金剛山観光の謎‥謎解きの間


1…の回答はよくわかりません。北朝鮮の皆さんにお話を聞けないのですから仕方のないところです。
ただ、多少ヒントになる文章を見つけました。2002年1月に金剛山を訪れた、コリア・ヘラルドの記者の記事です。訳はいつも通り、のりまきの意訳であります(^o^)。
while we were listening to the briefing from the North Korean
 and Hyundai people on the farm.
I noticed three little kids across the street were watching us quite a long time,
maybe for more then 10 minutes,and finally waved to us.

(私たちが農場《金剛山観光客用に農作物を作っている北朝鮮の農場》の説明を、北朝鮮の人や現代の人たちから受けている間のことであった。私は3人の小さな子どもたちが道路の反対側から私たちの様子を長いことじっとうかがい続けていることに気がついた。子どもたちは10分あまり私たちの方を見ていただろうか、最後には私たちに向かって手を振り出した。)

これを見れば、金剛山観光が北朝鮮の人々になんらかの影響を与えていると考えても良いのではないでしょうか?


19の疑問ですが、このようなページを見つけました。これによれば『青年突撃隊』なる人たちが、金剛山の絶壁に刻まれている文字を彫ったようです。なお、金剛山地域を走る鉄道、『金剛山青年線』も、青年突撃隊の手によって作られたもののようです。
ちなみに第二次世界大戦前に、金剛山地区には鉄道が走っていたようです(東海北部線)。現在は韓国側の江陵から、北朝鮮側の温井里(金剛山青年駅)までが不通になっています。


23の疑問ですが、この記事によれば金剛山生水(金剛山ミネラルウオーター)の製造・販売を手がけた韓国企業の『泰昌』が、巨費を投じて金剛山に乗り入れる鉄道を修復したようです。だから金剛山周辺の鉄道は意外と路盤が整備されているのしょう。



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