日本植民地時代の
金剛山探勝コース略図と鳥瞰図


日本植民地時代、金剛山の様々な観光案内図が作られています。
ここでは、日本植民地時代での金剛山観光最盛期である
1935〜40年ごろの金剛山探勝コース略図と、金剛山鳥瞰図を紹介します。



金剛山探勝コース図(財団法人金剛山協会発行・1939年)より抜粋
金剛山の探勝コースと交通機関の概略が示されています



朝鮮金剛山(朝鮮総督府鉄道局発行・観光パンフレット)
昭和10年版(1935年)より、金剛山鳥瞰図
主に内金剛の方面が描かれています。


上の鳥瞰図の左側の続きです。
こちらは主に外金剛、海金剛が描かれています。

(説明)
 1917年から1925年にかけて朝鮮半島の国有鉄道の経営を委託されていた南満州鉄道と、1925年以降、朝鮮半島の国有鉄道の経営を直営した朝鮮総督府鉄道局は、いずれも金剛山観光パンフレットや冊子を発行して金剛山観光のPRを行ないました。
 特に1927年頃以降、朝鮮総督府鉄道局は金剛山を朝鮮半島一の観光地として売り出す経営戦略を立て、その中で毎年毎年新しい金剛山パンフレットを作っていきました。もちろん鉄道などの交通機関の時刻や料金など、パンフレットには最新情報を載せなければならないわけで、毎年作り変える必要はあったのですが、パンフレットの表紙からきちんと毎年作り変えている点に金剛山観光に対する朝鮮総督府鉄道局の意気込みを感じることができます。
 なお、昭和5年版(1930年)以降のパンフレットには金剛山の鳥瞰図が載せられていますが、これは日本を代表する鳥瞰図絵師であった吉田初三郎氏作の金剛山鳥瞰図をモデルとした図です。ちなみに昭和5・6年度版は1929年作、昭和7年度版以降は1931年作の吉田初三郎氏鳥瞰図をモデルとしているようです。吉田初三郎氏はその他に金剛山電気鉄道の求めに応じて金剛山の鳥瞰図を描いています。1929年と1931年作の鳥瞰図は外金剛側から見た図ですが、金剛山電気鉄道の求めに応じて描いたものは、内金剛側から金剛山へ路線を延ばした金剛山電気鉄道の宣伝用に内金剛側から見た鳥瞰図となっており、大きな違いがあります。ちなみに金剛山電気鉄道の金剛山鳥瞰図は1930年頃のものと推定されます。
 これまで私が入手した範囲で、最も古い冊子は1915年のもので、日韓併合5周年を記念して開催された始政5年記念朝鮮物産共進会に際し行なわれた金剛山観光振興キャンペーンの時に作成されたものです。一方現在のことろ確認できる最後のパンフレットは1941年のものです。前年の1940年のパンフレットには、金剛山観光のための往復旅客割引制度が中止となった記述が見られます。戦時体制の強化の中、観光旅行が制限されていく当時の状況が見えてきます。
 また、金剛山観光の英語パンフレットもあります。東洋有数の景勝地である金剛山へは西洋人の旅行者も多かったので、英語のパンフレットも作成されたのです。


大正時代から昭和にかけて
満鉄と朝鮮総督府鉄道局が発行した各種金剛山パンフレット



(2003・9・15 作成)
(2006・7・9 最終更新)



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