のりまき観察日記特別編 金剛山陸路観光編
金剛山乾鳳寺の上方から下に向けて撮影
4、束草での出来事(2004.3.1記)
12月1日(月)
さわやかに目覚めた、と書きたい。が
その前に前日11月30日束草についてからのクニさんとの会話に戻る。宿に入りほっと一息つく私たちに くにさん
「明日はどこに行きますか?」
と聞いてくれる。なんだか、お休みの日を私たちのために使ってもらうのも悪いな〜と思いくにさんに
「明日の予定はないのですか?」
とか
「案内料を取ってくださいよ〜。」
などと言う。すると、確かに思ったよりネットを通じて束草に来る人が多く、そのたびに無料で案内するのはきついな〜と思うときがあるというようなことを遠慮がちに言われる。
「だから・・・。ガソリン代を出してくださるなら、案内しますよ。」
と。それならこちらもお願いしやすい。でもな〜。どこがいいんだろう。とぼんやり考えているとのりまき
「じゃあですね〜。金剛山乾鳳寺へ・・・。」
「へぇ〜、またなんで?そんなところ知ってるんですか?遠いですよ。車でないと行けないですね。」
とくにさんが言うと
「あのね〜。金剛山乾鳳寺というのは金剛山の南の端と言われているんですよ。だから、機会があったら一度行ってみたいと思っていたんですよ。場所、わかります?」
何が場所、わかります?だ。
幸いくにさんも行ったことがあったようで話がとんとん進んだ。
「いや〜、まさか、こんなに早く行けることになるとは思ってなかったな〜」
とのりまき。
「その他はどうしますか?」
そこでようやくのりまきと相談して以前から行きたいと思っていた温泉に行きたいんだと申し出る。くにさんに温泉まではつきあわせるのは申し訳なかったので、温泉には連れて行って頂いたらあとは自分たちで戻ってくると伝え、それでは明日迎えにきます。とその日は別れたのだった。
そして・・・・・。のりまきがベッドに。ふとまきはオンドルイコール 床に上、に寝る。
安い宿・・・。さすが、オンドルの温度調節が雑である。熱すぎるか冷たいか、であり、寒いと眠れないので熱くする。すると、熱で体中の血液循環が促進される為、当然、腸の動きも活発化。私は下痢だったのだ。ソウルで熟睡し、好物の焼肉もキムチもお預け状態でようやく復帰、と思いきや、そのオンドルの熱のせいで、下痢が復活してしまったようだった。もっとも初日はその理屈に気がつかず、なんでよ〜。またお腹の調子が悪くなったじゃないよ。などと思っていた。
そんなわけで、
12月1日(月)
目覚めの一言。
「また下痢になっちゃったみたい。」
であった。のりまきはそうとも知らずにすやすや寝たようだった。
クニさん登場。
金剛山乾鳳寺に向かい出発である。くにさん運転で向かう途中に話をする。
くにさんのご主人にもめずらしいところに行きたがると言われたそうで、くにさんがのりまきのていたらくについて少々ご主人に話をしてくれたようだった。
『現代』の金剛山観光は日本から北朝鮮に行くツアーなどと比べると費用は安いので北朝鮮をちょっと覗いてみる、というような場合には格安と言える。しかし、安い旅行とは言いがたく、くにさんのご主人にはむしろそれだけのお金をかけて3回も行くなんて、信じられないというような感じだった。自分たちならそれだけお金を払えば、もっと違う色々なところに行けるなどといったような話をしたというようなことを クニさんが話してくれる。そりゃあそうだわな〜とふとまきも思いつつ、それでも一緒に3回も来てしまう自分ものりまきと同類になりつつあるのかと不安も覚える。そしてのりまきの『金剛山研究』のていたらく話の続きになり、その話をご主人に伝えると
ご主人曰く、韓国人は自分の仕事以外に、いわゆる余暇を利用して、何かについて調べる、などというようなことをする人はいないと思うとのことだった。それにはのりまきもふとまきもへぇ〜と驚いた。余暇といえば酒を飲んだりしてわいわいすごすものらしい。ソウルでの金さんの古本についての反応とニュアンスは何かこの話と共通しているように思った。日本人は(のりまき以外にも調べ物をする日本人が束草に行きくにさんにお世話になっているらしい)すごい、と。
韓国の人はそういうことしないんだ〜・・・。
他にも色々興味深い話を聞く。韓国での起業の話や、大学(学歴社会)の話、仕事(職業)に対しての考え方など、へ〜、と驚くことが多かった。
そして、金剛山乾鳳寺の話も・・・。
豊臣秀吉のころの話で権力を誇示する為に戦争で亡くなった人の睾丸を袋に集めてその数で勢力を示したというような話や、くにさんが結婚してすぐに金剛山乾鳳寺にご主人と行ったことがあるが、道が随分良くなったという話などなど。話はつきない。途中は高城郡という町を通過するが、その町のの話などなど。高城郡は観光に力をいれているらしく日本語のHPもある。のりまきが
「高城郡のHP見て驚きましたよ。日本語もあるんだから。この旗(道に金剛山陸路出発の地?というような旗も飾ってあったり、観光の看板などもところどころにあった)なんてすごいよね〜!え?なんだって?金剛山陸路観光へようこそ?とかなんとか書いてるぜ。しっかし、その割にあんま車通ってねえな〜。」
と言うと
「そうなんですよ。力入れているんですよね〜。」
とたんたんと答えるくにさん。
のりまきが言うにはせっかく金剛山陸路観光の出発地にしたんだから、金剛山陸路も朝一で集合するようにしたら高城郡に前の日一泊せざるを得ないわけで、ついでに観光もという客が来ると思うのに・・・。それなのに金剛山の陸路観光は午後集合、発である。そうするとソウルを朝一で出れば高城郡に泊らなくても間に合う。
「高城郡なんて、人は泊らずゴミばっか置いていきやがって。って怒ってるらしいぜ〜。まったくもってそのとおりだよな〜。観光に力入れているならその辺なんとかしろよ〜。」
とかぶつぶつ言っている。
結局、陸路観光に行ってみてわかったことだが、韓国と北朝鮮のバスの往復を少なく効率的にするには、午前中に北朝鮮から帰ってくる前のグループが統一展望台まで乗ってきたバスをそのまま使って次のグループが北へ向かうという方法が良いようだった。すると、統一展望台まで団体客を乗せて来た観光バスも前のグループを乗せてソウルまで戻ればよい。そう思うとこの方が効率的だ。残念なのは高城郡・・・・・・・。
そんな話をしながら。
金剛山乾鳳寺に到着。
道中殆ど行き交う車に出会わず、随分山奥に来たな〜という印象だったし平日だったので誰もいないと思ったが寺に来ると数名の人がいた。いたというより私たちの到着と同時に駐車場から出て行った。
お寺は工事中。出来ているところは新しい。
金剛山乾鳳寺の説明看板は韓国語、英語、日本語である。豊臣秀吉、などという名前を見るとなんだかますます近いような気になってくる。
のりまきはいつものようにふむふむうなずきながら、また時には
「はっは〜ん。そうか〜」などと言いながら説明を読んでいる。
のりまきの旅行記にもあるが、仰々しいお釈迦様のお骨様。それがなんと頂いたカレンダーの写真になっている。

う〜ん。一応看護師のふとまきには本物とは思えぬが、それを口にしては大人の世界では生きていけないのだろう。カレンダーの写真の載せることにする。ノーコメント。
その後伝統的な朝鮮式家屋が並ぶ集落などに連れて行ってもらい、昼食はそこの中の一軒の民家件食堂でマッククスを食べる。美味しかった。
そして尺山温泉へ。
と、書きたいが、
「温泉に行く前にですね〜。雪岳山の写真を撮っておきたいんですよね〜。」通り道だと聞き、車を路肩に停めてもらい、ばちばち写真を撮るのりまき。満足したのかしきりに頷いている。そうしてようやく尺山温泉へ。
くにさんに帰りのバスの乗り方を聞いてくにさんと別れる。くにさんありがとう。
2人で別れ温泉へ。ゆっくりつかり、温泉から出ると落ち着き無くうろうろしているのりまきがもう待っている。いつものごとくあちこちを見回っていたようだ。
温泉の前で記念写真を撮り、タイミングよく来たバスに乗り込むのりふと。興味もあり、くにさんにも「一度は行ってみるといいですよ〜」と言われていた束草の市場へ向かう。
バスで何かぼ〜っとしているな〜と思うと、のりまきもそうだという。湯当たりか・・・?なんとなくすっきりしない。下痢続きの体調だったので、そのあたりも重なって疲れも出たのかもしれない。
市場は、活気があり、それこそ何でも売っている、という印象で楽しめた。お腹の調子が良ければね〜。何か食べられたのかもしれないが。でも、そこは韓国。日本の韓国の市場ではチヂミや天ぷら、のりまきなども売っているが、その辺は見当たらなかった。ひとしきり探索したが、なかなか湯当たりの気分不快感がおさまらない。
バスに乗って帰ろうということになる。その時ふとまきはもうバスでなくてもタクシーででもさっさと帰りたいというような状況だった。
「タクシーにしない?」
とふとまきが言うと
「こんなところじゃ拾えませんよ。」
と。べつにいますぐに乗らなくたっていいんだけど。よっぽどタクシーに乗るのが苦手らしい。むきになって言っている。
そんなこんなでバスでもタクシーでも帰れるように。また、金剛山観光の 何か があるかもしれないと束草港に向かう。
そこで・・・・・・・・・・・・・・・。
なんと山積みになったレールと枕木を発見することに。
金剛山観光の 何か と書いたが、それはまあ、私たちが2回目に行った後の港の雰囲気はどうなっているのかを見てみたいとか、あとは陸路観光のパンフレットとかポスターとかそんな程度があればいいと思っていた。
ポスターはこれ。
それが・・・・・・・・・。
あんなに疲れていたのに突如として元気になるのりまき。
足早にレールに向かって進みだすではないか。
「いや〜、ふとまきに感謝ですよ。まさか、こんなものに出会えるなんて。いや〜、驚いたな〜。」
現金な男である。あのとぼとぼ歩きはどこへ・・・。
写真に納め、枕木に書かれていた字を読む。
「はっは〜ん」
などと言いなんだかんだとふとまきに説明しているが、湯あたりしているふとまきは上の空である。一応
「へ〜、そうなんだ〜。」
と答える。挙句に本数まで数えればどのくらいの距離の電車を走らせようとしているかがわかるなどと言い出す。
「電車が単線かどうかもわからないじゃん。」
と言うと
「あ、それはもう単線なんです。決まってます」
と断言する。
まあ、私には単線だろうが複線だろうがどうでもいいことだ。
「でも、今回1回限りかどうかわからないじゃん。これを運んだ後にまた届くのかもしれないし、はたまたこの前にも運んだかもしれないよ。」
と言う。
「これまでに運んだかどうかは自分たちが金剛山に向かう時に雰囲気でわかるでしょうから、まあ、とにかく数えましょう。」
数えるのりふと。
「8×12ね。その束が、えっと〜まず8こ。はい、書いてください。」
メモを取るのはふとまきである。そんな間に枕木を積んだトラックが出発である。
「いや〜、歴史的瞬間だな〜。丁度良い時に来れたよ。ほんと。」
とカメラにおさめ
「なんだか、明日からの金剛山でも何か良いことがあるような気がしてきました。」
などと言い出す。そして
「いってらっしゃ〜い。僕たちも後から行きますからね〜」
と発車したトラックに向かって言っている。
何が歴史的瞬間だ。
「歴史的瞬間なの?」
と言うと
「そりゃあ、そうですよ。ここまでにどんな経過があったのか、ようやくお前たちも北朝鮮に行くんだな〜。」
これまた枕木さんに話しかけている。
そんな出来事があったのであっという間に日が暮れる。
港のそばで豆腐のスープのようなものを食べ、タクシーで宿に戻った。道は渋滞である。バスにしなくて良かった。
その頃にはふとまきも元気が出てきて、くにさんにが言っていた
「新しい大型スーパー。」
なるものを見てみたかった。のりまきに言うと
「僕は疲れたので先に帰っています。」
と今度はさっきのはしゃぎぶりがうそのようだ。まあ、それでも見てみたかったので一人でスーパーに向かうふとまき。明日の朝食はそこで何か買って帰る事にする。
スーパーに行くとさっき見た市場とはまったく逆という印象であった。万引き防止の為入り口にロッカーがあり、貴重品以外はそのロッカーに荷物を入れる。ゲートのようなものがあり、そこには警備員さんが。バック類の持込は出来ない。店の中はまたまた明るく広く清潔である。市場はバケツに山盛りの食材が積んであったが、こちらは私たちにとっては見慣れた個別梱包。と、普段行く大型スーパーを思わせる。美味しそうなパンを買い、宿に戻るふとまき。「疲れました」と言っていたのりまきと一緒にここまで来たら「はやく帰りましょう。」「ふとまきまだですか?」などと言ってゆっくり楽しめなかったであろう。おかげで1人主婦らしくスーパーをゆっくり満喫した。
さあ、いよいよ明日は陸路観光に出発である。
今回は韓国に来たのにお腹の調子が良くなく、焼肉もキムチもまだ食べていない。ふとまきにはそれは残念なことだったが仕方が無い。
今夜もふとまきはオンドルである。「暖房がきいて暑いくらい。」というのりまきの布団を1枚ふとまきが奪い、オンドルに敷いて寝ることとなった。
続く
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