のりまき観察日記内金剛編(2004年6月19日〜23日)
5、さあ!念願の内金剛だ!そのいち


白華庵にて


6月21日(月)
うっすら明るくなり始めた。がたん、ばたん、音がする。のりまきが起きているようだ。時間は朝の四時。部屋の窓ガラスが開き戸になっているのでそれが閉まる音だった。ホテルのすぐ前が海で、海を眺めているようだった。
「え〜?もう起きてるの?雨、どう?」
とふとまきが後ろから声をかける。
「あ、ふとまき。お目覚めですか?雨は降っていません。まあ、いい天気、とも言えないけどね。ちょっと、ふとまき〜、来てみてください。海の向こうの方に建物がありますよ。ほら」
朝からテンションハイである。起き上がり窓の方へ行く。
確かに海を挟んで向こう岸に最近建てたと思われる建物がある。
「あ、ほんとだ」
「多分ね〜偉い人たちの泊まる施設ですよ。随分と立派だよな、まったく。あ、釣りをしている人がいますよ。何が釣れるんでしょうね〜こんなに朝早くから・・・。」
うるさい。こんなに朝早くから・・・・・。しかし、昨夜は暗くなってからホテル着いたので景色は見えなかった(日本のようにライトアップなどはされていない)。確かにきれいな景色だった。そしてのりまき
「すがすがしいとはいえないけれど気持ちのよい朝ですね〜」
としみじみと言っているのである。
:もう少し明るくなってからの部屋から見えた風景
「それはいいけど、今日は長丁場だよ。もう一回寝たほうがいいんじゃない?いくらなんでも毎日毎日これじゃあ、明日あたりにガクンと具合でも悪くなっちゃうよ」
と言い、再び寝るように促した。今日のホテルは、夜の、しかも限定の数分しか湯が出ないから前日のように風呂に入るわけにはいかない。
「じゃあ、ひととおり用意をしてから寝ることにします。」と用意をしはじめる。起きてからの天気により、持ち物が変わるからと用意していなかったのだった。

6時半にモーニングコールをもらい、7時に朝食。朝食前に売店を覗くと日本の試供品のシャンプーリンスなどが値段をつけて並んでいた。他にも日本の物が何点か売っている。さすがは万景峰号の泊まる港町である。ちなみに食堂の食器の何点かと部屋のバスタオルはキティちゃんで風呂場の洗面器はミッキーマウスだった(ホテルに洗面器というのもめずらしい)。
朝食を4人で済ます。

皆と雨が止んで良かったというような話になったのだろうか。
「なんだか、僕ばっかりが行きたいところとか言っちゃってすいません」
とかのりまきは言っただろうか。他のお二人はいいえいいえ、ってな感じでのりまきのいいようにどうぞ。というような感じだった。
Hさんが朝食時に食堂に来て、なにやらホテルのお姉さんと話している。ビールとジュースを取り出している。この時には気がつかなかったが、内金剛に持参するお弁当と飲み物の用意だったようだ。朝食を終え、部屋に荷物を取りに戻る。

朝食を済ませ少し早めに下に降りる。
「ふとまき〜。見て?手づくりの箒ですよ。記念に写真でも撮らない?」と言いピースする。

7時半。出発予定時刻となる。
いつも時間通りに出発するこのツアーも今朝は出発予定時間になっても行く気配がない。メンバーは揃っている。L課長は何度も時計を見ている。今日の行程は時間がかかるようで、L課長はイライラした様子。Hさんがまだだった。お弁当?
後から弁当を両方の手に下げたHさんが走って登場。やっぱり。お弁当を待っていたのだった。
マイクロバスに乗り込み内金剛へ出発である。

今日もまたのりまきとは前後に座る。
「うわ〜」「見て〜」
などとところどころのりまきの声がする。それぞれが景色を楽しんでいる。ETさんは一度来たことがあるようで「そういえば来たな〜、ここも。変わってないな〜」
などと言っている。L課長は、というと
「雨が上がりました。良かったですね。みなさんの気持ちが通じました。でも、どうなるのかは私にもわかりません。そのまま帰って来られないかもしれません。とにかく行って見ます。」
というような話をする。
のりまきは、今まで内金剛のツアーが催行されても実際に内金剛まで行けたことはなかったので「ここまで来て、これだけやって何らかの理由で行けないならそれもそれ。本当に今までは天気が悪くて行けなかったわけで、何か特別な理由を隠しているとかそういうわけではないという事がわかっただけでも良しとします」
などと余裕の発言である。ま、多分行けるであろうと思えたからこんなことが言えるのであろう。
車に乗ること数十分。向かって右側にあるの動物のオブジェに見送られ、金剛へ向かう。
「帰りにはあの動物の中から一匹捕まえて帰ります。それが今日の夕飯です。」
とL課長。のりまき大きな声で笑っている。L課長は日本が北朝鮮は食べ物がない、と報道しているので、それに対して皮肉を言いたかったのか元山に行く前にも
「元山には食べるものがありません。お米は取れないし、だからお米は出ません。野菜だけが少しあります。元山では食事は野菜だけですからね」と半分笑いながら、しかし、本気とも聞こえるように言っていた。そんなこともあって「食事はどうでしたか?食べるものなんてなかったでしょ?」と聞いてくる。なんとなくふとまきは複雑な気分だった。ある意味、日本のマスコミに対する非難の声のようにも感じたからだ。実際の食事は地元で採れたものを丁寧に料理して出てきた。もちろんお米もあった。
ドライブ中、検問の箇所では緊張したが、現代グループのバスの時とは違い、自国のガイドに連れられている私たちはL課長の顔とバスに書いてある朝鮮国際旅行社、の文字でなんとなく大きな顔をして、というのかビップ待遇のような気分で進んでいった。

主要の道からはずれ、砂利道に入る。この辺から金剛山だとL課長が言う。がたがたごとごとと進むと兵隊さんたちが道の工事をしていた。工事のトラックが道を塞いでいるために私たちも休憩となる。もうその時の道だけで
「こりゃあ、大雨が降ったら行けませんよ。ほんとだ。行けるのに行けないなんて嘘ついているなんて思うこともあったけど、それはないってことがわかりましたよ。疑って悪かった。こんな細い道。しかもあんな若い兵隊さんたちが手作業で道作ってるんでしょ?こりゃあたまげたな〜。現代グループの方の道とは大違いだね」
とのりまき。現代グループの方の山に行く道は1回目の時は砂利道だったが、2回目以降はコンクリートの道になっていた。現代グループがツアーを行うようになって工事したのであろう。
「ここでは機械がないからみんな手作業です。ですからなかなか工事もはかどりません」
とL課長。気持ちばかりが先に行く。
トラックが動き私たちも再び走り出す。少し進んだところでここは是非車から降りて見てください、というようにL課長が前方のつづらおりになっている坂道を指す。
ひぇ〜。くねくねとした登りの道が上まで続いていて細かい石がぎっしりと積んである。
「これらもみんなあの兵隊さんたちが手で???」
「はい。そうです」
ぎっしりと、はいいけれど、コンクリとかで固定はしているのだろうか?ふとまきにはただ積んでいるかのように見えた。これらの石も適当なものをここまで手で運び、粉砕して積んでいく。とてつもない作業である。のりまきも感心して騒いでいるが、そんなことよりも、ひたすらすごい。
写真を撮ったりして再びバスへ。

乗用車でもかなり厳しいと思われる急カーブをなんども曲がり上までたどり着いたところで、Hさんが休憩を提案してくる。
煙草を吸わないのは私たちだけ。みんなバスから降りてぷか〜っと一服。ふとまきはトイレに行きたくなった。L課長に聞くと
「ここは青空トイレしかありません。」
と言う。
「この先には?」と聞くと
「ここから先はみんな青空トイレですね」
と言うので青空トイレを済ます。のりまきはあっちきょろきょろこっちきょろきょろ相変わらず落ち着きなく休憩する。

ここから内金剛へのドライブはのりまきの旅行記を読んでもらうとして。内金剛に着く。のりまきが目立って来たのは内金剛の駅付近になったころからであろうか。のりまきは内金剛の料金を払ったあたりで興奮気味となった。
道の脇に金剛山電気鉄道の鉄道跡が続いている。固めて平らな地面だからか時々家々が並んでいる。レールなどは見当たらない。しかし、こんもりとした形は鉄道が昔走っていただろうと素人のふとまきにもわかる。L課長は外金剛が現代グループが観光をはじめたので北朝鮮から外金剛には行けなくなったので、内金剛の開発を精力的に行ってきたようだった。視察の際に、当時ここで暮らしていた人々に話を聞いてまわったりもされたらしい。現地の人の話では戦争が危うくなって来て、鉄道を引き上げていった、というような話を聞いたと教えてくれる。のりまきに
「そうなの?」
と聞くと
「鉄道の廃止は内金剛のあたりで1944年。敗戦が1945年。そう考えると現地の人がそう思っていても不思議はありませんけどね。ちょっと僕の調べた事実とは違うように思います。」
と年号まで言い出す。それを聞いていたHさん
「のりまきさん、詳しいんですね〜」
と。
「そりゃあね〜。金剛山大好きですからね〜」
とふとまきが答える。そうこうすると
「そろそろ駅があったところです」とL課長が言う。何しろ今がどうなっているのかわからない内金剛の駅付近。何をもってそれが駅だった場所かと証明するのかのりまきなりに出発前に考えていて時に絵葉書にあった石塔に目が留まったらしい。その石塔の絵葉書をコピーして持参する。
「あ!本当だ。石塔がある。」
とL課長が「この辺です」
と言っているのにも関わらず、
「石塔があるから、ここにこんな風に駅があったんだ。」と。
そこは今は集落になっており、確かにその石塔の前には広くて平らな土地があったが駅だったとは想像もできなかった。
のりまきとしては降りて写真でも撮りたかったが、まだ先は長く、さらには集落となっているため車から降りることは出来なかった。

そんな道中に、L課長が今回内金剛の観光を誘致するにあたって現地の人に話を聞いたということや、数年前まだ内金剛への道が整備されていないころに日本人で日本植民地時代に金剛山に来たことのある人が内金剛に行きたいと日本の旅行会社を通して朝鮮旅行社に依頼があったという話などをしてくれる。
「今、生きていれば90歳を越えていると思います。今なら私がおぶってでも連れていってあげますよ。」
と。また、視察に来た時の話で、内金剛の頂上にまで行った話。
「頂上には昔山小屋がありました。今は朝鮮戦争で焼けてしまいすっかりありません。でも、湧き水がわいていてとても景色の良いところです。」
と話し出すとのりまきが
「小屋は久米山荘だ。あともう一つ朝鮮式の山小屋もあったんですよ。今はもうないんだ〜。そうか〜朝鮮戦争で焼けちゃったんだ〜。湧き水は昔もあったのよ。そうか〜湧き水は今もわいているんだ〜。」
と感慨深げに独り言とは思えない大きさの声でつぶやきだす。L課長は続ける
「頂上は風が強いので木も高いのはありません。みんな低くて曲がっています。」と腰のあたりに手を当てて
「このくらいです。あとは枯れ草がかなり溜まっていました。そして地面を掘ったのですが、そこにはお酒の空き瓶がたくさん埋まっていました。日本の物が多く他にソウルのものが埋まっていました。」
のりまき感激である。多分、一番最近に内金剛の頂上に行った人のナマの話である。
「へぇ〜、瓶が埋まっていたんだ〜」
しかし、そんな風に山小屋の話とかするのりまきにHさんはまたまた笑いながら
「のりまきさん、詳しいんですね〜」
と言うのであった。

さて、到着。とバスから降りる。
のりまきは
「わ〜、とうとうここまで来ましたね〜」と言っている。
まず、三仏岩を発見。
「ふとまき、ほら、あれ」
と興奮しているが何がなんだかわからない。ようやく少し歩くと岩に仏像が見えてきてふとまきも感動する。

「なんで?ここにこの岩があるって知ってたの?」
随分早く、岩が見えるまえから騒いでいたのでふとまきが聞くと
「はい。そしてこの先に行くとお寺があります。朝鮮戦争でも焼けなかった唯一のお寺で表訓寺と言います。」
と説明が始まる。説明を横にL課長が三仏岩の向かいにある岩は段差があり、石を投げて一発でそこに止まると男の子が生まれると言われています。
と言い、ふとまきさんどうぞ。と言ってくれる。石は戻ってきてしまうが、つぎつぎに石投げに挑戦する。

石投げする人を横目に三仏岩の前に立ち
「あ〜、若山牧水もここに来たんですよ〜。」
と悦に入るのりまき。
「確かふとまきにもその時の写真、見せたと思うけど覚えています?」
えらそうに言っている。おぼえているわい。

石も投げ終わり記念撮影もし、先に進む。
蛙の登場。横からぴょンぴょんと蛙が出てきた。初めて見る蛙である。みどりの地に黒いぼっちがある。のりまきはそれを見てすかさず
「あ、スズガエルだ。」と言い、かえるをつかまえる。

「こいつ、お腹は赤いんですよ。ほら」
とひっくりかえすと本当に赤かった。Hさんは笑い出し、
「のりまきさんは蛙にも詳しいんですね」と言う。
「なんで蛙の名前まで知ってるの?」とふとまきが聞くと
「スズガエル?小さい時飼っていました」と言うので
「私は初めて見たけど、日本にもいるんだ〜」
と言うと
「ま、そういうことですね」と。
他の人も笑っている。ただたんに山だけでなくその周囲にいる生物などにも詳しいのだ。
「それにね、昔の金剛山の旅行記にもその蛙のことがかいてあったんですよ。緑色に黒いぼっちがあり、ひっくりかえすとお腹は赤かったってね。だからその頃からここにはいるんですね。」

蛙は逃がしそのまま進む。木々の間を歩いていると右手に入り口がある。入ってみると少し広く土地があり、石碑がいくつか並んでいる。L課長の説明もあるがのりまきが横に入って
「昔はここに寺があったんですよね。その時の記念の石碑かなんかでしょ?場所も本に書いてあった通りです」
と感激しつつ喜んでいる。白華庵、という場所らしい。他の人はへ〜、とかほ〜とかそんな感じである。だって、ただの広場なのだから。


更に先に進むと寺が見えてきた。さっきのりまきが言っていた表訓寺なようである。


Hさんの通訳のもと、私たちお寺のお坊さんの説明を聞く。途中で雨がぽつりぽつりと降り始めるがお坊さんに本降りにはならないと言われほっとする。
いろいろと説明がある。こんな遠くまで来ても「金日成さまからのご指導のもと・・・・・」、などとお坊さんは言っている。のりまきは聞いてるんだか聞いてないんだかわからないが、神妙である。たびたび
「よくここまで来れました。」と独り言を言ったりしている。
そして最後はお賽銭をお願いされ、「日本円しかありません。」
と言うふとまきに
「お金はどこのでも構いません」
と言われる。なんだかへんちくりんだと思うが、結局ETさんは元を。Sさんはドルをのりふとは日本円を入れた。なんだかな〜?
「せっかくだから何か質問すれば?」とのりまきに言うが
「特にありません」
と質問はしなかった。寺にある季節外れの芍薬(しゃくやく)を見て写真を撮り
「どうしてこんな咲き終わった芍薬を写すのかと言うとね」と話し出し
「若山牧水の歌に出てくるんですよ。」
などと言っているのである。

さて、お弁当タイム〜。

長くなりましたので、ひとまずここで(2004.8.25記)


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