細密画に込められた想い
消しゴム画家:篠田教夫さん
篠田さんの作品:秋韻(部分)
今年(2000年)4月後半の土曜日、のりまき・ふとまきは馬場京子さんも出品した展覧会を見にいった。銀座にあるギャラリー椿という画廊で開かれたこの展覧会は、ここのところ体調を崩し休眠状態になってしまっている林滋さん(注1)という名コレクターを励ますという目的で行なわれた。
名コレクター林さんに馬場さんも色々とお世話になっていて、展覧会のオープニングパーティに日帰り強行軍で京都から駆け付けることになった。そこでのりまき・ふとまきは馬場さんに御挨拶がてら展覧会見物をすることになったのだ。
夕方、銀座の画廊に行ってみるとオープニングパーティは既に終った後のようで、人の姿もまばらになっていた。会場ではまず、馬場さんと再会の挨拶をした後、のりまき・ふとまきは会場の絵を鑑賞した。
予想と異なり、絵は色々なジャンルのものが揃っていた。馬場さんが描くような幻想的な絵が多かったが、切り絵のような絵もあったし、蛍光色中心の色遣いも華やかなポップアートも見られた。そんな中、私たちの目を釘付けにして離さなかった一枚の小さな絵があった。
それはドクダミの花の絵であった。その小さな絵は、一見ありのままのドクダミを忠実に描いただけの絵であった。しかし細い葉脈・おしべの粒々に至るまで執拗に描写されているドクダミの姿を見ているうちに、いつしか絵の世界に釘付けになってしまう迫力を感じる絵であった。
一通り絵を見終わった後、のりまき・ふとまきは馬場さんと立ち話をした。その中でのりまきが「あのドクダミの絵の描写、すごいですね……」と言うと、馬場さんも「そうなんですよ、今日会場に来た人も、みんなあのドクダミのこと話題にしてましたわ」。と応えた。
私たちが画廊を後にしかけた時、馬場さんは出口近くに立っていた一人の中年の男性に声をかけた。ふたことみこと言葉を交わした後、馬場さんは「この方があのドクダミの作者、篠田さんです」。と、私たち二人に話題のドクダミの作者を紹介した。第一印象としては、職人肌のにおいはするが、特に変った人には見えなかった。馬場さんは、「のりまきさんといいます、会場の篠田さんの絵を、とっても気に入られたようですよ。ちなみにのりまきさん、世間で変わっているといわれるような人と会って、お話を聞くことが趣味なのです。そしてこちらは奥さんのふとまきさん」。と、我々のことも篠田さんに紹介してくれた。
「始めまして、あのドクダミの絵、とっても良かったです」。いきなり作者とお話が出来るとは思わなかったのりまきは、少々慌て気味に挨拶をした。すると篠田さんは「始めまして、変わった人の話を聞くのが好きだというけど、そういうあなたが一番変わってみえるね」。と語る。
第一印象をここまではっきり語る人も珍しい.。どぎまぎしながらものりまきは、篠田さんと連絡先の交換をして、その場を後にした。
会場を出てから、のりまき・ふとまきは馬場さんとまずお茶をして、それから夕食を共にした。色々な話題で盛り上った中で、やはり篠田さんのことも話題に上った。展覧会会場で篠田さんのドクダミに皆の注目が集まった話をしているうちに、「ほんと、ドクダミそのものを描いた絵なんですけどね……一見特に変わった絵とも見えないんですけどね……どうしてあんなに惹かれるんでしょうか?」のりまきは馬場さんに尋ねてみた。
「絵は、作者が対象に集中して徹底的に描いていくうちに、絵の中に作者の想いというか情念がこもっていくんだと思います。絵は単にドクダミそのものだとしても、あそこまで徹底的に描いていくと、絵に篠田さんの情念が入りこんでいるのでしょう……」。
馬場さんの意見にのりまき・ふとまきともども頷いていると「それにしても、あの篠田さんに初対面でいきなし“変わっている”と言われるなんて、のりまきさんも大したものですね」。と馬場さんに言われてしまった(笑)。
その日以来、ドクダミの花の姿が頭から離れなくなったのりまきは、篠田さんにファンレターを書くことにした。いいのかな〜と思いながらものりまきは、『篠田さんの絵を見てから、頭の中に篠田さんのドクダミの花が咲いています。ぜひ一度お会いして、お話をお聞きしたい……』と、ファンレターに書いて送ってみた。
返事は暫く来なかった、さすがに『頭にドクダミの花が咲いている……』は、言い過ぎだったかなあ……と思い始めた頃、篠田さんからの返事が来た。
『頭の中にドクダミの花が咲いているとのこと。ドクダミは十薬草の別名もあり、万病の薬草なので、それが頭の中に咲いていれば頭に限らず身体にいいこと受け合いです。ただドクダミの多用は脱社会症などの副作用もありますので御注意を……』。などと書かれた素敵な返事であった!
のりまき・ふとまきに届いた篠田さんのハガキ『孕む手』より
結局のりまき・ふとまきは5月終りの土曜日、銀座にて篠田さんと再会することになった。
銀座での待ち合わせ場所は、のりまきが苦手な超高級デパート前であった。まあ、こんなことでもなければ絶対行くことがない超高級デパートの中を社会科見学(笑)をした後、のりまき・ふとまきはデパート前で篠田さんを待った。
デパート前で待つこと約5分、篠田さんが私に声をかけて来た。
「私もこの中には入ったことがない……」。と笑って話しながら、篠田さんは私たちを銀座中心から少し離れた、比較的すいている喫茶店に案内した。
喫茶店でコーヒーを注文すると、篠田さんは「ケーキ好きそうですね。ケーキは要らないんですか?」。と尋ねてきた。ケーキ大好きの、のりまき・ふとまきはぎくりとしたが、「いいえ、コーヒーだけで……」。と答えた。(ちなみにのりまき・ふとまきは直前におやつとしてあんみつを食べたばかりであった……笑)
「まあ、2年に一度は個展をしたいと思っているからね。土曜日は銀座を中心に、いろいろ画廊を廻ったりもしているんだよ」。コーヒーをすすりながら、篠田さんはそう語り出した。
「私はね、平日はいつも大体家にいて、二人の子どもの面倒を見ているんだ、奥さんが外で働いているから家の食事も洗濯なんかも自分がするんだ、そういった合間に絵を描いているわけだ。平日は買い物以外にほとんど家から出ないね。そして土曜日になったら自分の時間が出来るから銀座あたりの画廊を廻ることが出来るんだ」。
篠田さんはいわゆる“主夫”に近い生活をしているようだ。奥さんは仕事、自分は家事と絵画という生活が篠田家の日常らしい。
それから、ギャラリー椿での展覧会の話になった。ひとしきり名コレクターの林滋さんの話を聞いた後、「私の絵はあの中ではおとなしい方だったでしょう」。と、篠田さんが尋ねてきた。
「一見大人しい絵に見えるんですけどね……でも、見ているうちになぜだか惹きつけられる絵でした」。そう答えたのりまきに、篠田さんは「ドクダミのあの匂いが好きでね。ドクダミは今までもう百枚以上描いているんだ……」と、ドクダミの話を始めた。
「ま、今まで花はほとんどドクダミしか描いていない。あとはツユクサを2〜3枚描いたことがあるだけで、残りは全部ドクダミだよ。ドクダミを描きだした頃には見えてこなかったものが、何度も何度も描くうちに見えてきた……それに初めの頃は未熟だった技術も、だんだん良くなって来るしね。もう今では目を閉じてみたらドクダミの姿が浮かんで来るよ」。それから篠田さんは「例えば、ドクダミの花の白は色なんだよ、白という一つの色なんだ。なにもないのが白じゃあないんだ」。と続けた。
「ドクダミの白には厚みがありますよね」。と答えたのりまきに、
「ドクダミの白には、品があるね、それにわかるかわからないかの微妙なところで白以外のものも混ざっているんだ……もう、それはいわゆる“色”ではないかもしれないが……」と、篠田さんは語る。
篠田さんの観察力の鋭さに感心していたのりまき・ふとまきに篠田さんが突然、
「ところで、『どうしてドクダミばかり描くんだ?』と、良く聞かれるんだ。それはね、私は小学校の頃、東京の山谷(注2)のそばで育ったんだけど、家の両親が夫婦喧嘩ばっかししていたんだ……ま、結局小学6年の時、離婚するんだけどね」。
いきなり話が核心に入ってきてしまったらしい、のりまき・ふとまきは息を呑んだ。「貧乏が原因だったと思うんだけどね……もう朝から父親がドンブリを母親に向かって投げつけたりするんだ。ドンブリが母親のおでこに当たって血を流しているのに、自分は学校に行かなければならないなんてしょっちゅうでね……そんなときは学校に行っていても心配で、勉強なんか手につくわけないんだ」。
「そんな家は自分にとって、地獄のようなものだった……そんな時はよく、家から少し離れたところの中学i生の子のところに遊びに行っていたんだ。その子の家に行くまでの細い路地に、季節になるとドクダミがいっぱい咲いていたんだ……家という地獄から解放され、安らげる場所への道すがら真っ先に目にする花……これが私がドクダミに拘ってしまう原点なんだ」。
ギャラリー椿でのりまき・ふとまきが見たドクダミの花は、篠田さんの観察力や技術ばかりでなく、小さい頃からのまさに“情念”が込められているものだった。
篠田さんのドクダミ作品のひとつ
「それからね、十代の後半に失恋をしてね……失恋の後、『画家になろう!』と心に決めたんだ。絵は独学で勉強して、本格的に描きだしてからもう三十年になるよ」。
「最初は油絵から入ったんだけどね、やがて鉛筆画をするようになって、現在は“消しゴム画”という絵の描きかたをしている」。
『消しゴム画?』首をひねっていると、篠田さんは「最初にね、水彩で絵を描くんだ。それからその上を鉛筆で完全に塗り潰すんだ。それから電動消しゴムなんかで少しづつ鉛筆で塗り潰したところを掻き取っていくと、水彩の下地が現れてくるんだ」。と、絵の描きかたを説明してくれる。「今、サザエの絵を描いているんだ。ルーペで殻の表面を観察しながら描いているのだけど、1日かけて1センチ四方を仕上げるのがやっとなんだ。計算すると完成までに7年余りかかることになる……まあ、こんな面倒くさいことをする画家は他にはいないけどね……」正直説明を聞いただけではどうもピンと来ない。いつか作業の様子を見学させて貰えたら……と思う。
「まあ、絵は、例えばこのホオズキ(最初の作品:秋韻)なんかは、ホオズキを見ているうちに心臓を連想してね。単にホオズキの姿を描写しようと思ったわけじゃないんだ……モノを見ているうちに、なんか違うものが連想された時、創作意欲が湧いて来るんだ」。
「そちらに送ったハガキ(2つ目の作品参照)もね、ドクダミとおどろおどろしい内臓のようなものと女の子を描いたんだけどね……ちなみにこの女の子のモデルは娘なんだけど、花を眺めているわけでもおどろおどろしい光景を見ているわけでもない。視線の先は画面の外にあるんだ。本当に描きたいのは、その女の子の見ている、画面の外にあるものなんだ」。
篠田さんが“本当に描きたいもの”ってなんだろう……そんな疑問がのりまき・ふとまきの頭に浮かんで来た。ちょうどそんなとき、篠田さんが「今まで、なんで自分が絵を描くようになったか……ずーっと考え続けてきたのだけど、ようやく答えが見えてくるようになった」。と、語り出した。
「まあ、自分はサラリーマンのような仕事は出来ないと思う、一応こうして生きてきているわけだから、それなりに人に合わせていくことは出来る。でも、何回かやってみたこともあるけど、会社のような集団の中に入って仕事をしていくことは出来ない。どこか他の人との間に壁が出来てしまうんだ……“基本的信頼感”のようなものを、他人と結ぶことが出来ないんだ」。そこで篠田さんは一息入れた、そして。
「私の両親はきっと、私がまだ母親のお腹の中にいるときから仲が悪く、喧嘩ばっかししていたと思うんだ……胎児の頃からそんな両親のいがみあうありさまを感じていくうちに、人間不信のようなものが刻み付けられてしまったんじゃあないかな……だから自分は他者との信頼関係を求めているのだけれども、どうしても基本的信頼関係が掴めないようになってしまった……だから、独りでやっていける仕事として、画家を選んだような気がするんだ」。
決して激することない、穏やかな口調で篠田さんは語る。しかし力が入るのか、篠田さんの座っているテーブルが、ときどきガタンと揺れる。
「独りで出来ることを仕事にしたかったわけだから、ひょっとしたら文章を書いていたかもしれない……でも、気がついたら結局絵を描いていたんだ」。
絵を描くなかで篠田さんはきっと、“自分とは何か”を自問し続けてきたのでしょう。そういった試行錯誤の中で培われた篠田さんの絵は、単に細かいところを執拗に描いているのではなく、まさに“生きる”ということを執拗に描いているのだ……のりまき・ふとまきはそう感じました。
喫茶店に着いてからあっという間に時間が過ぎ、コーヒーもすっかり飲み終わってカップもいつのまにか乾いてしまった。そんな頃、篠田さんはのりまき・ふとまきに、「結婚してどのくらいになるの?」と尋ねてきた。
「2年目です」。と答えると、篠田さんは「子どもはどうするの?」と聞いてくる。
「まあ、そのうちに作ると思います」。と答えたのりまき・ふとまきに、
「選択ができるのであれば、子どもは生んだ方がいいよ。画家仲間は、仕事と家庭との両立に悩んで、子どもを作らない家が多いんだけど、世間が皆やっていることは、体験した方が良いと思うんだ」。
「子どもを産むと、自分の時間が作れないというけど、工夫次第で結構時間は作れるよ。たとえば赤ん坊なんて二時間くらい寝てくれるからね……その二時間、ほっとしてお茶なんか飲まないで、自分の時間として使っていけばいいんだ」。
のりまき・ふとまきとも、篠田さんの『家庭生活』への思い入れを感じると共に、自分自身の家族の将来にも改めて思いを寄せたのでありました。
こうして、篠田さんのお話は終りました……とにかく時間の経つことを忘れ、聞き入ってしまった……という印象でした。篠田さんは終始落ちついた穏やかな口調で語りつづけました。その語り口から私たちは、篠田さんの絵の世界でもみられる、モノを見る“しっかりとした視点”を改めて感じました。
しかし、篠田さんの視点が、ただ見るばかりではなく、“生きる”ことそのものへの執拗な追求へ向かっていること……それが、のりまき・ふとまきの最も深く感動したところでした。絵の世界ばかりでなく、家庭生活への思いやり溢れた篠田さん……これから、何に注目し、どのような“生きる”姿を描き出していくのか。のりまき・ふとまきともども、楽しみにしていきます。
篠田さんの作品:飛ばなくなってうつむいた眼
注1……日本画壇の有名画家、林武の一人息子。名コレクターとして知られ、無名な画家たちの中から、多くの有望株を発掘してきたという。
注2……大阪の西成、横浜の寿町と並ぶ日雇い労働者の町で、日本三大ドヤ街のひとつ(ドヤとは簡易宿泊所のこと、畳一枚しかない究極のワンルーム!?)。漫画好きの人には、『あしたのジョー』の舞台というとわかりやすいかも。西成・寿町と大きく違うところは、いわゆるドヤばかりが集中している地区は存在せず。普通の下町の中に多くのドヤがある。つまり山谷地区やその周辺は、現在も安いアパートなどが多い地区である。