内金剛周辺の金剛山電気鉄道の跡


2004年6月21日の内金剛旅行時に確認できた
内金剛周辺の金剛山電気鉄道の跡について紹介します。




〜地図1〜

朝鮮総督府 昭和11年刊5万分の1地図・末輝里より

 地図1は末輝里(現・金剛)周辺の金剛山電気鉄道の地図です。2004年6月の内金剛観光の際には、上の地図でいうと上方(梨木亭と書かれた横の川沿いの道)から、地図の右の方へ抜ける道へと進み、内金剛方面へと向かいました。そのため末輝里(現・金剛)の中心部や旧末輝里駅は通りませんでした。
 金剛山電気鉄道の跡は、地図の右方に抜ける道に入ったあたりから確認できました。下の写真は、ともに上の地図でいうと獻垈洞という文字の左斜め下あたりの鉄道跡だと思われます。


このように比較的良く残っている場所では、鉄道跡が高まりとなって残っていた。


鉄道跡の一部は道路になっていた。

 また地図1と地図2との間で、金剛山電気鉄道は鐵伊けん(山偏に見ると書く)のところでトンネルに入っていました。トンネル跡も残っているとのことでしたが、今回、写真撮影等はできませんでした。


〜地図2〜

朝鮮総督府 昭和14年刊5万分の1地図・内金剛より

 地図2は鐵伊けんから内金剛駅までを表示しています。金剛山電気鉄道20年史などでは、この間に竝武という駅があるとされていますが、この地図上では記載がされていません。ちなみに竝武駅の書かれた地図は少ないです。数少ない竝武駅が記された地図によれば、この地図上で甘接伊と書かれているあたりにあったとされていますが、金剛山電気鉄道20年史の営業キロ表を見ると、末輝里ー竝武間4.4キロ、竝武ー内金剛間4・2キロとされており、やや疑問が残ります。
 金剛山電気鉄道の跡としては、橋脚跡というコンクリートの構造物があります。今回は地図を持参しなかったので場所の特定はできませんでしたが、たぶん枯木里の手前の川を渡っていた橋脚の跡と思われます。(つまり地図上にある金剛山電気鉄道の“剛”の文字あたりと推定される)
 また、鉄橋跡の少し先にも比較的はっきりとした鉄道跡が確認できました。


金剛山電気鉄道の鉄橋跡というコンクリート構造物


鉄橋跡の少し先にある鉄道跡

〜地図3〜

朝鮮総督府 昭和14年刊5万分の1地図・内金剛より

 内金剛駅跡周辺は、現在内剛里と呼ばれる集落となっています。車窓から見た限り、今現在内金剛駅やその周辺にあった公会堂などの施設は跡形もありません。ただ、1000年以上前に建立されたと伝えられる古塔のみ残っており、その近くに内金剛駅があったことははっきりしています。地図3上で、古塔は駅手前左上にある星型に近い形をした丸印(塔巨里の里の字の下にある丸印)で表わされています。つまり内金剛駅は古塔の少し先の方にあったわけです。


今なお残る古塔と現在の内剛里の集落


(2004・7・27 完成)




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