嵐の萬物相
(9)

2度目の金剛山旅行も終幕に……しかし最後まで色々な出来事が……


金剛山からの帰途、雪峰号から撮影した、黒煙をあげつつ航行する北朝鮮軍艦



先に三日浦観光を終えたバスが海金剛へと出発したあと、私たちの乗ったバスは三日浦に向かいますが、バスが前回と違うルートを進んでいることに気づきました。私たちが首をかしげているうちにバスは止まります。バスから降りてみると、前回は三日浦見学を終えてバスに乗り込んだ蓮花台そばにバスは止まっています。今回の観光ではどうやら前回と逆コースを進むみたいです。
バスを降りると皆、蓮花台には寄らずにぞろぞろと道を下っていきます。蓮花台からは北朝鮮の農村風景もよく望むことができるので、ひょっとしたらそのことを嫌ってコースを変えたのかもしれません。しかし蓮花台には寄らなくても、道の途中で北朝鮮の農村がよく見える場所を通りますので、農村風景を見せるのが嫌でコースを変えたのならば全く意味がありません。

北朝鮮の農村風景と金剛山……とってもきれいな光景……


蓮花台そばから下りる道は、タンブン(丹楓)館のところまで下っていきます。温井閣でみやげ物写真を撮りまくり、さらには海金剛で道沿いの蜘蛛の巣の写真まで撮っていた女性は、タンブン館への下り道でも、相も変わらず道端の目立たぬ花など、およそ被写体としてあまり取り上げられることのないものを撮りまくっています。私たちは彼女が人物の写真を撮っている場面を見ることができませんでした。奇怪な写真ばかり撮って、彼女はいったいどうするつもりなのでしょうか?
タンブン館が近づいてきた頃、中年男性が私たちに話しかけてきました。見ると同じバスの乗客の一人で、時々のり・ふとの方をちらちら見ながら、何やら話したそうにしていた人です。「こんにちは、日本の方ですか?」私たちは「はい、そうですが」。と答えると、「私には日本人の知り合いがいます。日本にも行ったことがあります」。とその男性は言います。『親族か友人でも日本に住んでいるのかな?』と思った私たちに対して、彼は「池田大作先生です!」と、およそ予想など出来るはずのないことを話し出しました。彼は「私はSGI(創価学会インターナショナル)の会員です」。と続けます。この男性の日本人の知りあいって……“池田大作先生”のことなの??笑ってはいけないと思いつつ、思わずのり・ふとは顔を見合わせクスリです(^○^)。それにしても北朝鮮の金剛山で池田大作の名前を聞くとは……
タンブン館は相変わらず閉まっています。せっかくあるのだから何らかの形で利用すればよいのに……今回もタンブン館を一周してから先へと進みます。タンブン館周辺の湖底には、昨年と同じく金剛山としては珍しくゴミが落ちていました。
三日浦のゴミ


タンブン館を過ぎると、しばらく湖畔を進みます。参加者が多く、子どもやお年寄りの姿も目立つ今回の金剛山観光では、少し歩きにくい場所がある三日浦の周遊コースのところどころで渋滞が発生します。そんな中、渋滞の空くのを待っていた中年男性の観光客のうちの一人が、故金日成主席と金正日氏をを称える石碑に寄りかかってしまいました。その様子を見た北朝鮮の監視員があわてて制止しに行きました。男性も『すまなかった』といった感じで監視員に頭を下げていました。現代の社員さんは、時間が押しているからでしょうか……ところどころで『早く〜〜』といった感じで観光客を急かします。
それから道は坂にかかります。坂の途中にある大き目の岩には、必ず政治スローガンや金日成一族を称える文章などのプロパガンダが彫り込まれています。まったくもって見事なまでの徹底ぶりです。上まで登りきるとそこは蓬莱台です。鄭さんが私たちの姿を見つけて「三日浦では、ここからの景色が最も良いと言われています」。と説明してくれます。確かに見事な景色ですが、そうなると当然大勢の観光客が景色を堪能しており、蓬莱台は大混雑です。そんな中、ここでもコダックの人が観光客相手に記念撮影をやっています。大混雑の蓬莱台なので、記念撮影の順番も、もちろん行列を作って待っています。のりまき・ふとまきは列に並んでしっかりと記念撮影に納まりました。また、蓮花台には昨日の万物相の下りでのり・ふとのデジカメのシャッターを押してもらい、夜には鄭さんのことをヨイショしていた、日本語の少し出来るぽっちゃりタイプの現代社員の女性がいました。ここでものり・ふとはちゃっかし記念撮影です(^o^)。
コダックの人撮影の三日浦蓬莱台での、のり・ふと記念撮影♪

蓮花台からの下りには、見事なまでの大きさのプロパガンダが彫り込まれた岩が二つあります。その場所には多くの韓国人観光客が立ち止まり、記念撮影に納まったり、岩に刻まれた文字を声を出しながら読んで笑ったりしていました。韓国の皆さんのスローガンに対する態度は、“キワモノ”を見る雰囲気に近く、私たち日本人の多くが北朝鮮に対して抱いている感情と、意外と近いものがありそうな気がしました。
そんな時に私たちのそばを、他の監視員と較べてあでやかな服を着た北朝鮮の女性監視員が通り過ぎていきました。彼女は私たちににこやかに「アンニョンハシムニカ」と声をかけていきます。私たちも「アンニョンハシムニカ」と答えました。
その先にはつり橋があります。つり橋のたもとには赤い文字で書かれた注意書きがありました。注意書きを読むとどうやらこのつり橋、一度に五人までしか通れないと書いてあるようです。しかしつり橋には次から次へと人が進み、橋の上には5人どころか20人以上の人がいます。橋のたもとにいた鄭さんにのりまきが、「この注意書きには、『この橋は一度に5人までしか通れない』と書いてあるようですけど、大丈夫ですかね??」と聞いてみると、真面目な鄭さんは少し困った表情を見せましたが「ま、大丈夫です」。とのりまきに答えます。ほんとケンチャナヨ(気にするな)だなあ〜〜
これが問題の、つり橋たもとの注意書き

鄭さんの言葉を信じて(笑)、のりまき・ふとまきもつり橋に進みます。つり橋は大勢の人が乗って結構揺れます。おばさん達は結構恐がってましたが、北朝鮮の監視員の皆さんを含め、みんなずんずん橋に進んできます。橋の通過定員が5名であることなど、どこへいっちゃったのでしょうかね?。
とにもかくにも皆さん無事につり橋を渡りまして一安心です。つり橋から一登りすると、今回の最後の観光場所である将軍台に到着です。時間も押しているのか、ほとんどのみなさんはただ通過するだけです。のりまき・ふとまきは少々の時間ですがしっかりと景色を堪能した上に写真撮影を行い、前回は撮影しなかった金正日氏の母親、金正淑氏の功績を称えた大きな石碑の撮影も行いました。
さて、そんなこんなでまた私たちは観光客の最後の方です(笑)。多くの観光客はすでにバスに乗り込んでいます。急ぎバスを探そうとしたのですが、多くのバスが道沿いに縦列駐車している状況で、なかなか見つかりません。そばにいた現代社員の人にター2号のバスの場所を聞き、聞いた方向に行ってみたのですがそれでもター2号のバスは見つかりません。そんな時、目の前に前回の金剛山観光の時のバスの運転手さんが現れました。お互いに『あーーーっ!!』といった感じです。再会を祝して握手をして、時間がないのに記念撮影です(^o^)。
前回のバスの運転手さんにター2号バスの場所を聞き、教えられたとおりに進んでみると今度はすぐにター2号バスを発見、さすがは運転手、適確に教えてくれます。私たちがバスに乗り込むとまもなくバスは出発です。
温井閣への帰り道も、兵士と金網を除けば基本的にのどやかな景色が続きます……温井閣そばの川では、相変わらず洗濯をしている人たちの姿が見えます。また、暑くなってきたからでしょう、子どもたちが川に飛び込み、水遊びをしている姿も目につきます。川に飛び込む子どもたちの姿はとても気持ちよさそうです!ああ……自分も川に飛び込んでみたい!!
温井閣に着くとさっそく食堂に駆け込みます。前回の経験から、最終日昼にはバイキングに冷麺が出るのですが、冷麺の数が少なく全員には行き渡らないので、冷麺を食べたいのり・ふとは、急いで食堂に入りバイキングを取ります。バイキングで狙いどおり冷麺をゲット、その他おかず類も充分取りまして、今回の金剛山最後の食事を堪能します。昨年と同じく冷麺はまあまあのお味でありました。
とにかく今回は金剛山観光客が多いです。食堂はたちまちのうちにいっぱいとなり、席に座りきれない人が出るありさまでした。のりまき・ふとまきはさっさと昼食を終え、外でのんびりです。のりまき・ふとまきはもう少し記念撮影をしようと思い、記念撮影用のくまさんベンチと、日本の観光地でもよく見かける、顔を入れて記念撮影を撮るようになっているもののある場所に向かったところ、三日浦の駐車場で再会した、前回の運転手さんが私たちの目の前に姿を見せます。彼は私たちに「写真を撮ろう!」と言ってきたので、私たちの写真を撮ってくれるのかと思ったら違いました。“自分と一緒に記念撮影しよう”と言いたかったのです。彼はさっそくたまたまそばにいた今回の運転手さんを呼び、カメラのシャッターを押してもらいます。それから「写真が出来たらここへ送ってほしい」。と、一枚の紙を私たちに渡します。紙には束草にある金剛山観光バス運転手さんの事務所の住所と、運転手さんの名前が書かれていました。運転手さんの名前は金さんという名前でした。
食事後、まず私たちは海金剛と三日浦の写真が出来ているかどうか、コダックのお店に行ってみました。写真は出来ていました。1枚5ドルでしたので、10ドルで記念写真を購入です。あと、記念写真の中にはカラオケ大会の写真も混ざっていましたので、どうやら昨晩あたりカラオケ大会を行った団体もあったようです。
さて、のりまき・ふとまきはバスの出発時間まで外をぶらぶらしたり、温井閣周囲の写真を撮ったりして過ごしました。そんな中、鄭さんが「ガイドの金さんが、のりまき・ふとまきさんとお会いしたいと話していましたので、待っていてください」。と私たちに言いにきました。どうやらミス・キムが私たちにもう一回会いたいと話しているようです。そこで私たちは、みやげ物などを見ながら温井閣の中にいることにしました。気配りの人鄭さんは、ミス・キムを待つ私たちの様子を時々見に来てくれましたが、結局ミス・キムは私たちのバスの出発までに山から降りてこられないことがわかりました。「すいません、金さんから連絡がありまして、のりまき・ふとまきさんの出発に間に合いそうもないとのことです……金さんは、のりまき・ふとまきさんによろしくと言っていました」。少々がっかりしましたが仕方ありません。そんな時、突然温井閣に時ならぬ爆音が響きます。『なんだなんだ??』と思って見ると、カーキ色した軍服を着た北朝鮮軍人が乗ったサイドカーが、温井閣そばの道を通って九竜の滝コースの方へ爆音を響かせながら走り去っていきました。あれはいったいなんだったのでしょう?

温井閣と、ふとまき後姿(^o^)。ちなみに画面左よりの谷の奥の方に万物相がある。


昨年も試みた、温井閣の建物の間から撮影した温井閣の光景。
温井閣を囲む金網、堤防の上のコンクリート壁、そして右側の写真では人の姿も映っていますね。

突然のサイドカーの登場後、まもなくバスは温井閣を出発しました。今度はいつこの場所に来ることが出来るのでしょうか……バスはゆっくりと雪峰号の待つ長箭湾まで進んでいきます……温井川で洗濯をしている人たちや、泳いでいる子どもたちの姿は帰りのバスの車窓からも見ることが出来ました。
バスはやっぱり15分くらいで雪峰号の待つ長箭港に到着しました。鄭さんは北朝鮮の出国審査を受けるために、私たちに対して到着後すぐに列を作るように話します。それから「カメラは入国の時と同じく、係員に見せてください」。と言います。私たちのター2グループの列の先頭には、金剛山初日に、なかなかバスに乗ってこなかった家族がいました。出国審査を待っている間、その家族のお母さんが私たちに英語で話し掛けてきました。「私は歯科医をしています」。彼女は私たちにそんなことを話してくれました。当然のことですが、今日は初日の夕方のようにはあわてていません。むしろ愛想よくにこやかな感じでした。それにしてもカメラは見つかったのでしょうか?
さて、北朝鮮ともお別れです。のりまき・ふとまきは出国審査を受けます。まずは入国管理官のところで、北朝鮮の入国印が捺されていた金剛山観光証が回収されます。それから荷物の検査です。荷物検査の最中、荷物のX線検査をしていた軍服を着た男性が、ふとまきに『カメラ?』と尋ねてきます。北朝鮮入国前にのりまきが10年来使っていたカメラが故障してしまい、金剛山では全く使用しなかったので、そのカメラは特に係員に見せる必要もないだろうと思い、荷物の中にしまっていたのです。ふとまきは急いで荷物の中からカメラを取り出し、係員に見せます。係員はカメラを一瞥するなり『いいよ!』といった感じで手を挙げます。
のりまき・ふとまきが出国審査・荷物検査を無事済ませた直後、後続のター2グループの荷物検査でトラブルが発生しました。どうやらカメラを荷物の中にしまっていた女性が、荷物検査の係員の直接検査で、荷物の中からカメラが見つかってしまい、『なぜカメラをかくしていたんだ!』と、係員から詰問されているようです。係員の追及はなかなか終わりません……周囲の空気がみるみるうちに固くなっていきます……
ふとまきは全ての検査を終えた後、トイレに入りました。のりまきは検査場の出口近くにあった長いすに座って、ふとまきを待っていました。ふとまきを待っている間に、鄭さんと係員から追及を受けた女性がやってきます。鄭さんは困惑の表情を隠せませんでしたが、つとめて笑顔で、女性に向かって「まあ、お座りください」。と言っています。鄭さんに促され、女性は長いすに座りました。鄭さんの手もとにはなにかの申告用紙のようなものがありました。どうやら罰金の支払い用紙のようです。
まもなくふとまきが長いすのところまで来ます。私たちの姿を見た鄭さんは、「検査、大丈夫でしたか?」と聞いてきます。「大丈夫でしたよ」。と言うと「よかった」。と言って笑います。それにしても鄭さん、ご苦労様であります_(._.)_。
そんな頃奧の方にある長いすのところで、70代くらいのおじいさんが、若い女性の現代社員に向かってしきりと苦情を言っていました。どんな内容の苦情なのかよくわかりませんでしたが、どうも海金剛の観光についての苦情のようでした。この苦情もかなり執拗です。現代の社員さんは“ふんふん”と言った感じで、おじいさんの話を聞いていました。
いよいよ金剛山ともお別れです。私たちは埠頭に浮かぶ雪峰号に向かって歩いていきます。到着時と同じく金剛山観光客の姿を、スーツ・ネクタイ姿の男が二人で見守っています。男たちの姿をよく見ると、まだあどけなさが残っていて、ひょっとしたらまだ十代後半くらいかもしれないな〜〜と思いました。
今回の金剛山旅行は観光客が多くて、何をするにも列が出来て少し時間がかかります。乗船して5〜6分後、のりまき・ふとまきはようやく船室に着き、行きと同じ座席に座ります。船室に落ち着いてしばらく後、出航です。午後の2時半頃でした。
出航後すぐにのりまき・ふとまきは甲板に出てみます。行きとは違い、天気が良くて実に良い景色です。風もさわやかで気持ちが良いです。出航後まもなく、北朝鮮の長箭港に軍艦らしい4隻の黒い船が浮かんでいるのを見ました。私たちが長箭港の景色を見ていると、私たちのところに鄭さんが現れました。鄭さんは「これをお返しします」。と言って、行きに預かった金剛山の写真集と韓国についてのマンガを返してくれます。そして、「これが私の名刺です。また近くに来られることがあったら連絡ください」。と言い、私たちに名刺を渡してくれました。
甲板は気持ちがよく、さらには美しい景色を堪能出来るので、なかなか立ち去りがたいものがあります。やがて雪峰号の進行方向右手に、黒い影が見えてきました。『なんだろう?』と思って見ていると、やがてそれは北朝鮮の黒い軍艦であることがわかりました。雪峰号と軍艦との距離はかなり狭まってきました。そして黒い軍艦は黒い煙を吐きながら、雪峰号に近づいてくるではありませんか!
『これはひょっとして昨年の行きのときのように、雪峰号に接岸するのか?』と思いましたが、黒い船はある程度雪峰号に近づくと、それ以上は近づこうとはせず、雪峰号を見送っていきました。
黒い船を見送った後すぐに、私たちの前に海金剛の景色が広がります。そんな時、デジカメで先ほどから北朝鮮の黒船を撮りまくっていた私たちのことを興味深く見ていた韓国人のおじさんたちが、「デジカメを見せてくれないか?」と言ってきます。私たちがデジカメをのディスプレイに三日浦の写真などを出してみると、おじさんたちは興味深げに眺めていました。
やがて海金剛を過ぎ、韓国側の統一展望台が見えてきます。海金剛と統一展望台の距離が近いことは、海から見てもよくわかります。統一展望台を過ぎると特に見るものもないので、甲板から船内に戻り、売店でおみやげ物を買い足した後は、船室に戻りお約束のお昼寝タイムです。
のりまき・ふとまきはしばらくお昼寝していましたが、のりまきの方が少し早く起き、一人で船内を散歩していました。すると中年の夫婦がのりまきのことを呼び止めます。だんなさんの方が「日本人ですか?」と、英語で話しかけてきます。「はい、日本人です」。と答えると、「私たちは教師です。私は数学を教えています」。と、だんなさんは話します。それから「どうして私たちが金剛山に行ったかわかりますか?」と、のりまきに聞いてきます。のりまきがどう答えてよいのか迷っていると、だんなさんは胸をたたきながら「北と韓国は一つなんだ!だから私は金剛山に行ってみたのだ」。と、のりまきに熱く語ります。それからだんなさんは唐突に、「写真撮りましょう」。と、のりまきに提案してきて、結局夫婦のカメラに、だんなさんと私、奥さんと私、それぞれが写真に納まりました(^o^)。
そんなこんなのうちに束草が近づいてきました。時計はもう午後6時半をまわっています。束草の町にも明かりがともりだす頃、雪峰号は束草港に接岸します。



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