2003年10月の金剛山陸路観光


10月7〜9日にかけて、他の日本人に先駆けて金剛山へ陸路で
向かったレトロ氏から、貴重な陸路観光の情報をいただきました。
レトロ氏の手記から、陸路観光と最近の金剛山観光について紹介したいと思います。




1・現代峨山金剛山観光事務所(金剛山コンドミニアム内)までと、金剛山観光事務所でのこと。

 現代峨山の金剛山観光事務所(金剛山コンドミニアム内)に行くまでのバス内で、「身分証」・「観光証」・「ドル支払いカード」が配られる。
 身分証は、一面のみの小さなカードで、住所・年齢・職業等の個人データが記載されている。このカードは金剛山観光終了後、韓国側まで持ち帰ることができる。
 観光証は両開きになっていて、左側は身分証と全く同じ内容が記載され、右側は入出国スタンプ欄になっている。こちらは北朝鮮出国時に回収されるカードである。
 「ドル支払カード」とは、窓口で任意の額のドルを支払い、その支払った金額分だけこの「ドル支払いカード」に磁気記録してもらい、金剛山ではこの「ドル支払いカード」で買い物等が出来るシステムである。わかりやすく言えば一種のクレジットカードのような機能を持っている。
 また、このカードには個人情報も記録されていて、金剛山内での位置確認用としても使用されることになっているという。バス内にカード読み取り機械があり、その読み取り機械にカード情報を読み取らせることで位置確認の役割を果たしているようだ。もちろんカードは金剛山中の各売店で利用できるので、その買い物利用情報で位置確認も出来るのだろう。いずれにしても、GPSのような高度な技術を用いた位置確認システムではないようだ。
 金剛山観光中は「ドル支払いカード」も携帯しなければならないが、必ず使用しなければならないものではない。つまり買い物は現金で行なうことも出来る。
 
 金剛山旅行中は、常にこの「身分証」と「観光証」が入った透明なケースを首からかけておかなければならない。また、これがなくては北朝鮮を出入りすることができない。いわゆる「臨時パスポート」である。身分証と観光証の規格や記載内容は、外国人のものと韓国人のものはまったく同じであるが、唯一違うのは用紙の色で、外国人はグレー、韓国人はうぐいす色になっている。出入国スタンプが捺される観光証は、北朝鮮出国時に回収されるので、手元には何ら北朝鮮に行ったという証明は残らなくなる。 ただ北朝鮮出国時、別紙に『記念に出国スタンプを下さい』。と頼むと、貰えたという話もあり、もしかしたら貰えるのかもしれない。
 ケースの中のカード類を汚したり、ケースを壊したりすると北朝鮮では罰金対象になるということだった。


 金剛山コンドミニアム内の現代峨山の金剛山観光事務所に立ち寄る。事務所では北朝鮮への持込禁止品を預け、さらに窓口でドルを支払い、ドル支払いカードへの磁気記録を行う。ちなみに「地図」の持込はご法度だと韓国人から聞かされたが、バスのガイドによれば観光パンフレットにある詳細な地図でも問題がないとのことだった。


2・韓国出国、そして軍事境界線通過

 統一展望台に到着したのは、午後1時50分だった。到着時には韓国側CIQ(出入国管理事務所)入り口に韓国人観光客の長蛇の列が出来ていた。私たちはバスから降りて、午後2時20分まで重い荷物を持って統一展望台の見学を行なった。午後2時20分に統一展望台の見学を終えて韓国側CIQに並ぶ、やがて、北朝鮮から金剛山観光を終え戻った人々が、お土産の荷物を手にぶら下げて次々と出てきた。午後3時過ぎになって、これから北朝鮮に向かう我々の行列が前に動き出した。旅行者は1,000人近くいたとのことであったが、うち日本人は我々26人だけであった。
 各自の観光証には、バスの号車及び座席番号が記載されている。26人の日本人だけのバスが用意され、その座席番号順に出国することになった。これから帰国までの間、ほとんど全てこのバスの号車で移動が行なわれ、行動が実質制限された。
 出国手続きが最後の方になったが、午後3時30分に全員無事出国し、現代峨山の北朝鮮行きバスに乗り込んだ。
事前に説明を受けた通り、みんな観光証に記載したバスの号車及び座席番号に着席した。
 しばらく待っている間に午後の西日が強く差してきたため、同乗者の一人がカーテンを引き始めると、ガイドが慌てて駆け寄ってきて『カーテンを閉めてはだめです!』と言って、元に戻し始めた。併せて、移動中は絶対写真撮影は禁止、また、車内で手を挙げる行為や移動はしない旨の注意事項を伝えられた。
15時50分頃、いよい先導車に続いて1号車から順に19号車までのバスの隊列による移動が開始された。

 以下は韓国側から非武装中立地帯(DMZ)を越え、北朝鮮側CIQまでのおよその通過時間(時刻は推定)を含めた通過中の様子である。

15:50頃 韓国側CIQ出発
 出発後、まず山中を移動する。道幅は1車線分しかない。途中、空中に黒い網が張られていた。写真が撮れないようにするためか?

15:56頃 韓国側DMZの外側フェンス通過
 坂を登りきった場所付近に検問所があった。DMZ外側フェンスを通過してから道は下りにかかる。

16:06頃 韓国側DMZの内側二重フェンス通過
 検問所があったが通過。その後砂が敷かれた道路に入り、バスは砂埃を舞い上げ進んだ。通行路の西側では鉄道敷設用の造成工事が行われていた。

16:07頃 軍事境界線通過?
 はっきりした境界線の明示はないが、両国の内側フェンスのほぼ中央あたりであることが推測できた。また、北朝鮮側から延びる鉄道のレールがこの辺まで敷設されている点からも、多分南北の境界あたりなのだろう。

16:08頃 北朝鮮側DMZの内側フェンス通過
 検問所があり数人の北朝鮮側の軍人が監視していた。
 相変わらず砂敷きの道路がつづく。鉄道建設に従事している建設労働者が多く見かけられたが、風貌からして韓国側の人々のようにも見えた。使用している建設機械は韓国製であり、監視をしている北朝鮮軍人の姿がちらほら見えた。

16:13頃 北朝鮮側DMZの外側通過
 統一展望台からも見えた小高い山の陰に入り、後ろの韓国側はもう見えなくなった。トヨタの高級乗用車の中で2人の軍人がたばこを吹かしていた

16:15頃 バスの車内検査のため停車

 不審物のチェックを行うため目つきの怖い軍人2人が1組になってバスに乗り込んでくる。
襟章の星の数は、大きい星と小さい星の組み合わせで、見た感じでは星の数が多いほどえらいようであった。
 検問担当の軍人は本当に真剣に業務をこなしており、その真剣さが顔面に現れていた。その真剣さのために約10分間、恐怖感を味わう。検問の内容は、車内では大きな武器などがないかを確認するような内容であり、トランク室でも同様の確認を簡単にしていた。
 軍人の詰所と思われるコンテナが東側に見えたが、電線の設置もなく、扉なしのトイレも少し離れたところに野放図においてあった。夏や冬はどうしているのだろうと他人事ながら心配になった。

16:25頃 出発
 監視の軍人は、約半マイルの一定間隔で1人づつ赤旗を持った若い軍人が配置されている。軍人が数人づつ固まっていることもあった。砂埃の道の脇に立っている軍人のほとんどが小柄で、少年兵ではないかとさえ思えるほど幼く見えた。想像であるが、バスの中の異常に気が付いた軍人が赤旗を掲げると、バスは恐らく一斉に停止しなければならないことになっているのだろうと思う。
 周囲の景色はのどかな農村風景に変わった。農民は遠くにまばらに見える。この周辺の農民の多くは朝鮮系中国人が移住しているという…注
 一面に広がる水田の米は背丈は50〜60cmくらいで低く、穂は実っているが日本ほど垂れていない茎や葉まで全体が黄色くなっている。稲刈りをしているところも見かけたが、昔ながらに鎌での手作業だった。
 農地の土壌は、特に畑地帯は、農作物に適した「肥沃な土」というふうには感じなかった。ただ、金剛山観光バスの通過する道路とほぼ平行して河川がこの田園地帯を走っており、水の問題はなさそうだった。
 電線は、木柱に小枝をきった横木に碍子をつけた簡易な電柱が続き、用水路のポンプ室と思われる場所に繋がっていた。幹線の高圧線鉄塔らしき景色は見られない。
 道路すぐ脇の民家を通過する時は、大きな壁で遮られ、中の様子はうかがうことが出来ない。
 途中で何度か川を横断したが、1ヶ所で川が氾濫した傷跡が残っていた。9月の半ばに台風14号の大雨が降った際、金剛山への陸路が川の氾濫で通行できなくなり、現代峨山が緊急工事を行い深夜に開通させ、朝鮮戦争後初めて軍事境界線を一般人が深夜に通行したというニュースを聞いたが、まさにその場所と思われる場所を通過したのである。

16:40頃 金網が張られた金剛山観光専用のアスファルト道路に入る。
 民家や公共施設らしき光景が離れたところに点在している。観光専用道路の脇には鉄道が敷かれ、さらに電化工事も完了していた。さらに横には、住民用の生活道路があったが、やけに幅の広い道路で10mを超えているように思えた。しかし徒歩や自転車しか見かけなかったが、なぜか歩行者も自転車も幅広の道路の端を移動していた。

16:50頃 北朝鮮CIQ着
 北朝鮮CIQでは、携帯電話を預け忘れた人と、観光証に『無職』と書かれた人が罰金の対象となってしまった。北朝鮮出国時に払った罰金額は、携帯電話を預け忘れた人は20ドル、観光証に無職と書かれた人の場合は10ドルであった。また、リストにはない持ち込み禁止品として、電動歯ブラシと万歩計があった。



3・金剛山観光について

ホテル海金剛のバンド

 生バンドのボーカルの女性と英語で話す機会があった。聞き違いなどがあるかもしれないが……

 バンド名 フィリピン・トリオ

 彼らは、2年契約で今現在4ヶ月経ったところだという。1年後にビザの関係で一旦フィリピンに帰国し、それからまた1年間ここで働くことになっているという。バブル絶頂の頃に日本に居たことがあるようで、また日本に行きたいと言っていた。ホテル海金剛は朝の時間帯、出入りは自由なので、ホテル海金剛の場所まで行けば朝の生バンドを見ることが出来る。


北朝鮮側経営のレストランについて

九竜淵入り口の木蘭館(モンラングァン)は営業していて、食事が出来るとのことであった。

三日浦ほとりに建つ丹楓館(タンブングァン)も営業していて、マッコルリ(どぶろく)1杯1ドル、生松茸1皿5ドルで販売していた。

 北朝鮮の特別料理を25ドルで食べさせるレストランに行った。ガイドによると名前は『吉兆』とかいう名前だそうだ。約90名が入るレストランで、メニューは、この近くの湖でとれた淡水魚の揚げ物がひとりに1つづつ付き、それから豚・アヒルの焼肉、冷麺、お粥、スープ、キムチなどが出た。焼酎は、「平壌」という25度のものが出た。
 このレストラン、トイレはとんでもなく悪いもので、水が流れず、ポリバケツに溜められた水を小さな洗面器ですくって流さねばならなかった。


金剛山での違反行為について

 九竜淵コースで、清流で顔を洗い、汗をぬぐったところ北朝鮮の環境保護巡視員に注意された韓国人がいた。罰金を受けたかどうかはわからない。また、三日浦で立ち小便をして罰金を食らった人がいた。立ち小便の罰金は20ドルであったようだ。ちなみに撮影禁止場所での盗撮での罰金事例の罰金額は1000ドルだそうだ。


その他

 九竜淵コースの最後、木蘭館を過ぎて駐車場までの途中で乗用車が見えた。20年以上前のものと思われるベンツであった。



注:北朝鮮は建国直後、各地に住む住民をお互いに大規模に『交換』したと言われており、金剛山地区に朝鮮系中国人が住んでいるとの話は、そのあたりに関係するかもしれません。今後調べてみたいと思います。



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