のりまき観察日記特別編 金剛山陸路観光編

景福宮にて


7.陸路観光後家につくまで(2004.3.30記)

12月4日(木)
あれだけ待ちわびていた金剛山陸路観光も行ってしまうとあっという間に終わりとなった。
今回ふとまきは3回目ということで、毎回の比較は出来るが、新鮮な目で施設や山々を見ることが出来なくなったような気がした。
1回目や2回目は温井里での時間がたくさんあったということもあるが、隅々までぶらぶらして色々と観察したが、今回は『そういえば、あれはどうなってたっけ?』ということが多かったような気がする。人間、慣れというのは良くないこともあるようだ。
そんな感想は置いておいて・・・。

DMZを越えて韓国に入る。軍人が真剣なまなざしで立っていない場所に戻ったからか、バスのなかはほっとした雰囲気が漂い、無事に戻れたことに?拍手をしていた。
韓国の人たちの感想なども言葉が通じれば聞いてみたいなぁ。

韓国の再入国審査を終えると解散となる。
団体客の多くは統一展望台についたら次の客をここまで乗せて来たお迎えの観光バスに乗り次々にソウルに向かった。私たちは・・・・・。とりあえず荷物をベンチに置いて休憩である。
ここで解散となればあとはどうやって帰っても良いわけで・・・・・。するとふとまきは
「ちょっとさ〜、のりまき、こうやって解散したんだからあとは自由なんでしょ?バスとかもあるんでしょ?だったら今のこの時間に展望台に行けば良かったじゃん。そうすればゆっくり行けたのに・・・。」
とついつい文句を言いたくなった。金剛山に発つ前の体調も良くない中重たい荷物を持ち、いつ出発になるのかわからないそんな時間の中に私たちは急ぎ足で統一展望台に登ったのだった。
「でもね〜、こうやて時間があるのかとかわからなかったんですから。ま、写真を撮ったんですからいいんですよ。」
と開き直るのりまき。
「もう一度ゆっくり登る?」
「いや、もういいです。写真は撮ったんですから」

そうこうするとシャトルバスが来る。行きのシャトルバスになるときにも案内をしてくれた人が今回も乗りそうな客を呼び込んでいる。私たちはかなり離れたベンチに休んでいたが、覚えていてくれたのか呼んでくれた為、そのバスに乗り込んだ。これ1本で束草まで行けるとのこと。安心であった。まあ、こう考えると展望台に行ってたらどのバスに乗るのかわからなくてまたも大騒ぎ、大慌てだっただろうから展望台に登らなくて正解だったのだろう。

一本のバスということは1時間はゆうに乗る。ふとまきはうとうととしたが、のりまきは興奮からちっとも眠れないようだった。
束草につくとクニさんに連絡。その日は一緒に夕飯を食べた。
夕食から戻るとなんともこの旅の終わりが近づいているようで、なんとなく寂しかった。

12月5日(金)
ソウルへ出発である。
私たちにはお馴染みとなった高速バスでソウルに到着。
少し遅れた金さんとの再会を果たした。金剛山に行く前に金さんにあった時にはメールのやりとりのみで会ったわけだが、結局のところ、文字化けをしていたので私たちの行動の詳細がわからない状態で会った。会ってから私たちはその日にはもう束草に行くということが金さんにわかり、金さんが予定して下さっていた『観光』はできなかったのだった。
今回は・・・・・・。
その時に金剛山後の日程を伝えていたので、金さんは私たちの予定がわかっていた。
当然金さんは金さんの案内したい観光名所を揃え私たちに会いに来てくれていたのだ。私たちと言えば・・・・・・・。
いわゆる名所はソウルに来て行ったことはなかった。しかし、そう行きたい場所でもなかった。のりまきはあくまで古本にこだわっていたのだった。
その辺でまず、微妙な雰囲気の食い違いがあった。
金さんは名所に案内したい。のりまきは古本を探したい。
・・・・・・・。ふとまきは・・・。間に挟まった。

とりあえずのりまきに
「金さんには古本のことは言った方がいいよ。」
と言う。言わないともじもじしているだけなのである。
そうして伝えると実は金さんも金さんなりに私達が金剛山に行っている間に古本があるところを調べてくれていたようだった。

結局、金さんの思う観光名所に案内してもらったあと、古本を探しに行こう、ということで話がつく。そうして3人で予約したYMCAに荷物を置きに行った。
YMCAは地球の歩き方を見て予約したのだが、電話番号が書いてあった中では安かったこと。そして交通の便が良かったこと。そして、英語が通じると書いてあったことから金さんを待つ間に電話で予約した。なにしろ、飛び込みとかそんな泊まりかたはのりまきは嫌いなようである。きちんと安心してから行動しないといけないようだ。また、韓国語のみの宿では電話の予約は出来なかった。
まあ、ふとまきは安ければどこでも良いのでお任せした。
金さんがふとまきの大きな荷物を持ってくれている。恐縮しながらもラッキーと思う。
YMCAにつくと、その古い建物を見て金さんは私達がどうしてここに泊まりたがったのか不思議な様子だった。
金さんはフロントで色々と社員と話をしたあと私たちに、
「空港へはこのホテルの前のバス停からも行けます。」
と教えてくれた。色々とフロントの人と話をして私たちに教えてくれたようだった。
荷物が軽くなったところで昼食である。
 YMCA近くの食堂でそれぞれ違うビビンパを食べる。そこで本日の予定を決める。金さんはいろいろと頭の中で私たちに見せたいところを考えていてくれたようだった。景福宮やロッテワールドなどだった。のりふとはロッテワールドには興味なしで却下となる。景福宮は特に行きたい!!という場所でもなかったが、こういう機会に行くのもいいのかもしれないと連れて行ってもらうことに。そして、古本があるという東大門に向かおうということになる。他の人でも金さんと同じ反応を示すのだろうが、私達がいわゆる観光名所にあまり興味が無いと知ると金さんはがっかりしたようだった。

景福宮へ。地下鉄に乗って行く。景福宮に着くと日本の団体客がたくさんいた。ガイドに案内してもらいながら観光している小団体。ここへ来て韓国に日本人が多く来ているということを納得する。個人客もかなり日本人が多かった。
さらっと見学する。金さんとしては私たちに説明もしてくれるが、金さんの知る歴史程度の知識はのりまきは知っているようで、金さんの説明に対し
「そうですよ。そしてね〜云々かんぬん」
とかと更に詳しく言うので、金さんはなんとなく残念そうだった。
景福宮の見学を終えるが同じ敷地に民族博物館のようなものがあった。金さんはそこへ向かう。のりまきは行きたくないと言う。
またまた間に入るふとまき。金さんに
「行きたくないと言っています」
と言うが、
「行きましょう。ここ、韓国の歴史とか、文化とかわかります。見ましょう。」
と結構強引に先に進む。困るふとまき。
のりまきはついてこないどころか、
「行くならふとまきが勝手に行って下さい。僕は僕で別のところに行きます」
とふとまきに言い駅に向かって歩き出すではないか。
困るふとまき
「だったら金さんに言わないと。金さんは私たちに見せたいようですよ。」
「あんなところに今からいったら相当時間がかかります!見るならもっとゆっくり時間のあるときに見ないと。今日では中途半端すぎます。」
と私に言っても仕方が無いが、金さんとのりまきの距離は離れている。
困るふとまき。しかし金さんも困っている。

結局、金さんの方が折れて、博物館には行かないことにしてのりまきを追いかけた。
きまずい私たち・・・・・。
きちんと行きたいところや気持ちを伝えないとこういうことになる?のだ。

金さんはまだしっくりしていないようだが、のりまきに合わせることにした。
「じゃあ、どこに行きたいの?」
と聞くふとまき。
「確かここの近くに現代の本社のビルがあったはず・・・。」
「な〜んだ。ちゃんと行きたいところがあるんじゃないのさ。だったら尚更言わなきゃ。」
すると、
「別にどうしても行きたいというわけではなかったし・・・。」
とか言い出す。言いたいことをきちんと言わないから消化不良を起こしてあんなふうに 切れる のだ。金さんも本社に行ってどうするんですか?みたいなことを言いながらも行く事につきあってくれる様子だった。
金さんもさすがに本社は行ったことはなかったようだったが、道々の人に聞きながら現代の本社に行った。
この辺で金さんもようやく金さんの考えるソウルの案内をのりふと相手には出来ないようだと悟った様子。金さんの思いは抑えて私たちについてきてくれようとしはじめた。
しかし、金さんとしても不思議だったろう。金剛山に魅せられて金剛山に3回も行ったというのは理解できてもそのツアーを主催する現代の本社に行こうなんて考えないだろうから・・・。

現代ビルの本社に到着。
のりまきとしては鄭夢憲会長が飛び降り自殺をした現場を見たかったのであろう。
ビルに着いたからといって、何をするわけでもなかったが金さんが中にどうぞ、というジェスチャーをする。立派なビルである。入って大丈夫なのかと心配しながらフロアーのようなところに入り、ビルの案内板などをきょろきょろ見るのりふと。金さんはどこかに電話をしだした。あ〜、なんだかこんな風になっちゃったけど、大丈夫かな〜。金さんももう帰りたくなっちゃって誰か友人と会う約束でも始めたんじゃないのかな?などと心配するふとまき。フロアーには床を掃除する機械に乗って掃除する人もいる。掃除する機械も立派だな〜などと感心するふとまき。これが日本で言えば大手の会社の本社ビルか〜。みんな出入りするひとはエリートなんだろうな〜。そうしているうちにふとまきはトイレに行きたくなったのでトイレを借りた。
トイレから戻ってくるとなにやら金さんとのりまきともう1人聞きなれない人と3人で話をしている声がする。
金さん知り合いの現代の人に電話をしてくれていたのだった。行動的な金さん。
金さんが金剛山で働いていた時に知り合ったとかで私たちのことを紹介してくれる。紹介されてもその社員さんも困ったようだったが、本社のビル1階で立ち話もなんだと思ったのか近くの喫茶店に連れて行ってくれた。
社員の人もどうしてわざわざ本社に?という雰囲気で私たちを見ていたし、そう聞きたかったのかもしれないが、なかなか金さんも通訳、までには行かずに、結局あたりさわりのない話をした後、喫茶店を後にした。奇妙な会談であっただろう。まさか、自殺の現場を見たかったとも言えないし・・・・・(苦笑)。
しかし、せっかく来たんですから何かありますか?というようなことを言われる。それでは、と金剛山観光のパンフレットがあれば欲しいと伝えるのりまき。
本社ビルに戻りパンフレットを1階フロアーで待つ。その間、またまた金さんの知り合いの社員さんが同じビルにある銀行に行く時に通りかかった。金さんに話しかけている。
私たちも紹介される。「遊びおいでよ」
と金さんに言ったようだったとのりまき。
その人が銀行へ行ったあと、先ほどの方がパンフレットを持ってきてくれる。御礼を言って本社ビルを後にした。
結局パンフレットとは、先日束草でもらったものと同じだったがありがたく頂いて帰る事にした。種類の違うパンフレットを作成しているわけではないようだ。

さっきの不機嫌とはうってかわって、現代の本社ビルにも来れたし、おまけに社員の人にも会えパンフレットももらえると金さんの積極的な行動力に感心するのりまき。
知り合いと言ってもそんなに親しいというわけでもなさそうな人に、こうして電話をしてくれる金さん。
もじもじくんのりまきにとっては「見習わないとね。」などという言葉も口にした。
そんな感謝の気持ちが金さんにも伝わったのか、金さんもほっとした様子だった。

さあ、思ったより時間もたってしまった。
古本探しである。
金さんが調べてくれていた情報に、どうやってそこに行くのかなどもう一度仁寺洞で確認し地下鉄に乗る。
東大門の一角にあるようだったが、その場所がわからない。地下鉄を降りて屋台の人に聞いたりしながら古本屋を探す。
結局、何人の人にも聞くが結構適当で、少し行って聞くとぜんぜん違う方向を指したりしている。これもケンチャナヨなんだろうか。
肉屋が並ぶ商店街や電気屋さん。厨房の道具や家具が並ぶ商店街。古着の商店街。などなど見ているだけでもおもしろい商店街を古本屋街を尋ねて三千里。ってな感じに歩く歩く。
結局何人の人に金さんは聞いてくれたのだろう。かなりぐるぐるまわったような気がする。ようやく古本屋が並ぶ商店街にたどりつく。感激であった。
一通りまず外から見るのりまき。なさそうな本屋には入らない。金さんは一件ずつ入ろうとしたので、これだけ探した古本屋なのに素通りしてしまうのが不思議な様子だった。
一通り見てから中に入って聞いてみる本屋は2件くらいかな?と言う。
のりふとは語学にはさっぱりなので金さんにお願いして金剛山の本はあるかと聞いてもらう。
一件、
「あるよ」
と見せてくれたその本は写真集だった。それを見るなりのりまきは
「あ〜それね〜。それはどんなものだか知っているし日本でも売っていますからいいです。」
と断る。他はまずまず聞いてみたそうな古本屋に金剛山の本はなかった。
「この本屋は最後に聞いてみたい」と言った金剛山の本もありそうな古そうな本ばかりが並ぶ本屋に入り金さんに聞いてもらう。すると
「金剛山?それならあればこっちが欲しいよ」
というような返事が返ってきた。
金剛山には注目しているが、本が無いというようなニュアンスだったので、私たちはたくさん歩いてへとへとだったが、その話を聞いたのりまきはひとり、
自分の注目している金剛山の本が古本屋でも欲しいような本だと聞いて疲れがふっとんでいる。
こうしてさんざん苦労した古本屋探しも終わるとへとへとになった私たち。
夕飯を食べることになった。
そんな時にものりまきは
「あとは普通の本屋を最後にいいですか?」
と言って来る。これだけ歩いてまだ本屋か?とふとまきも思うが見たいものがあるという。
金さんは本当に親切で、本屋の中も広いので何が見たいのですか?何を探しているのですか?と聞いてくれる。
しかし、のりまきはそういうことが煩わしいようで1人でさっさと行ってしまう。
またまた間に入るふとまき。
「すいません・・・・・。」
とふとまきが謝ってしまう。苦笑する金さん。
のりまきは自分の調べたいものに専念している。どうやら統一展望台の場所を地図で確認したかったといようだった。
いくつかの地図を見ると地図によって場所が違うことが確認できた様子。
「はっは〜ん。そうか〜。やっぱり。僕の予想した通りだ。」
と何がそうなのかはわからないが一人納得し、見ただけで買わずに
「わかりましたからもういいです。」
と言って本屋を後にした。不思議そうな金さん。
ふとまきも説明のしようがない。苦笑いするのみだった。

さあ、今度は本当に夕食だ。
夕飯も金さんとしては名物とか私たちの希望する食べ物のお勧めを案内してくれたいようだったが、もうへとへと。
ふとまきはどこでもなんでもいいや、という気分だった。

結局、近くの通りを廻って焼肉を食べる。韓国の焼肉というとなんとなく辛いものを考えていたが、辛味のない焼肉でとても美味しかった。
そして、金さん、私たちをYMCAまで送ってくれて家に帰ったのである。
金さん、ご苦労様でした。
食事を食べたら元気回復。最後の夜ということで金さんが帰られた後に2人でお茶飲みに行く。

へとへとではあったが、充実感も味わったのりふと。ぐっすり休んだのであった。

朝、金さんが教えてくれた通り、YMCA前のバス停よりバスに乗り、空港へ。
あっという間に我が家に戻ったのであった。
(しかし、相当疲れていたのか、この日記の部分に挿入する写真は口絵のものくらいであり、ほとんど撮影していなかった)

後日談。

今回は、のりまきが自分でも言っていたが、今までの金剛山の旅行と比べると写真の枚数はかなり少ない。3回目ということもあるが、体調があまり良くなかったということもあったのだと思う。いつもはデジカメも普通のカメラも殆どがのりまきが使っていたが、今回はデジカメは主にふとまきが使っていた。

普通の人はどうなんだかわからないが、ふとまきは自分で写してもそのフィルムをまるまる一本自分で写せばそれが自分が写したものとはわかるが、のりまきと交替に写したような写真の中で何枚かふとまきが写していてもどれが自分が写したものなのかなんて覚えていない。デジカメも主にふとまきが使ったとはいえ、のりまきと共用していたので、これは自分が写したものでこれはのりまき。なんてわからない。
しかし、のりまきはわかるようなのだ。

「今回の僕の写真の出来は良くありません。正直がっかりです。これも、これも、あれも、HPに使わせてもらっていますが、ふとまきのものです。今回ふとまきの写真の方が良いものばかりです。あ〜あ。写真に自信がなくなっちゃったな〜。カメラが古くなったのかとも思いますが、こうやってふとまきが写したものは撮れているんですから。カメラのせいにするわけにはいきません。」
「なによ。こんな風景の写真でも自分が撮ったものか私が撮ったものかがわかるわけ?へぇ〜?私なんて全然わかんないけどね。いいじゃないですか。全部自分が撮ったっていう気分になって使えば・・・。」
「だって、こんな風な構図には僕は絶対しません。だからこれはふとまきですよ。こんな風な構図にはしないけど、こっちの方がいいですね〜。あ〜あ。自信がなくなっちゃうな・・・。でね〜。最悪なのが統一展望台。これもあれもボケています。今回は本当に写真が良くないな〜。あ〜あ。がっかりです。ふとまきの方が本当に良く撮れてますよ。」
最後のふとまきの方が上手く撮れている、というのを何度も何度も言っているのである。
統一展望台については自分でも重たい荷物で登ったので恨み?(笑)があるので
「やっぱ、急いで重たい荷物もって慌てて撮ったから良くなかったんじゃないの?やっぱり良い写真を撮るには落ち着いて撮らないと。ね、のりまき。いひひひひ〜(笑)。」
と言うと
「そうですね〜。慌てるとよいことがありませんね。」
とやけに素直に認めている。

写真を見てはしばらくため息をつくのであった。


金さん。
色々とお世話になった挙句。
金さんの希望ではホットメールでアドレスを作ってもらえれば文字化けをしないでも見られると思うとのことだった。
そのまま申し訳ないことにホットメールアドレスも作れて居ない。早々に連絡しなければ。
金さんからのメールは文字化けしない。金さんからはソウルではあまり役に立てずに申し訳ないといった内容のメールが届いたのだった。

終わり

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