日本植民地時代の金剛山ツアー


昔も今も日本人はツアー旅行が大好きであったようです。
日本植民地時代、朝鮮半島第一の観光地であった金剛山。
金剛山電気鉄道と東海北部線が金剛山地区まで延伸して、
交通の便が良くなった金剛山には、当時の日本の旅行会社が催行した、
金剛山観光を目的としたツアーが催行されていました。
当時の金剛山観光のツアーパンフなどの資料を参考にして、
かつての金剛山観光がどのように行なわれていたかを振り返ってみました。

(注)このコーナーでは、例えばソウルを京城と表記するなど、
基本的にパンフレットに記載されている、当時使われていた地名での表記をします。


金剛山ツアーその1
金剛山観光がメインであるツアー

 このタイプのツアーは、釜山・慶州・ソウル(当時の京城)・平壌などの観光もありますが、メインは金剛山となっていました。日程を見ると、金剛山まで行くためにはどうしても往復にかなりの時間を要すため、金剛山観光がメインとなっている観があります。日程的には10日から二週間程度、航空機がほとんどない時代の旅行ですから、現代の感覚ではかなり時間はかかる印象は否めません。

(実際のツアー内容)

1:世界の絶勝朝鮮金剛山と新羅史跡の探勝(主催・日本旅行会)

(金剛山以外の旅行の概略)
8月5〜6日、日本の各地を出発して。6日夜の船で下関から釜山に向かう。
7日、釜山到着後まず龍頭山公園から釜山市街を眺め、東莱温泉に入浴後、貸し切り列車で金剛山へ向かう。
8月8〜12日まで、金剛山観光
12日、元山から貸し切り列車に再乗後、京城に向かい京城泊
13日、京城観光、朝鮮料理の宴会後、慶州へ向かう(列車泊と思われる)
14日、慶州観光、夕刻慶州を出発。夜、釜山より乗船
15日、午前下関着、山口湯田温泉に入浴後休息を取り、夜行列車に乗る。
17日、各地に戻る。

(金剛山観光の詳細)
8月8日、金剛口到着。自動車で長安寺に向かう。
      その後徒歩で明鏡台・霊源庵を経て望軍台に登る。長安寺の旅館に一泊。
8月9日、三仏岩、表訓寺、正陽寺を観光後、万瀑洞探勝。
      その後摩訶衍、白雲台まで足を伸ばす。長安寺に泊。
8月10日、自動車で新豊里に向かい、徒歩で温井嶺を越える。
       万物相を観光後、温井里へ下り、温井里泊
8月11日、一日九龍淵観光、温井里泊。
8月12日、自動車で海金剛へ向かう。途中三日浦にも立ち寄る。
       観光後長箭から乗船。叢石亭を船上から眺めつつ元山へ向かう。

 まだ金剛山電気鉄道が内金剛まで全通していない、比較的早い時期に実施されたツアーです。金剛口まで金剛山電気鉄道に乗車する予定ですので、1930(昭和5)年のツアーと思われます。このツアー最大の特徴は貸切列車での移動であり、後援には朝鮮総督府鉄道局・金剛山電気鉄道の名がしっかりと入っています。他のツアーと較べて全体として余裕がある日程を組んでおり、金剛山内の日程も比較的余裕があり、参加者は金剛山を満喫したことでしょう。なお会費は東京からだと92円、京阪神からだと85円でした。釜山までは三等車を利用することを前提としたツアーですので、比較的安価になっています。

2:昭和7(1932)年10月・金剛山の探勝と新羅史跡の探勝(主催・日本旅行会)

(金剛山以外の旅行の概略)
10月12〜13日、日本の各地を出発して下関へ向かう。下関から釜山行きの船に乗船
14日、釜山到着後小休憩、その後自動車に乗り、蔚山を見た後慶州へ。慶州半日観光の後、大邱へ向かい、そこから夜行列車で京城へ向かう。
15日、京城一日観光、夕食は朝鮮料理宴会。京城泊。
16〜19日まで、金剛山観光
20日、朝釜山に到着後乗船、午後六時下関に到着。解散の宴会後、夜行列車に乗る
21日各地に戻る。

(金剛山観光の詳細)
16日、早朝京城発。夕刻外金剛着。温井里温泉旅館に一泊。
17日、一日、神渓寺・玉流洞・九龍淵・上八潭を探勝。温井里泊。
18日、自動車で海金剛へ向かい、船に乗って海金剛観光。その後万物相を見て、内金剛側へ向かう。
    温井嶺下から車に乗って内金剛長安寺へ向かい、一泊。
19日、三仏岩、表訓寺、正陽寺を観光後、万瀑洞探勝。その後摩訶衍、白雲台まで足を伸ばす
    最後に明鏡台を見た後長安寺へ戻り、夕刻長安寺を出発。夜行で釜山へ向かう。

 昭和五年催行と見られる、1のツアーとほぼ同じような目的で組まれたツアーであると思われます。ちなみにこのツアーが日本旅行会五回目の金剛山ツアーであったとのことです。1よりも日程が短いわりに見学場所はほとんど減っておらず。日程的には1よりもハードではなかったかと思います。また、このツアーの直前に東海北部線が外金剛まで開通しており、このツアーでも利用したものと思われます。
 料金は京阪神から100円、東京からだと118円。二等を利用するために1のツアーよりも割高になっています。


3:昭和13(1938)年10月・第五回朝鮮金剛山探勝の旅(主催・日本旅行会)

(金剛山以外の旅行の概略)
10月5〜6日、日本各地を出発して、6日の夜の船で下関から釜山へ向かう。
7日早朝、釜山に到着。釜山では東莱温泉に入湯(観光は無い)。午後は慶州に向かい、観光。慶州泊
8日、慶州発の後、大邱を簡単に観光してから京城に向かう。京城到着は10月8日の午後10時35分、京城から直接金剛山へ向かう。
10月9〜11日までの3日間、金剛山観光
12日の早朝、金剛山から京城に戻り、京城を観光。13日の朝、平壌に向かう。
13日午後平壌着、14日は平壌観光。14日の深夜、釜山へ向かう。
15日夜、釜山から下関行きの船に乗船。
16日に下関に到着。その後日本各地へ戻る。


(金剛山観光の詳細)
10月8日午後11時、寝台列車で京城発
10月9日午前6時25分、内金剛着
      内金剛到着後、朝食そして旅装を整えて内金剛観光に出発。
      内金剛観光後、金剛山最高峰毘盧峰に登頂し、9日は毘盧峰の久米山荘に宿泊。
10月10日は毘盧峰から外金剛側に降りて、温井里の萬龍閣に宿泊。
10月11日は外金剛を観光、夕食を萬龍閣で食べた後、午後8時44分、外金剛駅を出発。京城へ向かう。

 このツアーの目玉はなんといっても金剛山最高峰『毘盧峰』登頂を目指すことでしょう。わらじ・金剛杖・三度傘を主催者側が用意することになっていて、参加者にも雨具・オーバー・水筒などの用意をお願いしていて、『登山』の色彩がかなり濃厚なツアーです。
 また、このツアーパンフには参加者名簿がついていて、15名の参加予定者があったツアーであったことがわかります。京都からの参加者が多いのですが、横浜や鹿児島から参加する人もいました。
 少し残念なのは毘盧峰以外の内金剛・外金剛のどこを観光したのかがわからないことですが、常識的に考えて、10月9日は毘盧峰登山の過程で、内金剛・万瀑洞を観光して、10日は毘盧峰から温井里へ降りる途中で九竜淵を観光、11日は万物相に向かったものと思われます。


4:絶景・金剛山探勝(主催・日本旅行会)

(金剛山以外の旅行の概略)
10月7日、京都・大阪を出発
8日午前、下関発、夕方釜山着。東莱温泉泊。
9日、蔚山・慶州を自動車で移動しながら観光。夕方、慶州より列車に乗り、夜、大邱で乗り換え。
10日朝、平壌着。平壌を自動車で移動しながら観光後、夕方京城へ向かう。
10日の夜、京城に到着後、午後11時に金剛山へ向かう。
11〜13日、金剛山観光
14日朝、京城着。到着後京城を観光。
15日午前、京城発、夜釜山に到着し、下関行きの船に乗船。
16日朝、下関到着。その後京都・大阪へ戻る


(金剛山観光の詳細)
10月10日午後11時、列車で京城発
10月11日午前6時4分、内金剛着、到着後、内金剛・明鏡台を探勝、
      健脚者は更に霊源庵を経て望軍台に登るコースで探勝を行い、長安寺に宿泊。
10月12日早朝、長安寺を出発して万物相へ向かう。万物相観光の後、海金剛を探勝し、温井里泊。
10月13日、外金剛を観光した後に安辺に向かう。午後11時56分、列車で安辺から京城へ向かう。

 このツアーは大阪・京都発のツアーです。日程的に短く、コンパクトにまとまったツアーだと思います。残念ながら何年に行なわれたツアーであるかわかりませんが、内金剛まで鉄道を使っているところから見て、金剛山電気鉄道全通後の1931年以降のツアーです。朝鮮総督府鉄道局の金剛山案内パンフを見ると、安辺を午後11時56分に列車が出発するのは1935(昭和10)年なので、1935年の旅行である可能性があると思われます。(他の年である可能性が完全に否定されたわけではない)。また、10月13日の金剛山の観光場所が不明ですが、たぶん九竜淵と叢石亭だと思われます。ちなみにツアーの募集人員は30名。会費は125円だったそうです。

5:金剛山探勝団(主催・ジャパンツーリストビューロ・大阪ツーリスト倶楽部)

(金剛山以外の旅行の概略)
10月7日、大阪発。
8日朝、釜山着、すぐに京城に向かい、夕方京城に到着。京城泊。
9日、一日京城観光、京城泊。
10日、京城から金剛山へ向かう。15日まで金剛山観光。
15日夜、京城到着。京城泊。
16日朝、京城から平壌に向かい、平壌到着後、平壌観光。夕方、寝台列車で平壌発。
17日朝、大邱に到着。列車を乗り換え慶州に向かう。慶州観光後、東莱温泉へ向かい宿泊。
18日朝、東莱温泉を出発し、自動車から釜山を見物後、乗船。夕方下関に到着し、下関で夕食後寝台車に乗る。
19日朝、大阪到着


(金剛山観光の詳細)
10月10日、午前8時45分、列車で京城発。午前11時33分鉄原到着。
       金剛山電気鉄道に乗り換え、11時55分鉄原発。
       午後4時33分、内金剛到着。着後自動車で長安寺に向かい宿泊。
10月11日、朝食後、徒歩ないし駕籠で明鏡台・表訓寺・正陽寺・
       万瀑洞・摩訶衍・妙吉祥などを探勝。長安寺泊
10月12日午前8時、長安寺を出発。温井嶺(温井嶺口)まで自動車で向かう。
      午後9時40分から徒歩または駕籠で万物相と寒霞渓を探勝する。
      午後3時40分、六花岩より温井里に車で向かう。
      午後4時に温井里に到着。温井里の温泉旅館に宿泊。
10月13日、午前9時に温井里を出発。
       午前9時半から午後3時40分まで、神渓寺・玉流洞・九竜淵を探勝。
       午後4時に温井里へ戻る。
10月14日、午前中は自由行動。
       午後1時に温井里から自動車で立石里に向かう。
       午後2時から約2時間、船で海金剛を探勝。
       温井里へは午後5時に戻る。
10月15日、朝、車で外金剛駅まで向かい、午前8時40分の列車に乗る。
       庫底に午前10時47分に到着し、自動車または船にて叢石亭を探勝。
       庫底を午後2時2分出発し、安辺に午後3時27分到着。
       列車を乗り換えて午後3時51分、安辺を出発し、京城に午後9時46分に到着。

 金剛山観光に実質5日を費やす、戦前の金剛山観光の決定版とも言うべきツアーです。難点といえば最高峰の毘盧峰には行かないことくらいで、このツアーならば金剛山の魅力を堪能できたことでしょう。また金剛山観光に関しては日程的にも無理が少なく、この点でも高得点を与えられるツアーです。ツアーの募集人員は30名。会費は150円でした。このツアーも何年に行なわれたものであるか不明ですが、折込に使われている地図の内容と、列車の時刻表などから判断すると1933(昭和8)年頃のものと思われます。

6:昭和14(1939)年9月・朝鮮金剛山の旅(主催・日本旅行会)

(金剛山以外の旅行の概略)
9月5〜6日、日本の各地を出発して下関へ向かう。下関到着は6日19時30分。連絡船乗船、出航は22時30分
7日、午前6時釜山着。朝食後自動車で市内観光。午前9時列車にて釜山発。京城到着20時55分。京城泊。
8日、午前中は遊覧バスで京城市内観光。昼食後買い物等自由時間。京城駅16時15分発、鉄原で乗り換え内金剛へ向かう。
8日〜12日まで金剛山観光
12日、早朝4時に温井里を出発。外金剛駅発4時17分。元山到着7時48分。自動車で元山市内観光をした後、そのまま車で陽徳温泉に向かい、一泊
13日、陽徳を朝の5時30分列車で出発。順川、球場と列車を乗り継ぎ11時51分登龍着。昼食休憩後、鍾乳洞見学。16時1分登龍発。球場で乗り換え後、20時35分平壌着。平壌泊
14日、旅館を8時半に出発して遊覧バスで市内観光。バスでの市内観光後は大同江の船下り、朝鮮料理の昼食。14時30分平壌発。21時30分京城着。京城泊。
15日、京城発10時。大邱で乗り換えて21時10分、慶州着。慶州泊
16日、慶州観光。自動車で古跡を巡り、仏国寺駅を14時1分発。東莱到着17時40分。東莱で温泉入浴と夕食の後、釜山へ向かう。23時30分、連絡船乗船。
17日、7時下関着。9時25分の列車で下関発。18日にかけて各地へ戻る。


(金剛山観光の詳細)
8日22時47分、内金剛駅着。直ちに不知火旅館に入り一泊
9日、8時旅館発。明鏡台・長安寺・表訓寺を見物後、万瀑洞を遡る。
   摩訶衍・妙吉祥を経て毘盧峰登頂。久米山荘泊
10日、毘盧峰→新羅太子の墓→九龍淵→玉流洞→神渓寺参拝を行なった後、温井里温泉到着。萬龍閣泊
11日、早朝自動車に乗って観音瀑を経て六花岩へ向かい、そこから万物相を探勝。
    温井里で昼食休憩後、再び自動車に乗って海金剛観光。萬龍閣泊
12日、早朝4時、萬龍閣出発。4時27分外金剛駅を出発して元山へ向かう。

 金剛山観光の内容は万瀑洞・九龍淵・万物相の三大名所と海金剛・毘盧峰登頂を組み合わせた定番メニューです。しかし金剛山以外を見ると、陽徳温泉、鍾乳洞、大同江の船下りなど、他のツアーには見られないメニューを盛り込んでいる点が注目されます。定番の観光地巡りに終始しがちなツアー旅行の欠点を克服しようとした意欲的なツアーで、高得点が与えられると思います。
 このツアーが行なわれたのが昭和14年秋、当時、日中戦争は泥沼化しており、約二年後には太平洋戦争が始まります。やがて戦前の金剛山観光ツアーも戦争の波の中へと消えていきます。


金剛山ツアーその2
満州・朝鮮観光の際に金剛山に寄るタイプのツアー

 満州・朝鮮周遊旅行ツアーは、全旅行日程二週間〜20日前後という長丁場の旅行となります。当時こんなに長い期間旅が出来た人とは、いったいどんな人であったのか興味のあるところです。距離的にも長丁場である満州・朝鮮周遊旅行で立ち寄る金剛山は、必然的にコンパクトなコースとなっています。

(実際のツアー内容)

1・満鮮視察団募集(主催・ジャパンツーリストビューロ)

(金剛山以外の旅行の概略)
5月4日夜、東京発。
5日、京都・大阪等、西日本各地発。夜、下関に到着し乗船。
6日、朝、釜山到着。簡単に釜山観光をした後、列車で京城へ向かう。夜、京城到着。
7日、京城1日観光
8〜10日、金剛山観光
10日夕方、元山到着。夜、寝台列車に乗って元山出発
11日朝、清津到着。港を視察後、自動車で雄基へ向かう。午後遅く、雄基から列車乗車。夜、南陽にて寝台列車に乗り換え。
12日昼、吉林に到着。自動車で吉林市内を視察。午後、列車で新京に向かい、夕刻新京に到着。馬車で旅館へ向かう。
13日朝、列車で新京からハルピンに向かう。午後ハルピン到着。
14日ハルピン観光
15日午前、列車でハルピンを発って新京に戻る。午後、新京到着。
16日新京観光、夜、寝台列車で新京出発。
17日早朝、奉天着、すぐに列車を乗り換え撫順へ向かう。朝、撫順に到着して観光。午後、撫順から奉天へ戻る。
18日奉天観光
19日朝、列車で奉天出発。午前、鞍山到着。鞍山観光後、列車で湯崗子へ向かい、午後、湯崗子温泉へ入湯。夜、寝台列車で大連へ向かう。
20日朝、大連到着。車で旅順へ向かい観光、午後大連へ戻る
21日大連観光
22日朝、大連から船に乗船
23日は一日航海中
24日早朝。門司港に到着、解散。


(金剛山観光の詳細)
5月8日、午前6時40分の列車で京城発。
     午前9時10分鉄原着。金剛山電気鉄道に乗り換え、午前9時25分鉄原発。
     午後1時26分内金剛駅到着。長安寺まで自動車で向かう。
     長安寺より徒歩で表訓寺・万瀑洞・摩訶衍などを見物。
     探勝後、長安寺から内金剛まで車で戻り、内金剛泊。
5月9日、午前7時50分の電車で内金剛駅発。午前8時10分末輝里到着。
     午前8時20分、自動車に分乗して末輝里発。午前9時20分温井嶺口に到着。
     それより徒歩で旧万物相・新万物相・寒霞渓などを見物し、六花岩へ向かう。
     六花岩から自動車で温井里へ向かう。温井里泊。
5月10日、午前8時10分温井里を自動車で出発。午前8時40分の列車で外金剛駅を出発。
      庫底に午前10時47分に到着し、自動車で叢石亭を探勝。
      庫底を午後2時1分出発し、元山に午後4時00分到着。

 旅行日程約20日の大型ツアーで、見ているだけで『お疲れさん』といいたくなる内容です。募集人員50名、会費270円でした。このツアーも正確な年がわかりませんが、清津から雄基まで自動車で移動しているところからみて、やはり1933(昭和8)年頃と思われます。金剛山観光についていえば九竜淵には行かないコースとなっており、極めてコンパクトな構成となっています。やはり朝鮮・満州の周遊ルートの中の金剛山観光なので、あまり金剛山のみに時間を割けなかったのでしょう。また、内金剛側の宿泊場所が長安寺ではなく、内金剛であることも特徴として挙げられます。内金剛駅前の不知火旅館(金剛山電気鉄道委任経営)に宿泊したものと考えられます。

2・朝鮮金剛山登山と満州視察(主催・大阪鉄道旅行協会)

(金剛山以外の旅行の概略)
《A・B両コース共通》
10月6日午前、大阪発。夜下関到着して、釜山行きの船に乗船。
7日朝、釜山到着。簡単な市内観光後、列車に乗って釜山駅を出発。午前中には慶州に到着して観光。午後に慶州を出発し、夕方大邱に到着。市内を散策後、夜、列車にて京城に向かう。
8日朝、京城に到着。一日京城観光。
9日朝、京城から金剛山へ向かい、11日まで金剛山観光。
《Aコース》
12日深夜、安辺から寝台列車に乗り、早朝京城到着。すぐに列車で仁川に向かい、午前中は仁川観光。午後早く京城へ戻り、京城泊。
13日午後京城を列車で出発。夜、釜山に到着し、下関行きの船に乗船。
14日朝、下関到着。朝、下関を列車で出発し、夕方大阪に到着して解散。
《Bコース》
12日深夜、安辺から寝台列車に乗り、早朝京城到着。すぐに列車で平壌に向かい、午後平壌着。午後、希望者は平壌観光。
13日朝、平壌を列車で出発。夕方奉天到着。
14日奉天滞在。希望者は奉天観光。
15日朝、奉天発。朝のうちに撫順着。撫順観光の後、昼すぎに奉天に戻り、列車を乗り換え大連へ向かう。夜、大連に到着。
16日朝、列車で旅順に向かう。旅順にて馬車に乗り換えて旅順観光。(オプションにてバスで旅順に向かい、そのまま同じバスで旅順観光をすることが出来る)。午後旅順発。夕方大連に戻り、大連観光。
17日昼前、大連を出航。
18日は一日航海中
19日早朝、門司到着。上陸して関門海峡見学。
20日早朝、神戸到着。


(金剛山観光の詳細)
10月9日午前6時15分、列車で京城駅を出発。
      午前8時55分、鉄原に到着。金剛山電気鉄道に乗り替え、午前9時10分鉄原発。
      午後1時32分、内金剛到着。バスにて長安寺に向かい昼食。
      昼食後、明鏡台ー水簾洞ー望軍台を探勝して長安寺に泊る。
10月10日午前6時、長安寺出発。
       表訓寺ー万瀑洞ー摩訶衍−毘盧峰ー久米山荘(昼食)ー九竜淵ー神渓寺を探勝。
       神渓寺にてバスに乗り、温井里に向かい、温井里に宿泊。
10月11日午前7時、温井里出発。バスにて六花岩に向かい、新旧万物相を往復(昼食)
       六花岩からバスにて温井里に戻り、温井里にて夕食(海金剛見物の時間あり)
       午後8時25分、列車にて外金剛駅出発。午後11時46分安辺到着。
10月12日午前0時11分、安辺から寝台列車に乗り、京城へ向かう。

 このツアーは朝鮮旅行のみのAコースと、Aコースから途中別れて、朝鮮から満州へと足を伸ばすBコースの2コースがあるのが特徴です。料金はAコース88円、Bコースでも153円と他のツアーよりもかなり安いです。これは旅行の日程がやや短めであることと、他のツアーが主に2等列車を利用しているのに対して、このツアーは列車は3等を使用していることにより、かなり安めのツアーとなったのだと思われます。
 パンフレットに書かれた旅行の“目的”の中に、『体位向上』が挙げられており、そのためか金剛山の観光日程は一日で金剛山最高峰、毘盧峰の登頂を行い、麓まで下山するなど、他のツアーよりもハードです。
 ツアーの募集人員は30名、このツアーパンフにも他のパンフと同じく『日程にはいささかの無理もありませんので、ご老人・ご婦人も安心して参加できます』。と書かれていますが……正直このツアーは他のツアーと較べてもかなりハードだと思います。また詳細は書きませんでしたが、『敬神』を強調して主要都市に到着するごとに、まず何をさておき“神社”に参拝するという、今から見るとかなり異色のスケジュールとなっています。
 このツアーの催行された正確な年はやはり不明です。ただ、列車の時刻や、『敬神』を強調して都市ごとに神社の参拝を欠かさないツアー内容などから考えて、1938(昭和13)年頃の、かなり戦時色が強くなってからのものと思われます。
 なおこのツアー、実際の出発日は予定よりも10日近く遅れて、10月15日になったようです。



(2003・7・29 作成)
(2003・8・1 最終加筆)



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