のりまき観察日記特別編 金剛山陸路観光編

2、金剛山陸路観光に出発するまで(2004年4月7日)



項目としては2、だったのに書く順番が最後になってしまった。随分間延びしてしまった。

あとあとになって書こうとすると、詳細は思い出せない。
ただ、とにかく今回金剛山の陸路観光に行くまでの道のりは長く、険しかった?ということを書きたかったのだ。
あとあと、というよりも、今回1〜7の順番通りに書き始めると2で止まってしまったのだった。

1,2回目の海路による金剛山観光に行ったものの、観光の状況から言って、陸路からなんて行けないだろう。などと思っていた事が予想に反して現実となる。
何せ、のりまき。自称金剛山研究家。日本で一番乗りをするんだとはりきっていたからたまらない。一番乗りをしようと必死になる。
その為に随分とKさんにお世話になる。
何度も何度もどうなりましたかね〜。と催促するのりまき。日本の旅行代理店の方にも何度も何度もメールする。
「いくらなんだって、変化があれば連絡くれるでしょう?そんなに慌てていると本当に行けませんよ。」
はらはらするふとまき。
のりまきはまめにニュースを見ているのでちょっとした変更にも目ざとい。
「あ〜、ニュースでは予約が始まったって書いてあったのにな〜。どうしてメールくれないんだろう。」
結局、取り扱う代理店の予約の枠のようなものがあってその関係からなかなか連絡が来なかったようだ。

その間、現代峨山の鄭夢憲会長の飛び降り自殺あり、日本のマスコミ関係で取材あり、日本の方からの陸路で行ってきます。とのお知らせありでのりまき焦る焦る。
「あ〜あ。僕も結局久米民之助や鄭夢憲と同様、金剛山っていう山にもてあそばれているだけなんでしょうかねぇ〜」
とか言って深いため息をつくのである。
金剛山にもてあそばれているということは頷けるが、久米民之助や現代峨山の鄭夢憲会長と一緒にするとはなんと大きくでたことか。ずーずーしい。

普段ののりまきは「まあ、行ける時には行けるでしょう〜」とか「今は行くなってことですね〜」などと呑気くんだが、今回の陸路に関しては違っていた。
それだけに行ける事になって喜んだのは言うまでもない。

そうして、様々な方のご協力にもより 金剛山陸路観光に行ける事になったのである。

続く

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