切の人間の手が入っていない汚されていない、無垢の美しさ……足跡ひとつ無い、ゴミひとつ落ちていない海岸、いくら美しいとはいっても観光施設のような形での、人間の欲のかけらすらも見えない……そういった美しさに酔いしれたのりまき・ふとまきにとって、1時間はあっという間に過ぎてしまいました。ところで、統一展望台には大きな仏像や聖母マリア像や十字架が、北に向かって立っています。絶景の中、日本の霊園を思わせる光景でなかなかキッチュであります。また、統一展望台横には韓国軍監視所がありました。とってもよい被写体なのですが、中には人がしっかりおりまして、控えめに撮影させていただきました(^o^)。ちなみに北側からは、かすかに宣伝音楽のようなものが流れてきていました。

北を望む仏様と韓国軍監視所。

一時間後シャトルバスに乗り込み、再び統一安保公園に戻って金剛山の絵はがきを購入。その頃、統一安保公園には大勢の中学〜高校生くらいの男子学生が集まっていました。どうやら社会科見学のようです。そしてのりまき・ふとまきは再び市内バスターミナルに戻って、バスを確認して驚きました。この市内バス、どうやら束草はおろか100キロ以上先の東海(トンへ)市まで行くらしいのです。路線バスが急行バスである市外バスよりも遥かに長距離を走るとは、ちょっと驚きです。
市内バスターミナルの始発バスに乗り込む際、『花津浦・金日成・李承晩別荘』と書いたメモを渡してみると、運転手さんは頷きます。市内バス乗車も3回目ともなると慣れたもので(笑)、千ウォンを必要枚数、料金箱に入れてお釣りを貰います。バスは路線バスなだけあって、あちこちの停留所で人を乗せながら進んでいきます。20分あまり走ったでしょうか。バスの運転手は私たちに『ここで降りてあちらに行きなさい』と、指差しました。
バスが着いた場所から運転手さんが指差した方向へ歩いていくと、結構大きな湖のほとりに出ました。花津浦(ファジンポ)です。先ほど見た海金剛の絶景と対照的に、あまり多くはないとはいえ観光施設が立ち並ぶ、少々俗っぽい場所です。湖水もにごっています。金剛山(海金剛)の南の端というには少々役不足かなあ……と思いながら歩いていると、なにやらどんちゃかどんちゃか鐘や太鼓の音が聞こえてきました。『なにやっているんだろう?』と思いながら近づいてみると、湖畔の広場で韓国の民俗衣装をまとった数名の若者が韓国の民俗楽器を演奏し、やはり民俗衣装をまとった一人の若者が、地上数メートル上に張られた綱の上に立っております。彼らの後ろにある宣伝文を、のりまきの乏しい韓国語の知識で解読してみると、どうやら6月半ばから12月末まで毎日(!)、14:00〜15:00の間、彼らはこの場所で韓国民俗風のパフォーマンスを行なっているようなのです。天気が良かったとはいえ平日の昼間、観客は2〜3名しかいません。おりしも山の方から冷たい風が吹いてきます。綱の上の若者は強風をものともせず、果敢に綱渡りにチャレンジ。だんだん調子に乗ってきたか、綱の上で飛んでみたり跳ねてみたり……結構楽しめました。
花津浦湖畔での綱渡りと民俗楽器演奏。

時ならぬ綱渡りを楽しんだ後、のりまき・ふとまきは金日成旧別荘を目指し歩き続けます。バス停から30分間くらいは歩いたでしょうか。表通りから金日成別荘へ入る道路標識が見え出しました。どうやら金日成の旧別荘は観光地らしく、入場料を取られました(-_-;)。淋しい場所なのに思ったより人がやってきます。でも、みんな車で来ます。歩いてくるのはうちら夫婦くらいのものです(笑)。金日成の別荘は、海辺の小高い丘の中腹にありました。別荘前の階段には一枚の写真が飾られています。見ると1948年夏、当時6歳の金正日氏が写っている写真です。ごていねいにも当時、金正日氏が座っていたとおぼしき場所には、真鍮製のプレートまで埋め込まれています(笑)。写真を良く見ると、当時は石造りの建物ですが、現在立っているのは木造の建物。どうやらこの金日成の旧別荘とは復元されたもののようです。

復元された金日成別荘とふとまき。ふとまきの脇には1948年夏撮られた海水浴中の金正日少年一行の写真。
ふとまきの右足は、金正日氏の座っていた場所を示すと思われる真鍮製のプレートを踏んづけております(^○^)

金日成旧別荘見学後、李承晩大統領のもと、副大統領を務めた李起鵬の旧別荘、それから李承晩の旧別荘を見学しました。李承晩の別荘は金日成旧別荘と向かい合わせの小高い山の中腹にありました。一種のライバルであった二人は別荘建設場所でも張り合ったようです(笑)。ところで、李起鵬の旧別荘は二人の別荘の中間の平地にありました。自己顕示欲の強い金日成・李承晩の二人の間に挟まれるようにつつましやかな場所に建つ李起鵬の別荘……彼の最期(李承晩大統領失脚時、自殺した)を思わせて少々感慨深いものがありました。
それにしても金日成の旧別荘は結構お客様が来ていたようなのに、近くの李起鵬・李承晩の旧別荘は訪れる人もなく、閑散としておりました。現在(2001年)の段階での人物評価を思わせて、考えさせられます……良きにつけ悪しきにつけ、金日成の歴史的存在感の大きさは、少なくとも今の段階では他の二人を圧倒しているのでしょう。今後例えば数十年後、この場所はどうなっていくでしょうか?

左は李起鵬氏の、右は李承晩氏の旧別荘。

花津浦の見学後、のりまき・ふとまきはバス停まで戻り再び市内バスに乗って、お刺身を食べるために束草郊外の大浦(テボ)というところに向かいました。大浦は束草市街地の南方にあって、花津浦からは結構時間がかかりました。大浦は魚がいっぱい泳いでいるいけすを備えたお店がいっぱいあり、活況を呈しておりました。どの店に入ろうか迷ったあげく、繁盛していそうなお店に入っていけすで泳いでいたイカ・魚を刺身にしてもらい夕食。30000ウォンなり。
それからイカと海老の天ぷらを揚げていたお店に立ち寄り天ぷらをつまみました。正直こちらのお店の方がお刺身よりも当たりでした。美味!美味でありました♪♪海老2本・イカ1本食べて2000ウォン。
最後に再び束草の町まで市内バスで戻りました。このときバスの運転手さんに『市外バスターミナル』と行き先を説明したのですが、バスを降りてからバスターミナルに行かないのりまき・ふとまきを見て、バスの運転手さんは運転席の窓を開けて『バスターミナルはあっちだ』。と指を差します(^o^)。韓国はずいぶんと親切な人が多いですね〜〜バス下車後、のりまき・ふとまきはまだお腹に入るということで冷麺のお店を探しました。港の方をうろうろしてみたのですが意外と閑散としておりまして少々苦労しましたが、創業30年とかいうお店に入って冷麺を注文。出てきた冷麺を食べだしたら、店のおばさんが私たちのところへやってきて、砂糖やらなにやら入れて混ぜだしたので少々びっくりしました。甘辛い味上にすっぱさもある冷麺でした。
それからいよいよ明日乗船予定である、港に停泊中の金剛山観光船『雪峰号』を見に行ったあと、朝チェックインした『民泊』に戻り、シャワーを浴びて就寝。お疲れでありました(^o^)。



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