のりまき観察日記 2004年B

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のりまき観察日記内金剛編
すこしずつ書いています。最新:8月29日


10月9日(土)
台風一過。
確かに大きな台風だったが、こと、私に関しては仕事の往復もびしょびしょになった程度で別段変わらずに帰宅。
しかし、家に着くなりのりまき両親にも安心され
「あ〜、帰ってきた。帰ってきたよ。お父さん。」
と、母。
そこまで心配なことだったのだろうか。ただたんに私が冷静すぎるのであろうか???
のりまき母は懐中電灯に蝋燭まで用意していたらしい。
ふとまきが家に着いた時刻にはもう秋の虫が鳴き、雨も止んでいた。
「懐中電灯も蝋燭も使わなかったけどね。ま、避難訓練だと思えばいいよね。」
と自分で納得している。

のりまきは今日国会図書館行きを予定していた。しかし、大きな台風が来るというので行くのを止める。その話を朝食時家族で揃っている時にのりまきが言う。すると母は
「そうよ。こんなにひどい台風の日に仕事とかどうしても出かけないといけない用事がある人以外は出かけるなんて止めた方がいいよ。」
と。
「いいじゃん。行ってきなよ。こんな日なら図書館も空いているよ」
と言ったふとまきとは大違いなのであった。

被害にあった方には申し訳ないが、結局我が家は庭の植木鉢も全部しまったが、特に何も起こらず台風は過ぎていったのである。

金剛山の方も相変わらず熱心に資料を購入している。ところで、看板の鑑定会は予定が延びてまだ本物か偽物かわからないままである。

10月8日(金)
台風の話題につきない我が家。
朝食の時にも母が「いつ頃来るの?どんな大きさ?」などなど聞いている。
結局一日雨は降っていたが病院で夜を明かすことにはならずに家に着く。家に着くなり
「ふとまき、明日は本当、いよいよやってきます。今度のは本当に大きいです。風速が50メートルなんてことも言っています。明日は朝早く出た方が良いでしょう。そして更に心配なのは帰りです。もしも帰れなそうで心配だったら病院に泊まって来て下さい」
「車で行ったらどうかな?」
と言うと
「車の方がかえって心配です。電車やバスの方がいい。とにかく気をつけて」
・・・・・・・・。

10月7日(木)
また台風がやってくるようである。
今回の台風22号は久しぶりの大きさであるらしい。
もちろん我が家は大騒ぎ。
のりまきも
「ふとまき。へ〜とか簡単に言いますけどね。今度のは本当に大きいですよ。そして間違いなくこちらに向かってやってきます。」
と何度も言っている。
「って、いつもそう言いますよね」
とまだなめているふとまき。なめているというよりも、あまりに慌てられるとかえって冷静になってしまう。
明日は仕事の帰りに都内で研修がある。それに行くのも覚悟が必要だと言う。
そして、今週は土曜日も仕事であるが、場合によっては研修後に自宅に戻らずに、病院に向かって病院で夜を明かしたほうがいいかもしれないとまで言う。仕方がないから
「それは大変だ。そうなったときには家には戻りませんからよろしくね」
と言っておいた。

9月26日(日)
KOREA TODAYの連載に伴い、知人に金剛山の写真をお借りする。ひょんなことから知り合ったその方は、我が家の近所にてお勤めをされているため、まず写真をお借りしたい旨を先週直接言いに行き、そして今日お借りすることになる。
先週「写真をお借りしたい」、とお願いにあがったときにも一人では心細いとふとまきが付き添った。
今日は写真の用意が出来ましたというメールを頂いた後なので、
「今日は一人で行ったら?」
と行ったが
「ちょっと・・・。一人じゃ心細いです。」
と。結局ふとまきがついていく。私は保護者か。
先方に着く。今日も二人で尋ねると
「のりまきさんとふとまきさんは仲がいいんですね〜。いつもお二人ですね」
と言うKさん。すかさず
「え?いつも金魚のふんみたいですよね・・・。一人で行ったら?と行ったんですが、一人じゃ行けないとか言うもんで・・・。」
と言うふとまき。正直はいいことだ。
「一人じゃ来れないの?」
と苦笑するKさん。そんなこんなで結局プリントアウトした写真を頂く。
ふとまきの友人に言わせれば「甘やかせすぎ」なんだろうが、一緒に行かないとあとあといじけが続くのでついついどこでもついて行ってしまうが、それもどうなのかと最近反省する。

9月19日(日)
考えてみると発売続きの9月。お盆と正月がいっぺんに来たようだ。

本日ふとまき実家に電話する。ふとまき母
「今日ね〜。横浜に行く用事があったからのりさんたちの本、(定本畸人研究Z)2冊買ったよ〜。積んであったよ。」
「へぇ〜。ありがとう。2冊?だれかにあげるの?」
「今度さ〜、中学校時代の恩師に会う予定があるんだけどね。K先生って、ふとまきも知っているでしょ。その先生にはさ、先生が自分で書いた本を何冊かプレゼントしてもらっているから、その先生にのりさんの本をプレゼントしようと思って2冊買ったわけ。」
確か英語の先生であり、ロシアが好きでロシアについての真面目な本を数冊書かれていてそれを母はもらっていたようだ。しかし、そのような先生に定本畸人研究Zでいいのだろうか。そうは思ったが話が長くなると思いそれには触れずに
「それはどうも。」
と言う。
「で、レジに行ったらお姉さんに2冊ですか?って聞かれたんだよね。だから「はい。ちょっと知り合いが書いているもんで・・・。」って言ったらさ、そのお姉さん「それ結構売れているんです」って言ってたよ。だからね。「実は・・・。婿さんが書いているんですよ〜」って言ったら、へ〜って驚いてそれはそれは。よろしくお伝えくださいって言ってたよ。売れてるんだってよ。良かったね〜。」
「へ〜、そうなんだ。なんか横浜ならのりさんたちの大学の先生が講義で宣伝してくれるって言ってたらしいからその学生かな〜?」
「まあ、その辺はわからないけどね。で、いつものようにカバーは何色にしますか?って聞かれたからね。ちょっとこの内容にピンクのカバーじゃ似合いませんよね〜。って言ったらお姉さんも「そうですね〜」って笑ってさ、結局灰色にしたよ」
と言う。ピンクは似合わないが、灰色も似合わないと思うのはふとまきだけだろうか。

その話を聞いたのりまきはまたまた嬉しくなり、
「そんな先生にプレゼントするなら『KOREA TODAY』もあげてよ。宣伝になるし。ロシアが好きなんでしょ?感想も聞きたいし」
と積極的になっていた。

9月18日(土)
ふとまきは仕事。のりまきは神保町へ。
「やっぱりさ、自分の書いた記事が実際に本屋に置いてあるというのをこの目で見てみたいからね〜」
とそれだけの理由で神保町まで出かけて行った。
「せっかく行くんだからさ〜。本屋さんに「これ、僕の記事なんです」って宣伝してきたら?」
と言うと
「そんな、めっそうもない。そんな恥ずかしいことは自分でなんか言えません」
と言う。
「いや〜、そのくらいしないと。」
といちおうはっぱをかける。

結局のりまき『KOREA TODAY』を2冊購入した。
「やっぱり、自分の書いたものがこうして本屋に並んでいるのを見れてよかったです。」
「で、何冊位並んでたの?」
「7〜8冊ってところでしょうか。」
「買ったのは2冊だったんだ〜」
「はい。本当は3冊にしようとも思いましたけど、一人でも多くの人に読んでもらいたいですからね」
と、ちょっと理解に苦しむセリフを言う。売れ残るということは頭にないようだ。
「で?本屋さんに宣伝したの?」
と聞くと
「はい。」
と言う。それは驚きだ。聞いてみると2冊買った時点でレジの人がけげんそうな顔をしたらしい。
「だからそこで、僕の書いたのが載っているんです」
と言ったようだ。
「いや〜。恥ずかしかったですよ。自分で自分の事言うなんて」
とか言っている。
「すごいじゃん。言えたんだ〜。で、店の人はなんて?」
と聞くと
「じゃあ読んでみますといってくれました。」
やれば出来るのだ。しかし、1冊でなく2冊買うあたりに何かねらいがあったのかもしれない。

「あ、そうです。今日は神保町でSさんご夫妻に会ったよ。神保町って人との出会いがありますね」
と嬉しいのかそんなことを言っていた。

9月17日(金)
大阪鶴橋にある『KOREA TODAY』の販売店を知っているという友人は、
「送らなくても買いに行ってあげるよ。」
と言ってくれた。ありがたい話である。その友人に発売が遅れることをメールしていたので、
“届いたのでもう書店に並んでいると思う”というような内容のメールをする。メールを送ったことを知ったのりまきは寝るまで
「Aちゃんからメールが来ませんね〜」
と気にしている。いくら買いに行ってくれると言っても都合もあるし、すぐに買ってすぐに感想がとどくはずないだろう・・・。
と思うのだが、寝るまでにメールが来なくてがっかりしているのであった。

9月16日(木)
『KOREA TODAY』9月号のゲラが届いた時には、看板を4万円で買ったというキャプションがついたため、その金額であれこれ言われるのはかなわない、と
「『KOREA TODAY』9月号は両親には見せるのはやめておきましょう。」
と言い出した。まあ、普段の両親から言えば、
「そんなくだらないものに4万円も使うなんて」
くらいなことは言いそうにも思ったので
「まあ、見せる見せないはのりまきが決めれば?」
と返事した。しかし、昨夜の喜びようとはしゃぎようと、カラーの連載ページに、と色々考えてもやはり両親には見せる方が良いとふとまきは思いのりまきに言った。するとやはり実物を見ると嬉しいのか
「そうですね〜。4万円のことは気になりますが、やっぱり、見せようかな〜?」
と言う。
「もし、4万円のことをあれこれ言われたら、原稿料が入るからとか適当に言えばいいじゃん。」
と言うと
「まあ、嘘を言っても仕方がない。連載が始まるし、どうしても欲しいものだったから清水の舞台から飛び降りるつもりで買いました。と言いましょう。」
と言う。それだって嘘じゃん。

朝食時に『KOREA TODAY』を持参する。さすがに食事の時間中には両親は見なかったが、母はそれはたいそう喜び、田舎に送るから一冊あれば欲しいと言ってくる。何より母に喜んでもらえたというそのことがのりまきには嬉しかった様子。今回の記事についてはのりまきの予想を越えた両親の好反応だったようだ。
「この本ならまともそうな内容だしね。田舎に送ってもいいでしょう。」と母。畸人研究はまともでないから田舎には送らないということだ。
そのままのりまきは仕事に行く。ふとまきは休みだが出かけた。後から家を出たふとまきが居間を覗くと『KOREA TODAY』8月号は金剛山物語のページで開かれテーブルに置いてあった。その光景には両親の喜びがあふれているとふとまきには感じられた。

4人揃った夕食時には記事を読んだ父から感想が述べられる。誉めはしないが、
「まあ、まあ」といったような意見だった。看板の金額については両親からは何も触れられず。看板を持つのりまきの顔写真が出ていることについて母が
「おまえの写真も写ってるんだね」と言った程度だった。
ふとまき的には、それはちょっとないだろう。もう少し誉めてもいいのに、と思ったがのりまきとしては看板に4万円も使ったことを咎められなかったことが良かったようだった。そうこうしているとのりまきは、ふとまき実家でも実験したように
「熊のフライなんて食べさせられたようなんだよね〜。当時は」
とか言いだし、両親がどの程度読んでいるのか探りを入れた。
「なんかそう書いてあったね」
とのり母に言われ、記事をきちんと読んでくれたことにも感激したようだった。

ちなみにのりまき、
「自分で自分にお祝いです。」
とケーキを4つ買ってきてみんなに分けていた。

9月15日(水)
待ちに待った『KOREA TODAY』が届く。しかも、22時という謎の時間に、そう、今日はもう来ないと諦めた後に荷物が届いた。
ドキドキしながら見るのりまき。もう、自画自賛の世界である。「写真が思ったよりきれいですね〜」
「いや〜、こうして本物が届くとね〜。正直、嬉しいです」
などと言っている。

9月10日(金)
『KOREA TODAY』の9月号が発売される予定の日だが印刷が遅れているとかで発売は延びた。
しかし、これも何の因果か6月に一度発売され、製本に不具合があり回収された『定本畸人研究Z』がちくま文庫より本日発売。
夕方は自分たちで早速購入、友人へのプレゼント用に購入した。関西からの友人には「寝不足になった」と誉め言葉をもらい、ますます嬉しいのりまき。
そんなのりまきは今日は次の連載の打ち合わせへ。編集者の人と話しにも花が咲いたようですっかりご機嫌である。先週の土曜日の落ち込みがうそのようである。

9月7日(火)
ホーロー看板がなが〜い旅を経て我が家に来たことは昨日の日記に書いた。

本日、のりまきも「僕もこの人にはかないません。」と言うマニアHさんより贈り物とお手紙が届く。なんとそこにはホーロー看板についての記載があった。

>あと、ホーロー看板。清水ものですね。これもふとまきさんの渋顔が目に浮かびます。最近、満鉄ものの看板などがネットオークションで大量に出ているのですが、個人的にはかなり怪しいと思っています。中国でレプリカを作っているとの話も聞きます。昔から古美術の贋作は中国の得意技ですからね。実にうまく古びた感じを出すのだそうです。金剛山山荘のものがそうだかどうかはホーローの焼き付け方を見てみないとわからないのですが、夢を買ったと思えばナットクできるはず。いいんじゃないでしょうか。

書き方はソフトだが、これは明らかに偽物だと言ってはいないか(笑)。
Hさんに中国から来たとはひと言も言っていない。

のりまきは夢を買ったのだろうか。
「僕はここに書いてあるように偽物だとしても構いません。で偽者を作ろうと思うだけの価値のあるものなんですから」
と苦しい言い訳をしている。
長安寺ホテルホーロー看板鑑定大会を是非やってもらいたい。


9月6日(月)
8月にネットオークションにて購入した長安寺ホテルのホーロー看板。この看板がどのような経路で我が家に届いたのか、これはのりふとも興味があったことだったが、雑誌の編集者さんも知りたいようだった。そこで尋ねてみると・・・・・・。
詳細は商売の都合で教えられないとのことのようだったが、どうやら中国から来たようだということがわかった。
「いや〜。中国か〜。それは予想もしていなかったな〜。金剛山から中国に行って、ま、それは朝鮮戦争の時とかの引き揚げの時にでも行ったのかな?理由はともかくとして中国でしょ。そしてまた何の因果か日本に来た。それでこうして僕のところに届いたわけか〜。それだけでもドラマですよね。」
などと言っている。この話は続く。

9月5日(日)
昨夜ののりまきは、ふとまき実家から帰る時にはすっかりしょぼくれて、更にふとまきが元気をつけるために妹や母に聞いたことが状況をもっと悪くした。神保町まで言ったりして疲れていたのになかなか寝付けないようだった。
朝起きてみてもまだ元気はないようだった。

少し時間が経つ。
「ふとまき〜、今ね〜『KOREA TODAY8月号』の金剛山のツアーの記事もう一度改めてゆっくり読んで見たんですよ。なかなか良く出来ていますよ。」
と言うではないか。すかさず、
「なによ。のりまきだって今ようやく静かになって記事を読んだら良くかけているってことがわかったんじゃない。昨日も、確か、電車の中やふとまきの実家でもその部分、読んでいましたけどね〜。その時はそこまで読めていなかったんだ〜。」
と言う。すると
「昨日はにぎやかだったしね。今日ほど落ち着いて読めていませんでしたから」
と事も無げに言うので
「のりまきだってそうじゃん。それじゃあ、昨日、母や妹があんな野球のテレビがついていてごちゃごちゃ話をしている中、しかも歴史とかにも興味のない人が一度読んだだけで良く書けているかどうかなんてわからなくて当然ですよね。」
と言う。
のりまきはっとした様子。しかし、それに対してのコメントはせず、時間と共に昨夜の事がなかったかのように徐々に元気になってきたのであった。


9月4日(土)
今日は二人で休みだったので神保町へ。そもそも、最近まで『古本』とは:定価の半額程度で買える本 という程度の認識しかなかったふとまきは、片道約1000円もかけて神保町へ行って古本を買うのでは意味がないと思って来た。まあ、のりまきも“金剛山”に出会うまではこんなにも神保町に通ったことはなかったらしいが、こののところは神保町へ良く出かけている。ふとまきは、一人ではわざわざ神保町に行くことはない。今日はふとまきの弟が仙台から出て来ていることもあり、夕方はふとまき実家に行くことになっていた。夕方まで時間もあるし特別な用事もない。
「どうせ実家に行くならば午後神保町へ行って見ませんか?」
というのりまきが提案する。まあ一人で行くこともないし、行ったとしてもどこにどんな本屋があるのかわからないし、行って見ようかな・・・。
のりまきは
「10日に発売予定の『KORIA TODAY』の前月号である8月号を買いたいし、どんなお店で売っているかみてみたいし。」
とも言っている。他にも畸人研究学会でお世話になっている『書肆アクセス』にも行ってみたかった。
そんなこんなで神保町へ。書肆アクセスでは畸人研究学会の黒崎氏に偶然出会うというハプニングもあった。

収穫あってふとまき実家へ。

今年に入って、のりまきはのりふと二人でふとまきの実家に行こう、という予定の日にだいたい体調を崩していた。そんな感じで結局いつもふとまき一人で行くことになり、のりまきがふとまき実家に行ったのは今年の正月以来だったような気がする。
のりまきの落ち着きのなさや、あのしゃべりまくりは、あるいみ緊張の裏返しなようで、ひさびさのふとまき実家訪問でも同様にしゃべりまくっている。二人でアパートに住んでいてふとまきが看護学校に通っていた頃は、週末になるとよく夕飯を食べに行っていて 何を今さら緊張〜?と思うが、それを思えばふとまきだって同居しても今だのりまき両親に緊張しているか・・・。まあ、今回は久しぶりなので緊張の度合いも強いようだ。
プロ野球の試合を見ながら食事をする。今日は内金剛旅行の写真を持参する。なにせ我が家は体育会系である。内金剛といってもへ〜とかほ〜とか言う位であってふとまき母は
「ロシアの赤の広場には行ってみたいとは思うけど、北朝鮮はねぇ・・・。行きたいとも思わないなぁ〜」
などと言う。ふとまき妹は妙吉祥(今回の内金剛の最終地点の大仏)写真を見て
「なんかさ〜。この大仏の写真が異様に多いよね。同じような写真が何枚もあるけど。なんかこれって意味あるの?」
とかそんな感想である。
「まあ、そこは最終地点でさ、感動した場所だったわけなんだけどね」
とふとまきが答えると、
「なるほど〜、だからこんなに同じような写真がたくさんあるわけね。枚数に現れてるよね〜。妙に納得。よっぽど嬉しかったんだね〜。」
と笑っている。弟はうんともすんとも言わずにただ見ているだけである。
のりまきは緊張もあったのだろうが、あまり面白くないようだった。野球を見ては野球についてあれこれ解説している。そんな中更に、『KORIA TODAY』の初回の原稿のゲラをふとまきが家族に自慢し、妹に読んでみてと渡す。妹は興味がありそうに読んでいるが一通り目を通しても感想がなかった。それにまずのりまきは反応したようだった。次に母が読む。母の感想は田山花袋のことだった。母は埼玉出身だから同郷の田山花袋について感想を述べる。しかし、それ以外の感想はなかった。これにまたのりまきは反応した様子。自ら熊のフライの話を持ち出し、
「熊のフライなんて食えたもんじゃなかったでしょうね〜」
と言うが、妹も母もノーコメント。これで更にがっくりするのりまき。

帰りに
「あ〜、自分はうぬぼれていたんですね。妹さんも母上も何も言いませんでした。熊のフライの話を出してもうんともすんとも言いません。あれは熊のフライが書いてあることもきっとわかっていませんよ。あ〜あ〜。一人で喜んでいましたが、連載なんて続きませんね。」
とつぶやくのであった。
ふとまきも少々気になっていたので、早速妹にメールする。すると
トレーラーの運転手である妹は普段活字などそうそう読まないので、野球のテレビもついていてみんなでワイワイやっている中で一応読んだが頭に入っていないとの返事。まあ、ごもっともであった。しかし、金剛山ってところがどんなところなのかは興味を持ったとのこと。それだけでもたいしたもんだと思うが、それをそのままのりまきに伝えると更に落ち込む。
「活字とかあまり読まないというような人が読んでも面白そうだな〜と思ってもらえるように心がけたつもりです。あれじゃあ、まったく読んでないのと一緒です・・・・・。」
少々気の毒になったので母にも電話する。すると母も妹同様に
「ちゃんと本になったらゆっくり読もうと思ってたし、久々にみんなが来てしゃべりながら読んだからね〜。面白くないとかそういうんじゃないよ。でもゆっくり読めなかった」
と。これもふとまきの感覚ではしごくまっとうなお返事なのだが、のりまきは流し読みでも熊のフライくらいは興味を持ってあたりまえだと思っているようだった。
母の電話は切って妹には再びメールする。
『わかりました。そうだよね〜。あんなにわいわいしているところで読んだんだもん、感想なんて言えるほど頭に入らないよね〜』
すると
『その通り。のりさんじゃあるまいし、一度位で頭に入りません』
との返事。
しかし、のりまきはただただがっかりするので、さすがのふとまきも自慢のつもりで家族に見せたが逆効果であったと後悔した。

8月28日(土)
のりまきが『台風が来て大変なことになる』と予測かつ、大騒ぎしていた土曜日が我が家の周囲の地域では何事もなく過ぎようとしている。

今日は予定していた用事が延びたこともあるが、小さな頃天文学者にもなりたいと思っていた為か、星や宇宙にも詳しいのりまきと宇宙科学研究本部とかいうところの『あつまれ!地球人!宇宙研一般公開』とかいう文化祭のような催し物に行って来た。
なんでものりまきが大学生の頃、こういった催し物があると知り、大学生の時から何回か来ていると言う。人を連れてきたのは今回が初めてという。8月の予定が決まりかけた頃
「ふとまき〜、ま、予定が入らなかったら、でいいんですけどね〜。28日の土曜日は宇宙科学研究所の公開日なんですよ。良かったらそれ、一緒に行きません?」
と言っていた。結婚してからも2回位のりまき一人で行っていたが今年は結局休みも会い、予定も入らなかったので行くこととなる。
ふとまきはなんでも興味はあるので一度位は行ってみてもいいか、という気持ちでいた。そんな気乗りのなさがのりまきに伝わっていたのか
「あんまり行きたそうじゃありませんね・・・」
とのりまきに言われ
「う〜ん、何かなんだかさっぱりわからなそうだからね〜」
と言うと
「でも、ふとまきの好きな人間観察が出来ますよ。比較的空いているブースに行っていろいろと質問するとおもしろいですよ〜」
などと言うのである。先日のコミケでも面白かったので今回もまあ、行ってみよう。と出かける。

予想以上に人がいる。子どもも多い。本物の人工衛星などもガラス越しに見えたり、人工オーロラを見たり、実験のようなものも体験出来てなかなか面白かった。

ロケットの下の方のテレビなどで見ると火を吹いて飛んでいるところの実物(のずるというらしい)が置いてあるところでは、その実物の外側の素材は木のような手触りだった。まさか、木じゃないし・・・。でも見た目も木・・・。聞いてみようよ、とのりまきに小声で言うが、自分で聞くのは嫌らしい。結局ふとまきが
「すいません。これって・・・。木?じゃないですよね〜。」
と近くにいた名札をつけているお兄さんに聞く。
「これは、木ではなくて云々かんぬん・・・・・で、Cもついていますから炭素も混じっています」
と難しい説明をしてくれた。結局は木ではないらしい。聞いてもさっぱりわからなかったが、木ではないことがわかったので御礼を言ってその場を後にする。するとのりまきが
「よくわからない説明だな〜。ぼくならもう少しわかり易く言えますよ。だいたいNASAと違ってこういうところの人って理系でずっと来ているから、どんな風に説明すればわかりやすいのかなんてあんまりわからないんですよね。アメリカはその辺日本と違って理系の人でも文系を文系の人でも理系を学ぶんですよ。そうやんなきゃダメだな〜。だいたいこんなパンフレットもセンスね〜よな。」
とあちこちに置いてあるパンフをもらっているくせにそんな風に言うのである。

今度打ち上げるという人工衛星をガラス越しに見る。やはり、実物でもあり次に打ちあがるので人気なのか人が途切れない。のりまきはここぞとばかりに係りの人に
「ちょっといいですか?これってだいたい出来上がるまでに何年かかるんですか〜?」
などと聞いている。説明の人も待ってましたとばかりに答える。すると
「こんなこと聞いちゃなんなんですがいくらくらいかかったんですか?」
などなど聞く聞く。周りの人がのりまきの質問に良い質問だな〜というような感じで
「へぇ〜」とか言ってくれると更にはりきる。結局5年かかり、費用は120億円。100人を越える人で更にメーカーの人などを入れるともっと多くの人が関わって出来たものなのだそうだ。そして、目的を果たす為の材料を出来るだけ多く持ち込みたいが、重量には限度がある、ということで何を削って何を入れるかなどもいろいろと検討するらしい。あたりまえだが、ただたくさん持って行けばいいというものでもないらしい。話が弾むのりまきと説明おじさん。
ふとまきはなんだかあまり近くにいるのも恥ずかしい気がしたので、ちょっと離れたところに行く。
質問が終わり得意げにやってくると
「だいたいさ〜。こんなわけのわかんない説明を貼るより(各部屋の壁にはその説明がポスターになって貼ってある)、僕が聞いたようなこととかを貼れば皆もわかりやすいと思うよ〜。」
などと言うのである。

イオンエンジンを見たり、しながら一通り見終わる。
中には人工衛星のビーズ細工をネックレスにしたイカシタお姉さんもいて、そういう類人に異様に目ざといのりまきは色々質問する。
そのお姉さんの研究は小惑星のあばたの研究のようで、「あばたはあばたでも私にとってはえくぼです」などと言いながらのりまきと会話する。現在打ち上げられている人工衛星が小惑星の表面を持ってくるようになっており、それが無事届くとそのお姉さんは忙しくなるらしい。
なんでもその持ってくる方法などもその惑星を想定して可能と思われる方法で器械が作られるわけで、ふとまきにしたらなんだか夢物語である。

「のりまきも本当はこんなところにいて、説明とかする人になりたかったわけですね」
と言うと、
「まあね〜。でも数学が苦手でね〜。」
などと言うのであった。その代りが金剛山なのである。


8月27日(金)
のりまき、自分でも掲示板に書いていたが、『KORIA TODAY』という雑誌に金剛山の連載が始まるようである。
先日我が家にお見えになった、編集の方に見込まれて?の掲載。のりまき喜んでいる。
そんなこともあり、ますます金剛山の買い物には余念がない。国会図書館でまるごとコピーをして持っている金剛山電気鉄道の20周年記念誌も買ってしまった・・・。コピーがあるからとさんざん迷っていたが、写真は本物の本のほうがきれいだし、という理由で購入。値段?恐ろしくて書けません(笑)。
して、
「僕の金剛山に注ぎ込んだ情熱がここに来てようやく少し認められたようで嬉しいです。」
とうるうるしているのである。

8月25日(水)
天気話続きになるが、今朝のりまきは
「今日は予定とは違い曇りですね〜」
とつぶやく。思わず
「予定〜?」
と聞き返すと
「違った。予報です」と言い直している。


8月24日(火)
のりまきの天気予報好きの話を書いたが、テレビ、ネットで一日に何度も天気予報は確認する。
ふとまきは朝、洗濯を外に干すか迷う時にはのりまきに聞いている。ふとまきが聞くのは途中で雨が降った時にのりまきの意見に従わないで外に干していた場合のりまきは帰宅後
「ほら〜、だから言ったでしょ。」
と言うのでそれを避けるためである。聞いてみてそれで外に干し、それで雨が降っても文句はない。
だから気になる日は
「のりまき、今日は天気どう?」と聞く。
その辺のふとまきの気持ちは理解されていないので時には
「そんなに僕に聞かなくたって今からテレビは天気予報ですよ」
と言われることがあるが、のりまきに聞きたかったとかお世辞も言う。
ちなみにのりまきの母は朝食時に天気を聞き、のり父とのりまきがほぼ同時に答える。そして翌日に父の言った天気と違うと
「お父さん、雨と言ったのに晴れたじゃない」
と責める?のである。だからのりまきは天気に(も?)詳しいのかもしれない。


8月23日(月)
週末に友人と出かける予定となっていたのりまき。友人と電話をしている。近況など話した後
「で、ね〜。ま、先生(友人を先生と呼んでいる)は知らないと思いますけどね。知らないと言うか、調べてないと思いますけどね。土曜日はちょっと無理かもしれない・・・。大変なことが・・・。」
と強調する。横で聞いていたふとまきも土曜日には友人と出かけると言うことだけ知っていたので、そののりまきの大変という言葉に反応する。え?何があるの?とのりまきの方を見る。
「実はですね。台風が来るんですよ。しかも大きいのが」
また、な〜んだ台風か。こんな風に書くと台風の被害にあった方に申しわけないが、のりまきは天気予報好きで事あるごとに天気を見るが、本人は晴れ男なので、あまり被害に会うことはない。のりまきが長靴をはけば雨はたいして降りもしない。
どんな大変なことがあるのかと聞き耳を立てたが、台風の心配であった。

8月18日(水)

ネットオークションで購入した金剛山長安寺ホテルのホーロー看板届く。どうしても欲しかったと。42000円なり。この値段をどう考えるか。一体どのように保管し、どのように活用するというのだろうか。
以前のふとまきなら考えられない値段だし、「買えば〜」、などと言えなかったのかもしれない。しかし、15日のコミケでお会いした人たちの物品(時には古本)の収集の話を聞いていると「買いたいものは買ったほうがいいよ。家のつぶれる値段じゃないし」と言っている自分がこわい。私もその道の人の世界に入ってしまったのだろうか。しかしまあ、一体どんな経路でこの看板は金剛山から我が家に辿り着いたのだろう。看板さんに聞いてみたい。


8月16日(月)
のりまきお休み。イベントの疲れが残ると想定して予め有休をとっている。ふとまきは仕事。ちなみに昨日のイベント、早朝より手伝ったのはふとまき。のりまきはのんびりと出かけてきたのである。それでもふとまきは今日も働き、のりまきは休養なのである。

8月15日(日)
東京ビッグサイトコミックマーケットの日。とにかく人が多い。コスプレあり。色々な自分たちの主張をめいめいが楽しんでいる。ここではどんな格好をしてもまわりはなんとも思わない。?
今さんの、人ごみに出ると気分が悪くなり、騒ぐだろう・・・。との配慮によりのりまきは遅れて登場する。しかしのりまき、人の多さに圧倒されてか以外にテンションはノーマル状態。しかし
「へぇ〜、コミケってこういうところなの?そうと知ってりゃあ看板とか立てたり、もっと無料のビラとか簡単な冊子とか作ってきたよ〜。」
などと言っている。
今まで畸人研究学会では10回を越えて参加しているだろうにのりまきが手伝いに行ったのは今回が初めてだったのだ。なんと、不義理な・・・。とふとまきは申し訳なく思っていた。しかし、それを今さんに伝えると
「いや〜、今まで動員かけてなかったから。」
それは良かった???

8月14日(土)
明日はイベント。畸人研究学会の別冊『北朝鮮の名峰 金剛山研究』が東京ビッグサイトに並ぶ。なんとなんと畸人研究学会の同人誌にも『金剛山』である。
そのイベントではのりまきは
「せっかくのイベントですからTシャツも金剛山のにします」
と汗をかいたとき用の着替えも全て(全てと言っても3枚)金剛山のTシャツを用意する。そこへ・・・・・・。
荷物が届く。今回の内金剛に一緒に行ったSさんからの荷物であった。旅行の映像と一緒になんと金剛山のTシャツが届いたのであった。
「ふとまき〜、ほら見て下さい!Tシャツですよ。なんでもサイズが合わないからと・・・。明日イベントがある前日に・・・。こんなにタイミングが良くっていいのでしょうか。」
ともう、いきなりテンションが急上昇。
「これももちろん明日のために持っていきます」と早速着る気である。
そのTシャツはSさんが以前平壌に行ったときに購入したものらしい。サイズが合わないこともあったようだが、お手紙には
『Tシャツの為にも私が持っているよりのりまきさんのところにあったほうがいいと思って・・・』というようなことが書いてある。
なんとありがたいことであろう。
映像についてもさっそく大騒ぎで見ていることは言うまでもない。

8月13日(金)
来る15日はなんでもコミックマーケットとかいうイベントが東京ビッグサイトで開催される。のりまきの所属する畸人研究学会も毎回そこに出展(?)しているのだが、のりまきは不義理をしていて一度も応援に行っていない。今回は学会の主幹にふとまきが応援を頼まれ、せっかく行くならとHPでどんなイベントなんだろうかと検索してみた。入場を並んで待ったり、コスプレの人もいたりと盛大なイベントなようである。会場までの混雑もあるようで、当日ふとまきは朝早く出掛けることになった。そこで、時刻表調べ好きののりまきに
「今先生と待ち合わせしている時間に間に合うには何時に家出ればいいか調べておいて」
と言う。恵比寿に待ち合わせなのでふとまきは横浜から東海道に乗って品川から山手線と考えていた。その時間だけを調べてくれるものと思っていると
「あのね〜。3つの方法が考えられます」
と言って来る。小田急線を使う方法、東横線を使う方法、そしてふとまきの考えていた東海道と3つを挙げる。
ふとまきの方法より自分の考える方法の方が早いと言いたげ。しかし、調べてみるとふとまきの方法が一番早く行けるようだった。すると相当悔しそうに
「いや〜、以外ですね〜。ま、僕も多少はそうかな〜と思っていましたけどね。ふとまきが言った東海道が一番早く着きます。さすがふとまきですね〜。」
嫌味っぽく言う。
「まあね。東京方面で働いていましたからね〜」
と言うと、
「いや〜、東海道がやっぱり一番早いんだ〜」
とまだ言っているのである。


8月12日(木)
のりまき、相変わらず鼻水が出ており、枕もとのゴミ箱はティッシュの山。箱のティッシュもすぐに使い切る。
「ふとまき〜、ティッシュの買い置きありませんか。使い切りました」
使いきりました、じゃなくって自分で新しいの出せばいいじゃん、と思いつつ。
「買い置き〜?ありますよ。ほら、そこに見えるでしょ?」
ティッシュの買い置きは冷蔵庫の横の棚のところに見えるように置いてあるのに、
「え?どこですか?どこどこ?え?え?」
ときょろきょろしている。
「え〜?そこの、ほら、棚に・・・。見えるでしょ?」
「あ〜、あれね。こんなところにあったんですか。気づきませんでした。」
一体毎日何をみているのだろうか・・・。

8月10日(火)
のりまき夏風邪をひく。いつものようにティッシュを枕元に置き、早めに就寝である。

先日ふとまきがスーパーで要冷蔵の買い物をする。この暑さであり、買ったものが腐らないようにとスーパーのサービスの氷を使用し氷をビニールに入れて買ったものと持ち帰った。家に帰り、ふとまきは再びすぐ家を出る用事があったのでスーパーの袋ごとのりまきに渡す。
「中に、スーパーでのサービスの氷が入っているからね」と言って・・・・・。
さて、その氷。家に戻っても見つからない。のりまきのこと。買ったものと氷も一緒に冷蔵庫に入れているかもしれない。のりまきに
「氷は買ったものと分けて袋からは出してくれたよね〜」
とだけ確認すると
「はい。出しました」
と言う。まあ、出したならいいか。普段ののりまきから想像すれば、その氷を流しに捨てているとも思えない。そのまま、どこかに置いたのだろう。確認しようとしたままふとまきも忘れてしまった。
本日。アイスを食べようと冷凍庫を開けると・・・・・。そのときの氷が丁寧に冷凍庫に入っている。捨てていいのに・・・。

8月8日(日)
のりまき作成の金剛山HPの歴史の部分を気に入ってくださったかたがおり、お会いする。
会う前も嬉しくて興奮気味ののりまき。突然
「僕は丹沢にどんな山がどのへんにあるのかがわかる位、金剛山に何の山がどこにあるかが言えますよ」
とふとまきに向かって言い出す。どうしてそこで丹沢が出てくるのか。まあ、近いからか?丹沢の山をいえる位、と丹沢と金剛山を比較するのもその理屈がわからないし、そもそも丹沢も金剛山もよくわかっていないふとまきにどうしてそんなことを急に言い出すのかもわからない。
要するに、金剛山について詳しいと言いたいのだろう。

8月7日(土)
8月1日よりふとまきの院内での勤務の移動があり、ここ数日はちょっぴり緊張ムードであった。また、5日は病院の夏祭りなどもあって新しい部署でのイベント。今日ようやく休みでのんびりしている。

さてさて。今日はのりまきも休み。二人で換気扇掃除を行なった。なんてえらいんだろう・・・・・!?
私たちがのりまき両親と同居なのは何度も書いたが、丁度一年前に『換気扇事件』というものがあった。
詳細は省くが、ふとまきが夜勤明けで不在の朝食時、のり母が突如換気扇が汚れていることについてのり父を責め始め激怒したのだ。あわてて3人で掃除をしたらしいが、ふとまきが帰宅する頃には終わっていた。その後昼食を4人でとったが、その朝の激怒がまったくなかったかのように昼食は会話がはずんでいる。更にはそのような母に対し、のり父とのりまきはご機嫌をとっているではないか。なんでいきなり無意味に激怒した母に対して今度はご機嫌までとらなければならないのだろうか。今度はふとまきが切れた。
ま、そのような事件があったので、以後、そのような激怒が起こる前にのりまきとふとまきが換気扇は掃除することにした。去年の冬はかなり早い時期から
「換気扇は僕たちが掃除します」
とのりまきに公言させ、春にもかなり汚れが目立っていたので、両親が旅行中にふとまきが行なった。そして・・・・・。夏の掃除は・・・・・。
これも先週町内の草取りがあったので(そんな時にはかならず両親は出かけるので)、草取りついでに二人で換気扇の掃除をしようと思っていた。するとどういうわけか先週は夜が不眠だったと両親出かけず、換気扇掃除は行なえなかった。
そんなわけでまたのりまきに
「夏の間に僕たちが換気扇は掃除します」
と言わせ、本日無事に行なうこととなった。しかしまあ、ふとまきは8月より勤務移動もあり、お祭りもあり、のこの週末は掃除の気分ではなかったが、カレンダーを見ても今日しかなかったのだった。

そんなこんなで朝食後、いつものとおり両親は出かけていたので二人で換気扇を掃除始めた。
言っておくが、同居前の二人暮しの時の換気扇掃除は2年に一回。そして、のりまきが手伝ったことは一度もない。
「ふとまき、よく働きますね〜。ご苦労さん」
で、終わりであった。しかし、現在はのりまきの両親と同居なわけで、のりまきも手伝わざるを得ないと思っているようだ。
その気持ちはありがたいのだが、なにしろのりまきはうるさい。
まず、傘を外す。大きいので外で洗う方が良いと思いのりまきに
「この傘を外で洗ってきてもらえますか?」
と言うと返事がない。仕方がないから
「じゃあネットをこっちで洗うか、どっちかです」と言うと
「じゃあ、こっちでネットを洗います。」と言うので
換気扇のネットを外しのりまきに洗ってもらう。我が家はふとまきの方が背が高いのでふとまきが高いところを拭く。すると数分後には
「あ〜。大変ですね〜。こんなんで本当にこの汚れが取れるんでしょうか。疲れてきました」
ともう疲れるのである。
「じゃあネットを洗剤に浸けておく?変わろうか?」
とバトンタッチをする。ふとまきがぼろ布に洗剤を浸しネットを覆う。すると
「ふとまき〜。こっちは実は大変だったんですね〜。ふとまきはよく黙ってこの高いところの作業やっていましたね。こんなに大変なんだとは思いませんでした。早くも疲れました。」
とまた言い出す。
「そんなに大変なら一人でやるからいいよ。上に行って休んでな」
と言う。
「そういうつもりではありません。ただちょっと暑すぎるだけです。クーラーつけませんか?そうしたらもっと作業がはかどると思うんです」
「え〜?でも結構洗剤を使っているから空気がこもっちゃうんじゃない?洗剤を吸っちゃわない?クーラーはしないで風通したほうがいいよ」
と言うと
「そうですね」
と言うが言っているそばから
「あ〜、疲れたな〜。だって、やってもやってもきれいにならないんですから。これですぐに汚れが落ちてくれれば志気も高まるんだけど・・・。こんなにいつまでもべとべとするんじゃやる気もなくなります。」
文句ばかり言っている。
その後のりまきはファンの部分を洗う。
「僕、これは結構好きなのよ。汚れが落ちるのがわかるから」
と言っていたので
「じゃあよろしくね」
とふとまきは上が拭き終わったので傘を洗いに外に行く。外で一気に流しながら洗うと結構はやく汚れが落ちた。中に戻ると
「ふとまき〜。こっちは本当は楽かと思っていましたがなかなか落ちません。あ〜、もういやになっちゃったな〜」
正直これは一人でやった方が効率も良いし、早く終わると思い
「もうのりまきは、いいよ。一人でやるから。」
と言うがそれは嫌なようだった。結局窓をあけたままクーラーをしてその下で涼みながら作業をするのりまき
「ふとまきもちょっとこっちへ来てやすみなよ〜。ここは天国ですよ」
などと言っているがそんなことをしていたらいつまでたっても終わらない。
結局ほぼふとまきが洗って作業が終わった。片付けに入ったので
「のりまき、2階にクーラーつけてシャワー浴びていいよ」
と言いのりまきを上に上げる。シャワーの支度をして風呂場に下りてくると
「あ〜、働き者の妻を持って幸せです。」
などと、とってつけたかのようなことを言い
「僕などはふとまきの3分の1位しか仕事しませんでした」
と言う。ふとまきは一瞬聞き違えたと思った。本気で3分の1も働いたと思っているのだろうか。すかさず
「え?3分の1もしたんでしたか?」
と大声で返す。すると
「半分とは言いすぎだと思って控えめに3分の1と言ったのに・・・。あ〜、こうして僕は妻に迫害されていくんです・・・」
などと言うのである。金剛山の本は何時間でも眺めていられるのに換気扇掃除は5分が限度なようである。
まあ何はともあれ換気扇掃除が終わり、この夏の課題は片付いたわけである。

7月30日(金)
先日友人との話題にもあがったことで、この日記を書いていてふと思い出したが、のりまきの言葉はなんだか丁寧である。
国語が得意という割におかしな敬語を使う時も多いが、だいたいにおいて ですます調である。
友人の甥も活発な年頃で暴れるというような時もあるようだが、言葉が丁寧らしく、言葉のお陰で笑えてしまうような場面もあるらしい。
のりまきの言葉使いにはどんな意味があるのだろう。要観察。である。


7月29日(木)
ふとまきの気紛れスイミング(夕飯後に近所の市民プールに泳ぎに行く)から戻るとのりまきの顔が輝いている。
「あのね〜。ふとまきがプールに行っている間にメールと電話が来ました」
そこでもったいぶる。
「え?だれ?」
話を聞くと今回の内金剛のツアーメイトであった方であり、鉄馬が走りたいを購入したが、のりまきの事が書いてあって・・・。
と驚きと感想の連絡だったようだ。
喜ぶのりまき。
「どうです?メール読んでみますか?」
と見せたがる。テンションハイ。
そして、メールを見せ、電話の内容を話すと、なぜだかわからないが
「なんだか、小説が書けそうな気もしています」
などと言うではないか。え???
ハイテンションののりまきの夢はゆくらむばかりである。のりまきがいきなり小説などと言うので
「何の話を小説にするわけ?」と聞いてみる。すると
「ふとまきは僕にどんな小説書いて欲しいですか?」
と言うので
「天女ふとまきと金剛山!」
と言うと微笑むだけである。そして
「まあ、金剛山が舞台なんですけどね。1500年前位から遡って歴史とその中で動いてきた人間の生き様でも・・・。」
嬉しそうに言っている。まあ、どうぞご勝手に。
その電話と小説がどう結びついたのかわからないが、その後も落ち着かず、色々な金剛山の資料を引っ張り出しては眺め、しまっては別のものを出すなど座ったり建ったり、うろうろしたりしている。

7月28日(水)
良く遊びよく学べ、じゃなくって私の場合は良く遊ぶと良く食べる・・・。人と会う機会が多く、いろいろと出かけたり遊ぶと・・・・・。ついついビールが進む。するとおしゃべりも進み、何故か食欲も増し、飲んでいる間中食べているということになる。のりまき、その辺は節度がある。
「もう結構です」
などと言い、腹八分目で終わりとなる。それなので、ふとまきは食べ過ぎたあとしばらくは食べ物も見たくない状態が続くこともある。
当然、のりまきはそんなことはないから・・・・・。
先日も知人のケーキ屋のジュレ(ゼリーの柔らかい感じのも)が4個あったが
「ふとまきはお腹一杯ですか。それでは僕が頂きます」
と、結局全部食べてしまったのであった。

7月25日(日)
今日はのりまきを置いて友人とふとまきの実家にお泊りである。のりまきも最初は行くとか行っていたが、結局次の日仕事だし
「僕は家でお留守番しています」
と言って来なかった。さてさて、その日はふとまき母と妹も帰ってきており、友人とふとまきと女4人となった。
話題と言えば当然のりまきの話である。なんと言ってものりまきの変人ぶりの話に花が咲く。
ふとまきも忘れていたがのりまきがその友人の家に泊めてもらった時に購入した吉野での歴代天皇の顔が描いてある図は一枚確か5000円。友人は
「まず値段を聞いたわ〜。5000円だったかな、私は、はぁ〜。って思う程度だったけどさすがに旦那は驚いて見てたわ。ちょっと想像出来なかったらしい。」
などと言っている。他にも関西に行くと必ず寄る古本屋があるが、そのうちの一件は大阪人でもあまり行かないようなマイナーなところにあるらしく、そんなところにわざわざ毎回行くんだからね〜など話題にのぼる。
でも
「まあ、悪い人ではないしねぇ〜。」
と最後には言われ、今ごろはくしゃみしているだろうね〜と言い合っていた。

7月23日(金)
富士登山マラソンの日。ふとまきの学生時代の友人が2度目の富士登山マラソンに出場した。
数日前より具体的に我が家に来る予定がわかる。しばらく前は
「僕は今年は休みが取れませんので、ふとまき一人で応援に行ってください」
と言っていたが、大阪ドラゴンでその友人と会い、気分が高まると
「休みが取れるかもしれません」
に変わった。変わるかもしれませんと聞いていただけだったが、二日前に
「どうなの?」
と聞くと
「一緒に行きます」と・・・・。
結局二人で友人を乗せて応援へ。ちなみに去年はふとまきの勤務希望を出す日までには参加を検討していた為、ふとまきは勤務が入ってしまいその友人(女)も「初めてだし途中で止めるかもしれないし、どんなになるかわからないから一人で行くよ」
と一人で運転して0合目から富士山の山頂まで駆け足で登り、下山後自分で運転して我が家に戻り夕飯を共にした。
行くとのりまきが一番テンションが高い。車をコンビニの駐車場に停め、いつものグ○コを飲むと
「じゃあ、ちょっとスタート地点に偵察に行って来ま〜す」
とか言ってカメラ持参で行ったりしている。また、スタート後私たちも5合目で応援しようと、車で5合目まで上がり駐車場から応援出来る地点に移動中に他の選手の応援隊が私たちを追い越すと
「いや〜、ふとまきと結婚していなかったらこんな面白い体験は出来ませんでした〜。なんてたって富士山を走って上ろうって奴が3000人もいるんですから。まちがいなくあほうです。少なくとも僕の知り合いの中にはそんな人いませんでしたから・・・。なんだか急いだほうが良さそうなので僕はちょっと先にいってま〜す♪」
と走り出す。結局友人はアクシデントに見舞われて今回は山頂まで行けなかったが、応援だけでも充分に楽しめた。

7月20日(火)
恒例の大阪ドラゴンより昨夜帰宅。大阪での出来事を少し・・・。

7月18日(日)
当初人数が足りなかった為に漕ぎ手としてお声のかかったのりまきも人数が集まったのでビデオカメラマンに変わった。のりまきとしたらまあ、漕いでも漕がなくてもどちらでも良かったようで、その事はどうでも良い。
17日の日にビデオカメラの撮り方を伝授される。何せカメラは自分でもなかなかだと思っているふしがあるが、ビデオは初めてである。友人を写すなど練習して本番に挑んだ。今回仲間は男女混合艇1チームと女子艇1チームの合計2チーム。それぞれに勝っても負けても2回は漕げるようになっている。それぞれのレースのスタートから中盤を撮るように依頼された。
最初のレースにはふとまきが参加。世話役の女史にどの辺で撮影するのが良いのか場所を教えてもらい撮影したはずだった。
ふとまきがレースを終わって戻ると・・・・・。困った顔をするのりまき
なんと!違うチームを撮影していたのだった。
友人にそのことを言ったのかと言うと
「まだ言っていません。ふとまきから言って下さい」と言っている。
更に、
「同じような衣装を着ているのでわかりませんでした」
と平然と言い
「次は必ず間違わないようにします」
と。確か、目はいいはずであるが・・・・。
その後チームは間違わなかったがかなり手ぶれしており友人に来年までにビデオ撮影の練習をしておくよう宿題がでた。

7月17日(土)
早朝に関西に出かける。決まっているのはお昼の知人との待ち合わせと夕方友人宅に行くということだけであり、それ以外はどうするかとのりまきに聞くと
「僕は、いつもの古本屋2件に行けばあとはふとまきに合わせます」
と言う。また古本である。
結局午前中ものりまきの希望で住吉大社に行く。古本屋はまだ開いていないからである。
お昼に知人と会い、数時間お付き合い頂く。その後
いつもの古本屋へ・・・。
1件目は特になし。続いて2件目へ。2件目で
「え〜?なんで〜?なんでこんなものがあるんですか〜!!!」
といきなり騒ぎ出す。
「こんなもの、こんなにあっていいの?買います買います。みーんな買わせて頂きますよ〜。」
と調子高く言っている。こちらは離れたところで違うジャンルの本を見ているが何やら不吉な予感である。
それでもあえて『なに?なに?』などとは聞きに行かない。行くもんか。すると
「ふとまき〜。ちょっと来て下さいよ。こりゃあ驚きだな〜。こんなもんがなんであるの?」
見てみると昭和11年の朝鮮半島の地図である。部分部分で数枚。丁度それが金剛山電気鉄道とか金剛山の付近の地図であるらしい。大正時代の地図では鉄道がまだ走っていないのだが、昭和のだと鉄道が書かれていて、どこを走っているのか、また今回自分たちがどの道を通ったかが詳細にわかると言う。合計10枚。しめて18000円である。
「え?これ全部買うの?」
と言うと
「そりゃあそうですよ。この時代の地図は国会図書館にもないですよ。大正のはありますが鉄道が走ってないから意味がない。これは貴重ですよ〜。まとめて20万円って言ったって買う人がいますよ」
とか言う。
「20万でものりまき買うわけ?」
「ま、それはさすがに買いませんけどね」
結局購入。
夕方知人の家で
「ちょっとすいません。これから地図並べていいですか〜?」
と聞くのりまき。知人もふとまきも
「勝手にどうぞ」
帰りは何よりも地図を優先に荷物を詰め、何枚にもガードして無事家までついた。

7月13日(火)
のりまきは旅行記に一区切りがついた模様。なにせ今日は休みを取ってまでの『速度戦』である。
それには先日も書いたが仲間とのミニコミに載せてもらえるからで、その締め切りに間に合うように頑張った。
夜勤明けのふとまきは昼寝をしていたが、
「ちょっと、これみてもらえませんか?」と自分なりに書いたと言う地図を見せたり、
「ふとまき〜。ちょっと悩みがあるのですが聞いてもらえますか?」
と言うのでどんな悩みかと思えばその冊子に載せる写真選びで、
「海金剛らしさがわかる写真はこのふたつのどちらだと思いますか?」
などと聞いてくる。松があるかないかでどっちでも同じだと思うが、それを言うといじけるので、
「そうね〜。などと言いながら適当に選ぶ」
すると
「やっぱりね〜。僕もこっちの方が奥行きがわかっていいと思っていたんです」
などと言う。
休みを取るのは私が日勤の時にしてもらいたいものである。

7月12日(月)
選挙も終わった。やはり選挙好き。なんだかんだと講評をしている。今回は事前には何も言わないくせに
「僕が実は予想していたとおり、自民党と民主党は大差ありませんでしたね。自民党がもっと極端に負けるんじゃないかって言われていましたが、僕の予想の方が当たってました。」
そうですか〜、という感じである。

しかし、今回の内金剛の旅行記は仲間でのミニコミの夏の号に載せてもらえるらしく、だから急いでいるということを突如言い出す。
ふとまきは呑気に構えていますけど、だいたい書き終わるんですか!?私のも載せてもらえるのだろうか・・・。わけわかめである。
あさって休みなので実家に旅行の写真でも見せに行こうかと母親と電話で話していると急に割り込んで来たのである(-_-メ)。
「そんなにいらいらすると良いものが書けませんよ。」
と返すふとまき(苦笑)。

それはそうと
週末には北朝鮮の貴重な資料の情報メールを頂き、早速本を購入。朝鮮語で書かれたその本、値段も約7000円。ひぇ〜、と驚くふとまきに
「いや、でもこれは絶対貴重なものです。朝鮮語は今は読めませんが、今後、読むことも考えて買います。」
結局、地図等だけでもかなり貴重らしく、地図や今後読めるだろう朝鮮語を時間をかけて眺めている。
「ミニコミに載せようと思う図などもおおいに参考になる本です。ほんと、こうやって情報を下さる人がいるんだ。ありがたいことです。」
と感謝しているのである。

7月11日(日)
参議院議員選挙の日。今年の選挙はいつもと違う。のりまきは選挙好きである。新聞に候補者が出ると全てに目を通し、あれこれ語る。選挙当日は普段はほとんど見ないテレビも何度もつけ、選挙結果の速報に目をやり、
「はっは〜ん。」とか
「げ〜。以外だな〜」
などなど言う。しかし・・・・・・・。今年の選挙はあまり頭に無く頭にあるのは内金剛なのである。
「今日は結果もテレビでは見ません。明日になればわかることですから」と珍しいことを言っている。
選挙結果を気にしていては内金剛の旅行記がはかどらないのである。

そんな内金剛行きで、ふとまき的にはもうある意味終わりだと思っていた。外金剛に行き、海金剛にも行った。三日浦にも行き、そして陸路でも行った。更に今回の平壌経由の内金剛である。もう充分だ。しかし、
「自分でもこれだけ行きたかった内金剛に行けて、ひと息ついたと言う感じです。でも、これで終わったら困ります。これまでの金剛山がこれからどうなっていくのかに興味があるのですから。ま、今年は行かないでもこれから変化があったらまた行かないと・・・。ふとまきも行くでしょ?」
などと言っているのである。
のりまき曰く自分が大正時代に生きていたわけでもないのに『内金剛は大正時代に戻っている』と言う。それがどう変わるのか、日本と韓国と北朝鮮と、そして金剛山。どうやらこれからが本番なようである。

7月7日(水)
内金剛行きは『旅行者としては戦後初めて』という言葉が気になっているのりまき。帰国後は旅行中にも話題になった登山者を調べ出した。調べたところお一方のパーティは内金剛へは行っていないことがわかる。安心するのりまき。安心してどうなるわけでもないのに・・・。

7月6日(火)
帰国後からも一気に旅行記だの写真の現像だのばたばた過ごし、ようやくのんびりムードになってきた。普段早寝(たいていは22時)ののりふとだが、今日は早く寝ようね〜と言いながら帰国後はいつも23時をまわってしまう。そんなのりまきもさすがに昨日は「疲れた〜」と家に戻る。「今日は作業は何もせず早く寝ましょう」とのことで21時就寝。ひさびさにゆっくり寝てまた頑張るそうなのである。

7月2日(金)
とばしているのりまきも内金剛の部分が終わると威力が低下した様子。旅行記も小休止した。
「いや〜、実際の旅行も内金剛の後はなんだか力が抜けちゃいましたけど、旅行記の方も内金剛のところが終わったらなんか気が抜けちゃってね〜。ちょっとお休みにします。」
と言っている。まあ、それだけのりまきの精力を使い果たしたのであろう。確かに帰国とほぼ同時書き始め、自称虚弱体質ののりまきが旅行からの帰国後にたいしてゆっくり睡眠もとらずに書く事はめずらしい。何より昼寝が好きなのに。この週末は旅行の疲れもあったのに、それ以上に気が高ぶっており、昼寝どころではなかったようだ。
そしてその翌日あたりはたまたまHPの訪問者が少なかったようだったが
「旅行記がお休みになっているからあまり見に来てくれる人がいないのでしょうか」
と、あたかも自分の更新と同時に人が大勢訪れると言いたげである。