のりまき観察日記内金剛編(2004年6月19日〜23日)
2、内金剛の旅。出発まで



金剛山に熱を上げてまもなく3年。九竜の滝と万物相行を果たしたのりまきの次なる金剛山行きは韓国の現代による金剛山陸路観光と平壌から行く内金剛であった。
内金剛か、金剛山の陸路観光かでは陸路でDMZを越えられるということもあってか、また金剛山日記なるものをつけているために情勢に詳しいせいか、内金剛よりは陸路観光にこだわっているように思えた。それでもその合間に朝鮮観光のツアーで内金剛があるとパンフレットを取り寄せ
「ふとまき〜。行かない?」
と聞いてくるのであった。私は行き先よりも金額が問題だったわけで、北朝鮮からの内金剛と現代からの金剛山陸路観光とを比べると陸路観光の方がぐっと安いので、どちらかと言えば陸路観光に行く方がありがたかった。
そんなふとまきの気が通じてか、内金剛行は日程が合わなかったりSARSの影響で外国人入国禁止となったりして、結局申し込みまでは行かず・・・。SARSからの入国禁止が解け、旅行が再開された2003年秋にも内金剛ツアーがあったが、のりまき職場のお祭りの係りでお祭り当日と重なりどうしても断念。結局はツアーそのものも人数が集まらずに中止となる。
そんな中、2003年初冬に陸路でDMZを越えたわけである。

そうなると・・・・。残るは内金剛。
その後もHPを見ては何度かツアー会社に連絡をとる。
2004年の2月頃、“今年のツアー”ということで6月の内金剛ツアーがHPに掲載された。
「ふとまき、6月はお休みとれますか?内金剛に行きましょう〜♪」
のりまきはこの4月に勤務の移動を希望していた。そんな〜、移動してすぐに休みなんかとれるの〜?と思うが、そこは公務員。取れるのである。
休みは取れそうでも、このご時世。そして、高い旅行費。ふとまきは友人夫がハンガリーに行っていることもあり、友人たちとハンガリーへ行こうと言う話しも出ていたので、そちらの方も魅力的であった。まあ、少しの間に両方に行くことは経済的に無理だった。結局・・・・・。
「ハンガリーはもう一年あるよ。来年はハンガリーに行きましょう。」
というのりまきの言葉で内金剛行きにも同行することになる。結局ふとまきも物好きなのである。しかし、これだけ金剛山に勢力を使っているのだから、本にでもしたら?とのりまきに言っており、
「まあ、それは自分でも思っているんですけどね・・・。そうするにはやはり内金剛に行ってからでないと・・・・」
などと言うので、ある意味集大成という感じもあってなんとなく同行することに。
それでも、ハンガリーに後ろ髪を引かれているふとまき
「北朝鮮に行けなくなったら、ハンガリーにしようね」
とのりまきと約束してツアーに申し込んだ。申し込んでからものりまきは何度かツアー会社に連絡をする。人数は集まっているのか?ツアーは催行されるのか・・・・・。
そんなのりまきの熱意にか、ツアー会社の人は
「そんなに行きたいのであれば、人数は揃わなくても値段も少し高くなりますが、お二人でも行きますか?」
と言ってくれたという。それを嬉しそうに伝えるのりまき
「人数がもし集まらなくても、二人ででも行ける様にしてくれるみたいなんだよね〜。どうする?そうしたらふとまき、行くでしょ?」
行かないとは言えまい。しかし、気になるのは値段。
「でも二人なら当然値段は上がるんでしょ?」
「まあ、そうですけどね。でもそれは仕方がない。内金剛に行けるんですから・・・・・。」
まあ、今回は人数が集まらなくて中止、ということはないことが早い時点でわかる。結局4名で、当初より1人13000円高い値段で行ける事となる。ようするに、内金剛のツアーは人気もないようなのだった(苦笑)。
しかしここまでほぼ行けるだろうとわかっていても、北朝鮮側から入国OKが出ないと請求書が送られて来ないので安心できないと言う。また、突然に北朝鮮の都合でツアーが中止されることもあるという。ツアー行けるのかどうなのか・・・・・。
そうこうしていると、龍川で列車事故が起きそれにもいろいろな噂がひろまった。もしかして、テロに合ったりして。そんな情勢で本当に行けるのだろうか・・・・・。
しかしのりまき、その間もネットオークションや古本屋で金剛山の資料を買い、
「内金剛へ行ったらこういうものが見れるんですよ〜」などとふとまきに見せたりしていた。

6月に入り、人数も決まり、請求書が届く。この時点でいよいよ行けるということになり一層気持ちが高まるのりまき。
今回、3月に北朝鮮に旅行に行った知人もおり、その人より写真を見せてもらったり、情報も聞く機会があってか、ふとまきもいつになく気持ちが高まっている。
気持ちは高まっているが、内金剛までは結局今までのところ一度も行けてはいない。
「まあ、今回もこんなにしてもらってますが内金剛までは行けないことも考えられます。」とのり。
「え〜?ここまで来て行けないなんてこともあるわけ?」
「まあ、それがあの国ですから。今までの直前に予定が変わったことなんて何度もあるようですよ。ま、今回行けないとしてもどんな理由で行けないのか、どんな風に説明するのか見ものです。」
などと言ってはいるが、それはのりまき自身に言いきかせているように思えた。またふとまきが「せっかく高いお金を払って行けないなんてことあり?」などと言い出すのでそれを言わせない為だったのかもしれない。友人も、のりまきがいない場面で
「でも、内金剛のツアーは今まで成功したことがないんですよ。だいたいの人はまあ、金剛山が中止になっても他のところでも構わないかもしれないけれど、のりまきさんが今回現地について行けないなんてことになったら目も当てられないですよね〜」というようなことを言った。
「なんでも、どんな理由で行けないのかがわかるだけ収穫とか言ってるよ。」
とふとまきが応えるが「そんなふうに思えるわけないじゃないですかね〜」
と言い、そうだよな〜。こんなにはりきって元山まで行って内金剛には行けませんじゃ話しにならないよ。ふとまきもそう思った。

実はもう一つ、ふとまきにはこの時期に行きたいところがあった。ふとまきが師と仰ぐ?Eキューブラーロスに会えるかもしれない、というアメリカ行きの話もあった。これは、博士のワークショップが日本でも行われており、興味を持っているふとまきが連絡を取り勉強会に参加したことから話は出てきたのだが・・・・・。まあ、ふとまきは言ってみればその会のスタッフにしてみたら海のものとも山のものともわからない新顔であったので、実際にふとまきが行って良かったのかはわからないが、是非行きたいと言えば一緒に行かせてもらえたと思う。Eキューブラーロスは看護学生の頃に本に出会い、もう電撃が走りそれ以降会えるものなら会いたいと願っていた人である。その人に会えるかもしれない・・・・・?それが6月の下旬。まさに内金剛に行ったあたりに予定されていたのである。
この話は本当に迷った。博士の体調も良くないらしい。次になどと言っていればこの世におられないかもしれない。あれだけ会いたかった人である。このチャンスを逃す手はない・・・。

しかし流れに逆らうのではなく、とりあえず流れに流されてみることにした。もう既に勤務の希望も内金剛行きに合わせて取れていた。申し込みも済んでいた。それに逆らうことなく、内金剛に行ってみよう。
のりまきにはアメリカ行きの話もしてみる。
「ふとまきも内金剛にはこんなに行きたがっていたじゃあありませんか〜。それなのにそっちを取るんですね。いいですいいです。そんなに行きたいのなら行ってくださいアメリカに・・・・。」
と言いつつも言葉に元気がない。いじけ虫になっている。

もしも縁とチャンスがあるならばまた博士には会えるだろう・・・。そもそも今回はアメリカには縁がないのかもしれない。
でも、もし土壇場でこの内金剛行きのツアーが中止になったらなんとしてでのアメリカに行こう。そう思ったら、ふっきれたきた。結局、今の自分にはアメリカに行くよりも内金剛に行く事になんだかわからないが意味があるように思えてきた。

さて、迷いもなくなりいよいよ荷物の準備である。
北朝鮮関係の掲示板で、ツアー同行されると思われるETさんの書き込みを見てメールで連絡。訪朝歴の多いETさんにアドバイスを受け、準備を整えた。
今回のりまき、内金剛はもちろんコースも当然頭に入れていて、見どころやポイントをピックアップしていてそこへは是非行きたいと思っていた。更に、知人に聞いて金剛山電気鉄道の列車が保存してある鉄道事績館や元山の駅なども見たいと思っていた。しかし、ツアーはあくまでツアーであり、同行の人もきっとそれぞれに行きたいところがあるだろう・・・・・。
「今回は色々と行きたいところがあるんですよね〜。でも一緒に行く人もそれぞれに行きたいところあるよな〜」
悩むのりまき。
のりまきは考えた。自分の行きたい場所を相手に伝える方法を!そして。自家製の内金剛のパンフレットを作成する。
と、言っても韓国の人の作ったHPのコピーに戦前の本からのコピーと古い地図のコピーである。しかし、言葉で説明するより写真や絵なら一目でわかる。今回L課長という内金剛にとても詳しいガイドさんがおられたから言葉の説明でかなり伝わったが、どんなガイドさんがついてくれるかは行くまでわからないわけで。
それを作成して
「これでよし。これだけ力を入れているってこともこういうのがあればわかるしね〜」と。
出来上がった物を友人にも見せるが反応はなし。がっかりしつつ、それでも
「最後はこれ、コピーなんだからガイドさんに差し上げてもいいしね〜。向こうにはこういった古い資料なんかないだろうから・・・。」
準備は万端。天気予報も何度も何度も見ては祈っている。
「雨が降ると内金剛には行けないかもしれません。どうか、雨は降りませんように」

準備と言えば、今回はデジカメを購入してしまった。フィルムも用意し、ボイスレコーダーも準備した。
古いデジカメをふとまき用として今回はふとまきも色々撮影する気となる。のりまきよりも良い写真を撮るんだ!!(笑)

そしてそして・・・・・。私たちとっては最も重要なこと。
のりまきと結婚して約5年半。のりまきの両親と同居して約1年半。2人の時にはわけなくお気軽に旅行に出かけていたが、同居してからというもの笑顔での見送りを受けたことがなかった。それは何故かというのはふとまきも良くわからないし、ここでいろいろ考えていても始まらないが、とにかく、両親の機嫌が良好で、気持ちよく旅行に出してくれたのは今回が初めてだったのである。やはり、両親の機嫌が良いと準備する心も弾む。これは今回最も重要な出来事だったかもしれない。
「こんなことはめずらしいことです。」と言いつつのりまきも嬉しそう。

そんな風に今回の旅行の準備が整ったのである。(2004.7.11記)



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