消しゴム画家:篠田教夫さん
ふとまき編
“感性”とは生まれ持つものなのだろうか。それとも育っていく過程のなかで培われていくものなのだろうか・・・。野生の動物が自分の身を守る為に、ある感覚が研ぎ澄まされるという話しをどこかで聞いた。感性というのもそういう感覚だともいえるのかもしれない。
篠田さんは現在の自分の根源を、(なぜ絵を描くのか、なぜこのような絵(注)を描くのかという自分自身への問い)
「母体の中にあったように思う。」というように話された。
両親の喧嘩が絶えない日々(のりまきのページ参照)は、母体の羊水の中に眠る篠田さんを脅かし続けていたのだろうか。そして、この世の中は、お前の生まれ出づるところは容易な世界ではないぞと、だから自分で身を守れ、と、魂なのか、無意識なのか、それとも神様が篠田さんを守るために与えてくれたものなのだろうか・・・。
篠田さんのお話は、考えて話すというより、感覚、直感でものを言われ、その理由付けに思考されているという感じがする。研ぎ澄まされた感性・・・。のりまきに対して
『あなたの方が変わっているんじゃないですか?』
と言われたり、喫茶店に入って
『ケーキは?甘いもの好きなのでは?』
と言われたり・・・、そういった言葉を考えて話される人ではない、とふとまきは感じた。かと言って私たちを喜ばそう、とか良い気持にさせよう、とかいうような意味のある言葉とも感じられなかった。“そういう感じ”がするのではないだろうか。
だから御本人はきっとなんということなしに語った言葉でも、私たちは
『え?なんでわかるの?』『するどい』と何度かどっきりした。
絵のお話も、
「なぜ絵を描く事を仕事として選んだのか、考えてみたんだ・・・・。」
と話された。職業はたくさんあるなかで絵描きを選ばれたのはなぜか。以前良く描かれたという内臓の絵(注)やドクダミの絵のこと、ドクダミは目をつぶっていても描けるといわれるほど描き続けたのはなぜか。
それも月日をかけて考え続けられたようであった。そのお話からも篠田さんの 感覚 を感じた。そして、まだ本当の答えはこれからも探し続けるといった様子で、『今のところ・・・』
「手先が割りに器用だった。」
こと。そして
「人との付き合いが苦手な事」(これも詳しくはのりまきのページを見て下さい。)をその理由として話して下さった。
ふとまきの解釈が間違っていなければ、身を守るためだったかもしれない直感と感性と観察力で、描かずにはいられずに描き始め、そしてなぜ生きるのか、なぜ描くのか、なぜ“それ”を描くのかという、篠田さん自身は考えずに行なっていることを、これから先もずっと考え続けられていかれるのではないだろうか・・・と思った。
篠田さんにお会いしてから1ヶ月が過ぎた。毎日通っていた道々に今まで気がつかなかったドクダミが咲いている。晴れの日も雨の日も、篠田さんとドクダミに見守られているようだ。
(注)…手元にはないが、人間の内臓をグロテスクにリアルに(これはふとまきの感想)描いた絵。